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本編
第十六話 呪われた騎士の帰還 1
しおりを挟む※残酷描写に注意
隣町への納品の帰りだった。それで気が緩んでいたのかもしれない。
“それ”に、真正面から出会う形になったのは。
目を赤く爛々と光らせ、口端からよだれを流す熊に似たモンスターだった。
一目見て、それが狂っていることに気付いたが、どうしようもなかった。
荷物が無い為に軽い荷馬車が、モンスターの一撃によって横転し、少女は母とともに地面に投げ出された。
父が逃げろと叫び、剣を片手にモンスターに切りかかっていく。
しかし、父はモンスターの腕の一振りで跳ね飛ばされ、背中から木にぶつかり、そのまま動かなくなった。
「父さん!」
少女は叫んだが、もしかしたらそれは母の叫びだったのかもしれない。
こちらに標的を変えたモンスターは、鋭い爪のある右の前足を振る。
少女は必死に後ろに下がったが、爪が左頬をえぐり、強烈な痛みに襲われた。
「うああ……っ!」
顔を手で押さえ、地面に転がる少女は、そこへ更に背中にも爪の一閃を受け、荷馬車の方に弾き飛ばされた。
しかし、これが少女の運命を左右した。ぶつかった衝撃で横転した荷馬車が引っくり返り、荷台を下にして倒れてきたのだ。期せずして、少女とモンスターとの間のバリケードになった。
「フランちゃん!」
母の悲鳴が聞こえる。ついで、それがつんざくような悲鳴に変わった。
背中の燃えるような痛みに耐えながら、少女は地面を指先でかき、身を起こそうとする。そして、荷馬車と地面の隙間から見えた光景は、首から血を流して絶命している母をむさぼり食らうモンスターの姿だった。
「あ、あ、あ……!」
言葉にならない悲鳴が喉から漏れる。
ぐちゃりぐちゃりと音を立て、母だったものが肉塊に変わっていく。
少女は強烈な吐き気と、傷による失血から、そこで意識を失った。
次に目が覚めたのは、自分の住む町の医師の家だった。
生きていたらしい父が、目を覚ました少女を見てほっとして、声もなく泣きながら、少女の右手を握って自身の額に押し当てた。
むせび泣く声の隙間から、すまないと謝る声がする。
父が謝ることではなかった。
狂いモンスターに遭うのは、天災のようなもの。
少女はそう分かってはいたけれど、母の最期の記憶が少女の意識を毒のようにさいなんだ。
憎い。
眩暈のするような怒りと憎悪が胸をひりひりと焼きつかせ、ぐらぐらと燃える。
あのモンスターを殺したい。今すぐ、この手で。
――そして、少女は剣を手に取った。
*
「う……?」
暗い過去の夢を払うように首を振ったフランジェスカは、目を覚ますや即座に武器を構えて周囲を見回した。
すぐ傍らに倒れている啓介とピアスを確認して安堵したのも束の間、周囲を人に囲まれていることにぎょっとする。
ざわざわとしている人々は、こちらを不審そうに見ていた。
(ここは……?)
さっきまで、迷宮の二百階層にいたはずだ。
炎が立ち上る扉の形をした神の断片“開かずの扉”の前にいて、啓介が呼び出したガーネットに、呪いを解いて貰えるかと話しかけていて、それで――。
炎に触れたガーネットが、「あら、まっずーい」と不吉なことを呟いた瞬間、扉から強烈な光が出て、そこで意識が途絶えたのである。
(これはいったいどういうことなのですか、ガーネット様!)
心の中で叫ぶフランジェスカ。しかしここには当のガーネットはいないし、一緒にいたはずのサーシャリオンの姿もない。
どうしてこんな街中にいるのか分からないが、あの光に何かの原因がありそうだ。
しかし、ブラウスやスカートといい、衣服がフランジェスカの故郷のものに似ていて困惑を覚える。
(もしや、大陸の南部まで飛ばされたのか?)
もしあの扉が、触れた者をどこか別の場所に飛ばすものだとしたら、あそこのダンジョンで二百階まで辿り着いた者が“帰ってこない”のも分かる。
「ケイ殿、ピアス殿、大丈夫か?」
とりあえず起こすことに決め、二人の肩を揺すると、二人は短くうめいてすぐに意識を取り戻した。
「何が起きたんだ? あ、ピアス、大丈夫?」
「ええ、ありがとう、ケイ。フランさんも」
「いや……」
周囲を気にしつつ、助け起こしていると、ふいに集団から声が上がった。
「〈白〉よ!」
「白銀だ! ああ、今日の良き出会いに感謝いたします、レーナ様!」
「司教様をお呼びしろ!」
耳に馴染んだフレーズに、フランジェスカは更に硬直した。
近くにいる者に問う。
「すまないが、ここはどこだ? 教えて頂けないか?」
「ここはパスリル王国の王都ですよ、尊き方の側にいるお方」
老人は丁寧に答えた。
「突然光ったと思えば、唐突にあなた達が現れたので、悪魔の技かと思いましたが、どうやら聖女レーナ様の思し召しであったようですな。ご安心召されるがよろしい。すぐに司教様がいらっしゃいます」
優しく教えてくれたけれど、フランジェスカは戦慄を覚えた。
不味い。
ここがパスリル王国となると、夜になってポイズンキャットになったフランジェスカは殺されるかもしれない。それに、邪教徒扱いされているセーセレティーの民であるピアスもいる。
啓介の側に身を寄せると、小声で囁きかける。
「ケイ殿、ここはどうやらパスリル王国らしい。どうしてここにいるのかは分からぬが、良いか、決して〈黒〉を擁護する発言はするな。そうすれば、邪教徒と見られているセーセレティーの民であるピアス殿の立場も守られる」
啓介はよく分からないという顔できょろきょろしていたが、フランジェスカの言葉に顔を引き締めた。
ピアスもまた、事態を把握したのか固い表情で頷く。
やがてやって来た白教の司教により、三人は王都の大聖堂に案内された。
*
「皆、今頃、最下層に辿り着いてるのかな。な、コウ」
「ウォンッ」
半年かけてほぼ最下層まで行った啓介達は、今回は最後まで行くと宣言して出かけていった。そろそろ留守にして二週間になる。
「パーティーを組んでても、このハイスピードは異常だよ。すごいね、君のお仲間君達」
宿でのんびり読書していた修太の所へ、いつものように押しかけてきていたトリトラが、ナイフで果物の皮を剥きながらぼやくように言った。
「ま、サーシャとフランがいるからなぁ」
神竜が一緒なのだから、滅多なことがない限りは楽勝だろう。
「実はモンスターとかいう、よく分かんねー奴だろ? 胡散臭い笑み浮かべてる」
皮をむかなくて済む果物を手に取り、噛り付くシーク。
こいつも、何でこう暇潰し先にここを選ぶのかね。
二人がいると、のんびり読書なんて出来ないから邪魔臭い。
その部屋の隅では、ベッドに腰掛けたグレイが自身の得物であるハルバートを磨いている。
トリトラやシークが修太の側にいる間は離れていても良いだろうと言って、グレイは冒険者ギルドで依頼を請けて、たまに盗賊を狩りに出かけている。手練であるグレイ自身に返り血がつくことはないらしいが、斧槍の刃には血がついていることが多い。それでいつも手入れに余念が無い。
行った先でしていることを考えると怖いが、正式依頼で悪いことをしているわけではないのだ。勿論怖いけれど、グレイにも生活があるのだから何も言えないし、修太がびびっているのには気付いているようで、話題に出さないでいてくれるだけありがたい。どうせなら血を拭いてきてくれるともっと嬉しい。
「胡散臭いとは、酷いな」
「うおわぁっ!?」
後ろから聞こえた声に仰天した修太は、本を取り落として、椅子から転げ落ちた。
「あだだだ……」
うつぶせに倒れたせいで膝を打ってうめく。
「シューター、何をしているのだ」
サーシャリオンが倒れた椅子を元に戻し、修太の腕を引っ張って立たせ、椅子に座らせた。
「あ、どうも」
何となく礼を言ってから、バンとテーブルを叩く。
「って、そうじゃねえだろ!」
「はははは、そなた、愉快だな。面白いぞ」
「うるせえ! どっから湧いて出た!」
心からおかしそうに笑うサーシャリオンに、修太は青筋を立てて怒る。
周囲では、全くサーシャリオンの気配を読めなかった黒狼族の三人が腰を浮かせていた。武器に手を掛けている辺り、流石だ。
「どことは、ここだよ。そなたの影だ。ちょっと道に使わせて貰った」
「意味分かんねーこと言うな! 俺は啓介みたいに不思議な頭してねえんだから、分かるように言え!」
褐色の肌と尖った耳、短い黒髪に、光の加減で青や緑や銀に見える不思議な目をした、ダークエルフ姿の見た目二十代半ば程の青年は、からから笑う。ただ笑っているだけなのに、品が良く見えるのが謎だ。
「そなた、我が影の化身であるのを忘れたのか? 我だけなら、影を伝えばどこにでも行けるのだよ。まあ、先に座標を確認せねばならぬが」
「目印がいるってことか?」
「そういうことだ。聡いな」
にっと笑うサーシャリオン。それからまた楽しそうに笑う。
「いや、実はちと困ったことになってな」
「……お前がそう言いだすなんて、碌なことじゃないだろ」
修太はげっそりしつつ、続きを促すようにサーシャリオンの目を見る。
「我には愉快でも、そなたら小さき者には災厄であることが多いからなあ。まあ、それはいいのだ。実はついさっき、二百階まで辿りついたのだ」
「へえ、断片、あったのか?」
「ふむ。確かに断片はあった。ガーネットを呼び出したところまでは良かったのだが、ガーネットが不用意に“開かずの扉”に触れてしまってな。ちょうど前にいた三人が、別の場所に転移されてしまった。座標は確認済みだが、行き先が厄介でな」
一気に詰め込まれた内容に、修太は混乱する。
「ちょっと待て。何で“開かずの扉”に触って、転移? されるんだ?」
全然意味が分からない。
「あれはどうやら、未知への好奇心を満たす為の祝福であるようでな、触れた者をランダムに色んな場所に転移させるらしい。今回はガーネットが触れたせいで、やや強力になって、三人纏めて違う場所に飛ばされたようだ」
「三人? ガーネットは?」
「あやつは断片に寄り添っておったから、そのまま扉の側にいる。そうして力を回復させておくから、フランジェスカやケイをまた連れてきてくれ、だそうだ」
修太は顔色を変えた。
「ってことは、フラン、呪いが解けてないのに、違う場所に!? どうすんだよ、俺もお前もいないんじゃ、あいつ、闇堕ちしかねないだろ!」
血相を変える修太に反し、サーシャリオンはのんびり頷く。
「だから、困ったことになったと言っているだろう?」
「だーっ、もう! 埒があかねえ奴だな!」
猛烈にイラついて、髪をぐしゃぐしゃ掻き回す。更にサーシャリオンがのほほんと爆弾を落とす。
「ちなみに、行き先はパスリル王国の王都だ」
「さいっあくじゃねえか!!」
思わず大声で叫ぶ。
修太は頭を抱えてうめく。
「そうだな。ケイがおってもやばいな。ピアスも邪教徒扱いであろうし……。とりあえずフランは処刑対象になりそうだの」
「落ち着いて言うことか!」
もう、こいつヤダ! もっと慌てるとかしてくれ!
「――というわけだから、今すぐ荷物を纏めよ。女部屋の方もだ。迎えに行くだろう?」
「当たり前だろ! よし、待ってろ。十分で片付ける!」
修太は部屋を飛び回って、目についた物を手当たり次第に旅人の指輪の中に放り込んでいった。女子部屋はやや勇気がいったが、放置しておくわけにもいかないので、出来るだけ触らないようにして指輪の中に仕舞う。後で返さなくては。
「よし、では行くかの」
「オーケー!」
宿の受付で手続きをしようと部屋を出て行こうとする修太とサーシャリオンを、唖然と見守っていた黒狼族達が呼び止める。
「ちょっと待て!」
グレイの疲れたような声に、足を止める。
「何だ?」
「何だ? じゃ、ないだろう! シューター、お前、自分が〈黒〉なのを忘れていやしないか? パスリル王国の王都になんて行ってみろ、お前が真っ先に処刑対象になる」
「あ」
そうだった。あんまりな事態に自分のことを忘れていた。
「王都になど、最初から出さぬよ。知人のいる所へ行き、そこを拠点とするつもりだ。知人にシューターを預かっていてもらって、その間に我が駆け回り、助け出してそこに連れてくる。そうか、となると、姿も人間に変えねばなぁ。ダークエルフもあちらでは差別されておるからの」
サーシャリオンはのんびり呟き、思案げに顎に手を当てる。
次の瞬間、ぶわりと吹雪がサーシャリオンを包み込んだ。そして風が消えると、白い肌をした金髪の青年が立っていた。二十代前半くらいの人間の姿だ。目の色は変わらないが、美貌は相変わらずだ。繊細な刺繍が施された青の上着と、ふりふりの白いシャツ、黒い乗馬用ズボンに白い靴下と革靴だ。どこから見ても貴公子である。
「これなどどうだ? 格好良いだろう? シューター」
にこにこと笑うサーシャリオンの顔を見つめ、修太は眉を寄せる。
「何でモノクル付き?」
右目にだけ、モノクルを付けている。そのせいでどこか胡散臭く見えた。
サーシャリオンは笑顔で答える。
「趣味だ」
「あ、そう……」
気が抜けて、肩を落とす修太。
ふと横を見ると、シークやトリトラが壁際まで寄って、警戒ばりばりでサーシャリオンを見ていた。
「何だこいつ! 見た目が変わったぞ!」
びびりまくっているシークと、頭を抱えているトリトラ。
「においまで変わってるんだけど。何これ、怖っ!」
完全なる別人になっているということか。それはすごい。
「そう怖がるな。我は影の化身故、何にでも化けられるというだけの話だ」
「そうだよ、二人とも。こいつ、すごい変な奴だけど、俺達の味方だから」
「正確には、そなたやケイの味方なのだがな。で、これでどうだ?」
サーシャリオンが期待いっぱいにこっちを見るので、修太は溜息を吐く。
「ああ、格好良いな。でも何で貴族みたいな格好してんだよ?」
「我はひらひらが好きだ」
「……そうだったな」
「だが、女の一人旅は不自然であるから、男というわけだ。パスリル王国は気に食わぬが、服装は好きだ。ひらひらしておって、まっこと可愛らしい」
見た感じ、中世ヨーロッパに近い服装だ。ノコギリ山脈でダークエルフの女性の姿をとっていた時に、サーシャリオンが黒のドレスを着ていたのは、パスリル王国の衣装を真似たということなんだろう。
「まあいいんじゃねえか? 俺、こっちの文化圏に詳しくねえから、それが普通かは知らねえけど」
「それもそうだったな。まあオーケーが出たことだし、あちらではこの姿で行こうかの」
納得したサーシャリオンは、ダークエルフの青年姿に戻ると、扉に手をかける。
「では挨拶したら行こう。いや、行く前に、防寒着や毛布も揃えておかねば、そなた、死ぬな」
「てめえの知人はどんな奴なんだよ!」
思わず修太は声を荒げた。
「氷竜だ」
あっさりした返事に、修太はくらっときた。
寒い所が大好きなサーシャリオンとなら、確かにとても仲が良さそうではある。あるが……。
「お前、知人って……」
「モンスターの我の知り合いなら、モンスターに決まっておろうが」
「そう、だな……確かに」
人間だと思った自分がいけなかったのか?
首をひねっていると、扉を開けようとしたサーシャリオンが、そういえばというように振り返る。
「そういえば忘れておったが、グレイ、そなたはどうする? 共に来るか? まあ、白教徒の前に出す真似はせぬから、そなたが来ても問題はないが」
「行く」
え、即答!?
びっくりしてグレイの方を振り仰ぐ。
「お前の話には不安しか覚えん。サーシャがいない時、こいつは一人になるわけだ。それで、毛布がないと死ぬような場所で待機。放置しかねる」
グレイの淡々とした分析を聞いていると、不安になってきた。それは確かに修太一人だと死にそうだ。
「僕も行く! 白教徒が来たら、蹴散らしてあげるよ!」
何故かトリトラも話に飛びついてきた。
「師匠が行くんなら俺もー!」
そしてシークも話に乗っかってきた。
「そなたらも物好きだな。構わんが、勝手な行動は慎むようにせよ。それから、〈氷雪の樹海〉のモンスターを殺すのも駄目だ」
「分かった」
「分かったよ」
「了解!」
三人が同意するのを見て満足げに首肯したサーシャリオンは、ではとっとと準備しろと三人に命令した。
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