女神は微笑まない

拓海のり

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5 私の女神

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 その日、会社から帰ると小包が届いた。田舎の母親からだった。衣類や日用雑貨、米、野菜などに混じって田舎の特産品が入っていた。俺は小包を片付け特産品を持って松宮さんのマンションに向かった。

 今日は約束をしていなかったけど居るだろうか?
 軽い気持ちで俺は松宮さんのマンションを訪れたんだ。
 ドアホンを鳴らすと「ハイ」と予想と違う声がしてドアが開いた。そこには女の人がいた。俺より年上の三十位の綺麗な人が。俺は特産品を持ったまま固まった。
「どなた?」
 女の人が怪訝そうな面持ちで聞く。この女は松宮さんに似ていない。いやな予感がした。
「あの……、松宮さんは……」
 喉が掠れて声が出にくい。
「はい、松宮ですけど。主人の知り合いの方?」

 何で気付かなかったのか、あの余裕は何処から来るものなのか。俺は迂闊な自分を呪った。その後、何と言ったのか、どうやってその場から逃げたのか憶えていない。

 * * *

 俺は何をやっているんだろう。都会の生活に疲れたのか。寂しかったのか。一人が嫌だったのか。
 知らなければよかった。そう思う自分がいる。知らなければ何をやってもいいのか──。
 何をどう思おうと、松宮さんに会うことだけはもう止めなければならなかった。

 その松宮さんが訪ねてきたのは、それから三日もしてからだった。
「私です。八坂君、松宮です」
 ドアを開けるのをためらったけれど話し合わなくてはいけなかった。

 松宮さんはカッターシャツにネクタイ姿だった。背広を手に眼鏡の奥の瞳がいつものように微笑んでいる。外で出来る話でもないのでどうぞと招じ入れた。
 ワンルームの狭い部屋を見回して松宮さんは少し笑った。
「八坂君の匂いがします」
 そんな関係だという事が苦しかった。切なかった。何度も身体を重ねたのは何故なのか。でも、終わりの言葉を切り出さなくてはならない。

 俺は松宮さんに背を向け冷蔵庫から母親が送ってきたジュースを取り出した。コップに注いで、氷を入れて……。跳ねたジュースをぼんやりと見ながら言葉を押し出した。
「もう会わない方がいいと思います」
 松宮さんから返事は中々返ってこなかった。俺は痺れを切らして、コップを手に男の方に向き直った。

 松宮さんは俺の方を見ていた。その思いがけず真直ぐな眼差しに怯んだ。無理矢理、視線を外してコップを台の上に置き座った。松宮さんも思い出したように身動ぎして俺の前に座った。

 松宮さんは目の前にあるコップを取ってジュースを一息に呷った。コップをタンッと台に戻し、俺をまっすぐ見て話し始めた。
「私達は男同士だから、この関係をどういう風に思っていいか分らなかった」
「あの……」
 俺が言いかけた言葉を遮って、畳み掛けるように一気に続ける。
「じゃあ、私が離婚すればいいんですね」
「俺はそんなことは……」
 考えていなかった。
「それとも、このまま私の愛人として居てくださいますか?」
 その言葉に自然と顔が強張る。
「いいですか、私は離婚します。それはあなたの所為です。あなたに会わなかったら私はこんなことは考えもしなかった。責任を取ってください。私はあなたの為にも離婚して、きっちりとしたい」

 瓢箪から駒が出たのか、それとも藪をつついて蛇を出したのか。
「俺の為なら、そんなことは止めてくださいっ!」
 悲鳴のような声が漏れた。そんなことは嫌だった。そんな言葉を聞く為に別れを切り出したわけじゃなかった。ただ俺は好きな人には自分の方を向いていて欲しかった。自分ひとりだけを。

 俺がそう思うように、彼の奥さんもそう思わないと誰が言える。彼の奥さんには権利があった。俺と違って──。
「……、私はあなたに悪者になって欲しいんですよ。だってあなたが悪いんじゃないですか。私をこんな気持ちにさせて。あなたの所為だ。何もかも」
 人の所為にして詰っているくせに、男は俺を抱き締めた。引き寄せられる。男の腕の中に。暖かいと思うのはどうしてだろう。この手を振り解けたらいいのに。傘なんか借りなければよかった。
 運命の女神はきっと意地悪なんだ──。

「こんな思いをするのなら恋なんかするんじゃなかった。あなたを好きになるんじゃなかった」
「そんな顔をしないで下さい」
 俺はどんな顔をしているというんだ。
「でも、あなたには奥さんが──」
 まるで昼メロみたいじゃないか。いまどき女の子でもこんな陳腐な台詞は言わない。

「私達はごく普通にお見合いをして結婚しました。妻は医者で、家は病院の近くに建ててもらいましたが、私は独身の時からあのマンションに住んでいて、仕事でも、それ以外でも便利だったので手放さなかったのです」
 仕事以外っていうのは、もしかして──?
「遊び人だったもので」
 松宮さんは眼鏡の奥の瞳を笑ませてしれっと言い放った。
 この男は……。

「まあ、すれ違いの多い夫婦でしたが、私は別にそれで寂しいとか思ったことは無かった。お互い好きなようにやっていましたからね」
 そうだろうよ……。俺がこんなに悩んでいるのがバカみたいじゃないか。

「知らなければ知らないで、人生はそれなりに過ぎてゆくものなんですね」
 松宮さんは淡々とそう言った。
「俺は別に離婚してくれとは……」
「じゃあ、このまま愛人で──」
「それはちょっと」
 話し合いは何処までもループを辿った。しかし、俺は男の腕の中にいてその手を振り解けなかった。こういう場合男は大概、実力行使に出て、受ける立場だった俺の方が分が悪かった。

 男の手が服の中に侵入して身体を煽る。
「いつまでも駄々を捏ねないで、私にあなたを選ばせてください」
 優しく耳に囁きながら、手荒にズボンを剥ぎ取られた。すぐに男のモノが蕾を無理矢理こじ開けて押し入って来る。ものすごい圧迫感。でも、この男に開発された身体はこの後の快感を覚えている。この部屋で抱き合ったのは、はじめてだった。狭い部屋で台やベッドに身体をぶっつけながら、何度も身体を追い上げられる。
「こんな身体で私と別れられると思ってるんですか」

 その日、俺は松宮さんが本当はとても意地悪な男だと思い知らされた。俺は焦らされまくって、別れないと何度も約束させられたのだ。
 結局、この部屋で抱き合ったのはそれが最後になった。

 * * *

 俺は松宮さんのマンションに連れて行かれ、そのまま引っ越してしまった。
 そして、松宮さんはマンションに奥さんを呼んで離婚の話し合いを始めたんだ。俺のいる前で。

「別にその方を愛人にしていらしてもいいのよ」
 奥さんはきつい目を俺に向けながらもそう言い切った。似たもの夫婦だった。
「そういう訳にも行きません。君に車を貸したお陰で、こうして私の女神に出会えたのですからね」

 出会った時に、俺が空を見上げて睨んでいたのを見てそう思ったと聞かされた。
 俺が女神だとしたら大層みっともない女神だ。あんたの頭は、きっとその時いかれていたんだ。

 心の中でそう文句を付けながらも、睨みつける奥さんを何食わぬ顔で平然と見返した。似たもの夫夫になってしまいそうな予感を覚えながら──。


 終

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