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本編
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しおりを挟む登録をつつがなく終え、迷宮に潜る準備の為に商店を巡るという話になり、冒険者ギルドを出ようとしたところ、ちょうどギルドに入ってきた少年が、グレイを見て驚き、一瞬後にはぱあっと表情を明るくした。
白い髪に青い目をした、利発そうな少年で、肌は浅黒く、衣服は黒く、そして狼のそれに似た黒い尾を持っていた。黒狼族だ。背中に大きなバスタードソードを背負っている。
「師匠っ!?」
大声でそう叫ぶや、周りが驚いてこちらを見る中、少年はグレイに突撃をかました。
「シークか。変わらずうるさいな」
グレイに抱きつこうとしたのか、だだだと駆けてきた少年を、グレイは一歩横にずれてかわす。
勢いがついていたせいで転んだ少年は、ごろごろ回転して受付のカウンターにぶつかって止まった。
一瞬、ギルド内がしーんと静まり返る。
しばらく沈黙していた少年であるが、すぐに復活した。
「ひ、ひどいです……。二年ぶりの弟子との再会なのにぃ」
顔から激突して、鼻を赤くし、やや涙目で座り込むシーク少年。うなだれる様は子犬にしか見えない。
「その、再会時に誰にでも抱きつく癖をやめろと言っただろう。なにが挨拶はハグが普通だ。お前の親はおかしい」
グレイは冷たく言った。
「ちょっと! お袋のこと悪く言わないで下さいよっ!」
「知るか。常識を教えん親など有害なだけだ」
グレイの返事はにべもない。
しかしまあ、シークも思い当たる節が色々とあったのか、うっと黙りこんだ。だが、気を取り直したように立ち上がり、意気揚揚と近づいてくる。
「なんだ、師匠というのは?」
フランジェスカが怪訝そうに眉を寄せ、修太の気持ちも代弁して言った。
「二年前まで、四年程面倒を見ていた同胞の子どもだ。イェリが押し付けてきてな。――シーク、トリトラはどうした? お前ら、一緒じゃなかったのか?」
「トリトラなら、三十階層をソロで潜ってるよ。師匠の言う通り、腕を磨く為にここで修行中だ。二年も潜ってるのに、まだ七十階層までしか行けてないんだけどさ」
「いいペースだな」
「全然だよっ! だって師匠、俺らと同じ十八の時には、一人で百階層まで行ってたって言ってたじゃんか。俺らだって負けないんだ!」
ギルド内がざわついたところを鑑みるに、どうもそれはすごいことらしい。グレイの超人ぶりを見ている限り、すごい記録なんだろうなあという予想はついたが。てか、こいつ、一つ年上なのか。ガキっぽいから下に見えた。
「師匠、せっかくだから一緒に昼飯行こう。それから、いつまでここに滞在するんだ? また稽古つけてよ!」
がんがん距離を詰めてくるシークの頭を、グレイは片手で掴むと、自身から大きく引き剥がした。
「うるさい。寄るな。鬱陶しい」
本気で鬱陶しそうだ。親犬に纏わりついて、首の後ろをくわえて放り投げられる子犬の幻覚が見えた気がした。
「俺、てっきり黒狼族の男は、皆グレイみたいに無表情なのかと思ってた……」
修太が思わず呟くと、シークがこっちをぎらっとにらみつけた。
「誰だ、てめー! 師匠に失礼だろ! 師匠の顔面筋が死滅してるのは、師匠のせいじゃないんだぞ!」
「お前の方が失礼だ」
グレイの容赦ない肘落としがシークの頭に決まる。ぎゃんと悲鳴を上げ、床に潰れるシーク。
グレイはふんと鼻を鳴らすと、すたすたとギルドの出口に向かう。
「そのガキは放っといていい。行くぞ」
「あ、うん……」
もしかして気にしてたんだろうか。それにしても自然すぎる会話に、よくこんなやり取りをしていたんじゃないかという気がした。
「グレイ殿、大人げないぞ……」
やや引いた様子のフランジェスカが呟くが、修太に言わせてみれば、フランジェスカも普段から結構大人げないので、どっちもどっちだと思う。
「し、ししょ~……。もう言わないから待ってぇ……」
床でぴくぴくしながら、待ってくれと懇願する声が聞こえてくるが、“師匠”の言葉があるので無視しておいた。それに修太は騒がしいのは好きではない。
ギルド内にいる冒険者や職員が、皆、哀れなものを見る視線をシークに向けていたのは、言うまでもない。
*
「なんなんだよ、このチビ! 俺の師匠に馴れ馴れしくすんな!」
商店巡りの最中、復活して追いかけてきたシークは、グレイの腕にしがみつき、犬歯を見せて修太を威嚇してきた。
馴れ馴れしくした覚えはないし、威嚇される覚えもない。
(うわ。面倒くせえ……)
修太がげんなりしたところで、グレイが左腕を取り返し、シークの後ろ襟を掴んで道端に放り投げた。
「纏わりつくな。邪魔だ」
そうして放り投げられたシークは、綺麗に受身を取って着地した。そんなシークをちらりと一瞥し、グレイは淡々と言う。
「シューターに喧嘩を売るな。護衛対象だ。弱いからすぐに死ぬ」
「………ハハハ」
グレイの言葉がぐっさぐっさと修太の心に突き刺さった。そういう正直さはいらないです、旦那。
「ええっ、なんで“認めて”るんですか!? 弱い奴なんでしょ!」
「強さにも色々ある。“認める”判断基準はそれぞれだ」
「なんすか、師匠。分かりやすく言って下さいよ!」
「お前、馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、本当に馬鹿だな」
「ひでぇ!」
ぎゃうんと吠え、シークは大げさに天を仰ぐ。
グレイの言葉には容赦が欠片もない上、毒がききまくっている。無表情ぶりと合わさってものすごく怖い。というか、「死んでくれば」みたいな目をしてるよ。こええええ。
内心でびくびく怯えつつ、グレイを見ないように極力目を反らす。
「迷宮に入るには、何を揃えるのだ? グレイ殿」
殺伐した空気を一切無視して、フランジェスカがグレイに問う。本当に勇者だ、この女。
「野営の道具一式――これは普段から持っているな? 黒輝石を八個、四個は予備だ。ダンジョン内での休息時には絶対に必要になる。あとは食料や水だな。フランジェスカは魔力混合水を持っていった方がいいかもしれん」
そして、ふと思い出したように言う。
「そういえば、媒介石を水につけていると一時間くらいで魔力混合水になるんだったな。シューター、気分が悪くなるのなら、そうするといい」
「そうなのか?」
「私も初耳だ」
修太とフランジェスカが驚くのに、グレイは言う。
「俺も今になって思い出した。俺には必要ないが、父親がそんなことをしていたからな」
「へえ……」
どうやらフレイニールという人は魔法を使えたようだ。
「なんだよ。何でその強そうな姉ちゃんは“認めてない”のに、そのチビは“認めてる”わけ?」
何故かシークがぶんむくれている。
「名前を呼んでいるのに変わりはないのに、違いが分かるのか?」
修太はそっちに驚いた。
「“認めてる”奴とそうでない奴じゃ、名を呼ぶにしても、名の持つ力が違う! そんなことも分からねえのかよ、チビ!」
いや、シークに比べたら確かに身長は低いが、どうしてそんなに当たられなくてはいけないのか分からない。
が、あいにくと、そういうのには啓介の側にいるせいで慣れていたので、流すのも上手い方だ。
「俺はここの風習をよく知らないから、知らないことがたくさんあるんだ。教えてくれてありがとう、シーク君」
しれっと返すと、尾を逆立てて怒り出した。
「君とか付けるな、気持ち悪い! つか、俺の名前を呼ぶな!」
「………じゃあ、グレイの弟子一号」
「四号だ!」
え、そっち?
怒らないのにびっくりした。
「弟子四号でいいの?」
「……良くないけど、名前呼ばれるの嫌だし。うーん、うーん」
グレイが言ったように、馬鹿だこいつ。修太は、シークの馬鹿っぷりを正確に理解した。
「シークでいい。俺が許可する」
グレイが言い、シークが頬を膨らませる。
「師匠のアホ!」
「目上に何だ、その口のきき方は」
グレイは容赦なくシークの額にデコピンをかました。
「ぶぎゃっ!」
すると、驚いたことに後ろに向けて吹っ飛んだ。そのまま勢いよく地面を転がるシーク。
修太も通行人も、どん引きだ。
「ちょ、やりすぎじゃ……」
「俺は弟子のしつけには手は抜かん」
怖い。怖いです、グレイさん!
「だが、もう少し手を抜いたらどうだ? いちいち往来を転がっていては、他の者に迷惑だろう」
それでいいのかよ、フラン!
何か突っ込みどころが違う気がしてならない。
ああ、頭痛い。
(ぐあー、啓介ー! 頼むから早くこっちに戻ってきてくれー!)
自分一人じゃ手に負えん。
せめて役割を分散したいところである。
*
「へっくしゅ!」
啓介は思い切りくしゃみをした。
「あれ? こんな暑い所なのに、風邪かぁ~?」
ぐずぐずと鼻をすすり、井戸の水を汲むのを再開する。なかなか腕力がいる仕事だが、見た目と違って筋肉もあって力も強い啓介には楽な仕事だ。あっという間に桶を引き上げ、井戸の横に置いていた別の桶に水を汲む。
「噂でもされておるのではないか?」
「お、サーシャ」
上から聞こえた声に顔を上げると、赤い瓦屋根の上に、黒いワンピース姿の少女が座っていた。紛れもなくサーシャリオンだ。
「しかし、意外に時間を取られるな」
「まあ、仕方ないよ。一人きりの孫娘が長旅に出るっていうんだからさ」
啓介は若干の良心のうずきとともに、苦笑いをした。
修太達と別れてから、今日で一週間になる。そろそろ修太達も目的地に着いた頃だろう。
アリッジャの町にはモンスターで空を飛び、一日で着いたのだが、それからが困ったことになっていた。
ピアスの祖母こと“おばば”が、長旅に出るなら、しばらく売る分のアイテムを作り置きしていけとピアスに命じ、更には、啓介やサーシャリオンにも、孫娘を連れていくのだからどんな奴か見極めてやると、家事手伝いさせられているのだ。体よくこき使われているだけな気がしないでもない。
啓介やサーシャリオンは料理をほとんどしたことがないので、それ以外の家事をしていた。
おばばは小柄で可愛らしい雰囲気のお婆ちゃんであるが、煙管を片手ににやりと笑われると、どうも迫力があった。石占いやアイテムクリエイトを生業にしていて、アリッジャでは顔役の一人らしく、誰もが丁寧に相対する人だ。それに少々おっかない。怒鳴ったりはしないが、静かな声で、サボるんじゃないよと言って去っていく。気配がなくて怖い。
啓介が膨大な魔力を有しているので、ときどき充電器代わりをさせられたりする。アイテムクリエイトというのはよく分からないが、見ているだけで何となく理解して、これはこうなってこうなるのかと訊いたら、今度は助手までさせられた。うん、薮蛇だった。
元来の賢さと器用さと人懐こさを生かし、あっという間に馴染んでしまった啓介であるが、親友のことを思い出すと心配になる。無茶をしていないといいが。
「ケイ! ちょっと遣いに行ってきてくれんかね?」
「はい、ただいま!」
条件反射で返事をし、桶を持って台所に向かって水甕に水を満たしてから、おばばの元にすっ飛んでいく。
途中、ピアスが、ごめんねうちのおばばがと困ったような顔をするのに、いいっていいってと笑顔で返し、通り抜けていく。なんだかんだと忙しいが、ピアスとこうして顔を合わせられるだけで、なんとなく幸せな気持ちになって、嫌な気分には絶対にならないのだ。
「ケイは人がいいのだな」
屋根の上に避難し、猫のように昼寝を決め込んだサーシャリオンは、あくびを一つし、眠りにつく。
啓介ですら気付いていない気持ちには、モンスターであるサーシャリオンが気付くわけもなく、よくそんなに働けるなと感心するだけだった。
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