断片の使徒

草野瀬津璃

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本編

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 暗い岩窟の道は、緩やかに上へと続いていた。
 修太はアレンの後ろをついていきながら、違和感に眉を寄せる。
 アレンは左手の上に、魔法の光を浮かべている。その手にある切り傷が、谷底で見た時よりも増えている気がしたのだ。

「……あんた、さっきより怪我が増えてないか?」
「僕の名前は“あんた”ではありませんけど」

 アレンはしれっと訂正した。
 修太はアレンの言い分を無視して、じっと視線をぶつける。その無言の問いかけに、アレンの方が折れた。

「確かに増えてますよ? 風の魔法を使ったので、そのせいです」
「……?」
「加速に使うと、速過ぎて肌が切れるんですよ。こればっかりはどうしようもありません」
「かまいたちみたいなもん?」
「そうです」

 戦闘中に消えたように見えたのは、風の魔法で加速したからなんだろうか。
 そういう魔法を使っている人には初めて会った。
 アレンは革製のブーツの厚い底で地面をコツコツ叩きながら、ゆっくりと幅の広い階段を上っていく。彼のグリーブは膝から下の前半分にしか無い。最低限の防具なのは、速度優先なのかもしれない。
 修太はアレンを観察しながら、三段あけてついていく。

「風の魔法を加速に使うと身体に負担をかけるので、戦闘中しか使いません。風の助けで無理矢理身体を動かすんです、想像がつくでしょう?」

「後から筋肉痛になりそうだな……」
「ええ。今でもなりますが、慣れるまでは地獄でしたねえ」

 アレンは懐かしそうに呟いた。
 よくやるものだと修太はひっそり感心する。
 階段を上り始めて、そろそろ三十分くらいになるだろうか。この階段はいったいどれくらい続いているのかと不思議になるが、落ちた高さを考えるとまだ先がありそうだ。

 だがこの岩窟の道にはキメラはいないようで、気が楽だ。代わりに蝙蝠や虫が棲みついていて、ときどき蜘蛛の巣が顔にかかったりして気持ち悪い。今の所見ていないが、蛇もいるだろうと思う。

 幾ら緩やかな階段でも、ずっと上り続けていると疲れてくる。魔力欠乏症もあって気分が悪くなってくるので、ときどき魔力混合水を補給しながらだったが、それでも疲れる。だが修太のスピードが鈍ると、アレンも速度を落とし、置いていく真似はしなかった。

「速過ぎました? あんまり落ち着いてるので、子どもだってことを忘れてましたよ、すみません」
「別に先に行っても怒らないけど」
「そこで休みたいとか待ってとか、もっとゆっくり歩いてとか言えば、少しは可愛げがあると思うんですけど」

「足手纏いになっても可愛げがあるのは女子だけだって決まってる」
「ふむ。それは確かに同感です」

 アレンは手をぽむと叩く。

「ですが、我儘を言っても許されるのは子どもの特権ですよ?」
「俺は子どもじゃない」

 ムカっときて、修太は即座に言い返した。
 それに対し、アレンはにやにやする。

「ええ、ええ、分かってます。そういう時期ってありますよね」

 あんだって?
 そのどや顔、本気でムカつく。

「ふふ。では休憩にしましょうか。流石に僕も気を張り詰めてばかりだと疲れますから」
「……ああ、そう」

 説得力のない台詞だったが、休憩するのは悪い案ではないので、修太は頷き返した。




 ときどき休憩を挟みながら、岩窟の階段をひたすら上っていくと、暗い岩窟内に光が差し込んだ。

「出口ですよ」
「へえ、家が残ってるんだな」

 五百年前の遺跡らしいが、ここから見る限り、ところどころ崩れていたり雑草や木が生えたりしてはいるものの、町並み自体は残っているようだ。石造りの家がほとんどだからだろう。

「出ないのか?」

 階段の終点から外へ出ようとしないアレンを、修太は疑問を込めて見上げる。

「出たいのは山々ですが、まったく、終点でこうだなんて、嫌がらせもいいところですね」

 どうしてそんな悪態をついているのか分からないで困惑していると、アレンは目の前の空間を手の甲で叩いた。コツコツと音がした。

「遺跡に入れない、よく分からない力というやつですよ。結界みたいです」
「……ここまで来てか」

 がっくりして、修太はその場にしゃがみこむ。
 文句は言わなかったが、結構疲弊しているので、恨めしい気分になった。しかし、すぐに顔を上げる。

「魔法の都って付くんだから、これも魔法か?」
「結界魔法でしょうか? ですが、よく分からない力と称してるんです、魔法ではないかもしれません」
「俺は不思議な力のことはよく分からん。でも、魔法なら無効化出来るかも。ちょっとそっちの壁際に寄れよ」

 しっしっと手で追い払う仕草をすると、アレンは口を引き結んだ。

「君、ほんと失礼ですよねえ。なんですか、ひとを野犬のように」
「いいから、どけ。俺はまだ信用してないんだぞ!」
「分かりましたよ。……頑固な爺くさ少年め」
「なんか言ったか、物ぐさ勇者」

 もちろん聞こえているので睨むと、アレンは肩をすくめて壁際に寄った。最初からそうしてろっつーの。
 修太はアレンから距離をとりつつ、何も無い空間にある壁に手を添える。ガラスみたいな壁が確かにあった。

(無効化か……)

 いつも無意識に使うので、使い方が分からないのだ。

(リーリレーネの時はどうやったっけ)

 あの時は、そうした方が良い気がして手で触れた。でも、今はこうしていても何も起きない。
 望んだ時に使えないのだから困る。嫌気がさして目を閉じて溜息を吐いた瞬間、右手の平が熱くなった。

「ん?」

 何だと思って右手を見ると、手を添えている部分に青色に輝く魔法陣が現れていた。

「何で!?」

 ぎょっとしつつ、さっきの動作を思い出す。
 目を閉じる? 溜息? どっちが鍵だ。
 無意識に魔法を使いうるとすれば、呼吸か瞬きのどちらかだろう。今度試すとして、今はこれをどうにかしなくては。

 青の魔法陣はその存在を主張するかのように光輝く。ミシミシと透明な壁がきしむ音を立てるが、壊れない。
 輝けば輝く程、右手の平が熱くなり、気力のようなものが吸い取られるような脱力感を覚える。よく分からない恐れが背中に這い上る。

「はあ、はあっ」

 気付けば息が上がっていた。
 手を離すべきか悩みながら、修太は手を添えて魔法陣がもっと光る様子を想像する。きっとこれが光れば魔法が強く発動するのではという予感があった。ミシミシという壁がきしむ音がどんどん大きくなるにつれて、もう少しだという確信を覚える。
 修太は魔法陣に左手も添え、両手で壁を押す。

「こ、わ、れ、ろー!」

 一言一言に力をこめ、気力を注ぐ勢いで壁を押した。

 ――パリィンッ!

 火傷でもしたみたいに両手が熱くなった瞬間、ガラスが割れるような高音が辺り一帯に響いた。
 それと同時に両手の支えを失った。目眩がして視界が一瞬黒く染まり、ふらりと前のめりに倒れ込む。

「っ」

 気付くと、地面に手と膝をついていた。
 くらくらする頭を右手で押さえ、疲労感とともに咳をする。頭痛と吐き気までしてきた。

「すごい……。まさか古代の魔法を解除してしまうなんて……」

 キラキラと光の残滓を残して壁が消えるのを目撃し、呆然と様子を見ていたアレンは、遅れて修太の状態に気付いて目を丸くする。

「ちょ、どうしたんです?」

 流石に距離をあける余裕がなく、座りこんだまま修太は返事する。

「魔法の使いすぎってだけだ……」

 旅人の指輪から水筒を取り出す。空咳がひどい喉に、水を流し込む。全力疾走をした後みたいに心臓が鳴っていたのが、少し治まった。
 我ながらやりすぎたと思う。
 いつもは手加減が分からない状態で魔法を使うが、今回は自分の意志で無理をしたのだ。自業自得だ。

(あの気力を使う感覚が、魔力の消費か?)

 分からないが、そんな気がする。

「やりすぎにも程がありますよ! この壁、きっと都市全体を覆うようなハイレベルな魔法だったのに、それをたった一人で解除だなんて! 出来るのもすごいですけど!」

 驚きもあってか、アレンが耳元でうるさく騒ぐ。

「うるさい。こうしなきゃ上に戻れないし、俺達も遺跡に行く用があるからいいんだよ」

 けほけほと軽く咳をしながら、水筒をあおる。

「なんて無茶苦茶な……」

 修太の言い分を聞いたアレンは、あんぐりと間抜け面を披露する。

(うん。無茶苦茶なんて台詞はこいつには言われたくない)

 無茶苦茶な戦い方をしていたのを思い出し、修太は内心で悪態をついた。
 それからふらふらと壁際に移動し、壁に背を預けて座った。

「先に行くんなら、行けよ。俺は後から行く」

 流石に今すぐ動くにはくたびれた。強烈な眠気に襲われながら、膝を抱えこむ。

「ここで置いていくなんて、どんな人でなしですか」

 アレンが呆れたっぷりにぼやいたが、眠気が限界だった修太は気絶するように眠った後で、その言葉は耳には届かなかった。




 ゆさりゆさり。揺れる感覚の中、修太は目を覚ました。

「………?」

 何だか頬に当たる平べったい物が固くて痛いなあと不快で身をよじると、能天気な声がかけられた。

「起きました? もうちょっと辛抱して下さいよ。どこもかしこも壊れていて、安全そうな場所が見当たらなくて……」

 理解出来ない言葉にきょとんとし、目の前に銀色に輝く鉄板があるのに気付いて視線を上げると、青みがかった銀髪が見えた。
 どうやらまた背負われる羽目になっているらしい。

「置いていって良かったのに……」

 この男、物ぐさで皮肉屋だが、お人好しらしい。

「僕は人でなしではありません。まったく、そこは礼を言うところですよ?」
「……そうだな。ありがとう」
「素直なんだかそうじゃないのか分からない人ですね」

 礼を言ったらアレンが悪態をついた。
 どうして欲しいわけ? むすっとしながら、修太は視線を横に向ける。
 白い煉瓦造りをした三角屋根の家々がひしめきあって建っている。屋根や壁は崩れ、あちこちから草が生えていた。木で貫かれている家もあり、壁に木の根が這っている。熱帯雨林へと飲み込まれかけているような、そんな遺跡だ。切り株山に植物は見られなかったが、結界内にはあるらしい。

「僕が調べた文献によると、この山の水には毒があるそうですから、見かけても飲んだり浴びたりしないようにして下さいよ」

 水が豊かなのかなと修太が考えていると、その考えを見透かしたみたいにアレンが言った。

「毒?」
「はい。作りだしたキメラのせいで滅んだ国だと言われているのは、キメラに襲われたことと、キメラの糞尿に含まれる毒のせいらしいです。飲み水に毒が含まれていれば滅ぶのも当然ですね」
「そうだな……」

 幾らキメラに襲われたとは言っても、何万人も人がいて、それがあっさり滅ぶものなのか不思議だったが、それなら確かに滅ぶ原因にもなるだろう。人間は水無しでは生きられないのだ。

「結界内にはキメラはいないようです。それと合わせて考えると、切り株山に植物が生えていないのは、キメラの生息地帯であることと関連がありそうですね」
「キメラって何を食うんだ?」

「さあ、僕は人間なので分かりませんよ。ですが、水底森林地帯には出ないのを考えると、あの森では生きられない原因が食べ物にあるのか、それとも魔法により作りだされた際に行動範囲が決められたとの推測が出来ます。僕は後者だと睨んでますが」

 モンスターみたいに毒素を食べるのかもしれないが、それはキメラにしか分からないことだ。

「結構、広いな」

 ウェディングケーキのような段差状の町並みは、区画ごとに階段で繋がれているようだ。

「古代の小国一つ分ですよ、そりゃあ広いですよ」

 修太を背負ってすたすたと歩きながらも、アレンは注意深く周りを観察しているようだ。その視線が一ヶ所でとまる。巨木の陰にひっそりと佇む家を見ているようだ。

「あそこの家は残りが良いですね。今日の野営はあそこでするとしましょうか」

 その台詞に、初めて今が夕方であることに気付いた。空は橙色に染まり、西日が薄らと町を照らしている。

(啓介達、あそこにまだいるのかな……)

 キメラ出没注意の切り株山山頂を思い浮かべ、修太は残りの仲間達のことを考える。まさか道を見つけて探しに追いかけてきているとは思わなかった。
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