上 下
28 / 60

28 辺境に行きたい

しおりを挟む

「私、辺境に行きます」とアストリが思いつめたように言うと「お前が行くことはない、エドガールに任せなさい」レオミュール侯爵は反対した。
 ミハウも「君が行かなくても」と引き止める。
 そこにいる皆が押し止めようとする。行く理由がないし、女性の身で戦うことに疑問を持つのだ。何ができるかと問うのだ。

 アストリは頑なに首を横に振った。
「行ってどうするというのだ。何が分かる」
 彼はもう死んでいる。無口でアストリの夢の中でも何も喋らなかった。
「でも」

 彼が父なのかどうかは分からない。寡黙な人で何も言い残さなかった。そして戦で死んでしまった。
 アストリは何度も母の日記を見たが、母も彼の名を残さなかった。

 ゼムガレン帝国の策略に嵌まって当時のデュラック辺境伯が死んだ。西の領地も城も失った。その時、ディミトリも一緒に死んでしまった。
 遺恨の残る戦い。ゼムガレン帝国が猛攻撃を仕掛けてきた時、王国軍は間に合わなかった。リュクサンブール城は帝国に奪われ、リュクサンブールの一族は殆んど死に絶えたという。

 八年前の出来事であった。
 ネウストリア王国は辺境の西の地を明け渡すことで帝国と手打ちを行い、今この時まで一触即発ながらも危うくも均整は取られていた。


 今、帝国はそのリュクサンブール城を足掛かりに辺境の地を攻略するという。
 帝国はあちこちに手を広げて八方塞がりなのだ。国内の不平不満を躱すために一番弱そうな所に打って出るのだ。国王が代替わりしたばかりで、国内のゴタゴタもまだ落ち着いていないネウストリア王国に。

 アストリにもその責任の一端はある。例え先代の国王がくずのような男でも、民衆の不平不満が爆発しそうだったとしても、彼をして死に至らしめたのは、紛れもなくアストリであった。

「でも、そんなことではない。そんなことではないの」
「囚われているのか。何故、何に」
「負けたくない──」

 ポツリと紡ぎ出された言葉。それを探していたかのように、猛然と喋り出す。
「負けたくないのよ、母を凌辱した国王たちにも。唆した王妃マリーにも、そしてどこにもかしこにも戦争を吹っかけている帝国にも、負けたくない」

 溢れる魔力を持ち、類い稀なる四属性持ちで、すでに光魔法まで発現して自由自在に使える。その上、不死の一族である。誰がアストリに勝てるというのか。
「今、私が此処に生きている、その証が欲しい。その意味が欲しい。存在する理由が欲しい。私達を踏み躙った彼らに負けたくない」

「君が彼らに負けることはないだろうよ。むしろオーバーキルを心配しなければならないくらいだ」
 ミハウが呆れたように言う。
「それで満足するのか」
「いいえ、死んでしまった人はもう帰らない。ただ虚しいだけかもしれない」
 熱に浮かされたようなグレーの瞳は水を孕んで揺れる。
「それでも──」

「取り敢えずルイーズの墓に花を供えて報告をしよう」
「じゃあ、あの方のお墓にも」
「ふう、仕方ないな」

 自分が汚泥に塗れた国王たちに弄ばれて出来た子供だなんて、誰でも納得できないし、信じたくない。
 アストリの目の前に現れた『父親かもしれない男』という存在は、銀の髪を持ち他国から流れて来た一家で、美しい顔を怪我で失い、寡黙だが誰より勇敢で、悲劇の男だ。選べるものなら選びたいだろう。


 帝国が騒がしいと言っても、エドガールはまだのんびりしている。
「その、エドガール殿はいつ頃辺境に戻られる予定なのか、お聞きしても」
 ミハウの問いにエドガールは問いで返した。
「君たちはいつ頃式を挙げるのかな」
 その言葉でミハウは頷いてアストリを見る。
「先に結婚しよう。夫婦として、君の夫として墓参りに行きたい」
 ミハウの言葉に嬉しくて頷くも、アストリは少し不安だった。

(あの時、本当に未遂だったのかしら。それに私の貧弱な身体を見てミハウ様は失望しないかしら。彼は聖女のような、金髪とかピンクの髪の豊満な女性が好きなのではないだろうか……。あの前王妃マリーみたいな色っぽい美しい女性の方がいいのでは)


  ◇◇

 侯爵領の領都の教会堂で式を挙げる。準備は殆んど整っていて、レオミュール侯爵の我が儘で伸ばし伸ばしになっていたのだ。エドガールの説得でやっと重い腰を上げて、二人の婚姻の許可を出したのだった。

 当日、侯爵家の丹精込めて仕上げられた白いドレスに身を包んだアストリは嬉しさと恐ろしさでドキドキして、今にも倒れそうな風情だった。
「綺麗だ」とアストリに見惚れるミハウに震える手を差し出す。

 ミハウの心配はとんでもない下世話な所にあった。もし処女膜が再生して、アストリが元の身体になったらどうすればいいのだろうと。切れそうな首が繋がったり腕が繋がったりしたのだ。ありうることだった。
 何度も痛い思いをさせたくないが、何度もしたい。
「教授はどう思う?」
「分からんものは分からんのう。前例がないし。ミハウ陛下が作ってくれればよい」と、厳かに告げる。勿体ぶった顔がふと綻んで、興味津々なのが分かって「私が実験台になるのか」と憮然とする。

「お前らどうなんだ?」
 仲間内で唯一夫婦のクルトとマガリに聞くと「そりゃあもう」「うっふっふ」と三日月の目で意味深に笑う。こいつらに聞くんじゃなかったと後悔するミハウであった。

 まあ処女に戻るのであれば、愛し合う方法も考えればいいかと腹を括る。
 アストリはミハウの心配がそんな所にあるとは知らない。何に心配しているのかしらと首を傾げる。

 それより、あの時本当に無事だったのか、未遂だったのか、それがとうとう分かるのだ。もし未遂じゃなかったとしたら、そして、それをミハウがどう思うのか──。
 彼が失望したらどうしよう。軽蔑されたらどうしよう。

 アストリも不安で不安で仕方がないのだ。それでもミハウの希望を叶えたいとも思う。アストリは希望と不安で口元を強張らせながらミハウの隣に立つ。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

異世界でもプログラム

北きつね
ファンタジー
 俺は、元プログラマ・・・違うな。社内の便利屋。火消し部隊を率いていた。  とあるシステムのデスマの最中に、SIer の不正が発覚。  火消しに奔走する日々。俺はどうやらシステムのカットオーバの日を見ることができなかったようだ。  転生先は、魔物も存在する、剣と魔法の世界。  魔法がをプログラムのように作り込むことができる。俺は、異世界でもプログラムを作ることができる! ---  こんな生涯をプログラマとして過ごした男が転生した世界が、魔法を”プログラム”する世界。  彼は、プログラムの知識を利用して、魔法を編み上げていく。 注)第七話+幕間2話は、現実世界の話で転生前です。IT業界の事が書かれています。   実際にあった話ではありません。”絶対”に違います。知り合いのIT業界の人に聞いたりしないでください。   第八話からが、一般的な転生ものになっています。テンプレ通りです。 注)作者が楽しむ為に書いています。   誤字脱字が多いです。誤字脱字は、見つけ次第直していきますが、更新はまとめてになります。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】神から貰ったスキルが強すぎなので、異世界で楽しく生活します!

桜もふ
恋愛
神の『ある行動』のせいで死んだらしい。私の人生を奪った神様に便利なスキルを貰い、転生した異世界で使えるチートの魔法が強すぎて楽しくて便利なの。でもね、ここは異世界。地球のように安全で自由な世界ではない、魔物やモンスターが襲って来る危険な世界……。 「生きたければ魔物やモンスターを倒せ!!」倒さなければ自分が死ぬ世界だからだ。 異世界で過ごす中で仲間ができ、時には可愛がられながら魔物を倒し、食料確保をし、この世界での生活を楽しく生き抜いて行こうと思います。 初めはファンタジー要素が多いが、中盤あたりから恋愛に入ります!!

婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです

青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。 しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。 婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。 さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。 失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。 目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。 二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。 一方、義妹は仕事でミスばかり。 闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。 挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。 ※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます! ※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!

みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した! 転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!! 前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。 とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。 森で調合師して暮らすこと! ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが… 無理そうです…… 更に隣で笑う幼なじみが気になります… 完結済みです。 なろう様にも掲載しています。 副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。 エピローグで完結です。 番外編になります。 ※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。

毒を盛られて生死を彷徨い前世の記憶を取り戻しました。小説の悪役令嬢などやってられません。

克全
ファンタジー
公爵令嬢エマは、アバコーン王国の王太子チャーリーの婚約者だった。だがステュワート教団の孤児院で性技を仕込まれたイザベラに籠絡されていた。王太子達に無実の罪をなすりつけられエマは、修道院に送られた。王太子達は執拗で、本来なら侯爵一族とは認められない妾腹の叔父を操り、父親と母嫌を殺させ公爵家を乗っ取ってしまった。母の父親であるブラウン侯爵が最後まで護ろうとしてくれるも、王国とステュワート教団が協力し、イザベラが直接新種の空気感染する毒薬まで使った事で、毒殺されそうになった。だがこれをきっかけに、異世界で暴漢に腹を刺された女性、美咲の魂が憑依同居する事になった。その女性の話しでは、自分の住んでいる世界の話が、異世界では小説になって多くの人が知っているという。エマと美咲は協力して王国と教団に復讐する事にした。

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

疲れきった退職前女教師がある日突然、異世界のどうしようもない貴族令嬢に転生。こっちの世界でも子供たちの幸せは第一優先です!

ミミリン
恋愛
小学校教師として長年勤めた独身の皐月(さつき)。 退職間近で突然異世界に転生してしまった。転生先では醜いどうしようもない貴族令嬢リリア・アルバになっていた! 私を陥れようとする兄から逃れ、 不器用な大人たちに助けられ、少しずつ現世とのギャップを埋め合わせる。 逃れた先で出会った訳ありの美青年は何かとからかってくるけど、気がついたら成長して私を支えてくれる大切な男性になっていた。こ、これは恋? 異世界で繰り広げられるそれぞれの奮闘ストーリー。 この世界で新たに自分の人生を切り開けるか!?

処理中です...