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十二話 係長と飲み会
しおりを挟む「じゃあ、ここでいいよ」
藤崎はそう言うと、路肩に停車している甲斐の車から降りた。
「えっ、まだいいじゃないか。これから飲みに行かないか? いい店を知って――」
甲斐が慌てて、藤崎を引き止めようとする。しかし藤崎は遮った。
「見張られているかもしれないし、お前の身に危険が迫ったらヤバイ」
半ば本気でそう言って、甲斐に手を振る。甲斐は呆気に取られたような顔をした。
そのまま甲斐の車に背を向けて、藤崎は自分のアパートに向かって走り出す。
今日はシーヴが来るような気がする。ただのカンだけれど、来たらあのエイリアンに聞きたいことは山ほどある。
藤崎は気晴らしに話を書いた。それは自分の為のもので、誰にも見せるつもりはなかった。
しかし、見せるつもりはなかったし、気晴らしだったが、一生懸命書いていた。興が乗れば何かが乗り移っているかのように、半ばトリップ状態で話がどんどん進んだ。
今、書いた話と同じような事件が次々と起こってみれば、自分に何か特別な力があるのではないかとか、何か使命があるのだと思っても不思議ではない。少なくとも書いた話の落とし前だけは付けなければと考える。
大人しくても、小心でも、藤崎は真面目な男だった。真面目に自分の目の前で起こっていることを考え、真面目に自分には何が出来るかを考えると、シーヴという金髪碧眼の美形エイリアンに考えが及ぶ。
甲斐に言われて気が付いた。藤崎はシーヴと、殆んど会話というものをしていない。あのエイリアンがもし藤崎を気に入っているのなら、決別までにいろんな話をして、出来るだけ多くの情報を探り出しておいた方がいい。
そう、弱点だ。どんな弱点があるのか、藤崎の小説はそこで止まったままだ。
◇◇
しかし、きっと現れると思ってアパートに帰った藤崎だが、部屋のドアを開けても金髪美形のエイリアンは現れなかったのだ。燃え上がっていた藤崎の心が見る見る萎む。
それでもひょっこり現れないかと、ベランダに出てみたり、玄関のドアを開けて外を見たり、広くもない部屋の中を探したが、金髪美丈夫のエイリアンはとうとう現れなかった。
考えてみれば、シーヴが一方的に藤崎の前に現れていただけで、藤崎はシーヴの居所さえ知らなかった。宇宙船に乗っている訳だから、何処か決まった空港に船を泊めているかもしれないが、そういう場所も知らない。どうやって連絡を取ったらいいかも分からなかった。
藤崎はシーヴの現地妻か現地調達の情夫といったところか。シーヴは藤崎を抱きたい時に勝手に船に呼ぶ。多分、飽きたらぽいと捨てて見向きもしないだろう。
そこまで考えて、藤崎は果てしなく落ち込んでいった。もしや、もう飽きられて、捨てられたのではないだろうか。
落ち込んだままに翌日になった。よろよろと会社に出勤すると、変身した係長は、変身したままで藤崎に擦り寄ってくる。
「藤崎君、昨日は残念だったね。今日は週末だし、一緒に飲みに行こう」
大切な週末に、こんな男と飲みに行くのは嫌だったが、パソコンは無し、エイリアンは来ない、そして頼みの甲斐まで来ないとなれば、どうしようもなかった。
いつになるか分からないエイリアンの人類家畜化計画に付き合って、会社を辞める訳にもいかない。まだこの先何年もかかるのだとしたら、行き当たりばったりではなく根本的に計画を立てなければ。
「はあ」
と嫌々頷くと、安斎係長は藤崎の肩を嬉しそうに撫でたのだ。
その日の仕事は、心ここにあらずの藤崎の所為でミスが頻発したが、安斎係長がいつもの文句を言うことは一度もなかった。
仕事が終わると、安斎はいそいそと藤崎を自分のグレーのミニバンに誘った。車だけ見れば愛妻家みたいだが、そんな噂は聞いた事がない。
ミニバンに揺られて街の中心部に出ると、立体駐車場に車を止める。すぐ近くの居酒屋で腹ごしらえをしてから、安斎係長に連れて行かれたのは、飲食店の詰まったビルの地階にある店だった。
店名も何も書いていない重そうな扉を開くと、狭い通路があってもう一つドアがある。安斎係長は慣れた様子で通路をドアに向かって進んだ。と、天井から光のシャワーが降り注いだような錯覚に襲われた。
しかし、天井を見ても普通の照明具があるだけだ。係長はもう店のドアに到達していて、藤崎を振り返って促す。
得体の知れない不安が藤崎の心を過ぎった。だが、店の中から「いらっしゃいませ」とごく普通の声が聞こえて、藤崎はその不安を首を振って振り払った。
シーヴの所為で、単なる照明まで光のシャワーと間違えてしまうのだ。
あれだけどこからどう見ても嫌味なぐらい整っていて、階級も長官と名が付くほど上であれば、現地調達の情夫はいくらでも見つかるだろう。もう二度と藤崎に会いに来る事は無いかもしれない。
あんな薄情で俺様なエイリアンのことは忘れてしまおう。
自分に自信のない藤崎には、シーヴがまた目の前に現れるとは到底思えない。弄ばれて捨てられた自分が、甲斐の役に立つとも思えなくて、情けなさが込み上げる。
「藤崎君」
安斎係長に促されて、考え事をしていた藤崎は、慌てて薄暗い店内に足を踏み入れる。
店は手前にカウンターがあり、内部は衝立で遮られていて、入り口からは見えない。
「いらっしゃいませ」と黒い蝶ネクタイを締めた無表情なバーテンが出迎える。
店の中から、相撲取りみたいに太って、髪をオールバックにした男が出て来た。
「こちらがこの店のマスターだよ」
安斎が紹介してくれる。
「ようこそ。店を預かっている長町と申します」
「どうも」と藤崎は口の中で呟いた。
マスターに案内されて、カウンターの横を通り過ぎると、薄暗い店のフロアは案外広い。女性もいるようだが男性客の方が多いようだ。高級クラブといった雰囲気だろうか。藤崎は行ったことがないが。
壁はドレープの入ったビロードのような生地で、柱や天井は濃い茶系の木材を使い、あちこちに観葉植物が配置され、どこから当てられるのかテーブルの上だけに淡い照明が当たっている。繁盛しているのか客の入りはよくて、ボックス席は殆んど埋まっていた。
太ったマスターの長町は安斎と藤崎を、店の奥へ奥へと案内する。
「なかなか美味そうな人間じゃないか」
その声は、不意に藤崎の耳に届いた。
低いだみ声で、藤崎はどこから聞こえたのかと、立ち止まって周りを見回す。
左手の店内でも上座と思われる広いボックス席に、三人の男が座って酒を飲んでいる。その内の一人と目が合った。
髪を後ろに撫で付けた、四十くらいの貫禄のある目付きの鋭い男だ。上座に座り、肘掛にゆったりと寄りかかって藤崎を見ている。他の二人は男に仕えるように側に座っていた。
藤崎の表情を見て男がにやりと笑った。藤崎の背筋を冷たいものが走る。
安斎係長と店のマスターが、どうしたことかと立ち止まっている。そのマスターに向かって上座の男が言った。
「マスター。聞こえているようだが」
と藤崎の方に顎を杓った。先ほどと同じ低いだみ声。
軽いざわめきの中にあった店内が一瞬で静まる。藤崎は客たちの視線を痛いほど感じた。
藤崎はそろりと右足から動かした。恐怖で心臓が凍りつきそうだ。左足をまたそろりと動かす。だが不意に上座の男が立ち上がったのだ。
「捕まえろ」
店内がまたザワッとざわめいた。それぞれのボックス席にいた客が、一斉に立ち上がる。
逃げられないと思った。
『シーヴ!! 助けて!!』
心の中で叫ぶ。しかし、シーヴはエイリアンの艦隊の長官なのだ。彼らの仲間に他ならない。
絶望的な思いで、藤崎は店の出口ではなく、捕まえろと言った男の方に突進した。
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