上 下
16 / 18
四話 その背中だけを追いかけて

その2

しおりを挟む

「オイ、いい加減にしてどこかに行け」
 各務のストップがかかって五十崎はチェッと一臣から離れた。
「夏休みに様子を見てみたらどうだ」
 各務が助言をする。
「学校は? 出ても構わないの?」
「別に問題ないが、あまり宣伝をしなくてもいいぞ」
 自分の学校みたいな言い様に一臣は首を傾げる。紗月がコソッと各務先生ってここの理事らしいですよと囁いた。
「内緒なんです。僕、遼太郎から聞いたから」
 そう言ってにっこり笑った紗月は大人っぽくて色っぽくて、一臣は軽いめまいを覚えた。


 五十崎と別れて一臣が寮に戻ると、この春から一緒の部屋になった紗月が待ち構えていて聞いてきた。
「どうするんですか?」
 それが五十崎のテレビ出演だと分って、一臣は首を横に振った。考えるのも嫌だった。どこかに逃げ出せるものなら逃げ出したい。

「ええと、聞いてもいいですか?」
 いつもニコニコしている紗月が真剣な瞳で聞いた。
「はい?」
「篠田は五十崎さんと付き合っているんですよね」
 それはどういう意味だろう。付き合っているといえば付き合っていることになるのか。キスの真似事みたいなコトならした事もあるし……。一臣の頬が染まる。その様子を見ていた紗月が言った。
「篠田は遠慮してすぐ引き下がっちゃうようだけど、芸能界っていろんな人がいるし、五十崎さんって目立つし、綺麗だし、風船みたいな人だから、ちゃんと捉まえといた方がいいですよ」

 一臣にとって五十崎というのは自分の中の異分子である。心に染まない、自分に出来そうもないことばかりを強要する。自分は五十崎の側にずっと居たいのか、それとも、五十崎が飛んで行った方がいいのか。
「もしかして篠田って……」
「え……?」
「五十崎さんと何処までいった?」
「何処までって……?」
 紗月の言う言葉の意味が分りかねて一臣は小首を傾げた。その後でボッと顔を染めた。
「ぼ、ぼ、僕は……」
 顔を染めたまま首をブンブンと横に振る一臣を見て、紗月の方がため息を吐いた。
「五十崎さんを他の人に取られちゃってもいいんですか?」

 一臣はぼんやりと紗月を見た。自分の事よりも、紗月が生徒会長の兼重とそういう関係だという事が何となく分って、その事の方に慌てた。
 五十崎は何度も一臣にちょっかいをかけては来たけれど、いつも遊び半分みたいだし、大抵一臣はその前に逃げ出していた。
「ええと、その……、僕は知らなくて……。その、そういうことって、知っていた方がいいんだろうか」
 頬を真っ赤に染めながら一臣が聞くと、紗月はにっこりと艶めいた笑顔で教えてあげましょうかという。どっちがいいのか分らなくて、一臣は首を斜めに振ってしまった。


「どうせ出るのなら皆で出ようぜ」
 いつもの貸しスタジオに集まったメンバーに五十崎が切り出した。
「どうしたんだよショウ。オミはどうするんだ」
 カイがそう聞いて、一臣は五十崎を不安げに見る。
「もちろんオミも出るんだ」
「僕は……」
 一臣は首を横に振って五十崎に抗議した。

「お前は違う自分を見て見たいと思わないのか。ステージで歌ったお前は輝いていた。あの後のお前の苦しみは知っている。でも、俺はもう一度あの時のお前が見たいんだよ」
「ちょっと待て。俺はちょっと……」
 カイが抗議しかけた。しかしコウが引き止める。
「カイ、お前の人生はお前のものだろう。お前の歌もお前のものだろう。誰も閉じ込めたり出来ないよ」
 カイは口を噤んでコウをまじまじと見た。
「俺たちの歌はちょっとしたもんだと俺は思っている。走り出そうぜ。流れて行こうぜ。何処までも──。引き止めるものは何も無い筈だ」


 * * *


 梁瀬は四人の話をため息とともに聞いた。
 五十崎は相変わらずキラキラと光り輝いて自信に溢れている。一臣は不安そうに俯いて自分の手を見つめている。カイは済まなさそうに自分の方を見ながら、それでも期待に胸を膨らませている。コウはいつものように無口な口元を引き締めている。
 それでも梁瀬は彼らの才能を信じている。
「分った。安西さんに相談してみよう」


 * * *


「いいか」
 そう言って五十崎は一臣の顔を覗き込んだ。カイとコウはまだ来ていない、二人っきりのスタジオ。
「逆上ってもいい。声が出なくたっていい。舞台で立ち往生したっていいんだ。俺はお前の側にいる。だから、決して俺から逃げるな。一緒にいよう。一緒に行こう、何処までも」
 そう言って一臣を抱き締める。
「五十崎さん」
「ショウと呼べよ」
 甘い顔をして、キラキラキラと光り輝くその顔で、甘く囁きかける。

(どこかに逃げるところはないのかしら……)
 五十崎の長い睫を見ながら、一臣はまだ性懲りもなくそう思っていた。五十崎はこんなに綺麗で光輝いているから、カイとコウも二人もかっこよくて、ずっと歌っていてステージも慣れているし。でも、自分はまるっきり素人の普通の人間だから……。

 五十崎にきつく抱き締められて、一臣は諦めたように瞳を閉じた。五十崎の甘い唇が一臣の唇を塞ぐ。手を取られて五十崎の背に回される。長い髪を三つ編みにして結んでいるリボンにあたった。そのリボンにまでしがみ付きたいほど一臣の心は揺れていた。

 いつも思う。
 このままではいけないと。
 前に進みたいと。
 でも、自分の足はまるで地面に縫い付けられたみたいで、何処にも行けない。抱き締めてくれる五十崎の腕の中で息を潜めて震えている。甘えているのだろうか。

 キスが深くなって「んん……」と五十崎の腕の中で藻掻いた。
「オミ……」
 五十崎の声が掠れる。手が一臣の身体の線をなぞっている。
「俺、ノーマルだと思っていたんだけどな。お前、色っぽいしな」
 服の中に入り込む手に慌てた。
「五十崎さん……」
 手を押さえて身体を逃す。深追いをしないで五十崎は少し吐息を吐いた。


  * * *


 そこにコンコンとドアをノックさせてカイとコウが入って来た。
「もういいかい?」
 どうやら見られていたらしいと知って一臣は慌てたが、五十崎は「さんきゅ」とまるで動じない。
「よっしゃ! 充電したし、頑張って行くかー!」と、拳を突き出した。
「おう!」
 それにカイとコウまでが答えて拳を突き出す。
「お前も」と五十崎が一臣の手を引っ張って、もう一度、運動部員みたいに掛け声をかけた。
「よっしゃ!! 行こうぜ!!」

しおりを挟む

処理中です...