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本編
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しおりを挟む白い森の奥に、白い岩で出来た洞窟があった。
入口の両脇には、石造りの複雑な模様が彫り込まれた台座の中で火が焚かれ、その脇に立つようにして、槍を持った神官兵が二人立っている。白いフードと、白い口布、防寒着らしき白い衣服の上に、鉄の胸当てと篭手、そして膝下にグリーブを付けた軽騎士の格好をしていた。ところどころ意匠が凝っている為に、単なる兵士とは違って格式高く見える。
更に、洞窟の入り口部分には、アーチ状に石のオブジェが作られ、奥が見えないように、青い糸で幾何学模様と唐草模様が刺繍された白いのれんがかかっている。
神官兵達からは見えない位置の茂みに身を潜め、トナカイもどき――リーブルという名のモンスターから降りた雪乙女は息を吐く。
――あの先に主様がいらっしゃるのですが……。困りましたね、いつの間に人間達はここを聖地にしたのでしょう?
氷竜が氷に身を閉じ込めた時、雪乙女もまた闇堕ちに近い状態だったので、人型ではなく森の大気を漂うようにしていたそうだ。
修太が魔法を使ったことで、目が覚めて、こうして出てきているらしい。
「その言い分だと、この十年であやつは神竜と呼ばれるようになったわけか?」
面白がるようなサーシャリオンの問いに、雪乙女は目を瞬いた後、猛烈な勢いでその場に土下座した。
――なんという恐れ多いことを! 申し訳ありませぬ、クロイツェフ様! どうか主様の命だけはお助け下さいませ!
修太や黒狼族達は唖然とその光景を見る。
(土下座してる人、初めて見た。いや、モンスターだけど……)
無性に焦るな。こういうの見ると。
じりじりしている修太の前で、サーシャリオンは鷹揚に笑う。
「やめぬか。別に殺したりはせぬ。あやつが起きていれば、否定しておっただろうからな。そう出来ぬ状態で人間が勝手に呼んでいるのだから、我は怒らぬ」
(――それってつまり、そうじゃなかったら怒っているってことですか)
修太はそう訊きたい衝動に見舞われた。
――ううっ、おいたわしや、主様。目が覚めたら、きっと再び氷に閉じこもりたくなるやもしれませぬ。
ほろほろと氷の涙を流しながら、雪乙女は呟く。よっぽど怖いのか、ぷるぷる震えている様は哀れになる。
「リオン、女の人を虐めるなよ。……タオルいる?」
サーシャリオンを軽く睨んでから、修太は旅人の指輪から出したタオルを差し出す。
――いいえ、お気遣いだけで充分です。ありがとうございます、〈黒〉の子
またクロ呼びか。俺は猫じゃねえっつの。
修太は指輪にタオルを仕舞い、息を吐く。
「俺の名前は塚原修太な。修太でいいから、その黒って呼び方はやめてくれ。クロっていうのは、俺の故郷じゃ猫や犬に付けることが多い名前だ」
――ではそう呼びましょう。わたくしのことはどうかお姉様と呼んで下さい。いえ、呼んで欲しいです。お願いします!
「……お姉さんで」
――ぐすん
どさくさに紛れて何言ってやがる、この雪女。
修太がきっぱり退けると、雪乙女は肩を落として鼻をすすった。
「くくく。やはりそなたは面白いな」
二人の遣り取りを見て、サーシャリオンは忍び笑いを漏らす。
修太が再びサーシャリオンを軽く睨んだ時、洞窟の方から低い音が聞こえてきた。唸り声のような、うめき声のようなそんな音が地を揺らして周囲に拡散していく。地震で白い木々の枝が揺すぶられ、枝に積もっていた雪がそこここで落ちる音が響いた。
「何だ、この音……」
嫌そうに耳を手で押さえ、シークがうめく。
――音ではありませぬ。主様の声にございます
雪乙女がひそやかに告げる。
「身を氷に封じて尚、限界が近い、か。もって十年とはな」
サーシャリオンはふぅと息を吐き、すっと立ち上がる。
「――グレイ、我は右をやる」
「分かった。俺は左だな」
サーシャリオンの言葉に即座に頷いたグレイは、ちゃきりとハルバートを構える。
「殺すなよ」
「分かっている」
何やら物騒な遣り取りをしたかと思うと、二人は動いた。
青と黒の影が白い大地を駆ける。
「な、何だ貴様ら! がっ!」
「ぬぁっ!」
神官兵二人は、突然現れ、風のように駆けてきたサーシャリオンとグレイに、槍を構える暇もなく昏倒された。サーシャリオンは拳で、グレイはハルバートの柄で、それぞれ倒した。端から見ると、ただ駆け寄ったくらいの動作である。
その様子を茂みの裏から見ていた修太は、うわあと息を漏らす。
「すげぇ。相手にしたくねえな、あのタッグ」
「あの二人に同情するよ」
「まったくだ」
隣でトリトラが同情しきりで頷き、シークも引きつり気味の顔で頷いた。修太の足元に座っていたコウもまた、同感だというように「ウォフ」と短く吠えた。
――クロイツェフ様になら、倒されるのも本望ですぅ……
横で雪乙女がうっとりとマゾなことを呟くのを、耳の表面で聞き流す。
血や指をくれなんていうから、猟奇的なお姉さんかと思っていたが、どうも単なる危ないお姉さんらしい。
深く関わらないようにしようと修太は決意を固めた。
「周りにも人はいないようだし、行こう、シーク、シューター」
「おう」
「ああ」
向こうの方で、こっちに来いとサーシャリオンが手を振る。
それを見てから、トリトラが周りを警戒気味に見回して促すのに、シークと修太は頷いて、茂みを出て洞窟の方へ足を踏み出した。
のれんをくぐると、真っ白な岩壁が氷に覆われ、鍾乳洞のような氷柱のオブジェがごろごろしている光景が目に飛び込んできた。
「氷の洞窟って感じだなぁ」
修太は思わず呟いた。
寒さで指先がかじかんで磨り合わせる。吐く息は真っ白に染まった。森よりも気温が低いようである。
気温調節の魔法陣が刺繍されているからか、それ程寒くはないが、手先足先は流石に寒い。
こういう場所は、遊園地で北極の気温体験を出来る施設か、小学生で行った食品工場見学くらいでしか経験はない。雪は珍しくないが、氷漬けの洞窟なんてものは勿論初めて見る。
ちなみに、気絶した神官兵は、雪乙女が森から拾ってきた白い蔦で、シークやトリトラが手早く縛り上げて転がしてきた。火の側に置いてきたから、凍死することはないはずだ。見張りの交代が来るまでには片付けたいところだ。トナカイに似たモンスターであるリーブルが見張りで入口に立ってくれているから、神官が来た時は分かるようになっているけれど、正直、来て欲しくない。
床も氷が張っている為、転倒しないように慎重に奥へと進む。大人が五人並べる程度の道を抜けると、急に辺りが開けた。
眩しさに目を細め、瞬きして、目の前にあるそれを息を飲んで見つめる。
二階建の家くらいの大きさはある、真っ白な竜が、洞窟いっぱいの空間に広がる氷の壁の中で身を丸くしている。
完全に凍りついているはずなのに、時折、氷の中から、寝息のような低い音が漏れる。
「……これはひどいな」
眉を寄せたサーシャリオンが、うめくように呟き、口元を袖口で覆う。
何だろうと思った時、サーシャリオンは右手を大きく振った。
すると地面から光のシャボン玉が次々に湧いてきて、地上に出ると黒に染まり、パチンと消え、光の残滓をきらめかせて消えていく。
「毒素溜まりだ。こんな中に沈んでいては、十年しか封印がもたぬのも当然だ」
――そんなまさか! この場所は、森で一番、空気が清い場所でしたのに
雪乙女が唖然とした声を漏らし、きょろきょろと周囲を見回し、一点を見つめ、くしゃっと泣きそうな顔をした。
氷の壁の端の方に祭壇があり、鳥籠のような形状の鉄製の檻の中に、ミイラのようになった人間の死体が複数あった。この寒さのせいで腐らなかったようだ。
――なんていうこと! なんていうこと! なんていうこと!
雪乙女は狂ったように憤然と叫びだした。
――生贄などと、汚らわしい!
そして、悲鳴を上げるように怒鳴った。
わっと泣き出した雪乙女は、氷の壁にしがみついて泣く。
――ごめんなさい、主様! わたくしがもっとあなた様を支えられれば、そんな人間など、八つ裂きにしてさしあげましたのに!
恐ろしいことを口にして泣きわめく雪乙女の横で、檻の中を検分していたトリトラは顎に手を当てて言う。
「全員で八人か。一年に一人として、八年はこの調子っぽいね」
なんか、もうちょっとこう、他に言うことはないのかと修太は頭痛を覚えた。
シークもまた、檻の前にしゃがみこんでじろじろと見回す。
「南大陸の連中だけじゃないな。こっちの銀髪はセーセレティーの民じゃねえか? レステファルテ人っぽい奴もいるし、ダークエルフに……」
そこでぶつりと声が途切れた。
「おい、一人、同胞が混じってやがるぞ」
低く不機嫌な声が結果を告げる。
あまりそちらを見たくなかったが、修太はちらりとそっちに視線を向けた。
確かに一人、黒い尾を持つ黒服の男がいた。中年くらいに見えるが、死体なので老けて見えるだけかもしれなくて、自信はない。
ふと、頭上から舌打ちが聞こえた。グレイが忌々しそうに呟く。
「外傷がないところを見ると、ここに放置して凍死させたってところか。白教徒の処刑法は相変わらずむごくて反吐が出るな。――お前ら、その檻を壊して、そいつらを外に運べ」
「了解です!」
「勿論です、師匠!」
トリトラとシークは軽快に返事を返す。そして、シークがバスタードソードを構え、鉄で出来ている牢の扉の鍵を一撃でぶち壊した。
「おっしゃ、開いた」
「さっすが。よし、運ぶよ」
「オーケー」
仕事が早い。流石だ。
さっくりと扉を開けた二人は、肩に死体を二つ担いで、洞窟の入り口に向けて歩きだす。
「シューター、覚えておけよ。この国じゃ、収容所や処刑場送りになる方が悲惨だ。先に殺してもらった方がよっぽど楽に死ねる」
「……よく覚えとくよ」
グレイの忠告と、目の前の光景に、修太は深く頷いた。とりあえず、旅が終わったらパスリル王国から一番遠い国で暮らそうと思った。個人的にはセーセレティー精霊国が一番良いように思うが、他にも差別感に薄い国があるかもしれないから、候補の一つにしておくつもりだ。
(こんな死体がある場所じゃ、毒素が増えて当然だな。可哀想に……)
毒素は憎悪や悲しみから生まれるらしい。
生贄にされた人達は恐怖と憎悪があっただろう。
そんな場所で眠る氷竜もまた哀れだ。周りに影響を出さない為に氷の中に閉じこもったのに、その周囲にこそ逆に闇堕ちしやすい環境を作られる。
修太は目を閉じて深く息を吐く。
それから静かに雪乙女の隣まで歩いていく。そんな修太の後をコウがついてくる。氷の床を爪が叩く音が聞こえた。
修太の黒い目には魔法陣が浮かび上がり青く光っていたが、修太自身は気付かず、その動作を目で追っていたグレイが気付いて、僅かに目を瞠った。サーシャリオンは修太の行動を穏やかに見守る。
そして、壁のすぐ前まで辿り着くと、何となくそうした方が良い気がして、修太は氷の壁へと手を伸ばした。
リィィィン……
指先が触れた所から、青い光が波紋のように生まれ、次の瞬間、鈴の鳴るような高音とともに氷が消え、キラキラと青い粒子を撒き散らしながら消えていった。
雪乙女が驚いたように修太を見る。
目を閉じて身を丸くしている氷竜の元に歩いていくと、修太はやはり何となく、その鼻面に手で触れた。
労わりをこめて軽く叩きながら、声をかける。
「――もう、起きて大丈夫だ」
怖いことは何も無い。安心して眠りから覚めるといい。
そんな気持ちでの言葉だった。
修太が手で触れている場所から、ふわりと柔らかな衝撃が氷竜に伝わる。暗い淀みの中、身を固くして耐えていた氷竜は、生まれた闇と同じ波動に安堵に包まれ、目蓋を押し上げた。
深い青の瞳が、修太を捉える。
「おはよう」
無愛想な顔に僅かに笑みを浮かべ、そう挨拶する修太を氷竜は僅かに目を瞠って見つめ、その目から静かに涙を零す。
目尻に盛り上がった涙は、溢れて雫になると同時に水晶に変わり、氷の床面に落ちて、カキンカキンと涼しい音を立てて転がる。
氷竜は口元を笑みのように歪めた。
――おはよう
低く心地良い声が洞窟内を静かに振動させる。
そして、そう挨拶出来たことを喜ぶみたいに目を細め、また目尻から水晶の涙を零した。
――安寧の目覚めをありがとう。礼を言う、〈黒〉の子どもよ
「……うん。頑張ったな」
修太は氷竜の苦労を慮り、氷竜の鼻面を再度やんわりと叩いた。
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