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三話 氷の女神は「愛なんかいらねえや」と叫ぶ

その3

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 翌日、オミを探して温室に行くと紗月が居た。紗月は花の世話が好きでこの温室に入り浸りで、生徒会長で紗月の従兄弟であり恋人でもある兼重遼太郎に、クラブか同好会でも作ったらいいと言われている。紗月は案外しっかりしているからそういうのも出来るんじゃあないかとカイは思っている。

 紗月はカイより頭一つ低くて華奢で可愛い。こんな可愛い子ならカイは攻め気を起こせるのだが。
 でも、梁瀬だから譲ってやってるのに……。

 紗月を見ながらカイは重いため息を吐いた。紗月が不信げにカイを振り返った。
 そこにカタンと温室の戸を開けてオミが入ってくる。カイは仕方なしにオミに話を持ちかけた。
「俺の知り合いがCDプロデュースしたいんだと。お前の声で」
 しかしオミはその話を聞いて首を横に振った。
「何でだよ。一回だけだぞ」
「でも、僕は歌えません。怖くて……」

 オミの言う事が分らない。何で怖いんだ。何で歌えない。温室ではよく歌っているのに。
 しかし、オミは首を横に振るばかりだった。
 結局カイはショウに話を持っていった。柳瀬のためだと思うと、いい加減なところでは引き下がれなかったのだ。


「オミは逆上り性なんだ」
「でも、ステージで歌ったじゃんか」
「あの後、倒れたんだ。随分苦しそうで体中が震えていて……。でも、だから慣らせばいいと俺は思ったんだ」そこまで言ってショウはドヨンと落ち込んだ。

 この前オミはもう歌わないと言ってカイたちの前から消えた。ショウは自分が拒絶されたような気がして引き止めることも出来ず、あれからドヨンと落ち込んだままだ。
「オミはどうして……」
「もう! うじうじすんな! 押して押してとことん押し捲ってみろよ。それでダメなら引いてみな」
「カイ……」

 ああ、そうだった。ショウはずっと押し捲っていて、そしてこの最近引いている最中だった。しかし、オミからは何の連絡もアプローチもない。ショウはますます落ち込んで再起不能に陥った。


 * * *


 仕方が無い。梁瀬の為にも、もう一度……。
 温室に行くと居たのは各務一人だった。カイが入って行っても気にした様子もなく忙しそうに花の世話をしている。

 各務はカイの恋人の梁瀬と同じくらいだ。見ているうちに思わず質問が飛び出した。
「大人って俺たちの事どう思ってんのかな。バカだとかガキだとか思っているんだろうか」
 各務は花の世話をしながら答えた。

「バカだってガキだって若さは羨ましい」
「あんただってまだ若いじゃん」
「ありがとう。若さというのは主観的なものかな。大人というのも主観的なものだろう。私は自分がまだまだ若造だと思っている。君に比べたら少し長く生きた分、少し知恵がついてはいるが大して変わらない」
「変わらないんだ。じゃあイロイロ悩んだりする?」
「この温室をどうやって維持しようかと考えると夜も眠れない」
「あはは」カイは耳のリングをジャラと揺すって笑った。

 梁瀬は優しくていつも落ち着いているけれど、何かで悩んだりする事があるんだろうか。
 もし、カイとオミが居たら彼はどっちを取るだろう。


(俺って結構、梁瀬の事気に入っていたんだ……)
 失うかもしれないと思うと怖い。例えば迷子になった子供みたいに、例えば急に光を失って暗闇に一人取り残されたみたいに。

(俺、あいつに甘えてばかりで、何かしてやった事あったっけ?)
 デートの費用は皆梁瀬持ちだった。カイはガキで梁瀬は金持ちの大人だからいいんだけれど、耳のピアスも銀のブレスレットも愛用のギターも梁瀬は遠慮なくカイに買ってくれた。贈る相手がいて嬉しいんだと、梁瀬はカイにプレゼントをする時いつもそう言ってた。カイは梁瀬に何もしてないのに。

(もしダメになるなら、その前になんか喜ぶことしてやりたいよな)
 今ならまだ梁瀬の為に何か出来る。


 カタンと温室の戸を開いて紗月とオミが入ってくる。オミはカイを見て一瞬立ち止まった。

「逃げんなよオミ。困ったな、俺も引けなくてさ」
 カイの言葉にオミは心持顔を傾ける。
「カイさんって割と自由で、人は人、自分は自分って感じだったと思ってました」
「そうだけどさ、引けないこともある訳だ」

「誰かの為ですか?」
 そう聞いたのは紗月だった。オミの後ろから興味深そうに黒い瞳が瞬く。
「俺の事はいいからさ。何で歌えないんだよ、オミ。ショウと歌うのが嫌な訳じゃないよな。あいつの抱きつき癖も知っているだろ。お前が降りてから、あいつすごく落ち込んでるんだ」

 オミは唇を噛んで下を向いた。それから顔を上げて言った。
「五十崎さんは僕にとって天使みたいだった」

 カイと紗月がその言葉にええっ!?と言う顔をする。そりゃあショウは外見だけなら天使に見えないこともないが……。オミは構わず続けた。

「ある日突然、僕の目の前に天使が現れて、翼をくれると言ったんだ。一緒に飛ぼうと。僕は天使に手を取られ、恐る恐る空を飛んだ。光る風。遠い地上。白く輝く太陽」
 歌のようだとカイは思った。

「でも、天使の手が離れると、僕の翼は力を失い地上に堕ちた」
 紗月にもオミの言っている事が分かってきた。目を丸くしてオミを見ている。
「天使が空から呼んでいる。ここへおいでと。でも、僕は天使じゃないんだ。折れた翼を胸に空を見上げるばかり」

 カタンと温室の戸が開いてショウが現れた。オミはショウを見ずに続けた。
「失速したときの恐ろしさが胸に甦るんだ。怖くて足がすくんで、一歩も前に進めない」

 カイは口を開かずショウに任せた。紗月も固唾を飲んで二人を見守っている。
 ショウは一歩ずつゆっくりとオミに近付いて行った。オミはショウを振り返り、少し首を横に振った。オミが身動ぎした途端、ショウはその手を伸ばしてオミを捕まえた。

「俺は天使じゃない。天使じゃないんだ」
 オミはショウを見上げたままだ。
「オミがいないと俺だって空を飛べない」

 ショウを見上げるオミの目に光るものを認めたとき肩が叩かれた。見上げると各務がカイと紗月の肩を押して温室の外に顎をしゃくる。仕方ないから三人で外に出た。

「うまく行ったらいいですね」
 紗月が出て来たばかりの温室を振り返って言った。
「うまく行って欲しいな。あまりバタバタと出入りが多いと折角の花がうまく咲かない」
 各務がため息交じりに言った。

(うまく行ってオミが歌うと言ったら俺はどうなるんだろう)
 温室の外は風が冷たくてカイは少し身震いした。

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