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本編
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しおりを挟むちょうどパスリル王国の王都から見て北西に位置するリエッタ草原は、王国から見れば辺境になる。
それは、永久青空地帯と呼ばれている、霊樹リヴァエルの浮かぶ一帯の真下に位置するクラ森が、どこの国にも属していない無干渉な土地だからだ。否、誰も支配することが出来ない、という方が正しい。クラ森にはモンスターが多く棲み、討伐隊を出しても苦戦するばかりで、運良く奥地に踏み込んだとしても、方向を見失い入り口に戻ってしまうせいだ。
だから、パスリル王国やクラ森の西側に位置する二つの国は、そこを領地とするのを諦めた。誰も手に入れられないのだから、放置しておいても問題無いというわけだ。
そして、モンスターの多い森の近くに居を構えようと思う酔狂な者もおらず、王国の西北には空っぽな草原地帯が広がっていた。加え、王都から見て北部に位置する銅の森にもモンスターが多く生息している為にほぼ手つかずで、しかも人は近寄らず、それを良しとした人嫌いなエルフの住処になっている。
「エルフというのは、妖精族のうちの一つの種族だ。姿は人間とそっくりだが、耳が長く、皆、総じて見目が良いので有名だ。争いを好まず僻地の森の中に住む、魔力が高く長命な民族だ。二十歳を過ぎると成長が止まり、長い者では五百歳まで生きるのだという」
エルフってどういうの? と問うた啓介に、フランジェスカはとつとつと語る。そこまで説明すると、「ただし」と置いた。
「ただし、非力な一族であることでも有名だ」
「非力?」
啓介はオウム返しに言葉を漏らす。だいたい自分の知識と似たような説明だが、違う点があったせいだ。
「そうだ。だから、魔動機と呼ばれる、魔力を用いて動く便利な道具を作りだし、それを用いて生活を楽にしているそうだ。私も実際に彼らに会ったことはないから、聞いたことしかないが、魔動機を用いて外部と行商することもあるそうだ。とはいえ、基本的に余所者嫌いで、取引すること自体が稀らしい」
「へえ、面白そうだな」
啓介はまだ見ぬエルフに会うことを夢見て目を輝かせる。物語の中の種族が、実在している。それだけで、不思議大好きな性分にはたまらないものがあった。
「……お前ら、もう少しゆっくり歩けよ!」
急に後ろから修太の怒鳴り声がした。
話していたフランジェスカと啓介は、ずっと遠くから聞こえた声に驚いて振り返る。
実際、修太はずっと離れた所にいた。ぜいぜいと肩を上下させながら、膝に手を当てている。
「シューター、遅いぞ。キリキリ歩け」
修太に容赦なく言うフランジェスカ。しかし修太は怒鳴るように返す。
「てめえらより俺のリーチは短いんだ! 同じように進めるわけねえだろうが!」
「あ、悪い……」
啓介は苦笑いを浮かべる。修太の年齢が啓介よりも若返っていることをすっかり失念していた。中学生と小学生では、確かに分が悪い。それに、元の年齢の時なら啓介より少し低い程度の背であったが、小学生の時の修太は背が低かった。160cmくらいだろう今の啓介の、鼻の高さくらいに頭があるのだから、一目瞭然だ。
修太は若干ふらついた足取りで、ゆっくりと二人の元までやって来る。右手を、目を覆うようにして押し当てながら、荒い息をしていた。そんなにきつかったのだろうか。
「なんだ、貴様、また具合が悪いのか?」
が、フランジェスカがそんなことを口にしたので、啓介は目を軽く瞠る。
「え? シュウ、調子悪いのか?」
「この身体になってから、ときどきな。お前も若返ったんだから、少しは調子悪いんだろ?」
「いや……、特に悪くはないけど?」
「……なにぃ」
フードの下から見える修太の口がへの字に曲がった。自分だけ不調という事態が気に食わないみたいだ。
「ちょっと待て。なんだ、若返ったとは?」
修太の言葉を拾い、フランジェスカが聞き捨てならないと口を挟む。それには啓介が説明する。
「……道理でガキの割に大人びていると思った。貴様、本当は十七なのか」
「俺もですよ、フランさん」
「ケイ殿くらいの年齢では、しっかりした者も多いので違和感はないぞ」
「そうなんですか?」
へえ、そんなものなのか。文明レベルがどのくらいかは分からないが、騎士がいる当たりヨーロッパの中世レベルと考えても、確かにその時代で十五歳ならば十分な働き手だろう。しっかりしていてもおかしくはない。
瞬時にそう判断を下し、一人納得する啓介。
「あんだよ、若返ったせいで具合悪いのかと思ったのに……」
修太が不満げに呟く。
修太は大食いなせいか体力も人一倍あるタイプだ。風邪で寝込むこともほとんどない。だから、余計にこの事態が慣れなくてイライラするのだろう。
幼馴染である啓介でさえも驚いている。修太の具合が悪いというところが全く想像つかない。
だから、心配半分、好奇心半分という気持ちで、修太のフードをひっぺがした。
「……! お前、めちゃくちゃ顔色悪いじゃないか!」
実際に見て、心の底から驚いた。日本人らしい黄色みがかった肌が今では白く見える程に血の気が引いている。
「うるせえ。大声出すな」
それでも眉をひそめて苦言を漏らす辺りは修太といった感じだ。修太はフードを被り直すと、ふいと顔をそむけ、ゆっくりではあるが歩きだす。
「待てよ、ちょっと休んだほうが……」
「この程度なら我慢できる。いちいち休んでたら日が暮れるし、あの団長に追いつかれて、また斬られそうになるのはごめんだ」
冷静に、だが物凄く嫌そうに返されては、啓介も休むようにすすめられない。
どうやって止めよう。考えを巡らした時、フランジェスカが舌打ちをし、修太の前に立った。そしてその右肩を片手で軽く押した。あっさりその場に尻餅をつく修太。
「少し押された程度で倒れるのなら、休め。こんな所でぶっ倒れられるほうが迷惑だ」
「…………」
フランジェスカの言葉に、確かにそうだと思ったのか、ややあって頷く修太。すごく悔しそうに「分かった」と呟く。それを見て、啓介はほっとした。フランジェスカをちらりと見、軽く頭を下げると、彼女は小さく頷きを返した。
修太が地面に座ったので、その近くに啓介とフランジェスカも座る。
そして、フランジェスカは何を思ったのか、マントの中でごそごそと荷物を探る仕草をし、背負っていたらしい鞄を傍らに置いた。中からコップを取り出し、魔法でもって水を出して汲む。
無言のまま修太にコップを突き出し、修太は修太で複雑そうにコップを見つめ、礼をぼそりと呟いて受け取った。
「シューター、お前、そういえばあの荷物の山はどこにしまってるんだ?」
「あれか? この指輪だよ。旅人の指輪っていうらしい」
二人の話を聞いて、啓介は自分も指輪をしていることを思い出した。左手の中指に、銀製のごついリングの真ん中に、十字型の水晶がはまったものだ。
すっかり忘れていたのだが、修太が言うように使ってみて、感激した。
「ドラ○もんの四次元ポケットならぬ四次元指輪だな! おもしれえ!」
そして、休憩の間、しばらく荷物を出し入れして遊んだ。荷物の中身は修太と同じだった。
その様をフランジェスカは微笑ましげに、修太は呆れたように見ていた。
「許容量がないとは素晴らしいな。ケイ殿、すまないが私の荷も預かってくれないか?」
啓介から指輪の説明を聞いたフランジェスカは少し考え込み、おもむろにマントを脱いで畳むと、荷物を纏めてからそう頼んできた。断る理由もないので、啓介は快諾して鞄とフランジェスカが着ていたマントを預かる。
――そして。
「では、荷もなくなったことだ。シューター、お前、私の背に乗れ」
「は?」
赤茶色の短衣と黒いズボンと頑丈な造りの革のブーツという動きやすい姿になったフランジェスカが、修太の真横に背を向けてしゃがみこんで言った。それに対し、修太は目を白黒させた。奇妙なものを見るように、フランジェスカの背を見つめている。
「この調子で休憩していては、確かに日が暮れる。日が暮れては、私はモンスターの姿に変わってしまう。日が暮れるまでは、私が運んで距離を稼ぐと言っているのだ」
なかなか背に乗らない修太に、フランジェスカは面倒臭そうに言う。
「いや、でも、女に背負われるなんて……」
ごにょごにょと呟きながら首を振る修太。
啓介は修太の気持ちがよく分かった。幾ら子どもの姿とはいえ、女性の背に乗って移動など、男としてはやるせないものがある。
「フランさん、俺がシュウを背負うから、勘弁してやって」
啓介がやんわりと口を挟むと、フランジェスカは首を振る。
「駄目だ。体格差と体力面を考慮すると、私が運んだほうが早い。性別は確かに女だが、私は剣聖の名を持つ軍人だぞ? そこらの子どもが出る幕ではない」
「う……」
そこまで言われては、啓介も引き下がるしかない。ごめんというように手を合わせるのが見えた。啓介は悪くないから、修太は怒る気はないのだが。
フランジェスカは更に修太に言う。
「貴様を背負って歩くくらい、背嚢を背負ってノコギリ山脈を踏破するより遥かに楽だ。いいから、とっとと乗れ」
「いやいやいや」
「安心しろ、これは貸し一つにしておいてやるから、後で返してくれれば問題無い。……早くしないと、横抱きにして運ぶぞ」
この言葉が決め手だった。
「分かった! 乗るからやめろ!」
修太は焦ったように叫び、実行される前にと背負われることを受け入れた。
にやりと笑うフランジェスカは、何をされると嫌がるかを心得ているようだ。悪役の笑いが似合いすぎて、むしろ格好良い。
「――軽いな。子どもにしても、もう少し重いものだと思うが」
「黙れ。それ以上言うな。男に軽いは禁句だ……」
「そうかそうか、禁句か。シューター、貴様、軽すぎだ。もっと飯を食え」
「言うなって言ってんだろうがーっ!」
うなだれる修太の言葉に、むしろ嬉々として「軽い」を強調し始めるフランジェスカ。それにブチ切れる修太。
啓介は二人の様を見て、うんうんと一人頷く。
(やっぱり仲良いと思うな)
そう微笑みながら、フランジェスカの隣に並んで歩く。
鈍い啓介には、フランジェスカの嫌がらせという名の精神攻撃と、それへの修太の抵抗っぷりが、「喧嘩するほど仲が良い」という構図に見えるのだった。
*
全く、人生というのは不思議なものだ。
モンスターの仲間と信じ、〈黒〉の殲滅すら願っていたのに、午前中に森の主と会っただけで考えががらりと変わり、今ではその〈黒〉を背負って歩いている。しかも異界の民だ。
昨日までの自分だったら、まず間違いなく化け物と呼んで切り捨てていた。
だから、不思議だとつくづく思う。
(しかし、この具合が悪いのは何なのだろうな? 国を越え次第、一度医者に診て貰ったほうが良いかもしれぬ)
パスリル王国内では間違っても医者には診せられない。しかし、修太が何か悪性の病気だった場合、フランジェスカや啓介にもうつる可能性がある。
背嚢よりはずっと軽い子どもを背負ったまま、考えを巡らせる。
最初こそフランジェスカの嫌がらせに――大人げないと言われても知るか。〈黒〉を除いても、このガキとは合わない――怒っていた修太だが、三十分が過ぎた今ではぐったりしている。空元気もほどほどにしておけと言いたい。体調管理は旅人にとって基本中の基本だ。
「だだっぴろい景色だなあ。感動だ。あ、ウサギに角生えたのがいる。あれってモンスター?」
軍の行軍レベルの速度で歩いているのだが、啓介は余裕でついてくる。子どもにしては体力のありようが素晴らしい。しかも、呑気に周りを見回して、質問してくるくらいだ。
自分のペースで歩いてみて、啓介が辛そうだったらそれに合わせるつもりでいたので随分楽だ。
「あれはホーンラビットだ。比較的大人しい種類ではあるが、突進されて腹に角が刺さったら致命傷になるから気を付けろ」
「可愛い顔して怖いな……。見てるだけで襲ってこないからいいけど」
そう。
さっきからモンスターを見かけるが、モンスターは自分達の縄張りに入って来た人間を襲うこともなく黙認しているようだった。
〈黒〉がモンスターに襲われないというのは本当らしい。こういうことばかりで、まだ一度もモンスターの襲撃に遭っていない。普通なら、三十分も歩いていれば一頭か二頭には襲われるものだ。モンスター討伐数が減るとフランジェスカの剣の腕が落ちそうだが、危険なモンスターとの戦闘は出来るだけ避けたいから好都合だ。
「銅の森までは、どんなに急いでも徒歩では三日かかる。このペースで辛かったら言うのだぞ」
「平気平気。一時間連続ジョギングコースより楽だから」
「じょぎんぐ、とは?」
「え? ああ、ゆっくりでの長距離走だよ。俺の通ってる剣術道場ではさ、基礎トレーニングで走り込みさせられるんだよなあ」
しかもさぼったら次回の稽古ですぐにばれるから、手が抜けないんだ。そう言ってカラカラと笑う啓介。
森の中でのユーサ団長との向かい合いといい、腕はありそうだとフランジェスカは見当をつけた。まあ、フランジェスカのレベルには及ばないが。ユーサ団長は魔法の腕ならフランジェスカより上だが、剣術はフランジェスカより劣るのだ。剣術レベルなら団長に届くかもしれない。
「そうか、それなら安心だ。今度、手合わせしないか……?」
とはいえ、剣士としての心がうずく。
啓介は能天気そうな笑みを消し去り、真剣な目でフランジェスカを見た。不敵な笑みを浮かべる。
「いいですけど、真剣でやりあう気はないですよ?」
「ああ、私もその気はないから安心しろ」
フランジェスカもまた、にやりと笑みを返した。
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