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本編
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しおりを挟む熱帯雨林の森の中、大岩の根本に不自然な焚火の跡があった。
その燃えかすから鮮やかな黄色の羽飾りを拾い上げ、グレイはそれを見下ろす。隣ではサーシャリオンが炭化した木片を指先で摘まんでいる。そして、その更に横では、コウが焚火跡をくんくんと嗅ぎ回っていた。
「燃えかすはまだ新しいが、湿っている。恐らく、夜明け頃に降ったスコールのせいだろうな」
サーシャリオンはそう断定し、ちらとグレイを見る。グレイも頷いた。
「間違いなく、ここにいたんだろう。この羽には見覚えがあるし、こんな場所を通る者は狩人でも滅多といまい」
グレイは羽を指先で弾いて捨て、燃えかすの中に見えた面の一部を足で軽く蹴り飛ばした。やはり、赤に塗られた面だ。
「ただの盗賊にしては、用意周到な奴らだな。派手な見た目をすることでそう印象付けさせ、逃亡ルートも確保した上で、途中で見た目の小道具を捨てるとはな」
「知恵の働く者がおるのだろうよ。我としては、そなたのガードを突破したことの方が驚きだがな。あれはただの人間だった」
「俺達は人間より身体能力が生まれつき上だが、それでも、突出した人間には敵わないこともある」
きっぱりと答えて立ち上がると、グレイは懐から紙煙草とジッポを取り出して火を付ける。深く息を吸い、煙を吐きだす。
見た目は落ち着いているが、煙草を吸いたくなる程度には苛立っているようだ。
それを見たサーシャリオンも、ずいと右手を差し出す。
「我にも一本寄越せ」
「…………」
サーシャリオンの催促に、グレイは無言で紙煙草とジッポを渡す。
「……お前、吸うのか」
意外そうな言葉に、サーシャリオンは頷く。手慣れた仕草で煙草を口にくわえ、火を点ける。
黒髪と褐色の肌をしたダークエルフが喫煙する様子は何だか微妙だなとグレイは思った。どうせなら煙管の方がまだ見た目が良い気がする。グレイが紙煙草を選んでいるのは、単に雁首に刻み煙草をいちいち詰めたり、ヤニをとるのに手入れするのが面倒というそれだけだ。それにあれは慣れないとそもそも火が点かない。
「長く生きておるから、暇潰しで色々試した。あまり好かぬが、腹が立つ時はこの苦みが目を覚ますのにちょうどよいのでな」
「それは構わんが、見るからに不味そうに吸うな。やった甲斐がない」
にがっという顔でサーシャリオンが煙草を吸うので、グレイは文句を言う。そうしながら、返されたジッポライターを懐に押し込む。
サーシャリオンの、緑や青や銀に光る不思議な目が、怪訝そうにグレイを見る。
「そなたには美味いのか?」
「美味くはない。そういうもんだ」
そうか、と返すサーシャリオン。
やけっぱちな空気がこの場を占めていた。
一晩中、踏まれた草や折れた枝から追跡して、その途中で馬車を見かけて、その後にまた手掛かりを失い、そこで小隊は離脱した。彼らが言うには、これ以上、森に深入りするのは危険らしい。
祝福の火の森には凶暴な動物が棲んでいる。トカゲに似た見た目で、赤い皮膚を持ち、首周りと首後ろにたてがみのように火が吹き出ている、四足歩行の巨大なサラマンダーだ。小さな子どもなら丸呑みに出来る程の大きさで、普段は岩場に張り付いてじっとしているような大人しい動物だが、縄張り意識が強い為に縄張りに入った敵には容赦なく襲いかかる。
その身に纏う火は、何故かサラマンダーが敵視した対象しか燃やさない為、森が火災になることはないが、敵対された方はたまらない。お陰で、サラマンダーの縄張りには地に生きる類の他の動物やモンスターはおらず、樹上で生活する鳥や猿、蛇、もしくは虫くらいしかいない。
だが、その皮は耐火布になるし、肉は美味なので、危険を冒してでも猟をする者は減ることはなく、セーセレティー精霊国王都の名物扱いになっている。サラマンダーは、特に王都寄りに多く生息している為だ。
兵士達は離脱したが、サーシャリオンやグレイ、コウは気にせずに森を進んでいる。ちょっとくらい凶暴でも、逆に倒して食料にする程度の実力は三者ともにあった。
「サーシャ、お前、あの影とやらで探せんのか」
「出来たらとっくにしておるわ」
サーシャリオンは不貞腐れたように返す。
「傍にいるから構わぬと思うて、目印を外しておったのだよ。自分が腹立たしいわ」
「目印? どこに付けてるんだ?」
「そなたらには見えぬよ。影に、我に分かるようにつけるのだ。だが、目印をつけておると、それが気に触るのでな、ダンジョンに潜る時や傍を離れる時だけケイやシューターには付けていた」
「気に触るのか」
「うむ。寝る時に耳元で蚊が鳴いておるようなものだ」
「それは確かに気に触る」
納得、というようにグレイは呟く。
それから、だいぶ短くなった煙草を焚火跡に落とし、靴底で揉み消す。
「まったく。盗賊というだけで腹立たしいのに、小賢しいからもっと腹立たしい」
「ただの馬鹿と思いあまって道を踏み外した阿呆なら、そなたがすでに片付けておるだろうよ」
「違いない」
サーシャリオンもまた、煙草をぽいっと焚火跡に放る。すると、それが空中でパキンと凍りつき、地面へ落ちて砕けた。
「――よし、落ち着いた。行くか」
憤然と言うサーシャリオンに、グレイは頷いてハルバートを肩に担ぎ直す。そして、そんな二人を座って大人しく見ていたコウもまた、一声吠えて同意した。
二人と一匹は、再び、折れた草や木の枝といったささやかな手掛かりを追いかけ、ゆっくりと森を進んでいった。
*
王都まで四日かかるところを、急いで馬を走らせたので、三日半で着いた。
王都に着くなり、ムルメラはレト家の屋敷を訪ねた。
突然の第二王女の訪問にレト家の者達は驚いた様子を見せ、仔細を話すと、テリースの父である現当主ユリスとその正妻のテレサは顔色を変えた。
「まあ、テリースが……! ああ、ああ……何ていうこと!」
取引内容が記された紙を見て、テレサが卒倒しかけるのを、傍にいた侍女が慌てて支えて近くの長椅子に座らせる。
「知らせをありがとうございます、第二王女様。本来ならば、我が愚息が責任もって王女様をお守りするところを、このような形になってしまい、申し訳ありませぬ」
長椅子に座ったまま、鷹揚に扇を振るムルメラ。
「謝罪はよい。それよりも、テリース殿をお助けせねばなるまい? わらわとて、婚約者殿が理不尽な目に遭うのは心が痛い」
ムルメラは、内心ではこれを機に婚約破棄になればいいのにとも思っていたが、それと同時に無事でいて欲しいとも思っていた。身近な者が死ぬのは、例え嫌いな者でも厭わしいのだ。
内心の真実はともかく、その言葉はユリスを喜ばせた。
「ああ、なんとお優しいお言葉でしょう。テリースはあの通り稀に見る不細工ですし、私から見ても頼りないことこの上ないのに、身を案じて下さるとは。王女殿下が懐広き方というのは真のことですね」
実の父だからこそテリースを容赦なくこきおろしているが、不出来な子程可愛く、ユリスとテレサはテリースを溺愛していたので、優しい言葉に目に涙を浮かべた。
恰幅の良いユリスは黒銀色の髪と同じ色の髭を持ち、目は淡い緑色をしていて、白い長衣とズボンを身に着け、装飾のされた布の靴を履いている。やや痩せ気味なテレサはテリースと似た顔立ちをしており、テリースは母親似だろうことが一目で分かる。見事な銀髪は複雑に編みこまれ、薄いベールで顔を覆っているが、優しげな容貌をしているのが布越しに見えた。
夫妻が感動に満ちた空気をしているのを、扉を叩く音が遮る。
「カラクです。入室しても宜しいでしょうか?」
ムルメラが入室許可を与えると、カラクという青年が部屋に入ってきた。ぽっちゃりしていて恰幅が良い、銀髪と赤目を持った青年は、どこから見てもセーセレティーにおける美形だ。
ムルメラはカラクに会うたび、どうせ婚約するならこっちが良かったと思って内心で溜息を吐くのだが、その淡い赤色の目に宿る冷たい光は何回会っても好きにはなれなかった。ムルメラや姉を政治の道具としてしか見ていない、父王や兄達の目を思い出させるからだ。そして、不細工だがカラクよりテリースの方が自分を大事にしてくれそうだと思って、まあいいかと妥協するのが毎度の心の動きだった。一度妻帯した者には降嫁出来ないのがこの国の決まりだから仕方ないが、義兄になる人が美人なので、乙女心は大変複雑なのである。
「失礼致します。危急の用件と聞き、急ぎ参上仕りました」
青い長衣の裾を床につけ、カラクはすっと膝を折って臣下の礼をする。その後、大仰に挨拶しようとするのを遮り、ムルメラは先程の話をするようにユリスに命じた。
話を聞いたカラクは眉を寄せ、怒りに満ちた顔をした。
「あの馬鹿は! 王女殿下をお守りするどころか、己が足手纏いになるとは、なんたることだ!」
「否、あの者はわらわを守ろうと、馬車の前に立ちふさがっておった。であるから、わらわはテリース殿を責める気はない。それよりも、そちどもの手により救うて欲しくて頼みにきた。済まぬが、わらわは王族。一介の臣下の為に力を奮うことは出来ぬ」
経済的な支援ならば出来るが、武力による支援は王の許可が必要だ。王太子ならばともかく、降嫁の決まっている第二王女の身では大した力もないので、許可が下りるとは思えない。だから、私兵を出せと言っているわけだ。
「はっ、ただちにそのように致しましょう」
ユリスは即決して了承し、膝をついて頭を下げる。だが、それにカラクは異を唱える。
「あのような者、捨て置けば宜しいでしょう。我が家の恥です」
カラクは、低く通る耳触りの良い声で冷やかに切り捨てた。その目が煩わしい虫でも見るような冷徹な光を帯びていることに、ムルメラは扇子で顔を隠したままゾッとした。
(なんじゃ、こやつ。これが仮にも実の弟の危機に言うことか?)
これが内乱時で、私兵を出すのは一触即発の空気というなら切り捨てるのもやむを得ずとするところだが、今は平和であるし私兵を出すのが当然なはずなのだが。
(わらわの兄君でも、かようなことは弟妹には言わぬぞ?)
それが例え腹違いの弟妹にだとしても、父母を尊び兄弟には寛容に接すべしとの教えがあるので、王宮は割と平和だ。一人一人、別々の宮を与えられて住んでいる為に距離がとれているのもあるせいか、憎みあうことは滅多とない。ただし、内乱の原因が兄弟の不仲のこともあるので、一概には言えないのも事実ではあるが。
当然、長男の台詞にユリスは顔を赤くして怒る。こめかみに血管が浮かぶ程だ。
「カラク! お前はなんと冷たいことを言うのだ! 仮にも血を分けた弟ぞ!」
憤然と鼻息も荒く続ける。
「お前は普段からそうだな。もっと寛大な心を持たねば、次を任せることが安心して出来ぬわ! 確かにテリースは不細工であるし武もお前より劣るが、心根は良いし勤勉だ。正さぬなら、テリースを後継ぎにしても良いのだぞ!」
その怒りように、ムルメラは内心で驚いていた。まさか次の当主にしても良いと思う程、ユリスがテリースを評価しているとは思っていなかったせいだ。
この場面に立ち会ったことで、ムルメラの中で心が動いた。
果たして己は、あの方のことをちゃんと見ていたのだろうか。顔が不細工だ、痩せていてみっともない、頼りないと突っぱねて、人となりをきちんと見る真似をしたことがあっただろうか。
外面にばかり気を取られ、ムルメラが冷たく当たってもテリースが怒らないのを良いことに、ムルメラは少々図に乗っていたのかもしれない。
そう反省すると、ますます無事か不安になってきた。
「――仮にもわらわの婚約者であるぞ? かような恥となる者を、レト家はわらわの婿にするつもりなのかえ?」
ムルメラの静かな問いかけに、カラクはぐっと詰まる。
「そち、次代を担うならば、もう少し言動を弁えよ。罵るだけなら子どもにも出来る。それよりも、有能さを示す方法は他にあると思うがのう?」
くすりと笑うムルメラ。
カラクは床に片膝をつき、ぐっと頭を下げる。
「はっ! 我が愚弟を助けだし、その証と致しましょう!」
そう口にしていても、肩を怒らせ、目は「女のくせに」と蔑んだ色を浮かべていた。そしてカラクは退室の礼をし、部屋を出て行った。
「みっともないところをお見せして申し訳ありませぬ、王女様。あの者は出来が良いあまりに少々驕っておりまして、私めも頭を悩ませているのです」
ユリスは弱ったように言ったが、息子への慈愛がその目に宿っている。
「出来が良いのならば、この家も安泰じゃろう。精進させよ」
「はっ。必ずやそうさせます」
臣下の礼をするユリスとテレサを眺めながら、ムルメラはじんわりと懸念を覚える。幾ら出来が良くても、思いやりを知らない者が当主になって、果たしてこの家は安泰となるのだろうか。自分で口にした言葉ながら、自信が持てなかった。
*
「どうでした!?」
ハジクが宿の部屋に顔を出すや、啓介は我先にと身を乗り出した。
「レト家は救出に動かれるそうです。身代金を払う手筈になっておりますから、テリース殿の身は一旦は無事でしょう」
その返事に啓介はほっと安堵した。
貴族だから、場合によっては切り捨てられるかもしれないと危惧していたのだ。
「それから申し訳ありません。あの小さなお連れ殿の居場所は未だ掴めず……。ですが、先程戻ってきた小隊の報告によれば、馬車に死体は無かったとのこと。共に連れていかれた可能性が高そうです」
「……そうですか」
不安だが、生きている可能性が高いことを知り、深く息を吐く。
啓介はこの世界に来て初めて、一人になることへの恐怖を感じた。自分にとって面白いことを探求出来るのなら、例え帰れないのだとしても啓介は不安を感じることはないのだが、それも兄弟のように育った幼馴染が傍にいたからだ。
常識、道徳観念、生活形態、そのどれもを共有する理解者がいるのといないのとでは安心度合いは大きく変わる。
「良かったわね、ケイ」
ピアスもほっとしたように胸を押さえて言い、微かに笑みを浮かべる。
一方で、フランジェスカはふんと鼻を鳴らす。
「あのクソガキ、よくもまあ、これだけ厄介事に巻き込まれるものだな。特技欄にそう記しておけばいいのではないか?」
「……フランさん」
ピアスは頬を膨らませ、軽口を責めるように見る。
フランジェスカから見れば可憐な美少女にそんな真似をされると、怖いよりも可愛らしいだけなのだが、フランジェスカはこういう善人の眼差しには弱いので、早々に折れた。
「すまなかった。私が悪かった」
「気持ちは分からないでもないけど、そういうのは再会して本人に言って。ここで言われると虚しくなっちゃう」
子犬のように潤んだ目で訴えられ、フランジェスカの良心にグッサグッサととどめが刺される。
「分かった、分かった! そんな目で見るな! ものすごく悪いことをした気分になるではないか」
剣聖も善良な少女には形無しだ。
その遣り取りに、啓介は和やかな気持ちになる。仲の良い姉妹にも似た応酬だ。
「あとはサーシャ達が戻ってきた時に分かると思うよ。ハジクさん、俺にも手伝えることがあったら言って下さい! よろしくお願いします!」
ぺこっと頭を下げて頼む啓介を、ハジクは困ったように見る。
「あいにくと、捜索するのはレト家の私兵ですが……。王女殿下の命令もありますし、問題無い範囲ではこちらも捜索致しましょう。ですが、私どもよりも、行動制限の無いあなた方が動いた方が、あのお連れ殿の安否は分かるだろうと思います。出来るだけ情報は回しますが、あまり期待されませんよう」
「はい。それで充分です」
「ハジク殿、ご厚意に感謝する。貴殿も気苦労が多くて大変だな」
元騎士団所属だった為に気持ちが分かるのか、フランジェスカがそう慰めると、ハジクは面目ないと後ろ頭をかいた。
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