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四話 その背中だけを追いかけて

その1

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 篠田一臣はスタジオのピアノの前に座り、一人そっと吐息を吐いた。この頃またピアノの練習を始めたけれど、自分の指はあまり動いてくれない。ブランクは一年余りだけれど。
 もう一度、座りなおして慣れた曲を弾きだした。


『 baby 髪に口づけして 愛の歌 歌うよ 』


 この曲を引くと自然に歌ってしまう。何度も何度も歌ったから。一臣もこの曲が好きだったから。そして五十崎と歌うのが……。


『 baby 愛し合おうよ今を …… 』


 一臣の指が止まり歌が止まる。頬を染め、少し首を振って、ため息を吐いたところに、スタジオのドアが開いてカイが入って来た。
「もう来ていたのか? 早いな、オミ」
 そう言ってカイは広くもないスタジオを見回す。
「ショウは?」
 一臣は頬を染めたまま返事が出来ないで俯いた。

 あららとカイが首を傾けたところに、ドアが開いて五十崎とコウが入ってくる。
「オミ!」
 五十崎はすっ飛んで一臣のところに行き、カイとコウはまたかというように顔を見合わせた。

 五十崎は屈託が無さ過ぎて、一臣は屈託がありすぎる。二人の育った環境にも因るのだろうが。
 時と場所を選ばなさ過ぎる五十崎から一臣は何度も逃げ出して、それで余計に自己嫌悪に陥っている。五十崎も、もう少し考えればいいけれど、ストッパーが無い。五十崎はいつも突っ走って後で後悔する。

 それでも、普通ならとっくに別れているはずの二人は、またいつの間にかくっ付いて、甘い雰囲気をかもし出している。
「スミマセン、ショウ」
「いや、俺が悪かった」
 今回は何で喧嘩したのか、犬も食わないことに首を突っ込むのはゴメンとばかりに、コウがはじめようぜと二人を促した。

 一臣はやはり舞台に立てなくて、練習には参加するけれど、ステージの時には裏方に徹する。一臣の逆上り性を知ったメンバーは仕方ないと思っている。此処に来るのも遠慮する一臣に、歌が好きだったらいいじゃねえかと言ったのはコウだった。別にプロじゃねえんだからと。

 プロになるチャンスはあったけれど惜しくも落ちてしまった。いろんな手段でなろうとするよりも、今は自分の感性を磨きたいと思うメンバーだった。
 四人でやる分には、一臣の逆上り性も最低限に抑えられるらしく、曲を作ったり音を合わせたり、練習時間はあっという間に過ぎる。


 * * *


 四人が練習を終えてスタジオを出ようとしたところで、ここのオーナーである梁瀬英介が呼び止めた。
「話があるんだよ。ちょっと時間はいいかな」
 四人は顔を見合わせた。この梁瀬がカイと付き合っているらしいと五十崎とコウは薄々感付いていて、一臣に何でも話してしまう五十崎の所為で、一臣もそれとなく知っていた。

 梁瀬に連れられて四人はスタジオの事務所に戻った。そこには一人大柄の客が待ち構えていて、四人に愛想良く笑った。梁瀬がその大柄の客を紹介する。
「こちらは安西さんと仰って、東西テレビのディレクターをしていらっしゃるんだ」
 四人は顔を見合わせた。そんな人が何の用事で……?
「実は、この前プレゼンに出した曲を安西さんが気に入られて、使ってみたいと仰るんだ」
 四人はまた顔を見合わせた。
「春からのドラマの主題歌に君たちの曲をどうかなと思って。イメージがあっているんだよ」
 大柄の男は鷹揚に頷いた。捨てる神あれば拾う神ありである。

「この子達は見場もいいじゃないか。どうしてデビューさせないんだ、柳瀬さん。ウチのドラマと一緒にぶつけたら売れるよ」と、一臣にとって恐ろしい言葉を吐いた。
「それがちょっと」梁瀬は言いよどんで、一臣の方を窺う。一臣が答えるより前に五十崎が話を蹴飛ばした。
「こいつは逆上り性で人前に立つと逆上って後が大変なんだ。歌を使ってくれるのはありがたいけれど、それ以外では使い物にならないぞ」
「ほう……」と安西は五十崎を見る。

 長いくせっ毛を後ろで三つ編みにした、非常にバタ臭いが、天使もかくやという顔をしている。明るい髪の色、白い肌の色、明るい瞳の色、人目を引く容貌に明るい性格。これは、と五十崎に注目した。

「君の名前は何ていうのかな。よかったら、ちょい役で出てみないかな」と、ずずいと五十崎の方に身を乗り出した。
「えっ? 俺……?」
「いいよ、君。その顔、その声、そのスタイル。スターになれる。君はスター向きだ」
 安西は五十崎の手を取って叫んだ。他の四人は呆然と、しかしありそうな事だと、殆んど納得気味にその様子を見守った。五十崎一人が固まって、事の成り行きが頭に馴染まないでいる。


 * * *


「俺、どうしよう」
 五十崎は温室に来て各務に相談している。もちろん一臣も引っ張り込まれて、所在なげに温室の花を見ていた。
 五十崎の年上の従兄弟は、あまり親身でもなさそうな様子で出たけりゃ出てみたらと言う。軽くて行動的な五十崎が、グルグルと悩んでいるのが自分の所為だと思えて、一臣は花を見ながらこそっと吐息を吐いた。

「どうしたんですか?」
 そこに入って来たのは千速紗月。冬からこっち、この各務の温室で花の世話を手伝っている。
「へえ、すごいじゃないですか! 五十崎さんならきっとスターになれますよ」
 紗月は五十崎の話に目を輝かせた。

 誰だってそんな風に思うだろう。五十崎には華がある。そこに登場しただけで人の目を惹きつけるだろう。
 五十崎は天使になって、やっぱり空の上に行くのかな。不安なのは自分で、行かせたくないのも自分なのだと一臣は気が付いた。
「僕もそう思う」
 天使を地上に止めてはいけない──。


「お前さ、人事だと思っていないか?」
 五十崎はクルリと一臣の方を振り向いた。
「俺一人で、そんなところに行かせるつもりか?」
「え? でも……」
 ディレクターの安西がテレビに出てみないかと誘ったのは五十崎だった。自分は空に輝く五十崎を地上から見上げるだけだと……。

 五十崎はその長い足で一臣のところに二歩で歩み寄り「俺、オミがいないと逆上るんだ」と言ってウインクした。
「五十崎さ……」
「お前がいないときっと台詞も満足に喋れない」
 一臣の手を握ってそう言った。
「ついでにお前も一緒に出ない?」
 一臣はジタバタしてその手を離そうとしたが、五十崎は余計に一臣を抱きこみ、キスでも仕掛けてきそうな気配である。周りを見回すと、各務はもう自分の仕事に精を出し始め、紗月も知らん顔で花の世話を始めた。

「俺さ、違う自分になりたいとか思ったことはあんまりないの」
 五十崎はそう言って、腕の中の一臣の顔を覗きこんだ。
「お前はあるんじゃないの?」
 一臣は驚いて五十崎の顔を見上げる。五十崎の淡い茶色の瞳の中に、自分の不安げな顔が揺らいでいる。五十崎はそのまま顔を近づけてきた。五十崎のほつれた髪が一臣の頬を掠めて落ちた。

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