断片の使徒

草野瀬津璃

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本編

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 龍が幽霊船までやって来たのは、正午を過ぎた頃だった。

 ――残留思念は片付きましたかな?

 龍の問いに、サーシャリオンが目を細めて言う。

「そなた、我らがセイレーン探しをすることになると知っておって、迎えに来るなどと言ったのか?」


 ――クロイツェフ様達は幽霊船に行きたくて、そのついでに幽霊をどうにかしてくれるのではなかったのですか? 迎えに来たかったのは、ワシの我がままですぞ。

 龍は首を傾げ、それから啓介に視線を据える。

 ――おぬしがケースケで合っておるか?


「そうだよ。龍神様」


 ――うむ。あの童だが、グレイという男と共にアストラテの冒険者ギルドにいるそうじゃ。アストラテの海岸にいるオーガーを鎮めてくれたのは良かったが、ぶっ倒れてしもうての。ほんに加減を知らぬ童じゃて。まあ、お陰で霧に帰す子分が減って助かったが。


「シュウ、また倒れたのか……。大丈夫なのか?」

 ――熱が出ていると人間の医者が言っておったが、休めば大丈夫じゃろう。余裕があれば魔力を分けてやるのじゃが、最近は加護が減っておるせいでうかうかと力を減らせぬでな。ワシまで闇堕ちしてはどうしようもないからの。

 龍はふうと溜息を吐き、続ける。

 ――童から話は聞いたぞ。お主、オルファーレン様を助けたいそうではないか。それならば最初からそう言えば、すぐに波静めの貝まで連れて行ってやったというに。

「なんだ、それは」

 啓介のすぐ隣ですっと背筋を伸ばして立っているフランジェスカが、顔を上げて問う。

 ――この辺りは昔、気性の荒い海域での。それを鎮める助けにとオルファーレン様が断片を投じられたのじゃ。それが波静めの貝で、本来は波を鎮めるだけのものじゃが、あの幽霊の探している者の魂がたまたま融合してしまっての、歌を歌うようになってセイレーンなどと呼ばれておる。


「そこに幽霊を連れてってあげれば、幽霊船騒動解決だろ? どうしてそうしてあげなかったんだ?」

 若干、責めるような口調になってしまった。啓介は自分の発言に他に言いようがあっただろうにと後悔したが、言いたいことに変わりはない。

 ――誘導してやったこともあった。だが、貝に近づくと反発する磁石のように離れてしまうのじゃよ。波に乗って流れる歌を船は追い、近付けば離され、また追いかける。無限地獄じゃな。とはいえ、あそこまで執念深くこの世に留まっておるのじゃから、愛の力とやらで見つけ出せば良いのにのう。ああ、冗談だからそう睨むな。ともかくな、断片の力にワシは介入出来ぬ。探し人の魂は断片の影響を受けているが故、ワシにはどうにも出来ぬのじゃ。じゃが、どうにかしてくれそうなら試しに向かわせても良いと思うての。あの〈黒〉の童然り。ぬしも然り。

 啓介は大きく頷く。

「断片を回収すれば、どうにかなりそうだな! 任してくれ。絶対に幽霊達を再会させてみせるよ!」

 いつの間にか目的がすれ違ってしまっていたが、啓介は気付かない。情にもろい啓介は、断片回収よりも、再会できない夫婦にすっかり重きをおいていた。することに変わりはないので、フランジェスカもサーシャリオンも龍も何も突っ込まなかったが。ただ、横で聞いていたリコは目を白黒させている。

「オルファーレンって、永久青空地帯に住んでるっていう伝説の神様のこと? 何言ってんの、あんた達」
「スルーしてくれていいよ。大丈夫大丈夫、危ないことには巻き込まないから」

 啓介が人の好い笑みで片手をひらひらと振ると、リコは釈然としなさそうながら頷く。

「まあ、それならいいけれど……。ちゃんと船まで送ってよね、龍神様」

 ――心得ておる。案じるな、娘。

 龍は鷹揚に言う。啓介は問いかける。

「龍神様、その波静めの貝っていうのがある場所は、ここから近いのか?」

 ――もう少し沖のほうじゃ。背に乗るがいい、連れていってやろう。

「ありがとう」

 啓介は笑顔で礼を言い、幽霊船の側に身を寄せる龍の、蛇のような背に飛び移る。どの辺が背中か分からないが、水から出ている部分に乗っておけばいいだろう。それに龍の巨体なら四人乗っても平気だ。小島みたいに見える。

 四人が龍の背に移ると、用無しと見た鳥モンスターは羽音を立てて飛び去って行った。
 啓介は赤い色の鳥モンスターに礼を言って手を振り、だいぶ姿が遠のいたところで手を下ろした。

     *

 啓介は龍の背中に立ち、首から下げている豆本を手に取った。
 ポンと音を立て、白煙とともに赤い皮張りの分厚い本に変わった本を広げる。
 今、啓介達は波静めの貝の真上の海にいる。海底まで距離があるそうだが、すぐ近くにいれば断片の回収自体はできるのだそうだ。

「ここなるオルファーレンの断片、お前の役目は終わった。我はオルファーレンの使徒。断片よ、ここへ戻られたし!」

 この呪文を口にするのはだんだん慣れてきたが、やっぱり抵抗感がある。気恥かしいのだから仕方が無い。
 啓介の声とともに、海の下から丸い光の玉が浮かび上がった。光の玉は手の平に乗る程の小ささで、ふわりと啓介の前で揺れると、広げた本のページへと水滴のように落ちる。

 フォワワン

 不思議な旋律が響き、白い紙の上に光のさざ波がたった。やがて光は消える。
 啓介は無言でページをパラパラとめくる。三ページ目に、深い海の底、岩石の間にいる二枚貝の絵が描かれている。絵の貝からは、時折光の泡が出て、絵の海の海面へとのぼって消えていく。不思議な絵だ。見ていて飽きない。

「ケイ殿!」

 本の絵に見とれていたら、横からフランジェスカが驚いたように名前を呼んだ。
 何かと顔を上げると、目の前に光の玉が浮かんでいた。ぼんやりと青みがかった、温かみのある青い光だ。
 光はふわりと揺れる。

 ――解放してくれてありがとう……

 遠くから響くソプラノの声が空気を震わせる。そして、青い光の玉は海の向こうへと飛んでいき、太陽の光にかすんで見えなくなった。
 啓介はぽかんとそれを見つめ、ややあってフランジェスカに問う。

「――見た?」
「……ああ」

 フランジェスカは微苦笑とともに答える。
 その返事に、じわじわと嬉しさが沸き上がってくる。

「おっしゃあ! 幽霊の次は魂見たぞ! 今日はなんてついてるんだっ!」

 ガッツポーズをして、勢いあまってジャンプする。

 ――おい、ワシの背の上で暴れるな。全く、あんな残留思念を見て何が楽しいのやら。あの童以上に愉快な小僧じゃな。

「ありがとう! 楽しい人間って言われると嬉しいよな」

 ――………。クロイツェフ様、この少年、大丈夫なのですか。

「変わった子どもだろう。害はないから大丈夫なのではないか。我も楽しいぞ」

 ――……左様ですか。

 疲れたように頭を振る龍。
 傍観者に徹すことに決めたリコは何も騒ぎたてなかったが、そんな龍を同情の眼差しで見ていた。

 ――ふう。まあよいわ。これであの残留思念は天に召されるじゃろ。面倒事がなくなって、ワシはほんに助かる。

 啓介達を見下ろす龍は、口元を歪める。笑っているようだ。見る者が見れば邪悪な笑みである。

 ――クロイツェフ様、感謝いたします。少年、ありがとう。さて、と。陸まで送って差し上げよう。波静めの貝が消えたゆえ、そのうちここいらは荒れてくるじゃろうからな。

「そうなの? 大丈夫かしら……」

 リコが聞き捨てならないと身を乗り出す。

 ――人間の船乗りなら、逆に楽しみそうなものじゃがな。凪にはまらないだけマシと言い出しそうな気がするがのう。

 リコはしばし押し黙り、誰か知り合いを思い浮かべたのか重々しく頷いた。

「……そうね、そんな気がしてきたわ」

 龍はカカカと笑う。それにつられてリコも笑い、啓介達も笑みを浮かべた。

「じゃあ帰りましょう! 早く帰らないと、船長からの小言が増えそうだし、サマルさんの溜息が増えそうだもの」

 言葉に反し、リコの笑顔は快活だった。信頼している仲間に向ける笑みそのものだ。

「そうだね。俺もシュウが心配だし、早いとこアストラテに向かおう」

 啓介の言葉とともに、龍は海を泳ぎ出した。
 その日以来、幽霊船が姿を現すことはなくなり、どこから聞こえるか分からないセイレーンの歌声もまた、聞こえることはなくなった。

 この二つの話はやがて伝承になり、御伽話おとぎばなしと変わって人々の間を語り継がれていくのだが、それはまだ誰も知らないことだった。
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