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14 夢は壊れるもの
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「旅に出よう、アストリ。一緒に行くんだ」
アストリを抱き寄せてミハウが言う。髪は黒ではなく、長くもなく、癖ッ毛でもなかった。肩の辺りで切り揃えた銀に近い青銀色の髪が、その優しげな顔、青い瞳に似合う。
「まず辺境に行く。それから岩がゴロゴロの荒れ地を通って隣国に行くんだ」
この国で誰かに預けられるのではなく、置いて行かれるのではなく、ひとりで取り残されるのでもなく、一緒に行けるのだと思うと、アストリの胸に何かが満ち満ちて来る。
「馬車は揺れるし、魔物も出るかもしれないけれど──」
そんなことは少しも構わない。
ただ、側に居るミハウとの距離が近すぎて、恥ずかしくてたまらないのだ。
「本当? 先生」
「ミハウと呼んでくれないか」
「でも……」
「私は君と結婚したいんだ」
「結婚? でもミハウ……様、こんな私でいいのでしょうか」
アストリの母親は乱暴されて、父親の分からない子を授かった。母親は生きて欲しいと日記に書いた。アストリが母の生きた証だから。
それでも修道院で罪の子、望まれない子、罪深い子と言われた。
「君しかいない」
「でも、もっと先生に、お似合いの仲間が出来たら……」
「滅多に仲間なんか出来ない。だから君ともあまり関わらないよう接しようとした」
ミハウは黒くて長い髪のカツラを被っていて顔を晒さなかった。黒い司祭服をだらりと着ているか、ドレス姿で男か女かも分からなかった。
「アストリと一緒に居る内に、私は花嫁を育てた男になりたくなった。少しの間だけでも一緒に居られたらと願った。願ってはいけない事なんだけどね」
ミハウはちょっと泣き笑いの顔になる。そしてアストリの頬を拭った。綺麗なグレーの瞳が揺れて涙が転がり落ちる。
「だからあの時、君が生き残ってくれて私は凄く嬉しい。ねっ、私を花嫁を育てた男にしておくれ」
「ミハウせんせい……」
「先生じゃなくて──」
「ええと、もうそろそろデュラック辺境領のヴェゼールの桟橋に着きます」
クルトが甘い雰囲気の二人に遠慮がちに声をかける。
「さあ、アストリさん。お召し替えしましょうね。ミハウ様はあちらでお着替えください」
マガリは遠慮なしにポンポン言う。
「むう、じゃあ後でね」
「はい」
「お召し替えですよ。外は寒いですからね」
マガリはそう言ってドレス一式を引っ張り出した。手際よく着付けて行く。
「お似合いですよ。でもミハウ様はへそ曲がりですから普通の格好でいらっしゃるとは限りませんし、あまり驚かれないように。まあご存知ですよね」
「はあ」
最初の出会いと、マナーを教わった時の女装とも思えないドレス姿を思い出す。
船が桟橋に着いて降りる。ミハウはまだのようで雪景色を眺めていると、美しい貴婦人が降りて来た。黒テンの毛皮のコートを纏い、ベールの付いた黒いトーク帽を被っている。二ッと笑った赤い唇、青い瞳はベールに半分隠されている。
アストリも毛皮のコートを着て、レースと羽の付いた帽子を被っていてとても清楚で可愛い。けれど、ミハウのそれは妖艶だ。
見惚れていて桟橋で滑りそうになった。すかさず手を取ってエスコートされる。
「こちらよ、アストリ」
最初に会った時のハスキーボイスで囁いて馬車まで連れて行く。
「雪が降っているのよ、気を付けてね」
「ミハウ様……」
「うん、どうかしたの?」
「お綺麗で、貴婦人で──」見惚れてしまった。
「今、これしかなくてね」
「そうなんですか」
「アストリもとても可愛い。指輪を買おうね」
少しホッとしたのは内緒だ。ミハウのあまりに美しい貴公子姿に慣れなくて、結婚とかいきなり言われると焦るばかりである。
女装の、それも美しい貴婦人姿にびっくりしてしまうけれど、王子様よりマシだと思うアストリは、まだ十五歳になったばかりのピュアな女の子であった。
◇◇
領都シャラントまでは三日の旅だった。デュラック辺境伯領は東西に長い。街道は整備されていて、駅逓も各所にあって賑やかだ。アストリは街に行ったことがない。人の賑わいに驚いて、市場や店に驚いて、立派なホテルに驚いた。
広いエントランスホール。天井から下がる豪華なシャンデリアと大理石の柱と床、広い階段には赤い絨毯が敷かれ、着飾った紳士淑女が優雅に行き交うロビーがある。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました、クレンツ伯爵夫人」
ホテルの支配人が出て来て挨拶をする。
アストリがミハウの別の名前に驚いていると「お手紙を預かっております。こちらを──」と封蝋のある手紙の乗ったサルヴァを差し出した。ミハウが頷いて受け取ると恭しく頭を下げる。ホテルの従業員がてきぱきと荷物を運んで行く。
「どうぞ、こちらでございます」
案内された部屋は最上階の立派な部屋で、コートを脱いで寛ぐとメイドがお茶の用意をしてくれた。
美味しいお茶にホッと一息吐くとミハウが驚くことを言う。
「ここは聖サウレ修道院長が経営しているの、もちろん人を雇ってね。修道院は旅人が宿泊するから、そういうノウハウはあるのよね、勉強になるわ」
ミハウは女性言葉のままで、先程受け取った手紙をペーパーナイフで開いて、サッと目を通す。
「そうなんですか」
「あと、王都と自分の領地にも建てたのかな。あちこち移動するから泊まれる所があると便利だし、仲間内だと怪しまれないし、従業員もちゃんと躾けられるし」
「自分の領地ですか? 修道院長の?」
「そう、修道院長は司教並みの権力があるの。臣下も沢山いるし。でも男性みたいには優遇されなくて位階も上がらないからね」
「はあ……」
「私達も偶にホテルでのんびり出来ますし」
「お前たちは、何処でものんびりマイペースじゃないか」
クルトは執事風、マガリは侍女風の綺麗な服を着て、一緒にお茶を飲んでいる。マガリが退屈な時用にたくさんの廉価本をくれたけれど、船で聞いたミハウの話がアストリの頭の中で消化しきれずに、馬車の中では何度も聞き返して、頭の中を整理しなければならなかった。その所為でまだ本は読めていない。
「本当は前の駅逓から国境に向かう予定だったんだけどな、デュラック辺境伯は何の用事だろう」
「そりゃあ、アストリさんの事でしょうが」
「うーん。アストリは学校に興味はあるかな」
「学校ですか」
「王都の貴族学校だな」
「え、どうして」
「君にはお祖父さんがいるんだ。現レオミュール侯爵だ。彼は娘の死が信じられなくて未だに探している。修道院長が言うには君は母親そっくりらしい。辺境伯家に行けば君を会わせることになる。私としては会わせたくないが、まあ会う事になるんだろうな」
アストリは声もなくミハウを見る。バラ色の夢が音を立てて崩れてゆくようだ。
(私は罪の子供だから、幸せになってはいけないの?)
アストリを抱き寄せてミハウが言う。髪は黒ではなく、長くもなく、癖ッ毛でもなかった。肩の辺りで切り揃えた銀に近い青銀色の髪が、その優しげな顔、青い瞳に似合う。
「まず辺境に行く。それから岩がゴロゴロの荒れ地を通って隣国に行くんだ」
この国で誰かに預けられるのではなく、置いて行かれるのではなく、ひとりで取り残されるのでもなく、一緒に行けるのだと思うと、アストリの胸に何かが満ち満ちて来る。
「馬車は揺れるし、魔物も出るかもしれないけれど──」
そんなことは少しも構わない。
ただ、側に居るミハウとの距離が近すぎて、恥ずかしくてたまらないのだ。
「本当? 先生」
「ミハウと呼んでくれないか」
「でも……」
「私は君と結婚したいんだ」
「結婚? でもミハウ……様、こんな私でいいのでしょうか」
アストリの母親は乱暴されて、父親の分からない子を授かった。母親は生きて欲しいと日記に書いた。アストリが母の生きた証だから。
それでも修道院で罪の子、望まれない子、罪深い子と言われた。
「君しかいない」
「でも、もっと先生に、お似合いの仲間が出来たら……」
「滅多に仲間なんか出来ない。だから君ともあまり関わらないよう接しようとした」
ミハウは黒くて長い髪のカツラを被っていて顔を晒さなかった。黒い司祭服をだらりと着ているか、ドレス姿で男か女かも分からなかった。
「アストリと一緒に居る内に、私は花嫁を育てた男になりたくなった。少しの間だけでも一緒に居られたらと願った。願ってはいけない事なんだけどね」
ミハウはちょっと泣き笑いの顔になる。そしてアストリの頬を拭った。綺麗なグレーの瞳が揺れて涙が転がり落ちる。
「だからあの時、君が生き残ってくれて私は凄く嬉しい。ねっ、私を花嫁を育てた男にしておくれ」
「ミハウせんせい……」
「先生じゃなくて──」
「ええと、もうそろそろデュラック辺境領のヴェゼールの桟橋に着きます」
クルトが甘い雰囲気の二人に遠慮がちに声をかける。
「さあ、アストリさん。お召し替えしましょうね。ミハウ様はあちらでお着替えください」
マガリは遠慮なしにポンポン言う。
「むう、じゃあ後でね」
「はい」
「お召し替えですよ。外は寒いですからね」
マガリはそう言ってドレス一式を引っ張り出した。手際よく着付けて行く。
「お似合いですよ。でもミハウ様はへそ曲がりですから普通の格好でいらっしゃるとは限りませんし、あまり驚かれないように。まあご存知ですよね」
「はあ」
最初の出会いと、マナーを教わった時の女装とも思えないドレス姿を思い出す。
船が桟橋に着いて降りる。ミハウはまだのようで雪景色を眺めていると、美しい貴婦人が降りて来た。黒テンの毛皮のコートを纏い、ベールの付いた黒いトーク帽を被っている。二ッと笑った赤い唇、青い瞳はベールに半分隠されている。
アストリも毛皮のコートを着て、レースと羽の付いた帽子を被っていてとても清楚で可愛い。けれど、ミハウのそれは妖艶だ。
見惚れていて桟橋で滑りそうになった。すかさず手を取ってエスコートされる。
「こちらよ、アストリ」
最初に会った時のハスキーボイスで囁いて馬車まで連れて行く。
「雪が降っているのよ、気を付けてね」
「ミハウ様……」
「うん、どうかしたの?」
「お綺麗で、貴婦人で──」見惚れてしまった。
「今、これしかなくてね」
「そうなんですか」
「アストリもとても可愛い。指輪を買おうね」
少しホッとしたのは内緒だ。ミハウのあまりに美しい貴公子姿に慣れなくて、結婚とかいきなり言われると焦るばかりである。
女装の、それも美しい貴婦人姿にびっくりしてしまうけれど、王子様よりマシだと思うアストリは、まだ十五歳になったばかりのピュアな女の子であった。
◇◇
領都シャラントまでは三日の旅だった。デュラック辺境伯領は東西に長い。街道は整備されていて、駅逓も各所にあって賑やかだ。アストリは街に行ったことがない。人の賑わいに驚いて、市場や店に驚いて、立派なホテルに驚いた。
広いエントランスホール。天井から下がる豪華なシャンデリアと大理石の柱と床、広い階段には赤い絨毯が敷かれ、着飾った紳士淑女が優雅に行き交うロビーがある。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました、クレンツ伯爵夫人」
ホテルの支配人が出て来て挨拶をする。
アストリがミハウの別の名前に驚いていると「お手紙を預かっております。こちらを──」と封蝋のある手紙の乗ったサルヴァを差し出した。ミハウが頷いて受け取ると恭しく頭を下げる。ホテルの従業員がてきぱきと荷物を運んで行く。
「どうぞ、こちらでございます」
案内された部屋は最上階の立派な部屋で、コートを脱いで寛ぐとメイドがお茶の用意をしてくれた。
美味しいお茶にホッと一息吐くとミハウが驚くことを言う。
「ここは聖サウレ修道院長が経営しているの、もちろん人を雇ってね。修道院は旅人が宿泊するから、そういうノウハウはあるのよね、勉強になるわ」
ミハウは女性言葉のままで、先程受け取った手紙をペーパーナイフで開いて、サッと目を通す。
「そうなんですか」
「あと、王都と自分の領地にも建てたのかな。あちこち移動するから泊まれる所があると便利だし、仲間内だと怪しまれないし、従業員もちゃんと躾けられるし」
「自分の領地ですか? 修道院長の?」
「そう、修道院長は司教並みの権力があるの。臣下も沢山いるし。でも男性みたいには優遇されなくて位階も上がらないからね」
「はあ……」
「私達も偶にホテルでのんびり出来ますし」
「お前たちは、何処でものんびりマイペースじゃないか」
クルトは執事風、マガリは侍女風の綺麗な服を着て、一緒にお茶を飲んでいる。マガリが退屈な時用にたくさんの廉価本をくれたけれど、船で聞いたミハウの話がアストリの頭の中で消化しきれずに、馬車の中では何度も聞き返して、頭の中を整理しなければならなかった。その所為でまだ本は読めていない。
「本当は前の駅逓から国境に向かう予定だったんだけどな、デュラック辺境伯は何の用事だろう」
「そりゃあ、アストリさんの事でしょうが」
「うーん。アストリは学校に興味はあるかな」
「学校ですか」
「王都の貴族学校だな」
「え、どうして」
「君にはお祖父さんがいるんだ。現レオミュール侯爵だ。彼は娘の死が信じられなくて未だに探している。修道院長が言うには君は母親そっくりらしい。辺境伯家に行けば君を会わせることになる。私としては会わせたくないが、まあ会う事になるんだろうな」
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