断片の使徒

草野瀬津璃

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本編

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 スノウホワイト神殿が氷竜により壊滅された事件が伝令でパスリル王国各地へと伝わる中、啓介とピアスはエレノイカの屋敷からフランジェスカの実家に舞い戻っていた。

「失礼します、ラゴニスさん!」

 セディン鍛冶店の扉を勢いよく開け、中へと飛び込む。すると、工房で金槌を振るっていたラゴニスが、作業の手を止めて怪訝そうに顔を上げた。その額からは汗がしたたり落ち、着替えたばかりの麻のシャツはべたりと肌に張り付いている。鍛冶場の炉からは火が吹き出し、むっとする空気が漂っていた。

「ああ、なんだあ? またお前らか。そんなに慌ててどうした」

 袖口で汗を拭いながら、ラゴニスは問う。

「今すぐ荷物を纏めて下さい。国を出ますよ!」

 啓介は声を潜め、それでもすっぱりと言う。ラゴニスは紫色の目を瞬く。

「はあ……?」

 訳が分からない。そう顔に書かれている。
 啓介やピアスは気が焦りながら、エレノイカの言葉を伝えた。

「エレノイカ嬢ちゃんの……。分かった、すぐに準備する。いや、しかしちょうど昨日納品したばかりで助かったな。流石に客がいると出て行くのははばかられる」

 エレノイカの予言だと聞くと、ラゴニスの決断は早かった。経験上、エレノイカの占いが外れた試しがないことを知っているからだ。エレノイカが国を出ろというのなら、国を出なくては不味い程の厄介事がラゴニスの身に降りかかることを意味している。エレノイカがフランジェスカと決別したのも、それ程の事態に到るという意味だ。

「竈は無理ですが、鍛冶の道具だけでしたら、俺がこの指輪に入れて運びます。それ以外も、どうしても持っていきたい物が重いというなら指輪に収納します。身の周りの生活用品だけは手持ちで纏めて下さい」

「なんだ、その指輪。魔具か何かか?」

 ぎょっとするラゴニスに、ピアスが答える。

「五百年前に滅んだ、魔法の都ツェルンディエーラの遺産よ。ケイはその所持者なの。旅人の指輪っていう、収納に便利な道具よ」
「ははあ、そりゃいいな。流石は白銀は持ち物が違うね」

 したり顔をするラゴニス。炉の火に水をかけて冷やすと、鍛冶の道具を集め始める。

「目の色は関係ないですから」

 むすりと返す啓介。ここに来てから散々で、目の色のことを言われたくないのだ。ラゴニスは道具を一か所に集める手は止めず、淡々と言葉を連ねる。

「お前さんがそう思ってても、周りは放っておかないさ。この国以外でもそうだ。カラーズってのは元々百人に一人いるかいないかって言われてるし、中でも〈白〉や〈黒〉となると更に少ない。千人に一人ってとこか? 色が濃いとなるともっと減る。良くも悪くも目の色に左右されるのがこの世の中だ」

「そんなに少ないんですか?」

 啓介は目を瞬いた。
 冒険者ギルドにいるとカラーズには結構出くわすので、少ないといってもその程度なんだと思っていた。ピアスが横から援護するように口を挟む。

「そうよ。魔力を持つだけだったら、私みたいなハーフの方が多いのよ? たまたまケイ達の周囲に多すぎるだけよ。まあ、目の色はカラーズと同じでも、黒狼族の男や灰狼族の男女は魔力は持たないっていう例外もいるんだけど」

「え? 灰狼族も魔力を持たないのか?」

 それは初耳だ。

「知らなかったの? 何でかなんて聞かないでね。私は神様じゃないから知らないわ」
「いや、分かってるよ。教えてくれてありがとう」

 啓介が丁寧に礼を言うと、ピアスはにこっと人好きのする笑みを返した。

「おい、ケイだったか? こっちの鉱石は持っていけないか? 出来れば持っていきたいんだが……」

 工房内を片付けていたラゴニスは、部屋の隅、木箱に納めている材料を見せる。

「大丈夫ですよ。じゃあ、この道具や鉱石は俺が預かってていいですね?」
「おう」

 ラゴニスの承諾が下りたので、鍛冶道具の数々や鉱石入りの木箱を旅人の指輪の中に仕舞いこむ。指輪に仕舞いこむことを念じればいいだけだから楽だ。
 ラゴニスは荷物が消えたのを不可思議な物を目にしたようにぽかんと見つめ、ぶんぶん首を振ると、工房の出口に向かう。

「よし、あとは俺の分だな。悪いがついてきてくれ。衣装箱をまるごと運んで欲しい」
「衣装箱ですか?」

「ああ。嫁さんの形見と、フランの衣類だ。形見の方は、いつかフランが着てくれるようにと残してる。フランの分は、俺が勝手に触ると怒るんでな、衣装箱まるごと持っていきゃ怒らねえだろ」
「いいですよ。特に容量制限はないので、それなら家具ごと持っていきますか?」
「そいつはいい、選別は後でも出来るからな。俺のも頼むよ。手持ちや貴重品入れだけ纏める」

 せかせかと店から右手奥に入った自宅の部屋へと入っていくラゴニスを、啓介とピアスは追いかける。言われるままに家具を旅人の指輪に収納し、二階のフランジェスカの私室でも箪笥や衣装箱、本の詰まった本棚やテーブルを丸ごと仕舞いこむ。

 三十分もしないうちに片付けが終わった。
 ラゴニスは手持ち分をリュック一つに纏め、腰に長剣をベルトから提げ、普段着の上に旅装用の薄茶のマントを羽織ると、羊皮紙にペンを走らせる。土地の権利書に、立ち去る旨や挨拶を出来なくて申し訳ないと書いた手紙を添え、それを封筒に入れる。

「火は消したし、戸締りもした。あとは鍵をかけて、こいつをイーリルディにやったら終わりだ」

 あっさりと、何の未練も無さそうに家を出て鍵をかけるラゴニスを、啓介やピアスは複雑な気分で見つめる。
 それに気付いたラゴニスは、ひょいと肩をすくめた。

「俺の心残りは、ここから西に二ついったとこにある町の、かみさんの墓くらいだ。だが死んだ者より生きてる娘の方が大事だからな。お前達が気にすることじゃない」

 今まで築いてきたものをあっさり手放す豪胆さは、なかなか持ちえないものだろう。こんな父親を持っているから、フランジェスカは闇堕ちの恐怖に半年も耐えられるような強靭な精神を持っているのかもしれない。

「さあ、とっととずらかるぞ。俺は拷問と公開処刑で死ぬのは御免だからな」

 ささやくような小声で茶化して言うや、ラゴニスは通りを歩きだす。そして一ブロック隣にある裏通りに入り、そこにひっそりと佇む鍛冶店のポストに手紙をぞんざいに突っ込んで、くるりときびすを返す。

「ねえ、お友達に挨拶しなくていいの?」

 ピアスが恐る恐る問うと、ラゴニスはあっけらかんと返す。

「縁があればまた会うさ。イーリルディとは、どういうわけかどこに行っても会っちまう。腐れ縁ってやつでね」

 かかと笑い飛ばすラゴニス。
 ここまで物事に頓着しない、いや、達観している人には初めて会った。
 市井に埋もれてはいるが、ラゴニスは実は大物なのではないかと啓介はまじまじとその背を見る。

「さーて、とりあえず王都を出るか。で? そういやフランはどうしたよ?」

 啓介とピアスは顔を見合わせる。門を出た時にはすでにいなかったのだ。

「フランジェスカなら、ユーサレトという男に、馬車で連れられていったぞ?」
「おわぁ!?」

 裏路地を出た瞬間、横合いから自然に話しかけられ、ラゴニスが大仰に驚いて右へと飛び退る。壁を背にして剣の柄に手を当てた。

「な、な、なんだ、お前! 気配がなかったぞ!」

 見れば、路地を出てすぐ左の家の壁にもたれ、青い外套を着た金髪の青年が立っている。右目にかけたモノクルがきらりと光を弾き、得体の知れなさを演出している。

「リオン、フランさんが団長さんに連れてかれたってほんと? どうして止めなかったんだ!」

 啓介は貴公子姿のサーシャリオンに詰め寄る。

「あの者はフランジェスカに害をなす気はないようだったからな。話をするだけのようだから、放っておいた。フランジェスカは大人なのだ、自分のことくらい自分で片付けるだろうよ」

 そしてにやりと笑う。

「安心しろ。魔法でマークしておいたから、居場所くらいは分かる」
「対策してくれてるんならいいけどさ……」

 啓介はほっと肩から力を抜く。
 その一方で、ラゴニスは啓介とサーシャリオンを見比べている。

「なんだ、この兄さん、お前さん達の知り合いか?」
「大事な旅の仲間だよ」

 啓介の紹介にくすぐったそうに微笑みながら、サーシャリオンは胸に手を当て優雅な礼をする。

「我はクロイツェフ=サーシャリオン。この姿の時は是非リオンと呼んでくれ、フランジェスカの父君よ」
「あ、ああ……。なんか引っかかる挨拶だが……。俺はラゴニス・セディンだ。ラゴニスでもラグでも好きに呼んでくれ」

「ふむ。ではあえてラグと呼ぼう。なんだか親しいような気がして面白い」
「……そうかい」

 よく分からない奴だと言いたげに頬をかくラゴニス。

「えー、で? うちの娘が団長に連れてかれたって? おいおい、どうすんだよ。俺はあいつが一緒じゃないなら国を出る気はないぞ?」
「エレノイカさんが、別々に出て、俺達にはあなたを連れて国を出ろと言ったんです」
「そうか、それなら仕方ねえな。まああいつのことだ、不利な状況でも逃げてこられるか」

 真剣な顔で判定すると、ラゴニスは迷いを打ち消して顔を上げる。

「じゃあ、行きますか」
「はい」
「ええ」

 啓介とピアスはしっかりと頷く。

「ケイ、断片はどうする?」

 サーシャリオンの問いかけに、啓介は即座に返す。

「フランさんがいないのに、回収出来ないよ」
「そうか……。何か一騒動起きれば、目が反れていいのだがなあ」

「リオン、悪だくみするのはいいけど、まずはフランさんの安全が確保されてからじゃなきゃ駄目だからな? いい?」

 嫌な予感がした啓介は、サーシャリオンの目を見据え、言い聞かせるように言う。サーシャリオンは苦笑して、やれやれと肩をすくめる。

「分かった、分かった。では我はフランジェスカの動向を探るべく戻るとしよう。そなたらは王都を出て、〈氷雪の樹海〉の方へ進め。王都から東だ」
「それなら東の大門を出るか。俺が案内しよう。と言っても広いからな。門までは辻馬車を使う」

 ラゴニスの提案に、啓介とピアスは反対することもなく頷いた。

「ではな。気を付けて行け」

 そう言うと、サーシャリオンは裏路地へと歩いて行き、その先の家の影に溶け込むようにして姿を消した。
 一部始終を見ていたラゴニスは愕然とする。

「なんだ? 消えたぞ?」
「それについては王都を出てから話します」

「そうよ、のんびりしてらんないわ。今すぐ発ちましょう。それからおじ様、ケイの友達は変な人が多いから、気にしてたら負けよ?」

 悪戯っぽく忠告するピアス。ラゴニスは後ろ頭をかく。

「俺、もしかして騙されてるんじゃねえよな?」
「まさか。変なこと言ってないで、行きますよ」

 心外だとばかりに返す啓介を、ラゴニスは微妙な目で見つめ、気にしては負けだと言われたばかりなのを思い出して首肯した。娘が信頼しているのだから、親も信頼してみよう。
 そうして、ラゴニスは半ば博打のような気分で、街路へと足を踏み出すのだった。
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