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六話 惚れた弱み
しおりを挟む殿下のサロンはもちろん上位貴族の立派な校舎の一番上にあって、僕の学校の寮は下級貴族と平民の校舎の向こうにある。とても遠い。
それでてくてくと我が寮に向かっているとルイ殿下と取り巻きに出くわす訳だ。
「何だ。三馬鹿が、どうしてこんな所にいる?」
取り巻きのひとりが咎めた。まあこうなるよな。しょうがないなあ。三人いる上に一人は騎士団長の息子だ。捕まったら怪我ぐらいで済むかな。
この前盗み聞きして脛に傷持つ身だし。
僕は彼らに掴まる前に、自分の足元に氷玉を投げた。
ボンッ!
スライムジェルを薄くして卵の殻みたいに固くした中に詰めた砕いた氷の魔石が投げると弾けて冷たい靄になる。
「わっ」
「きさま!」
僕に詰め寄ろうとした騎士団長の息子が少し怯んだ。足止めくらいにはなるか。
「許さん! 捕まえろ!」
常套句だね。その間にとっとと逃げ出した。逃げ足は速いんだ。
渡り廊下から『ちょっと上がる』の玉を踏ん付ける。追いかけてきたルイ殿下の取り巻きがまた怯んだ。
ボワンと広がるスライムマットの下には、ほとんどクズの風の魔石から風が吹きあがるので、持ち手を掴んで飛び降りる。スライムマットは僕の体重でゆっくり下りて行く。
ネーミング間違えたな、これじゃあ『ちょっと下りる』だ。と思っている間に地面に着地した。ちょっとよろけて減点ー。
振り返るとヴァンサン殿下が面白そうに見ていた。アンタの所為なんだけどな。
もう今日は寮に帰って寝よう。そうしよう。
***
誰もいない部屋の中、僕は首にぶら下げた魔道具を外して鏡の下に置いた。
シャツを脱いで肌着も脱いで、シャワーを浴びて、下だけ着替えて濡れた髪をバスタオルで拭く。
僕のあっちこっち向いたくせっ毛の水色の髪は、首のあたりまで伸びて大人しくなった。もう少し伸びたら括ろうと思っていたけど、ピアスを隠すには丁度いい。
鏡に映る僕の顔は身体と同じで、華奢でするっとして女の子みたいだ。無機質な水色の瞳と相まってお人形みたいだとよく言われた。
小さい頃はよく誘拐しようとした人がいたようで、お父さんが魔道具を買ってくれた。それを肌身離さず首からぶら下げているお陰で、無事に成長したんだ。
ルイ王子は何か言ってくるだろうか。どうしたもんかな。
色々詰んでる感じ。
ドンドンドン!!
ドアをたたく音がする。うるさいな。
「ハイハイ、出ますよ」
開けたらそこに当のルイ王子が立っていたんだ。
「何で?」
僕の顔を見て勢いが止まった。何でって、こっちの方が言いたいわけだが。
「し、失礼した」
バタン!
目の前でドアが閉まった。はあ一体何なんだ。僕は疲れた。そうだ、結界と防音の玉を作ったんだ。
棚を調べる。あったこれだ。鳴き声のうるさいキンキンコウモリの耳とヤドカリンの殻で作ったんだ。どっちも地下三階の魔物だ。
此処にジュールがいてくれたらいいけど居ないから仕方がない。多分僕の魔道具は代替品みたいなものなのかな。
グシャ。
ベッドの周りくらいの小さな結界が出来た。これでいいや。
「静かになった。オヤスミナサイ」
くうくうくう。
***
寝覚めはまあまあだったが、結界の外に出ると麗しい人がいた。
「やあ、おはよう」
平民用の狭い室内に、背の高い男が長い足を組んででんと座っている。
「あ、おはようございます。どうかなさったのですか、ヴァンサン殿下?」
「君の眠りを妨げる奴らばかりだったので、皆追い出した」
「はあ、それはどうも──」
「ああ、魔道具を着けていないな、それに上半身裸だ。どうしてそんな格好でドアを開けたりするんだ」
ヴァンサン殿下は僕を詰問した。
だけど僕はヴァンサン殿下の為にドアを開けてはいないけれど、どうしてここに居るんだろう。
「だって僕、昨日は疲れて」
昨日、僕を振り回したのはコイツじゃないか?
「それにこの格好でドアを開けたのは、ルイ殿下だけだと思うけど」
そういやルイ殿下どうしたのかな。あんなに勢いよく追いかけて来たんだから、もっと何か言うかと思ったけど。
「そんな色っぽい格好でうろうろしたのか?」
「いや、部屋の中だけですよ」
男の上半身見て色っぽいって何だよ。
「早く服を着ろ!」
「はい」
人の部屋に来て怒鳴らないで欲しいんだけど。
「お前は分かっているのか?」
腕を掴んで言わないで欲しい。
「へ?」
そのまま見上げて睨み合うような格好になった。
「いや、だから」
殿下は言い訳のように言葉を紡いだが、その瞳はじっと僕を捕らえている。僕は本能的な恐怖を感じた。
捕まるんじゃないか、食われるんじゃないか。何で早く気付かなかった。
「僕、早く服を着て、魔道具を着けますね」
だから逃げようとした。
「エリク」
ヴァンサン殿下は僕を捕まえて抱き寄せた。彼は捕食者だ。逃げようとしたら捕まえる。簡単に捕まってはいけなかった。逃げられなくなる。
どうして早く服を着なかったんだろう。上半身裸はまずいんじゃないか? 寝起きのポヤポヤした自分を殴りたい。
殿下の長い指が僕の裸の背中を這う。ピクンと身体が反応してしまう。
何だこれ。
気持ちが悪いんだったら、まだ許せる。だけどそうじゃないんだ。
「きれいだ、エリク」
「うっ!」
耳元で囁かないで欲しい。ぞわぞわぞわ……。
快感なのか、何なのか、何かよく分からないものが込み上げてくる。
立っていられなくなって、殿下の服にしがみ付いた。
僕の顎を片手で持ち上げて上向きにされる。殿下の瑠璃色の瞳が熱を孕んで揺らめいている。親指が僕の唇をなぞる。整った綺麗な顔が近付いて来た。
軽く頬を啄ばむ唇は、それから鼻やら額やら反対の頬を啄ばんで顎に行く。くすぐったいと思ったら軽く唇を啄ばむようにキスされた。
それはどのくらいの時間だったのか。男同士でも唇って柔らかくて、そして熱くって、何かヘン……。なんてぼんやりと考えていたら、また唇が降って来た。
「エリク、君が好きだ」
囁く言葉は甘い、けれど……。
それは理性というより恐怖に近い。我に返って腕を伸ばして殿下から離れた。
唇を腕で拭って、振り切るように首を横に振って言う。
「アンタ、聖女とか婚約者とか居るだろ。いい加減にしろよ」
ひどい言葉遣いになった。王子殿下に対して。
僕は何回詰んで、何回殺されたらいいんだろう。
「ちゃんとする。私には君だけだ。エリク」
何だか不実な男の言い訳みたいだ。そんな言葉を聞きたいわけじゃなくて、殿下の腕から逃げ出した。何だか無性に腹が立ってくる。
洗面所に行って鏡の前にある魔道具を着ける。
溜息が聞こえた。構わずに顔を洗ってシャツを着た。
「私は君を守ろうと思って来た」
少し素面に戻った殿下は腕を組んで弁解する。
「じゃあ守って下さい」
弁解なんか聞きたくないんだ。
「君には敵わないな」とため息。
「それって、惚れた弱みってヤツですか?」
「まあな」
「僕もソレがあると思う」
「え」
「僕、手が早いんだ。ぶん殴ってる」
そしてまた殺される。
命がいくつあっても足りないな。
多分、僕はこの人と恋愛したら殺されるんだ。
「そうか」
殿下は片手を口元に持って来てそう言った。ちょっと殿下の白い頬が染まっているような気がするけど、多分僕の頬も負けずに赤いだろう。
「うん」
そうだ。困った、どうしよう。自分がそっち側だと思っていなかった。
男同士の恋愛はこの国でもよく聞くし、学院では女性相手の恋愛の前に模擬恋愛みたいな感じで遊んだりするやつも多いと聞く。貴族は下手に異性と遊んだり出来ないとか色んな事情があったりして。
ただそういう模擬恋愛で本気になったりする奴もいるし、喧嘩になったり、殺し合いになったり、一生結婚しない奴もいるらしい。
高位の貴族は愛人として囲っていたりもするとか。この国ではあまり大っぴらではなくて、黙認されているという感じか。
今まで他人事だったんだけど。
誰かが言っていた。
恋は甘くて怖くて真実の深淵を覗くようなもの。
恋は苦くて苦しくて真実に目を瞑るもの。
取り敢えず食堂に行ってお茶を飲んで、何か食べよう。そうしよう。
まだ生きているし。
ありがたい事にヴァンサン殿下と一緒にいると、誰も近付いてこなかった。
僕たちはしんみりと食堂の一等席で食事をした。
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