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修羅場編
王都に戻ったら修羅場でした 1
しおりを挟む王都に戻ってきたカリンは、宿を決めると、一息ついてから天空神教の神殿に向かった。
ライアンは貸し馬屋に行ってから神殿に戻るというので、広場で別れたのだ。宿を決めたら連絡すると言っておいたので、言づてするつもりだ。
王都にある天空神教の神殿は、それは荘厳な造りをしている。
(やっぱりパトロンが良いと、建物が立派よねえ)
ここに来るたび、カリンはそんなことを考えている。
大理石で造られ、あちこちに天空神の像が置かれている。壁にはレリーフが刻まれ、花や木のモチーフが彫り込まれていた。
神殿建設のお金を出したのは、王家や貴族だろうから、ここぞとばかりに贅を尽くしている。
何しろ、祀られている天空神は美しいものを愛している。美しいもので神殿を飾り立てることが、信仰をあらわしているらしい。
(ええと、どこで言えばいいのかしら)
とりあえず聖堂に入って、神官の男に声をかけてみる。
「あのー、すみません。私、カリン・ナルバと申します。こちらの神官、ライアン・レーシスさんにこの手紙を渡していただけませんか?」
「畏まりました。ライアン殿に、しかとお渡しいたします」
宿の場所を書いた手紙を差し出すと、神官は受け取った。さすがにこの規模の神殿の神官となると、カリン・ナルバと聞いたくらいでは動じない。
カリンは神官に会釈をした。
さて、宿に戻ろうかと扉のほうを向いた時、奥から女性の甲高い声がした。
「うわ、またか……」
神官がぼそりと呟いた。声にはうんざりした響きがある。
(のろいでももらった人が暴れてるのかしら)
魔物や妖精に恨まれると、のろいをかけられることがある。しかしそれは辺境でのことで、こんな王都ど真ん中では珍しい。
自分には関係ないことと帰ろうとしたカリンだが、その女の声が知人の名を呼んだので、さすがに足を止めた。
「ひどいですわ、ライアン様! 一方的に別れを告げたかと思えば、もう次の女ができたなんて! 死んでやるー!」
「落ち着いてください、ローズマリー嬢!」
「やめないか、ローズマリー! まったく、どうしてしまったんだ。あんなに大人しかったのに。あああ、ライアン君、逃げなさい!」
年配の男の声もして、ばたんと奥の扉が開く。旅装のライアンが青ざめた顔で聖堂に飛び込んできた。
「あら、ライアンじゃないの」
「カリンさん!?」
ライアンは心底驚いた顔をして、泡をくって叫ぶ。
「にげにげ、逃げてください! やばいんですってば!」
彼がそう叫ぶのも当然だった。
死ぬと叫びながら、茶色い髪の少女が包丁を手にしていて、年配の神官が後ろから羽交い絞めにしているのだ。
分かりやすい修羅場だった。
「ライアン、落ち着きなさい。浮遊の魔法で、あの包丁だけ飛ばすのよ」
聖堂内の人々も、少女から逃げて反対方向に行く中、カリンは冷静に声をかける。トラブルへの対応には慣れている。
近くまで来たライアンは涙目になっていた。
「で、でも」
酒場でもローズマリーを怖がっていたのだ。彼女を目の前にして、トラウマが掘り起こされた上に、相手が刃物を持っているので、恐怖に叩き落されているところだろう。
「落ち着いて。あんたならできるわ」
カリンはライアンの背中を優しく叩いた。
正直、カリンが魔法を使うと、包丁どころか聖堂まで破壊しそうなので、ここでは使えない。ライアンに補助魔法を使わせるしかなかった。
パニックといった雰囲気だったライアンの様子が、ゆっくりと落ち着いた。ローズマリーの持つ包丁を指差し、呪文を叫ぶ。
「包丁に、浮遊!」
弾かれるようにして、包丁が天井へ浮かび上がる。
「ああっ、ひどい! どうして、ライアン様。私と一緒に死んでよーっ」
金切声を上げて、ローズマリーは泣きじゃくる。その緑の目が、ギロッとカリンをねめつけた。
「カリン・ナルバーっ、あんたが私のライアン様を奪ったんですってね! なんでそんな年増がいいのよっ」
「やめないか、ローズマリー! 砲撃の魔法使いには、喧嘩を売ってはいけないんだっ」
ローズマリーと年配の男、どちらも失礼である。
「……ふふふふ。誰が年増だ、ぶっ飛ばーす!」
青筋を立てて拳を握り込むカリンを、ライアンがなだめる。
「落ち着いてくださいっ」
「眠り!」
そこで年配の男が、ローズマリーに魔法をかけた。ばたっと倒れるようにして眠りに落ちるローズマリーを、男は両腕に抱え上げる。近くのベンチに寝かせた。
それを見て、ライアンは宙に浮かべていた包丁を、ゆっくりと地面に下ろす。他の神官が素早く近づいて回収した。
「お騒がせして申し訳ありませんでした」
周りに謝りながら、男はこちらに足早にやってくる。
「すまんなあ、ライアン君。お試し交際のつもりが、娘はすっかり本気になっていたようで。どこで育て方を間違えたんだか……。妻を早くに亡くして、甘やかしすぎたのかな」
四十代くらいの男は、すっかり落ち込んでいる。カリンにも頭を下げた。
「カリン様も申し訳ありません……。しかしライアン君、いくら娘が怖いからって、何も砲撃の魔法使いと付き合い始めることはないだろう? 私への当て付けなのか?」
「そういうわけでは……」
ライアンの顔が強張った。困っているライアンを見て、カリンはどうすれば場を治められるか黙考する。この場合、下手に口を出すと逆効果だ。娘を振った男が距離を置こうと休みをとり、新しく恋人を作って戻ってきたのだから、父親としては思うところがあるだろう。いくら娘が悪くても、感情は理屈ではないのだ。
しかし、そこに拍手の音が響いて、違うところから助け船が出た。
「まあまあ、落ち着いてください、ジブリール様。ライアン殿は平民、やはり貴族の血筋とは釣りあわなかったのでしょう。魔の山岳地帯だか知りませんが、山の民のほうがお似合いというもの」
……いや、助け船じゃなかった。そういうふりをした、罵倒である。
(なんなのよ)
イラッときたカリンだが、貴族を鼻にかけている相手だから、きっと貴族だと踏んで、冷静にそちらを見る。
金色の長い髪を持った、垂れ目がちの美男子がそこにいた。白い神官服に身を包んでいるが、その青い目には、他人をさげすむ毒が混ざっている。
(ああ、あんまり関わりたくないタイプね)
この手の輩は反論すると面倒くさい。話をするのに時間を使うほうがもったいない。
「ナルド殿、山の民だなんてそんな!」
言い返そうとするライアンの腕を引いて、カリンは止めた。
「いいのよ。山に住んでるんだから、山の民だわ。それにしても、そういうナルド様は神官のくせに、やけに俗っぽくていらっしゃるのね。平民だの貴族だの、神官が血筋に執着するとは思わなかったわぁ」
カリンは嫌味を返す。
神に仕える者は、神の前では平等である。そういう考えのもと、ここで修業しているのが神官なのだ。ルール違反なんじゃないの? とカリンは裏に込めて言ったのである。
ナルドはぐっと口を引き結んだが、良い言い返しを思いつかないようで、目つきに険が混ざった。
それを横目に、カリンは先程の神官に声をかけて手紙を返してもらう。
「ライアン、私の滞在先よ。彼女のこと、どうしても怖いなら、私も一緒に対応するから、相談にいらっしゃい」
酒場でいつか刺されそうと言ったのは、冗談のつもりだった。だが、実際に見合い相手は刃物を持ちだしている。ここまで事が深刻なら、カリンも介入すべきだろう。ライアンだけでなく、彼女の父親もお手上げ状態なのだ。
「え? ですが、これは私の問題で……」
「付き合い始めたんだから、もう二人の問題じゃない? あまり寂しいことを言わないで欲しいわね。それにね、彼女は一線を越えたわ。刃物を持ちだすのは犯罪よ。衛兵に通報してもいいくらい」
カリンが冷たい一瞥を寄越すと、ローズマリーの父親の顔色があきらかに悪くなる。
「い、いや、それは……」
否定したくても何も言えないのは、自覚があるからだろう。
そこをカリンは更につつく。
「元々、お試し交際だった。ライアンは、ローズマリーにこたえようとしたけど、彼女が手紙で採点するから、すっかり嫌気がさしてしまった。――ねえ、ナルド様。デートが終わった後、恋人から駄目出しの手紙が毎回届いたら、どんな気分になるかしら?」
ナルドはしばし黙り込み、初めてライアンへ不憫そうな目を向けた。
「それは男としては同情するな。自信をくだかれる、良くない行いだ」
「じゃあ、一度のミスで彼女が怒って、自分を捨てる気なら死ぬと、職場で大騒ぎしたら?」
「精神疾患を疑う。医者のサポートが必要だろう」
医療現場に従事している者らしい、冷静な指摘だった。
ローズマリーの父親は、すっかりうなだれてしまっている。
「ライアン殿、痴話喧嘩で騒ぎを起こしているのかと思っていたが、これは深刻ではないか? どうして周りに相談しないんだ。神殿には、こういった問題を解決するエキスパートがそろっているんだぞ」
「申し訳ありません……。プライベートなことなので、良くないと判断しました」
「そういう個人の判断のほうが迷惑なのだ。まったく」
この言いざまにはムカついて、カリンはナルドに指摘する。
「だから、そういう威圧的な態度が、彼の口を重くさせるんでしょ? もっと優しく聞いてあげなさいよ。あなた、そこまで的確に判断できるくらい、有能なんでしょう?」
注意するだけでなく、おだてておく。
こういったプライドの高い輩は、良い気分にさせておくのが肝心だ。そうすると歩み寄る隙が芽生えやすい。
「む……。ま、まあ、そうだな。悪かったな、ライアン殿。君の実力が素晴らしいから、少し嫉妬していた。砲撃の魔法使い殿に免じて、態度の改善を考慮しよう」
妙に堅苦しいことを言うわりに、内容だけ見ると素直なことを言って、ナルドはジブリールのほうへ行く。ローズマリーのことで話し合うべきだと説得し、医者の協力をあおぐことでまとまった。
ローズマリーは、いったん神殿の医療施設に入院することに決まったようで、彼らはそのまま引き上げていった。
落ち着きを取り戻した聖堂で、ライアンはぽかんと突っ立っている。
「え? もしかして解決したんです……?」
「彼女が公の場所で暴れてくれて良かったかもね。良いサポート役が現われたわ」
「……でも、私が自力で解決するほうが良かったんでしょうね」
ライアンが見るからに落ち込んだので、カリンは彼の額にデコピンをした。
「いたっ」
「あのね。あんたはあんたでがんばったんでしょう? それで駄目なら、他人を頼るのは悪いことじゃないわ。あんたはもうちょっと周りを巻き込んだほうがいいわよ。それで、『助かりました、ありがとう』って笑ってればいいわ」
「ええと?」
「いつも、さっきの調子で、一人でどうにかしようとしてたんでしょ」
カリンの指摘に、ライアンは困った様子で眉尻を下げる。
「でも、助けを求めても、仕事を増やされるのは嫌だと断られるんです」
「そりゃあ、余裕のない時は無理でしょうし、苦手なことを手伝うのは嫌でしょ? 気分が向かない時もあるわよ。人間なんだから。でも好きな作業や暇をしてる時の手伝いは、別に構わないじゃない?」
「ああ、そうですね……」
「ここのお友達をよーく観察して、選んで頼んでみるのよ。これは私には手伝えないわ。でも、あんたなら、大丈夫よ」
「……はい」
ライアンははにかんだ笑みを浮かべて、こくっと頷いた。
「カリンさん、ありがとうございます。元気が出ました。カリンさんといると、私は自信が生まれる気がします。頑張ります!」
「ふふ。今度、食事をおごってちょうだいね」
「ええ、予定が決まったら、ご連絡します」
そのままライアンと別れ、聖堂を出たカリンだが、さりげなくローズマリーの年増発言が胸に突き刺さっている。
(はあ。やっぱり、あいつとは釣りあわないのかな……)
年齢はどうしようもないから、余計に落ち込む。
溜息をつきながら、石像の傍を通って、大通りに向けて踏み出す。だが、そこへライアンが追いかけてきた。
「あの、カリンさん!」
「え?」
ライアンに手を引かれ、近くの天空神像の陰に連れていかれる。
「どうし……」
言いかけた言葉は、途中でライアンの口へと消えた。
「あ……んた、ここ、神殿っ」
キスに驚いて赤面しながらも、カリンは動揺して後ずさる。
「年齢は関係ないですから! 私、カリンさんのこと、ちゃんと好きですからね」
そして温かくキラキラと輝く緑の目でじっと見つめてから、にこっと笑い、ライアンは神殿に戻っていった。
カリンは石像に手をついて、顔を手で覆う。
「……うう。それはずるすぎる」
高鳴る心臓の辺りを押さえて、カリンは目をつむる。
ひとを好きになると、ちょっと苦しくなるらしい。初めて知った。
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