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09 母の日記
しおりを挟むアストリの十五歳の誕生日は、あっという間に来た。前日からソワソワしたり落ち込んだりと挙動不審なアストリは、食事と片付けが終わると、さささと部屋に駆け込んだ。
クルトとマガリは帰らずに、ミハウと一緒にいる。時々二人が教会堂に泊ることがあるので、アストリは気付かない。彼らが自分以上に心配そうなことに。
机の上に焦げ茶色の革表紙の手帳を置いて、首から下げていた鍵を乗せる。手を組んで祈った。
「女神サウレ神のご加護を──」
鍵を回すと焦げ茶のベルトはあっさりと外れた。鍵とベルトを側に置き手帳を開く。それは繊細な文字で書かれた日記だった。
◇◇
○月○日
神よ、わたくしは身籠っています。これはわたくしに対する罰なのでしょうか。それとも祝福なのでしょうか。もう、心も身体も死んだと思っていたのに──。
○月○日
修道院長に頼み込んで、縋って、別院に行く。他のシスターの名を借りた。そこの病院で働いて出産する事にした。誰にも発覚しませんように。
○月○日
とても順調だという。わたくしのお腹にいる子供。とても不思議な気分だわ。
○月○日
女の子が生まれた。わたくしと同じ髪の色、瞳の色。
アストリと名付ける。生きて、あなたは。
○月○日
これから書くことは酷な事だけれど、あなたには知っていて欲しい。
まず、あなたの父親は誰か分かりません。
わたくしはレオミュール侯爵の長女ルイーズとして生まれ、十歳でこの国のアルフォンス王太子殿下と婚約した。
しかしアルフォンス殿下は貴族学院でグラモン男爵家の令嬢マリー様と恋仲になった。マリー様は突如として癒しの魔法に目覚め、聖サウレ教会で聖女と認められた。グラモン男爵の養女となってこの貴族学園に編入した。
そして、わたくしは突然、マリーを苛め害そうとしたとして婚約破棄され、断罪され、貴族牢に入れられた。
その夜、婚約者である王太子、側近の宰相の息子、騎士団長の息子、魔術師長の息子が、そして、聖女マリーが現れた。聖女は彼らを唆した。
「その女の純潔を奪ってしまえば、他の男に鞍替えして我らに仇なすこともない。破落戸に襲わせて証拠を手繰られるより、命乞いされて情けをかけてやったと言えばよい。阿婆擦れとして修道院で大人しくするしかない」
彼らは喜んでわたくしを押さえ付け弄んだ。
次の日、ボロボロのわたくしを侯爵家の者が迎えに来て、わたくしは修道院に送られた。わたくしは修道院で死んだ筈なのに生きてあなたを授かった。
もっと側に居たかったけれど、わたくしの身はもうそれ程長くはもたないでしょう。わたくしはあなたを育てられないけれど、ずっと見守っているわ。幸せになりますようにと祈っているわ。あなたが生まれて良かったと思っているわ。
彼らに気を付けて欲しい。あなたの事を知られたら……、それだけが恐ろしい。
あなたには自由に生きて欲しい、あなたに神の御加護を──。
◇◇
(なにこれ、酷い。お母さん、お母さん。どうして私を産んだの。私なんか生まれて来なかった方が良かった。お母さんの人生を台無しにして……、許せない)
(私は生まれてはいけなかった。生きてはいけなかった。私は罪深い人間なのだ)
(こんな所に隠れて、のうのうと生きてはいけなかった。先生……、先生……)
(私は裁かれるべきだ────)
アストリは女神聖サウレ神に縋ることも出来なかった。穢れた子。罪深い子。
ここを出て、その先なんか見たくない。
神の鉄槌を受けて、この身を焼いて、消してしまおう。
「光の剣よ、我を罰せよ『シャスティエ』」
最初に顔を上げたのはミハウだった。
二階に異常な魔力が膨らんでいる。クルトもマガリも気付いた。ミハウを先頭に、三人で駆け上がる。
ドアを開くと眩い光が頭上にあって、落ちて来るところだった。ものも言わずにミハウはアストリの身体を突き飛ばした。自分も避けようとしたが間に合わず、光の剣が身体を切り裂いた。
「ぐわあぁっ!」
突き飛ばされたアストリは暫らく呆然としていた。出現した光の剣は消え失せて、ミハウが腕の辺りを押さえている。抑えた手から血が滴り落ちる。ざっくりと斬れた傷口から血が流れて出ている。目を見開いた。
「先生? 先生っ!」
縋り付いた。
「アストリ……、血が付く」
ミハウがその身体を押しやろうとするのを、頭を振って余計にしがみ付いて呪文を唱える。
「助けて、治療を『キュア』」
「私は大丈夫だ。アストリ、お前は大丈夫か」
「先生、先生、ごめんなさい……」
見上げるとミハウの顔が見えた。青い顔をしている。けれど──。
ミハウの瞳の色を、その容貌を初めて見た。優し気な顔立ちでいつも笑っているような、そう女神様の顔に似ている。
瞳の色はアイスブルー。薄い青ではない。青だ。透き通って冷たい凍るような青。だが降り積もった雪の中の青い色は冷たいけれど優しい。見つめると惹き込まれるよう。
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