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第三部 斜陽の王国
十六章 水神教の闇 1
しおりを挟む日当たりの良い静かな部屋が、伯爵夫妻の息子の部屋だった。
彼らの息子・レニスは二十代半ばほどと聞いていたが、病でやつれているせいか、実際よりも老けこんで見える。
レニスは細い息をしており、寝室には濃い死の気配が漂っていた。有紗にはそれが、濃い黒いもやとなって見えている。
「息子は食事をとることもできず、スープと水だけでなんとか生をつないでいるのです」
レニアは目に涙を浮かべて、レニスの状況を説明する。
「これはひどい。あの化粧水の重傷者と同じような状態に見えますね」
真剣な面持ちで、レグルスがつぶやいた。
「息子さんも、あの化粧水に手を出したんですか?」
有紗が質問すると、伯爵夫妻は首を横に振る。
「いいえ。私は貿易の管理をしておりますので、手は出さないよう、息子と嫁に注意しておりました。もし知らずに化粧水を使うとすれば、嫁のアリシアのほうでしょうが……」
アリシアは元気だそうだ。
「お嫁さんは?」
「近く出産予定で、実家に戻っております。息子が病に倒れ、嫁にまで被害が及ぶのを恐れたため、屋敷から出したのですよ」
伯爵が言うには、屋敷内を捜索したが怪しいものは見つからず、病に倒れたのもレニスだけだった。
「毒とは無関係のはずですが、医者はあの毒とよく似ていると言うのです。どうしていいか分からないまま、息子はこのように」
「原因不明なんですね。それは後回しにして、治癒するわ」
有紗はレニスの身を取り巻く黒いもやに手を伸ばす。周りの者には、有紗が空中を握り、手繰り寄せる仕草をしているように見えただろう。
あまりに濃いもやなので、数口食べると満腹になった。残りはネックレスのオニキスへ入れておいた。
「ふう。ごちそうさまでした」
両手を合わせてつぶやくと、レニスのまぶたが震えた。ゆっくりと目を開ける。それに目ざとく気づいたレニアが、レニスの傍に飛びついた。
「レニス! 気が付いたのね」
「ははうえ……?」
「神子様があなたを助けてくださったのよ。良かった」
「ああ、また息子の声を聞けるなんて。ありがとうございます、神子様!」
伯爵はむせび泣きながら、有紗に深々と頭を下げる。
「どういたしまして」
有紗はそう返しながら、部屋にかけられた草花の絵画を見つめる。ちょうど寝台から見える位置だ。そこから黒いもやがかすかにあふれていた。
「アリサ、あの絵がどうかしたのですか?」
レグルスが気づいて、有紗をうかがう。
「邪気よ。誰かの悪意が絵に出ているんだわ」
「伯爵、あちらの絵は……?」
レグルスの質問に、伯爵はぎょっとしている。
「いや、そんなまさか! あれは息子のお見舞いにと、王妃様からいただいたものですよ」
「どういうことです?」
「病床にいては外を見られないだろうから、気晴らしにと……」
有紗はエドガー王子のことを思い出した。彼の絵には、ヒ素の絵の具が使われていたのだ。もし見た目には分からないように塗られていたとしたら? わざわざ病床から見られるようにと言われたのなら、必ずレニスの近くに置くだろう。そうすれば、嫌でも絵から毒を吸いこむことになる。
「えげつないやりようね……気に入らないわ」
眉をぐっと寄せて、有紗は不機嫌につぶやく。
最初の毒は、食事にでも盛られていたのだろうか。弱っているところに、じわじわと毒を摂取させていけば、必ず死にいたるわけだ。
「誰か! 今すぐその絵を外して、布をかけて、倉庫に放り込んでおきなさい!」
レニスが怒鳴るようにして使用人を呼びつけ、すぐに絵を運び出させ、窓を開けて換気する。
「燃やしちゃえばいいのに」
「わたくしだってそうしたいですが、王妃殿下からの下賜品を雑に扱うと、侮辱罪を適用されるかもしれません」
「……そうだったわね。面倒くさいわ」
ここは階級がはっきり分かれている。王家の不興を買えば、貴族はあっさりと始末されるだろう。
使用人が出て行くのを見送り、廊下に誰もいないのを確認してから、レグルスはおさえた声で質問する。
「伯爵、王妃様に目をつけられるようなことが……?」
「我が家は貿易監督を任されるほどの忠臣ですぞ! こんなことをされるようないわれはございません! そもそも、陛下とは仕事のためにお会いすることはございますが、王妃殿下には社交界であいさつする程度です」
伯爵は憤慨したものの、考えこむ仕草をして、しきりと首をひねる。
「レニア、親族が無礼をしたことがあったかね?」
「存じ上げませんわ。そんなことがあれば、すぐに対処しております」
レニアも分からないようで、息子を見つめる。彼は疲れた顔で横たわったまま、無言で首を横に振った。彼も知らないようだ。
「こうなると怪しいのは、神官つながりですね」
「確かにそうよね、レグルス。王妃様って、水神教と関わりが深いのかしら?」
伯爵夫妻はハッとして、顔を見合わせる。
「そうだ。あの方は信心深いので有名です」
「まあ、では、神殿がしかけたことだというの? あなた、やはりあの件、すぐにでも陛下にお知らせしたほうが良いと思いますわ」
「いや、レニア。黙っていないと、これ以上のことをするという警告かもしれんぞ」
彼らは青ざめて、おびえて身を縮めた。
どうやら彼らは神殿にとってまずいことを知ってしまったか何かして、神殿から敵視されているらしい。
「どういうことですか? 私、神殿の横暴って大嫌いなの。教えてちょうだい」
有紗が事情を教えるように催促する横で、レグルスは額に手を当てて、天井をあおぐ。
「ええ、あなたならば、トラブルに突っ込んでいくと思いましたよ……」
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