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本編
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しおりを挟む修太が茨のカーテンに触れた瞬間。修太は自分の中で何かが動いた気配を感じた。何だろうと思った時、道を塞いでいた茨が静かに開いた。まるで自動ドアみたいだ。
驚いて固まった。同時に、肩にひどい疲労感を感じる。
また具合が悪くなってきたみたいだ。
けれど、気分の悪さは頭を振って振り払い、すぐに花畑へと足を踏み出す。
青い薔薇を踏みつけて花畑の奥へと歩きながら、修太は苦笑する。青い薔薇には奇跡という花言葉があると聞いたことがある。ということは、修太がしていることは奇跡を踏みつけにしているということになる。罰当たりもいいところだ。
近づいてみると、森の主の美しさが鮮明になった。
(うわあ、人形みてえ……。ちょっと怖いな……)
美しすぎて怖いというのは、こういうことなのか。
――〈黒〉よ、薔薇を摘んで、その花弁を森の主の口に押し込んで下さい。
「わ、分かったけど……。押し込むって、あんたな」
もう少し言いようがないのか。一応、上司だろうに。
修太は足元に咲いている青い薔薇をつむと、花の部分だけに分解する。
そして、恐る恐る森の主のあごをつかんで引き、空いた口の隙間に花弁を押し込んだ。
なんかもうほんとスイマセンという気分だ。
顎を押して口を閉めた瞬間、森の主はパチリと目を開けた。オレンジがかった黄色い目が鮮烈な印象を修太の目に植え付ける。
そして、森の主は飛び起き、
――いやあああ、から――――い!!!
悲鳴じみた声で叫んだ。
「!?」
唖然とする修太の前で、巨大な赤い薔薇の蕾ごと花畑をのたうち回る。
―― 辛い! 辛い! 水! 水はどこぉ――――っ
慌てふためいて、涙目で周囲を見回している森の主からは、尊厳はまるっきり感じられない。それどころか人間めいて見える。
――森の主よ。どうぞ、水です。
花畑の手前で、水を入れた大きな葉の器を頭に乗せているオデイル。いつの間に用意したんだろう。
――オデヒルゥ、うわあん!
涙目から涙が決壊し、ぼたぼたと涙を零しながらオデイルの元にすっとんで行き、器を受け取って呑み干す森の主。
ボスモンスターの態度に、剣に手をかけることも忘れてあんぐりと口を開けているフランジェスカ。啓介もぽかんと目を点にしている。
修太は修太で、青い薔薇って辛いんだ? と、唖然と思っていた。
――ありがとぉ、オデイル。
涙目で礼を言う森の主に、オデイルは返す。
――森の主、礼はわたしではなくあの方にお願い致します。
――え?
振り返った森の主は、修太を認めて目を丸くする。
――まあ、〈黒〉ではないの! なんて久しいのでしょう!
両手を組んでふんわりとした笑みを浮かべる森の主は、ようやく威厳ある姿に見えた。腰の下から生えている薔薇の花は、茎がなく、ふわふわと宙に浮かんでいる。
――ありがとう、〈黒〉の子。起こしてくれたことも、ここにいてくれることも。あなたがいれば、わたくしは闇堕ちせずに済みます。
「闇堕ち?」
耳慣れない単語だ。
――わたくし達モンスターは、世界中に漂う毒素を喰らうが使命。喰らいすぎれば意識は消え、闇へと落ち、ただ暴れるだけの凶暴な魔物に成り果ててしまうのです。それを止め、意識を戻すことが出来るのは〈黒〉だけ。
わたくしは自ら眠りにつく前、闇に堕ちる寸前でした。モンスターを束ねる者として、それだけはあってはなりません。
「それで眠ったのか?」
――ええ。そして運が良いことに、ここには〈白〉もいる。
「へ? 俺?」
きょとんと目を瞬く啓介。急に森の主が啓介を見たので、驚いたようだ。
――毒素を浄化出来るのは、〈白〉だけ。そなたからは悪意を感じませぬ。どうかわたくしの身に降り積もった毒素を浄化してくれませんか?
「そう言われても、浄化ってどうすりゃいいんだ?」
森の主はクスリと微笑む。すーっと宙を滑り、啓介の前に降り立つと、右手を差し出す。
――わたくしの手を取り、わたくしを助けたいと思って下されば、それで術が発動すると思います。
「そんなことでいいのか?」
啓介は不思議そうにしながらも、森の主と握手をし、祈るように目を伏せる。すると、繋いだ手が光り始め、そのまま白い光は森の主の身体全体に移る。そして、赤い薔薇から黒い光の粒子が弾け飛び、空中に溶けて消えた。光も止む。
――ありがとうございました、〈白〉
啓介は光った手を凝視していたが、森の主が礼とともに手を離すと、飛び上がらんばかりに喜びだす。
「すげー! 魔法だ! 俺は今、未知の体験をしてる! シュウ、見てたか? 見てたよな? 証人がいるぞ。ひゃっほー!」
そして花畑に飛び込んできて、修太の所まで来るや、嬉しげにバシバシと修太の肩を叩きだす。
「ああもうっ落ち着け、この野郎! 叩くな! 騒ぐな! じっとしてろ、ボケ!」
叩かれている側としては腹が立つので、仕舞いには鳩尾に一撃お見舞いして黙らせる。
腹をおさえてうずくまった啓介は、うらみがましい目で見てくる。
「うーっ、ひでえよ修太」
「俺は騒がしいのは嫌いだ」
「自己中めぇ」
付け足された文句には、ふんと顔を背ける。俺が腕や肩や背中を叩かれるのが嫌いなことを知ってて叩いてくるお前が悪い。
それに、啓介よりも気になっていることがあった。
「おい、オデイル。お前、啓介がいなかったらどうしてたんだ? 森の主を起こしても、闇堕ち? とかしてたら意味がねえだろ」
―― 一時的でも良かったのです。下位モンスターが暴れている上、ふもとの村まで眠りの呪いが感染しておりましたから。
森の主は驚いたように身を揺らす。
――まあ、眠りが感染しているとは本当なの、オデイル。
――そうです、森の主。あなた様が眠りについたことで、茨が暴走したのだと思います。
――それはいけませんね。
森の主は微かに眉を寄せ、手を祈るように組む。しばらくそのままじっとしていたが、ややあって頷いた。
――確かに、あれは茨の作用ね。さあ、あなた達。風に乗り、眠りにつきし人間達の元へ舞い降りなさい。
花畑の中で両手を軽く広げて呟くと、青い薔薇の花は頭だけ取れて空中に浮かびあがり、そのままどこかへと飛んでいった。
――これで良いでしょう。ところでオデイル。森に人間が入り込んでいるようですが、それはそこの娘と関係があるのですか?
森の主が見たことで、傍観していたフランジェスカの顔に警戒が浮かぶ。
――あの女は、侵入者の仲間ですが、今ははぐれ騎士のようです。恐らくは月光の呪いの為に人の中に戻れないのでしょう。パスリル王国の民はモンスターを嫌っていますからね。
オデイルは淡々と答え、ちらりとフランジェスカを見る。そして、仕方なさそうにフランジェスカの事情を話した。
――なるほど、宝石姉妹の一人に呪いをかけられたのですか。緑柱石は仲間思いと聞きます。とはいえ、手下が暴れているのに放置していた緑柱石が悪い。彼女も闇堕ちに近いのではないでしょうか。……不味いですね。最近ではオルファーレン様の加護が薄れ、わたくしですらこのザマでしたから。
そこにオデイルがオルファーレンのことを話すと、森の主はいたわしそうな表情を浮かべる。
――オルファーレン様はそこまで弱っておいでなのですね……。しかし、稀なる異界の迷い子とは……。帰る地を失くすなど、哀しいことです。
本気で哀しげに瞳を揺らす森の主を見て、修太と啓介は反射的に首を振った。
「別にあんたが気にすることじゃないよ。だから泣くな。泣くなよっ、なっ?」
「そうっすよ。俺はオカルトツアー出来て嬉しいし。家族と会えないのは辛いけど、それにも増して不思議体験の方が楽しそうだし」
「てめえは黙ってろ。俺はオカルトは真っ平だ」
「シュウはグルメツアーにしときゃいいだろ」
「……それは、いいな」
「………いいのかよ」
思わずごくりと唾を呑んだ。見たこともないおいしい食べ物を想像したら、今から腹が減ってきそうだ。
冗談で言ったのだろう、啓介は半眼で突っ込んでくる。
――ふふっ、二人とも優しいのですね。では、後で茨を回収されて下さいませ。あの尊き方の命ならば何者にもかえられません。
「うん、分かった。ありがとな」
「ありがとうございます」
二人して頭を下げると、森の主はまた微笑んだ。それからフランジェスカに視線を戻し、少し考えこむ仕草をする。
――話を戻しますが、夜にまつわる呪いは本人にしか解けません。ですが、彼女は宝石姉妹ですから、方法は無いことはない。
「本当ですか! 森の主よ!」
すがるような視線を向けるフランジェスカを、しかし森の主は冷たく一瞥する。
――ですが、わたくしはパスリル王国の民は嫌いです。聖域を汚す愚か者の多いことといったら、我慢なりません。ここはオルファーレン様のおわす霊樹リヴァエルのふもと。嘆かわしいことです。
「…………」
フランジェスカは、今ではここが魔の森ではないと思っていた。魔の森の主が、こんなに透明で澄んだ空気を纏っているとは信じられない。
元はフランジェスカですら魔の森と思っていたのだ、同胞を恨むわけにもいかない。どうしようもなくて諦めかけたところで、森の主は優しく微笑んだ。
―― 知恵を授ける代わりに、条件があります。あなたは剣聖の名を持つほど腕が立つそうですから、断片の使徒たちの護衛として共に旅をして欲しいのです。どうですか?
フランジェスカは目を瞠った。同時に修太もぎょっとする。
「待った! 俺は困る。そいつうるさいし好きじゃないんだ」
思わず本音を暴露すると、案の定フランジェスカに睨まれた。
――〈黒〉の子。あなたは魔法を全て無効化出来ますし、鎮静の力を持つためにモンスターには襲われません。しかし、武器を持った人間に対しては無力なのです。あなたのような力の強い〈黒〉は珍しい。それゆえに、付き纏う危険も大きい。あなた方はここでの在り方に慣れていない。何を注意すべきかも分からない。そんな状況がわたくしには不安でなりません。
非のうちどころがない正論だった。
修太は押し黙る。
――それに、これはその娘の為でもあるのです。
「え?」
びっくりする修太に、森の主は言う。
――ただの人間が、半年もの間、夜毎訪れる闇堕ちの恐怖を耐えきったのは称賛に値します。大半の者は一月ももたず、狂うか自刃しているはず。それなのに、意識をしっかりと保ち、こうして生きている。あなたはよくやっています。とても辛かったでしょうに。
森の主のやんわりとした眼差しを受け、フランジェスカの顔が歪む。そのまま俯いて、肩を震わせた。
「………っ」
声を漏らすまいと歯を噛みしめながら、無言で泣く。
今までの苦労が、恐怖が、優しい言葉により溢れだす。理解者を得たことへの、紛れもない安堵だった。
――〈黒〉は毒素に侵されたモンスターの荒れる心を鎮め、意識を引き戻す。その近くにいれば、闇堕ちの恐怖を忘れることが出来る。
修太は静かに泣いているフランジェスカを唖然と見ていた。
この口も態度も悪い通り魔女が、そこまで精神的に追い詰められているとは思わなかったのだ。
「わ、私は、誓います。彼らをこの剣で守ると。あなた様はお優しい。聖域と知らず土足で踏み込んだ私を、私の心を、救おうとして下さる……」
フランジェスカはつっかえ気味に言葉を紡ぐ。その言葉には、もう、森の主への侮蔑は含まれていなかった。
――よろしいですか? お二方
「俺は良いよ。頼りになりそうだし」
呑気に笑って答える啓介。修太も渋々頷く。ここまで聞かされて断る程、修太は狭量ではない。
「分かった。好きにしろ」
二人の答えに、森の主はにっこりと微笑む。
――許しも出たことです。あなたに呪いを解く為の知恵を授けます。心してお聞きなさい。
「はいっ」
フランジェスカは大きく頷く。
――あなたに呪いをかけたのは宝石姉妹の一人と言いました。エレイスガイアには、同じ顔をした、けれど髪と目の色と服装と性格が異なる、宝石の魔女が他に四人います。宝石姉妹の中でも、温和な気質をしている柘榴石の魔女を探しなさい。姉妹ですから、あの方なら、もしかしたら呪いを解けるかもしれません。あくまで可能性がある、という程度ですが。
「あんな魔女があと四人もいるのですか……。それも同じ顔をしているとは。ありがとうございます、森の主様。その方を探してみます」
フランジェスカはその場に膝をつき、頭を垂れて騎士の最大の礼をとった。本来なら、騎士が頭を下げるのは仕えている王族か軍の上官だけだ。だから、これをモンスターにしていると仲間に見られたら、侮辱罪で処刑されてもおかしくなかった。
けれどフランジェスカに出来るのは、これくらいだった。彼女なりの最大限の敬意だった。
森の主はそれを見て僅かに目を瞠り、ややあって淡く微笑む。
――ありがとう。あなたの気持ち、十分に伝わりました。使徒達を頼みましたよ。
「はっ。我が命は王に捧げている為に捧げることは敵いませんが、命の次に大事にしているこの剣に誓わせて頂きます!」
そして顔を上げたフランジェスカは、憑き物が落ちたように晴れやかだった。
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