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本編
:パスリル王国辺境編: 第一話 茨の眠りよ安らかに 1
しおりを挟む「わあわあわぁぁぁ」
暗い穴の中を落下していく。終わりの見えない恐怖に、修太は手足をバタバタと振り回して叫ぶ。
「おい」
「わああああ」
「おいっ!」
怒鳴るように呼びかけられ、修太ははたと我に返る。
「え……?」
気付けば、鬱蒼と草木が生い茂る薄暗い森の中にいた。穴の中からいつの間にか地面についていたらしい。修太が手足を振り回しているのは宙ではなく草むらの上でだった。
べたっと地面に伏したまま、一気に脱力する。
――生きてる。
「おい、というに! イカレているのか、貴様」
地面にへばりついている修太の頭上で、舌打ちの音がした。少々低めであるが、この声は女だろう。
「悲鳴が聞こえるから何事かと思えば、そんな草むらで泳ぎの練習か? 泳ぐ気があるのなら、せめてそこの小川で泳げばどうだ」
皮肉を過分に含んだ言葉を浴びせてくる見知らぬ人。
修太は恥ずかしさで顔を赤くしつつ、大急ぎで起き上がる。草むらでじたばたしている亀みたいで、さぞ無様だっただろう。
とりあえず立ち上がってみるものの、視界がぶれてよろめく。咄嗟に側に生えていた木の幹に手をついて身体を支えるが、何か違和感があった。
(なんだ……? 地面が近い……?)
呆然と地面を見つめ、顔に手を当てようとして、眉を寄せる。手の平がやけに小さく見えた。
――じきに分かる。汝らは境界を越える前とは異なっている。
ふいに、オルファーレンの言葉を思い出した。
何だか嫌な予感がした。
オルファーレンの言葉の真意を確かめるべく、すぐ側を流れている小川に向かう。そして、恐る恐る水面を覗きこんだ。
「嘘だろ……」
そこに映った自分の姿に、修太は顔を引きつらせた。
子どもの姿が映っていた。修太の記憶が正しければ、小学生の頃の自分のように見える。
認めたくないけれど、オルファーレンの言っていた「蓄積時間を落とす」というのは、つまり、若返るという意味なのだろう。
肉体的なところだけなのか不安になり、自分の名前や住所、親の名前まで口に出してみたところで、不安が消える。どうやら若返ったのは肉体だけで、過ごしてきた時間に含まれる記憶や思い出は別らしい。
ほっと息をつく。
そして一度落ち着いたら、今度は自分の服装に気付いて眉を寄せた。
肩を覆うように黒いフード付きの短い丈のポンチョのようなものを着ていて、その下は深緑色の地に前面の真ん中に黄土色の布地でラインがえがかれている上着、黒い七分丈のズボンを身に着けている。そして、羽飾りが印象的な、長靴みたいな形の底の低い緑色のブーツを履いている。手には指抜きのある皮製の手袋をしていた。民族調でごちゃごちゃした服で、脱ぎ着が面倒くさそうだ。
そこまで把握して、ハッとする。
「啓介? どこだ、啓介!」
一緒に木のうろから落っこちたはずの啓介はどこに行ったんだろう。探せば近くにいるかもしれない。
そう思ったらいてもたってもいられず、啓介の名前を呼びながら周りを見回し、勢いよく立ち上がる。
「!」
が、またもや目眩がして、よろめいた。そのまま小川に落ちることを覚悟して目を閉じたが、思いがけず腕を引かれて難を逃れる。
「まったく、生まれたての小鹿か貴様。さっきから、よろよろふらふら、煩わしい奴だ」
軽い舌打ちが耳元で聞こえる。
「あ……ごめん。いや、ありがと」
見知らぬ誰かがいたことを完全に忘れていた。そのことを謝ってから、手を貸してくれたことを礼を言う。
女はふんと鼻を鳴らし、手を放す。修太はよろけたものの、何とかまっすぐ立つ。何故か足に力が入りにくく、目眩が酷かった。急に身体が縮んだせいで無理が出ているのかもしれない。そんな事態は当然のことながら初めてなので、これが原因なのかは分からないが。
女は全身を包むマントを着ていた。マントの前面には青い糸で美しい紋章が刺繍されている。そして、女にしては身長が高く、凛とした佇まいをしていた。鼻の頭まで覆う布のせいで顔は見えないが、背筋が良いのとマントの隙間から見えた長剣の為に軍人のように見えた。
「まったく、エレノイカの占いの腕も落ちたな。あの魔女の手掛かりを得られるというからこんなクラ森なんぞにまで出向いてみれば、見つけたのは小便臭いガキだ」
修太はムッとする。
「小便臭いって言うな。勝手に期待して勝手に失望されても困る。起こしてくれたのはありがたいけど、さっきから失礼だぞ、あんた」
はっきりと言い、女を真正面から睨む。
その視線を真っ向から受け止めた女は、何かに驚いたようだった。突然、修太との距離を縮めるや、がしっと両手で修太の顔を掴む。
「!」
痛い程の力で掴まれ、修太は目を剥く。
「いきなり何すっ、放せっ」
「…………」
手を振りほどこうとするのだが、女の握力は相当なもので、びくりともしない。幾ら不調といえ修太は男だから、少し矜持に傷がついた。
まじまじと修太を見つめる女の目は藍色で、恐怖を覚える程に真剣な眼差しをしていた。その目が、猫のように細くなる。
「貴様、〈黒〉か」
まるで獲物を見つけたというように、笑みを含んだ声がする。
「……!」
本能的な恐怖を感じ、修太は無我夢中で女の手を振り払って後ろに跳ぶ。
「っあ」
右肩が熱い。
草むらに尻餅をついたまま、左手を肩に這わせる。
――痛い。
「よけたか。ふん、無駄な抵抗はするな、悪魔の使いよ。痛みが長引くだけだ」
女は右手に持った長剣を静かに構える。その刃先には血が伝っている。
「アクマノツカイ? 何言って……」
女の言葉の意味は分からなかったが、女が危険だというのはひしひしと分かるので、ずりずりと後ろに下がる。
「滅せよ、悪魔! 聖女レーナ様の御許へ逝くがいい!」
女はあっさりと距離を詰めると、一切のためらいもなく長剣を振り上げた。
「――っ」
修太は腕で頭を守り目を固く瞑った。一瞬後の痛みを想像して、身を固くした。
しかし、幾ら待っても痛みは訪れなかった。
「………?」
そろりと目を開けると、女の姿は消えていた。周りを見回すが、どこにもいない。
「あれ……」
自分は死んだに違いないと思っていただけに、拍子抜けしてしまう。しかし、危険が去ったことで大きく安堵の息を吐く。
「なんだったんだ、あの女……。おっかねえ……」
右手で顔を覆い、万感をこめて呟く。
「黒? 悪魔の使い? 意味わかんねえ。なんでこんな痛い思いをしなきゃいけねえんだ」
だんだん腹が立ってきた。
身体は縮んでるは、啓介はいないは、知らない女には襲われるは。というか、肩が痛いんだよ!
左手は相変わらず斬られた右肩を押さえている。傷は浅かったようで血は大して出ていないのだが、とにかく痛い。
「フギャーッ!」
「!」
突然、変な声が聞こえて顔を上げると、猫が飛びかかってくるところだった。
「?」
急に湧いて出た猫を咄嗟に受け止める。両手で掴むと、猫はじたばたと手足を振り回して暴れた。
「猫……? 変な猫だな」
青と紺と白の三毛猫。ただし、更にオプションとして蝙蝠のような黒い羽と黒い鉤尻尾が付いている為、猫みたいな猫だ。猫もどきでいいや。
「ここじゃノーマルなのか? 羽生えてる……」
暴れる猫にはお構いなしで、黒い羽を手で引っ張る。ぱさついた感触がある。本物みたいだ。
消えた女。湧いて出た猫もどき。
なんなんだ、一体?
理解するのが面倒くさくなり、修太は猫もどきをぽいと地面に放り投げた。くるりと身をひねって着地する猫もどき。
「猫なんかどうでもいい。とにかく、啓介だ」
よろよろと立ち上がる。
あいつも修太と同じで体調不良の可能性がある。
「それに、通り魔みてえな危ない女がうろついてるし、無事だといいんだが……」
修太の呟きに、何故か猫もどきが毛を逆立てて威嚇してきた。
「お前もそう思うか? きっと血に飢えた殺人鬼なんだ……。危ないよな」
フギー!
更に鋭く鳴く猫もどき。
そうだろう。力いっぱい同意してくれて嬉しいぞ。
修太は頷いて、ふらついた足取りで森の中を歩きだした。森の薄暗さが増していて見えにくいけれど、ここにいるよりはマシだ。さっきの危ない女が戻ってくるとも限らないから。
その後、どういうわけか修太を気に入ったらしい猫もどきは後をついてきて、ときどきじゃれついてきたが、修太は相手にしないで無視を決め込んだ。ペットなんか飼う余裕はないのだ。
*
「茨の呪い、ですか?」
焚火が燃える野営地に、啓介の呑気な声が落ちる。
向かい側に座る、頭を覆う銀の甲冑と動きやすそうなプレートメイル姿の男は静かに頷いた。水色の髪と銀の目をした男は、白い騎士服と短い丈の青色のマントがよく似合っていた。
男の名はユーサレト・クロンゼックというらしく、パスリル王国王立騎士団第三師団に所属し、団長をしているそうだ。
森の中でぶっ倒れていた啓介を助けてくれたユーサレトは、部下を数名連れて、このクラ森にモンスターの討伐に来たらしい。そこで啓介を見つけたそうだ。
啓介もまた、修太と同じように二歳ばかりであるが若返っていた。その上、黒髪黒目だったのに、ホワイトグレーの髪と銀色の目に変わっている上、肌の色が異常なほど白くなっていて酷く混乱してしまったけれど、目の色が銀だったお陰で放り出されずに済んだ。それどころか護衛対象にまでされてしまっている。
なんでも、銀の目を持つ人間は〈白〉と呼ばれ、パスリル王国ではそれだけでとても地位が高くなるらしい。あまり深く突っ込んで、妙な輩と思われても困るからそれ以上は聞いていない。
「そうだ。クラ森の奥に茨が生える地帯があって、その茨に触れた者は深い眠りにつくのだ。死ぬのではなく、仮死状態となる。最近になって、クラ森の側の町で奇妙な眠りの病が流行っていてな、原因と思われる茨を支配しているモンスターの討伐に来た、というわけだ」
「どうして茨が原因なのに、モンスターを倒すんです?」
「そのモンスターが育んでいる薬草だけが、仮死を解くことが出来るからだ」
つまり、その薬草を手に入れる為にモンスターを討伐する、という話らしい。
「出来れば君にはすぐに森を出て欲しいのだがな……」
啓介は首を振る。
「それは駄目です。先にシュウを探さないと……」
「ああ、分かっている。はぐれた連れを探すというなら、止めない。代わりに私達と行動を共にして貰う。君はやけに軽装だが、この森にはモンスターが多々出るのだ」
「すみません……」
そういうわけで、一緒に行動することになった。
修太は一体どこにいるんだろう。早く見つけて森を出ないとな。モンスターが出るなんて危ない。
今のところ、モンスターには出くわしていないが、武装した兵士が警戒しているのだから結構な危険度なのだろう。
啓介は夜の更けてきた森の中で、はぐれてしまった幼馴染の安否を思った。
*
「はぁはぁ、もう無理だ……」
修太は森の中、大きな木の根元でへたりこんでいた。身体のだるさと目眩で歩いていられない。
「ちくしょう、元気だけが取り柄だっつぅのに……」
自分が嫌になって、抱えた膝に額を押し付けてうめく。
そこで額にゴリッと固い感触を感じ、顔を上げる。月明かりの中、右手の中指にはまった指輪が光った。銀製のごつい造りで、オニキスらしき黒い石が象嵌されている。
「ニャア」
修太のすぐ足元に座った猫もどきが小さく鳴いた。心なしか馬鹿にしているように聞こえたのは気のせいだろうか。
猫もどきは、修太がどれだけ無視してもついてくる。懐かれるようなことをした覚えなんて無いのに。
猫もどきを煩わしく思いつつ、修太は指輪を見つめる。
「そういや、オルファーレンが旅人の指輪って言ってたな……」
荷物を収納出来るっぽいことを言っていた。
こんな指輪の中に?
子どもの絵空事も良いところだ。
修太は鼻で笑いながら、冗談半分に口を開く。
「オルファーレンが用意したっていう荷物、出てこい」
言いながら自分に笑ってしまったが、キラリと石が光った瞬間、目の前の空間にどっさりと荷物が山になっていて唖然とした。
「………マジ?」
感激するどころか、どん引きだ。
こんなのを喜ぶのは啓介くらいだ。修太は不思議現象なんか大嫌いである。
猫もどきなど、余程驚いたのか、荷物から距離をとって毛を逆立てて威嚇している。
「うわあ……」
げんなりしてばかりいても仕方が無いので、折角だからと荷物を改めることにする。
荷物の中身はこうだ。組み立てられた状態の皮張りのテント、コンパスやランプや救急セット、日用品、肌着三着と着替え二着、食料や調味料や調理道具、箪笥ほどの大きさの箱が一つに、小さな箱が二つ、革袋が五つと、コインの詰まった袋が一つ、など。それから、
「これ、何だ? 本か?」
地面に広げた荷物から、旅には不釣り合いに思える分厚い革表紙の本が出てきた。表紙にアルファベットや唐草文様、他には楔形文字のようにも見える、字らしき不思議な形の紋様が羅列している。
本を取り上げて首をひねる修太。じっと紋様を見つめる。
「『エレイスガイアの歩き方』?」
紋様を見た瞬間、頭にひらめいたのはそんな言葉だった。
「な、何で読めるんだ。気持ち悪い……」
木のうろから突き落とされる前に飲まされた葉っぱのせいか? なんなんだよ、あの葉っぱ……。
読める原理はともかくとして、何となく不気味になって本を置き、気になった大きな箱を開けてみる。すると、中には野菜や肉、瓶入りの牛乳などが詰まっていて、ひんやりと冷たい空気が漏れた。観音開きになっている取っ手のある蓋部分には、蓋を閉めると綺麗に繋がる幾何学紋様がえがかれている。どうやら冷蔵庫のようだ。
「へえ、便利だな……」
感心しつつ、小さな箱を開けてみる。一つは天然石や宝石が詰まった箱で、もう一つは四角いキューブ型の黒い色のガラスがぎっしり詰まっている。蓋の裏に、本と同じ紋様が書かれている。どうやら使い方の説明が書いてあるようだ。
紋様は、最初はただ見るだけだったが、ふいに字がじんわりと滲んで見え、次の瞬間には読むことが出来た。頭の中で無理に日本語に変換したような、妙な感じ。一瞬だけ目眩を覚えて頭を軽く振り、再度見ると、今度は昔から読めていたかのような自然さで読めた。どうやら、ガラスは結界を張るのに使う道具らしい。
箱を閉め、他の道具も物色していく。修太が使い方が分からないと感じたものには、全て最初から説明の書かれたメモがついていた。丁寧なことだ。
一番困るのはお金の使い方だが、それも説明があった。
お金の単位はエナだ。赤銅色をした一円玉程度の大きさの銅貨、五百円玉程の大きさの銀貨、銀貨と同じ大きさだが五角形をした白銀貨、十円玉程の大きさの金貨という違いがあるらしい。1エナ銅貨、100エナ銀貨、1000エナ白銀貨、10000エナ金貨、というように十進法が取り入れられているようだ。エレイスガイアでは一部の地域を除いて共通貨幣として使われているらしい。
「金があるってことは、それなりに大きな国もあるのか?」
見慣れない硬貨をまじまじと眺めて、そんなことを考える。
しかし、すぐに飽きる。
「テントもあるし、ここで野宿しちまおう。食料あって助かったな。はあ、腹減った……」
必要の無い荷物を指輪の中に戻すと――念じるだけで戻った――近辺で薪を拾い集めて、慣れない手つきで火を付ける。そして、やたら時間がかかってイライラしながら食事の準備をした。
「くそう、今時火打ち石なんて使うはめになるとは……。コンロって便利だったんだな。はあ、面倒臭い……」
夏休みになると毎年一家揃ってキャンプに行く啓介と違って、こっちはアウトドアらしきことなんて釣りくらいしかしないのだ。キャンプ経験なんか無いので、手つきが危なっかしいのも当たり前である。
一人暮らしをしているから、料理はそこそこ出来るけれど、野営の料理はまた別だ。
しかし、明かりがつけば心が落ち着くようで、修太はほっと息をつく。
「あんまり見るなよ、猫もどき。その辺で魚でも採ってこいよ」
四苦八苦して作った野菜炒めを猫もどきがじっと見てくるので、修太は居心地が悪くなって言う。が、猫もどきは藍色の目で睨んでくるばかりだ。
やがて視線に負けた修太は、皿に野菜炒めを盛って猫もどきの前に置く。
「魚が入ってないからって文句言うなよ。俺はペットなんか飼う気ないんだからな。それ食ったら、とっとと野生に帰れ」
猫もどきはフンと鼻を鳴らす。
(こいつ、今、馬鹿にしやがったか……?)
猫もどきの分際で生意気な。
修太は猫もどきと無言で睨みあいながら夕飯を食べた。そして、絶対に飼わないぞと内心で悪態をつくのだった。
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