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一章 死んだ俺と死神と
一話
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気が付くと辺りは一面濃いグレーのガスに覆われていた。まるで雲のようなそれに手を伸ばしたが掴めない。顔の下にもそれがある。体の下にもそれがある。
えっ?と自分の手で自分の体の下を探ると、ぐるんと体が向きを変えた。どっちが上かどっちが下か分からなくなった。
ここはどこなのか。俺は何故こんな所に浮かんでいるのか。ぐるんぐるんと回りながら考えていると前方から声がする。
「雪柳七斗だな。男。二十二歳。迎えに来た」
低い張りのある声。美声だ。
声の方を振り向くと男が一人宙に浮かんでいた。異様な風体の男である。
長い髪は連獅子の鬘のボリュームを少し落としたような白、いや銀色で、毛先は殆んどくるぶしまである。
顔は非常に整った美形だが無表情でまるで人形のようだ。背が高くてすらりとした体に濃紺の上下の服を身に付け、その上にローブともコートとも羽織りともつかないものを着ている。
「あんたは……?」
「私は死神だ」
「げっ!!」
その言葉を聞いた途端、俺は濃いグレーのガスの中を泳いで逃げようとした。
しかし、銀の連獅子風な男は少しも慌てず、俺の前にスススと回りこみ、あっさりと俺の首根っこを捕まえる。
「時間だ。行こうか」
男はそのまま俺を引き摺って、雲の中をスタスタと歩き始めた。
「ま、待ってくれ!! どこに行くんだよ」
「天国の門。お前は善人だったらしいな」
男はその無表情な美しい顔を俺の方に向けて言う。
「待て! 待て! 待ってくれ!!」
俺は藻掻いた。まだ死にたくない。いや、あの世に行きたくなかった。
「うるさい奴だな。天国に行くというのに、何が不服なんだ」
そう言う男の顔は無表情な美しい顔のままだ。そして俺の首根っこを掴んでいた手を、そのままひょいと放った。
落ちる!と思ったが、コンクリートの床の上にコロコロと転がった。ビルの屋上らしき所に俺を放ったらしい。
美しい無表情な死神はどうやら俺の話を聞いてくれるようだ。高いビルの屋上に腰を下ろして、促すように俺を見下ろした。
「お、俺には恋人がいる。麻里子というんだ。先に入籍をして、式を挙げる前に俺は死んでしまったようだ。一度でいいから会わせてくれ。麻里子の事を思うと死んでも死に切れない」
俺は死神だという男に切々と訴えた。
美しい人形男は無表情に俺を見下ろしていたが、やがて物憂い低い声で言う。
「お前はもう死んでいる」
「……そ、そんな事は分かっている。もう一度会いたいだけだ」
「分かっていないようだな。お前の現世の体は、もうないと言っている」
お、俺の体はもうないのか……。
しかし、麻里子の事を考えると、ここで引き下がる訳にはいかない。
「頼む、お願いだ。そこを何とかしてくれ」
愛する麻里子と俺は結婚する事になっていた。先に婚姻届を出して入籍を済ませたばかりだった。
ああ、麻里子。お前は結婚する前に未亡人になってしまったんだ。
俺は必死になって死神に何度も頼んだ。可哀想な麻里子に何としても謝って訳を伝えなければならない。
美しい死神は無表情な顔を心持傾けて俺を見ていたがやがて言った。
「まあ、出来ない事もない」
俺はその言葉に縋った。
「ほ、本当ですか!!」
言葉も自然と丁寧になる。美しい男は無表情のまま頷いた。
「お前が私と性交をし、お前がエクスタシーを得た時、その度合いによって人の姿に戻れるのだ」
──。何と言ったんだろう、この美しい獅子人形は……。
俺は自分の耳を疑った。
「どうする?」
男は相変わらず涼しい顔をして問う。
「じ、冗談ではなくって真面目に言ってるんですか?」
「嘘ではない」
男の美しい瞳が俺を真直ぐに見た。黒かと思ったがどうやら濃い紫色のようだ。
つまりこの美しい獅子人形と寝て、俺がイッたらいいんだな。
俺はそう結論付けた。この獅子人形はでかくなければ女と見紛うくらい美しい。男とヤッた事はないが何とかなるだろう。とにかく、何が何でも麻里子に会って、ちゃんと訳を話さなければ。
俺は麻里子に会いたい一心で、その男の言葉に縋った。
「わ、分かった」
美しい死神は俺が頷いたのを見ると、俺を横抱きにひっ抱えて空を飛んだ。長い銀色の髪がひゅうっと暗い夜空に靡いて、銀の光がキラキラと零れて落ちる。
とても現実とは思えない出来事に、俺は自分の頬を抓ったが痛い。
何で痛いんだ……?
俺たちは新居になる予定だった麻里子のアパートに、あっという間に着いた。
アパートの屋上から麻里子の一つ上の階の部屋に、獅子人形は俺を横抱きにしたまま、勝手に、無断で天井を通り抜けて飛び降りる。寝室らしきベッドのある部屋だ。
「ここでいいか?」と一応は俺に問うた。
しかし、この部屋の住人は今いないようだが、勝手に部屋を使っていいんだろうか。そう思ったが、死神が俺に聞いたのはそういう意味ではなかったようだ。
「まあ、仕方がないか」
割とシンプルな部屋を見回してそう言った。どうやら部屋が気に入らないらしい。人の家に無断で入って、人のベッドを無断で借用して、気に入らないも何もないものだ。見つかったら家宅侵入罪で訴えられる、……と、そこまで考えて、何の為にこの死神と寝るのか思い出した。
俺の身体はもう無くなっていて、この死神と身体を重ねてエクスタシーを得ることで実体化できると、この獅子人形は云う。この男は死神だし、俺は死人だから、普通の人間には見えない。だって、俺は生前そんなものを見たことがないし、そんな話を聞いたこともない。
俺がグタグタと考えている内に、美しい死神は俺の衣服をさっさと脱がし始めた。
どうやらこいつが主導権を取るつもりらしいと、その時になって気が付く。
俺は美しい人形の下に組み伏され、あっという間に素っ裸にされた。死神の指が俺のものに絡みつく。長い爪に怯んだが、彼は俺を傷つけるようなヘマはせず、俺を追い上げていく。
「…はあ……」
息が弾んできて仰け反ると、人形は俺の首筋に舌を這わせる。死神の口からチラリと牙が覗いた。
こ、こいつは本当に死神なんだろうか……。
紫の瞳が俺を見る。表情のない顔が近付いてきた。唇を塞がれて舌を入れられる。
な、何でこんなことまでするんだろう……。
絡みつく舌に頭が逆上せそうになって薄く目を開けると、美形の死神の間近にある瞳は塞がれて、長い睫が影を落としている。男の癖に、死神の癖に、非常に色っぽい奴だ。
死神は好きなだけ俺の口腔を蹂躙すると、唇を離して俺の体を裏返した。
死神の長い爪が俺の体の中に入ってくる。
こんな所で、こんな男と、こんな事を……。
俺の短い人生からは想像すらも出来ないような事が、死んだ後に待っているなんて、中々人生というものは奥が深い…、いやもう死んでいるんだっけ。
俺は無い筈の体に感じる違和感に悩みながら、必死で気をそらそうとした。
えっ?と自分の手で自分の体の下を探ると、ぐるんと体が向きを変えた。どっちが上かどっちが下か分からなくなった。
ここはどこなのか。俺は何故こんな所に浮かんでいるのか。ぐるんぐるんと回りながら考えていると前方から声がする。
「雪柳七斗だな。男。二十二歳。迎えに来た」
低い張りのある声。美声だ。
声の方を振り向くと男が一人宙に浮かんでいた。異様な風体の男である。
長い髪は連獅子の鬘のボリュームを少し落としたような白、いや銀色で、毛先は殆んどくるぶしまである。
顔は非常に整った美形だが無表情でまるで人形のようだ。背が高くてすらりとした体に濃紺の上下の服を身に付け、その上にローブともコートとも羽織りともつかないものを着ている。
「あんたは……?」
「私は死神だ」
「げっ!!」
その言葉を聞いた途端、俺は濃いグレーのガスの中を泳いで逃げようとした。
しかし、銀の連獅子風な男は少しも慌てず、俺の前にスススと回りこみ、あっさりと俺の首根っこを捕まえる。
「時間だ。行こうか」
男はそのまま俺を引き摺って、雲の中をスタスタと歩き始めた。
「ま、待ってくれ!! どこに行くんだよ」
「天国の門。お前は善人だったらしいな」
男はその無表情な美しい顔を俺の方に向けて言う。
「待て! 待て! 待ってくれ!!」
俺は藻掻いた。まだ死にたくない。いや、あの世に行きたくなかった。
「うるさい奴だな。天国に行くというのに、何が不服なんだ」
そう言う男の顔は無表情な美しい顔のままだ。そして俺の首根っこを掴んでいた手を、そのままひょいと放った。
落ちる!と思ったが、コンクリートの床の上にコロコロと転がった。ビルの屋上らしき所に俺を放ったらしい。
美しい無表情な死神はどうやら俺の話を聞いてくれるようだ。高いビルの屋上に腰を下ろして、促すように俺を見下ろした。
「お、俺には恋人がいる。麻里子というんだ。先に入籍をして、式を挙げる前に俺は死んでしまったようだ。一度でいいから会わせてくれ。麻里子の事を思うと死んでも死に切れない」
俺は死神だという男に切々と訴えた。
美しい人形男は無表情に俺を見下ろしていたが、やがて物憂い低い声で言う。
「お前はもう死んでいる」
「……そ、そんな事は分かっている。もう一度会いたいだけだ」
「分かっていないようだな。お前の現世の体は、もうないと言っている」
お、俺の体はもうないのか……。
しかし、麻里子の事を考えると、ここで引き下がる訳にはいかない。
「頼む、お願いだ。そこを何とかしてくれ」
愛する麻里子と俺は結婚する事になっていた。先に婚姻届を出して入籍を済ませたばかりだった。
ああ、麻里子。お前は結婚する前に未亡人になってしまったんだ。
俺は必死になって死神に何度も頼んだ。可哀想な麻里子に何としても謝って訳を伝えなければならない。
美しい死神は無表情な顔を心持傾けて俺を見ていたがやがて言った。
「まあ、出来ない事もない」
俺はその言葉に縋った。
「ほ、本当ですか!!」
言葉も自然と丁寧になる。美しい男は無表情のまま頷いた。
「お前が私と性交をし、お前がエクスタシーを得た時、その度合いによって人の姿に戻れるのだ」
──。何と言ったんだろう、この美しい獅子人形は……。
俺は自分の耳を疑った。
「どうする?」
男は相変わらず涼しい顔をして問う。
「じ、冗談ではなくって真面目に言ってるんですか?」
「嘘ではない」
男の美しい瞳が俺を真直ぐに見た。黒かと思ったがどうやら濃い紫色のようだ。
つまりこの美しい獅子人形と寝て、俺がイッたらいいんだな。
俺はそう結論付けた。この獅子人形はでかくなければ女と見紛うくらい美しい。男とヤッた事はないが何とかなるだろう。とにかく、何が何でも麻里子に会って、ちゃんと訳を話さなければ。
俺は麻里子に会いたい一心で、その男の言葉に縋った。
「わ、分かった」
美しい死神は俺が頷いたのを見ると、俺を横抱きにひっ抱えて空を飛んだ。長い銀色の髪がひゅうっと暗い夜空に靡いて、銀の光がキラキラと零れて落ちる。
とても現実とは思えない出来事に、俺は自分の頬を抓ったが痛い。
何で痛いんだ……?
俺たちは新居になる予定だった麻里子のアパートに、あっという間に着いた。
アパートの屋上から麻里子の一つ上の階の部屋に、獅子人形は俺を横抱きにしたまま、勝手に、無断で天井を通り抜けて飛び降りる。寝室らしきベッドのある部屋だ。
「ここでいいか?」と一応は俺に問うた。
しかし、この部屋の住人は今いないようだが、勝手に部屋を使っていいんだろうか。そう思ったが、死神が俺に聞いたのはそういう意味ではなかったようだ。
「まあ、仕方がないか」
割とシンプルな部屋を見回してそう言った。どうやら部屋が気に入らないらしい。人の家に無断で入って、人のベッドを無断で借用して、気に入らないも何もないものだ。見つかったら家宅侵入罪で訴えられる、……と、そこまで考えて、何の為にこの死神と寝るのか思い出した。
俺の身体はもう無くなっていて、この死神と身体を重ねてエクスタシーを得ることで実体化できると、この獅子人形は云う。この男は死神だし、俺は死人だから、普通の人間には見えない。だって、俺は生前そんなものを見たことがないし、そんな話を聞いたこともない。
俺がグタグタと考えている内に、美しい死神は俺の衣服をさっさと脱がし始めた。
どうやらこいつが主導権を取るつもりらしいと、その時になって気が付く。
俺は美しい人形の下に組み伏され、あっという間に素っ裸にされた。死神の指が俺のものに絡みつく。長い爪に怯んだが、彼は俺を傷つけるようなヘマはせず、俺を追い上げていく。
「…はあ……」
息が弾んできて仰け反ると、人形は俺の首筋に舌を這わせる。死神の口からチラリと牙が覗いた。
こ、こいつは本当に死神なんだろうか……。
紫の瞳が俺を見る。表情のない顔が近付いてきた。唇を塞がれて舌を入れられる。
な、何でこんなことまでするんだろう……。
絡みつく舌に頭が逆上せそうになって薄く目を開けると、美形の死神の間近にある瞳は塞がれて、長い睫が影を落としている。男の癖に、死神の癖に、非常に色っぽい奴だ。
死神は好きなだけ俺の口腔を蹂躙すると、唇を離して俺の体を裏返した。
死神の長い爪が俺の体の中に入ってくる。
こんな所で、こんな男と、こんな事を……。
俺の短い人生からは想像すらも出来ないような事が、死んだ後に待っているなんて、中々人生というものは奥が深い…、いやもう死んでいるんだっけ。
俺は無い筈の体に感じる違和感に悩みながら、必死で気をそらそうとした。
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