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三話 氷の女神は「愛なんかいらねえや」と叫ぶ

その2

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 カイがのっていたのには理由があった。その日は久しぶりの恋人との逢瀬の日だった。
 コウやショウと別れていつもの待ち合わせの喫茶店に行くと年上の男はもう来ていた。

 カイの恋人は、カイたちが利用している貸しスタジオのオーナーである。コウやショウたちとも知り合いだったが二人の仲は内緒にしている。バレているかもしれないが。
 フレームレスの眼鏡をかけた優しい感じの男で名は梁瀬英介という。歳は三十前。

「こんばんは、英介さん待った?」
 そう言って、タバコを指に挟んでカイを見上げた年上の男の顔を、首を傾けて覗きこむ。カイの耳のピアスが肩までの茶色い髪を揺らした。英介の前では何処までも可愛いカイだった。
「いや、今来たとこ」
 そう答える梁瀬の前の灰皿にはタバコの吸殻が何本か転がっている。大人の男はカイに甘い。

「何か注文しなさい。それから今日は何処に行こう。何が食べたい? カイ」
 カイが来ると梁瀬はさっさとタバコを消し、微笑を浮かべてカイに聞いた。

 梁瀬はスタジオには迎えに来ない。カイが秘密にしようと言ったからだ。
「俺もう腹減って、腹減って。肉がいいな。鉄板で目の前で焼いてくれるトコ」
 カイは何度か梁瀬に連れて行ってもらったこじんまりとした店の名前を挙げた。何処までも自分に甘い大人の男にカイは甘えてみせる。


 * * *


 二人でいつものホテルに落ち着くと、カイは早速自分の愛器をケースから取り出してサイドボードの上のスタンドを隅に押しやりその上に置いた。
「何をやっているんだい」
 シャワーを浴びて出て来た梁瀬が呆れたように聞く。
「アノ時の声を聞かせてやると、こいつがいい音を出すようになるんだって」
「それは違うだろ」
「いいんだよ」
 カイは準備を整えると自分もさっさとシャワーを浴びに行った。


 梁瀬と付き合いだして一年、だがそういう関係になったのは三ヶ月前、カイの十七歳の誕生日のときだった。

 三人兄弟の真ん中で親も家風も割りと自由なカイは自分の性癖についても拘らない。好きだとかファンだとか言いながら、いつまでたってもキス以上に進まない梁瀬に業を煮やして言い寄ったのはカイの方だった。

 優しげで細身に見える梁瀬を押し倒そうとして、ベッドでは反対に押し倒されて話が違うと喚いたのもカイだった。まあ一回りも年上だし譲ってやるかと諦めてはいるが。


 シャワーを浴びて部屋に戻ると男はベッドでカイのギターを爪弾いていた。貸しスタジオをやっている位だから彼もミュージシャンだが、今は演奏よりもプロデュースの方に力を入れていると聞いた。いつか自分たちもこの男の手でCDデビューしようか。

 梁瀬はカイを見てギターをサイドボードの上に置き、おいでと手を差し伸べた。カイが懐に飛び込むと顔を見てキスを交わしてから眼鏡を外した。
 繊細な顔を茶色のくせっ毛の髪が縁取っている。もうすぐ三十なのに結婚していない男は、その財力と見場の良さでもてる。女と一緒のところを見たことも、男と一緒のところを見たこともある。

「会いたかったよ、カイ」
 引き寄せてその腕の下に抱きこみ甘く囁く男。
「何処に行ってたんだよ、二週間も」
 カイはわざとぶっきらぼうに唇を尖らせて言った。その唇を啄ばんで、ついでに鼻にも頬にも唇を落として梁瀬は耳に甘く囁く。
「会いたかったよ、とても。愛している、カイ」と。
 カイの質問には答えないで──。

 そのまま体中にキスをする。いつもの手順で優しい愛撫を繰り返し、性急さは決して見せずカイの体をじっくりと燃え立たせる。
「いいよ、もう。はやくくれよ」
 焦れて次をねだるのはいつもカイの方だ。

 男に抱かれるのはどっちかというと悔しい。でも快楽には従順だ。梁瀬は優しいけれどカイの身体を切り裂く凶器は力強くて獰猛だ。カイの身体を気遣いながらも、とことん燃え立たせてくれる。
「綺麗だよ…、カイ。愛している……」と囁きながら。

 カイはベッドの上をのた打ち回り、男の背に爪を立て男の身体に足を絡める。何度もカイを頂点に押し上げながら愛していると繰り返す男。
 その優しさの仮面の裏で男が本当はどんな素顔をしているのかカイには分らない。
 経験豊富なその腕に抱かれて甘い夢を貪る事だけが、自分に出来る事だとカイは思っている。


 * * *


 カチッとライターの音がして薄暗い部屋にタバコの火が灯る。梁瀬は情事の後にいつも一本だけタバコを吸う。とても美味そうに吸うのでタバコ嫌いのカイも文句は言わずその煙を目で追っていた。

「あの子なんていうんだい?」柳瀬が不意に聞いた。
「この前一曲だけ歌った」


「オミだよ。でも、あいつもう歌うの止めるって」
 ベッドの上、カイは梁瀬が何を考えているのか分からなくて、その横顔を見ながら答えた。大人の男は顔を少し顰めてタバコの煙を吐き出した。

「そうか、お前何とかしてくれないか。プロデュースしたいんだ」
 梁瀬はプロデューサーの卵である。カイはいつかCDデビューする時は梁瀬にやってもらいたいと思っていた。そう思っていたのに何で梁瀬はカイではなくオミの名を上げたんだ。

「あいつ恥ずかしがりやなんだ」
 カイは複雑な思いに囚われながら梁瀬に言った。
「何とかならないか」
「分った。聞いてみる」
 そう答えたけれどカイの心は急降下した。

 何で梁瀬はカイじゃなくてオミの歌を気に入ったんだろう。カイからオミに乗り換えるつもりだろうか。楽しい筈の逢瀬は台無しになった。
 しかし、どうしてもと梁瀬が頼むなら……。

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