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本編
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しおりを挟むヘソを出す形の薄桃色の袖無しの上着には、裾に涙形のガラスビーズがついてキラキラ光る。同じ薄桃色の花みたいなひらひらの段が三つついた白いスカートは爪先まで隠し、裾近くに刺繍された水晶は動くたびにシャラリと音を立てた。
踊り子に似た衣服は王族でも同じらしいが、どこかドレスに似た雰囲気だ。
(何かに似てるよなあ。あ、熱帯魚かな)
やや離れた対岸に座る第二王女――ムルメラ・リーフ・セーセレティーをこっそり観察しながら、啓介はそんな感想を抱いていた。
ただ、高貴な人間は顔をさらすことをしないようで、薄らと透かして見える程度の白いベールを被っている。そして、セーセレティーの民に特有の、首飾り、耳飾り、腕飾りというようなアクセサリーをじゃらじゃら付けている。中でも腕飾りが特徴的で、二の腕までを覆う手袋の代わりなのか、ビーズが編まれた複雑で綺麗なものだ。いかにも高価そうである。
ムルメラの格好はこのような感じで、本人はぽっちゃりした可愛らしい感じの人だ。肌は透き通るように白く、ほとんど日の光を浴びないのではないかと思うくらい白い。
セーセレティー精霊国は熱帯地方であるのに、セーセレティーの民は不思議と肌が白い者が多い。日焼けしにくい肌をしているのだろうか。
「ケイ、それで、幽霊船とやらはどうなったのじゃ?」
透かし彫りがなされた白檀製のセンスで口元を覆い隠しながらも、ムルメラはクッションのきいた座面の上で身を乗り出す。ベール越しでも、ムルメラのパチッとしたつぶらな青灰色の目が期待に輝いているのが分かる。目力がすごい人なので、啓介はときどき圧倒されたりしている。
「あ、はい。それでですね……」
礼をしたいと呼ばれた時、どんな旅をしているのかと問われ、簡単に話してしまったのがたぶんいけなかった。話し相手になるように頼まれ、啓介は延々と旅の間に見聞きしたことを話すはめになっている。もちろん、当たり障りのない範囲で、聞いた話として語っているところもある。啓介は正直なのが取り柄だが、それくらいの機転はある。
ムルメラの乗る馬車は、馬車というより、移動する少し小さめな客間といった感じだ。深紅色をしたビロード張りのソファーはふかふかで、更に豪奢な刺繍が施されたクッションが幾つも転がっており、くつろげる空間になっている。そしてソファーとソファーの間には桐のテーブルが置かれており、足の部分を見るとやはり繊細な彫り物がされていて、いかにも金がかかってますといった感じだ。テーブルの上には茶器が置かれ、ときどき振動に合わせてカチャンと揺れる。
ムルメラが香水をつけているのか、それとも香が焚かれているのか、馬車の中にはほんのりと甘い花の香りがしていて、そのせいで啓介はちょっと馬車酔いしかけていたりする。
更にすごいのが、ソファーに座るムルメラの側に膝を付き、口元を布で隠した侍女が大きな羽扇子で風を起こしていることだ。
その動作を見ていて、ますます目が回ってきた。気持ち悪い。
が、そこは根性で押さえこみ、表面上はにこやかに旅の話を披露する啓介。くれぐれも失礼のないようにとハジクに念押しされているし、啓介がムルメラを怒らせるようなことをしたら、仲間に迷惑がかかるかもしれない。
話が一通り終わったところ、ムルメラが憂鬱そうに息を吐いた。
何か失礼をしたのかと固まっていると、それに気付いたムルメラが否定した。
「ああ、そちが悪いのではない。ただ、わらわの婚約者がそちのようなら良かったのに……と思うてな」
「婚約者、ですか?」
啓介は目を瞬いた。
ムルメラは啓介と同じ十七歳か、それより年上くらいに見える。この世界の女性なら結婚していてもおかしくない年齢だから、婚約者がいるのは不思議ではないけれど、ちょっと想像がつかなかったのだ。
「そうじゃ。左大臣の次男でな、大祭祀長の側位についている男なのじゃが、これがまた痩せておって醜くてかなわぬし、無闇にへらへら笑っておるのがまた気に食わぬのだ」
ぶすっとした声だ。少し低めだが、耳通りの良い綺麗な声なのに勿体ない。
「王女様というのは隣国の王様と結婚するものではないのですか?」
なんとなくそんなものな気がしていたので意外だ。思わず口に出した言葉に、ムルメラはくすくすと笑う。
「わらわの国は地形のために国が隔絶されておる。王族を隣国にやるメリットがないから、そんな真似はせぬ。まあ、時折、友好を兼ねてレステファルテ国に嫁ぐ姫もいるが、滅多とおらぬな。代わりに、臣下への信頼の証として、王女は降嫁される慣例なのじゃ」
降嫁というのは、王族に生まれた女性が臣下に嫁ぐという意味だ。王家の女性を嫁に貰うことは、大変名誉なことだとされているから、ムルメラの言う意味も分かる。
外界と隔絶された国ならではの政治事情ということなのだろう。
つまり、ムルメラの嫁ぐ相手は、政治上で高位についている臣下ということになる。
「あやつの家は裕福じゃから、嫁ぐことに不安はない。ただ、夫になる相手が頼りなくてかなわぬのが気に食わぬのじゃ」
よっぽど辟易しているらしく、啓介相手に愚痴るムルメラ。
それを、茶器を手にして控えている年配の侍女がそっとたしなめる。
「ムルメラ様、そんな風におっしゃってはなりませぬ。好いて下さっているだけどれだけありがたいことか……。まあ確かに風が吹けば飛びそうな頼りなさではありますが」
それ、フォローになってないと思う。啓介は苦笑しそうになるのをこらえる。
「わらわは好かぬ」
「ムルメラ様……!」
銀髪に灰色が混ざりつつある侍女は、眉を吊り上げる。
「王家に生まれた息女たるもの、国を支える臣下に礼をかいてはなりませぬと、このレンテ、口をすっぱくしてお育てしたはずにございます! 結婚を控える身でありながら、こうして自由にご旅行出来ているのも、あの方の采配のお陰ですのにっ」
ヒートアップしてきた侍女は顔を真っ赤にして言い募る。
「今回のご旅行も、陛下や王太子殿下にご反対なされていたのを、テリース様が同行するからと、陛下や王太子殿下が哀れに思われるくらい青ざめた顔で、必死に説き伏せて下さったのですよ! それなのに、無視ばかりなさるなど、なんと嘆かわしい! ……ううっ」
そこまで言うと、レンテは胸を押さえてうつむいた。
「レンテ! ああ、そんなに興奮するからじゃ。胸を悪くしておるというに……」
ムルメラの顔がさっと青ざめる。
「大丈夫ですか?」
すぐ側にいた啓介は、しゃがみこむレンテの背中をさする。
レンテは血の気の引いた顔で、ふぅふぅと浅い息を繰り返していたが、すぐに持ち直した。
「ああ、ありがとうございます……。もう大丈夫です……」
礼を言い、立ち上がろうとするレンテをムルメラは急いで止める。
「よい、よい! そこに座っておれ。無理をするでない。ケイ、そこにレンテを座らせてやっておくれ」
「はいっ」
啓介はレンテの肩を支え、自分が座っていたソファーにレンテを座らせる。痩せ細った腕が痛々しい。
「馬車を止めさせよ」
「はい」
ムルメラが傍らの侍女に命令し、侍女は啓介のいる方に歩いて来て、御者台のある壁についた小さな窓を開けて、何事か囁いた。馬車がゆっくりと停まる。
こうして、急遽、休憩することになった。
*
急に馬車が停まったなあと思ったら、にわかに小さな騒ぎが起きた。馬車からこっそり顔を出すと、テリースが血相を変えて馬を飛び降り、勢い余って転び、よろよろしながら駆けていくのが見えた。
「……?」
何だろうと思っていると、テリースが医務官を呼び、周りに水の用意などの手配をさせ始めた。
(なんだ、そうしてると頼もしい感じじゃん)
トラブルに弱いタイプかと思っていたが、青ざめながらも立ち向かう様は、まあ、決して格好良くはないが、何もしないよりずっと良い。
「何があったんですか?」
近くにいた兵士に問う。
「どうも王女殿下付きの乳母様が発作を起こしたらしいよ。それで休憩だそうだ」
「え、大丈夫なんですか?」
「ああ。ほら、医務官がすぐに出てきたから、大事ないみたいだね。心配しないで中にいなさい」
「はい。すみません」
やんわりと邪魔扱いされたので、修太は大人しく引っ込んだ。
(良かった。啓介が何かやらかしたのかと思ったじゃねえか)
冷や冷やさせてくれる。
一時間程休んだ後、馬車は再び動き出した。
(はあ、早く王都につかないかな)
そろそろ飽きてきた。
「聞いて下さい、この喜ばしい報告を!」
夕方、コルドラトーから西に進んだ所にあるヴァニスという街に着き、宿を探そうと馬車を離れようとしたところで、見るからに浮かれた様子でテリースがやって来た。軽くスキップをしているのは、美形でも流石に気持ち悪い。
なんか面倒くさいのと知り合いになったなあと全員揃って思いながら、テリースの報告とやらを聞く。
「実は、ムルメラ様に夕食に招待されたんです!」
皆、思わず沈黙してテリースを見た。
その後に何か続くのかと待ってみたが、テリースはにこにこしているだけで口を開く様子はない。
「え、ええと、……それだけ、ですか?」
修太の問いに、テリースは目を丸くする。
「それだけ? それだけって、大きな一歩ですよ! お茶にだって誘われたことがないんですから!」
だから、涙を誘うことを堂々と言うのをやめろ。
「わあ、それはよかったですね」
ものすごく棒読みになってしまったが、テリースは浮き浮きしていて気付かなかったようだ。
そんな修太の後ろでは、ささっとグレイの影に隠れたピアスが、余りのささやかすぎる喜びぶりに涙を拭っていたりしたが、幸いにも気付かれなかった。
「ええと、俺は邪魔なんかしないので、どうぞごゆっくり」
ムルメラの馬車から降りてきた啓介は、話が聞こえたのか、にこっと笑顔で言った。テリースは、そんな啓介にざっと近寄り、眼鏡を不気味に光らせる。
「いいですか、間違ってもムルメラ様に懸想してはいけませんからね!」
「えーと」
どうしよう、と固まる啓介。
「大丈夫ですよ、テリースさん。こいつ、好きな人いますから」
修太のフォローに、テリースはあからさまにほっと息を吐く。
「そうですか、それなら一安心ですね! 私と同じく醜い顔をされているのに、ムルメラ様が話し相手に選ぶから、冷や冷やしていたのです」
「は、はは……」
面と向かってけなされた啓介は、引きつり笑いを零す。
(おお。こんなこと言われてる啓介、初めて見た)
これは面白い。傍観者だからこそ楽しい。
仲間は皆、啓介を見ないようにして笑いを零していた。
「テリース様、頑張って下さいね! 私、応援してます!」
ピアスが拳を握って励ますと、テリースは頷いた。
「ありがとうございます。あなたも稀に見る不細工ですから、私の気持ちが分かるみたいで嬉しいです」
「え、ええ……」
あ、ピアスの目尻がピクピクしている。これは癪にさわったと見ていい。
「とにかく、頑張ってきますよ! まずは市場で花束を調達してこなくては!」
そして、テリースは意気揚々と、護衛に兵士二名を伴って夕暮れの雑踏へと消えていった。
「なんか……面倒くさくてイラッとくる人だけど、応援してやりたいな」
修太の言葉に、ピアスが綺麗な笑みで同意する。
「そうね。本当に失礼な人だけど、応援はしたいわよね」
その割に声が低いのは、やっぱり怒っているからだろう。
案の定、耐えきれずに笑いだしたサーシャリオンをキッとにらんだピアスは、サーシャリオンの足の甲に勢いよく靴のかかとを落とした。
うっとうめいたサーシャリオンは自業自得だが、どうやら痛いというより驚いただけのようだった。
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