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本編
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しおりを挟むまったく、なんて妙なガキだ。
フランジェスカはイライラしながら剣で薮を切り払う。
とんだ無知だし、持っているものは妙な品だし、〈黒〉だから存在そのものが腹が立つし。その癖、着ている服には魔法陣が刺繍されているから、育ちが良いのだろう。それで常識知らずというのが意味が分からない。
『クラ森に行きなさい。そこであなたの運命を変える出会いがある。きっと良い道へ繋がるわ』
我がおぞましき呪いを知って尚、態度を変えない心優しき友エレノイカの柔らかな声が耳に蘇る。
だが、エレノイカよ。これではあんまりではないか。
何故、その森で〈黒〉の子どもを見つけなくてはいけないのだ。抹殺すべき悪魔の使いだろう?
実際に殺そうとした時、不運にも夜が来てしまったせいで手を下せなかった。
だからといってその存在が許せるはずもない。モンスターの姿のまま襲いかかったが、あっけなくいなされた。しかも、血に飢えた殺人鬼や通り魔などと屈辱的な言葉を浴びせられた。我慢ならなかったから、また飛びかかったが、無視され、相手にもされなかった。
子どもは誰かを探しているようだった。今ではすっかり良くなっているが、昨日は顔色が悪く、ふらふらとした足取りで森を歩きながらも、足を止めなかった。病気なのかもしれない。
病気だろうが子どもだろうが、白教において悪魔の使いとされている〈黒〉を野放しには出来ない。幾らモンスターになり下がろうと、フランジェスカの騎士としての矜持がそれを許さなかった。
だから、子どもに無視されても、フランジェスカは子どもを追いかけた。
朝になり人に戻った時、子どもの命を奪えるように。
――だが、どういうわけだろう。子どもの側にいると、心穏やかでいられた。
夜が来るのが怖い。
我が身にかけられた、月光の呪いの為に。
夜のフランジェスカはただのモンスターだ。ポイズンキャットという名の、悪魔の猫。
声を出しても言葉にならず、人々には侮蔑と呪いの言葉を投げかけられ、時には命を狙われる。
だが、フランジェスカが恐ろしいのは忌み嫌われるモンスターに変わってしまうからではない。
モンスターになって分かったことは、モンスターは空気中に漂う黒い靄を餌にしているということだった。
それを見れば喰らわずにはいられない。
そして喰らえば喰らうほど、思考が鈍り、闇に落ちていく。
夜は恐ろしい。
自分が自分でなくなる恐怖。
朝、気付けば覚えの無いモンスターの血肉を喰らっていたこともあった。
そして、恐れおののく度、緑の瞳を思い出す。
『愚かな剣士。
私の可愛い使い走りを殺した罪を、とくとその身で贖いなさい。
命はとらない。それで済ますには安易すぎる。
夜になる度、悔いて、恐れて、絶望するといい。
お前にとって月の光が恐怖となることを、私は心の底から祈っているわ』
あの半年前の晩。淡い月の光の中、緑柱石の魔女は高らかに笑っていた。
魔女の大事な子飼いのモンスターをフランジェスカが討伐した、その仕返しだった。
夜の間だけモンスターになる呪い。フランジェスカはその呪いを解く術を探している。昼間は人間であるけれど、パスリル王国王立騎士団の第三師団に所属する身でありながら、一人旅をしている。騎士団に戻れはしなかった。モンスターを忌み嫌う騎士団では、助けを求めても殺される確率の方が高かったからだ。
だから、元に戻る手掛かりがあれば何でも良かった。例え友の占いだろうとも、探す当てがないよりマシだ。何かをしていなければ、気が狂いそうだったのだ。
夜が怖い。
知らない間に人を襲うモンスターと成り果てているかもしれない。
友を、仲間を、家族を手にかけていたらと思うと、どうかなりそうな自分がいる。
しかし、〈黒〉の子どもとともにいた昨晩だけは、空気中に漂う黒い靄を喰らっても、意識が霞みそうになることはなかった。
フランジェスカは呪いを受けてから半年ぶりに、初めて安穏とした夜を過ごした。私が私でなくなる恐怖を感じないのだ。
フランジェスカは思案した。殺すのはいつだって出来る。せめて、エレノイカの言う出会いがコレなのかを確認するまで、生かしておいた方がいいかもしれない。
らしくもなくそんな考えを抱いてしまったのは、思ったよりも心が疲弊していたせいかもしれない。モンスターの姿でいる時は、必ずといって呪いの言葉を吐かれていたから、邪魔扱いするだけで罵倒しない子どもの反応は新鮮だった。
(む?)
ふと気付くと、後ろから足音が聞こえくなっている。フランジェスカはハッと振り返る。もしやあのガキ、隙をついて逃げたか?
「貴様、逃げようなどと……」
言いかけて、言葉を切る。
子どもは離れた所にある木の幹に寄りかかり、額に手を当てて、じっと目を閉じていた。
フランジェスカは眉を寄せる。
まただ。
この子ども、やはり病気なのか。
「子ども、貴様、病持ちなのか?」
子どもは閉じていた目蓋を持ち上げ、黒曜石のような黒い目でフランジェスカを見る。
「知らない。ここに来てから、このザマだ。さっきまで調子良かったのに、また目眩がしてきた。くそっ」
忌々しげに毒づく子どもは、思い通りにいかない身体にイラついているらしかった。
「啓介を見つけなきゃなんねえのに」
「そのケースケとやらが、そんなに心配か?」
「幼馴染だ、当たり前だろ。無事かどうかも不安だけど、それより怖いのが、知らない間に厄介事を増やしてないかってことだ」
子どもの探し人は、子どもに何かしら厄介を持ちこんでくるらしい。
フランジェスカは無言で子どもを見やる。この子ども、見た目は十二程度の子どもなのだが、ときどき妙に言動が大人びているし、落ち着いた空気を漂わせている。それが〈黒〉である以上に子どもを謎めいて見えさせた。
「貴様、いったい……」
急に得体の知れないものを前にしているように思え、フランジェスカが誰何しかけた時、子どもは顔を上げた。
「啓介? 啓介、どこだ!」
耳を澄ませば、微かに誰かの名を呼ぶ声が聞こえてくる。それに応え、子どもは叫ぶ。
すると、子どもの声に気付いたらしい誰かの声が近づいてきて、そして、二人の前に〈白〉の少年が薮を突っ切って現れた。
「シュウ! やっと見つけたーっ! って、……あれ? シュウだよ、な?」
何故か互いを見て、固まっている二人。
「塚原修太であってる?」
もう一度確認する少年に、子どもは頷く。しかし、どこか戸惑った様子だ。
「お前、誰だ? 何で俺の名前を知ってる?」
「春宮啓介に決まってんだろ」
「嘘つけ! 啓介はそんなださい見た目してなかったぞ!」
「うるせえな! 俺だって好きでこんな見た目してるんじゃねえよ! 起きたら、全体的に白くなってたんだよ。俺の方が気持ち悪いんだからださいって言うな!」
開口一番に怒鳴り合う二人。
叫んで落ち着いたのか、少年はにやにやと笑い、手でポンポンと子どもの頭を叩く。
「っつーか、修太君よう。なんだこの身長。ぷぷっ、前も小さかったけど、まるっきりガキじゃん。小学生……ぐほっ!」
「今はともかく、前も? 聞き捨てならねえな」
少年の鳩尾に一撃をお見舞いしてから、子どもは凄んで指の骨をバキバキと鳴らす。
「だいたい、なんだ、お前はそんなに変わってねえんだな。中坊くらいか? ムカつく」
「いいじゃん、俺までガキになってたら、きついだろ? なんかさ、この森ってモンスターが出るから危ないらしいんだよ。危なくなったら、俺がどうにかするから安心しとけって」
少年は快活に笑って、腰の後ろに装備しているフリッサを示す。
すると子どもの顔が仏頂面になった。
「俺だって喧嘩くらいなら出来る。つうか、なんで武器を持ってんだ? 俺は手ぶらだぞ? それにモンスターってどういうことだよ」
「さあ。俺も見たことないから知らねー」
少年はあっさり返し、子どもに茨の呪いの話をし始めた。全くといってフランジェスカの存在には気付いていない。
「貴様、探し人に会えたのなら、私にも紹介するのが筋じゃないのか?」
むっすりと口を挟むと、完全に忘れていたらしい子どもはきょとんとした。
「あ? ああ、そういや忘れてたな。啓介、この人、名前忘れたけど、通り魔みたいな騎士だ」
「最低な紹介をするな! フランジェスカ・セディンだ。剣聖の名を頂いている。今ははぐれだが、パスリル王国に仕える騎士だ。悪魔の使いの探し人が〈白〉とは驚いた。貴公の名を伺いたい」
最後に慇懃に礼を取ると、子どもは唖然とする。
「うわ、何この扱いの差……」
思わずというように呟くのを無視し、フランジェスカは少年をじっと見る。
「俺は春宮啓介だ。へえ、女の人なのに騎士ってすごいなあ」
「ほんとすげえよ。殺されかけたくらいだし」
「は!?」
ぎょっと目を剥く少年だったが、そこで後ろの茂みが揺れ、ハッと振り向いた。
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