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第三部 斜陽の王国
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しおりを挟むこの世界の人々は、朝が早い。
空が白み始めるよりも前に起きだして、朝日が出る頃には仕事を始める。
庶民にとって、薪やろうそくは浪費していいものではないので、日が出ている間に働いて、暗くなったらすぐに寝るほうが合理的というわけである。
ここに来てから、有紗もすっかりその生活に慣れたので、夜明け前には自然と目が覚める。
レグルスが日課としている早朝稽古を終えて軽食をとると、さっそく朝市に繰り出した。
空は青く透き通り、潮風が頬をなでる。
「わあ、にぎやかね!」
夕方の店じまいの時と打って変わって、まるで祭りの出店みたいだ。
港にはテントや布を敷いただけの屋台がずらりと並び、あちらこちらから客を呼びこむ声が聞こえる。
食べ物や雑貨など、見慣れないものばかりだ。かいだことのないにおいもする。
しかし、どんなに目新しくて楽しくても、通りを歩く時は注意しなければいけない。店に気を取られていると、家畜の落とし物を踏んで、ひどい目にあう。
燃料で走る車などは当然無いので、物を運んだり移動したりするのには動物を使う。生きていれば、糞をするわけで。足元には気が抜けない。
「なんだかいい作物や植物はないかなあ。カボチャとか~」
有紗の独り言を拾って、レグルスが問う。
「アリサ、カボチャというのは?」
有紗は手ぶりを交えて説明した。
「これくらいの固い根菜なのよ。私の国では食べ物だけど、外国だと食用に向かない大きなカボチャがあって、そちらは家畜の餌になっていたのよ」
「また家畜の餌ですか……?」
気のせいか、レグルスの口元が引きつっている。
「あら、ガーエン領は牧畜が盛んなんだもの、カボチャはちょうどいいじゃないの。それに、カボチャの種は栄養豊富でおいしいし、少ししかとれない希少な油は心臓に良いのよ」
「種がですか? それは素晴らしいですね」
有紗はレグルスと話しながら、市場を鋭い目で見て回る。いつになく真剣なので、皆、そっと見守ってくれていた。そして、なにげなく通り過ぎかけた屋台で、有紗は良いものを見つけた。
冬なので作物は少ないが、種を売っている所がある。
雫型の白い地に黒い縦じまは分かりやすい。
「ねえ、おじさん。これってヒマワリの種じゃない?」
「おや、奥さん。西大陸の花なのに、よく知っているね」
店主に奥さん呼びをされ、有紗は一瞬たじろぐ。そんな年齢じゃないと反論したくなるが、この世界では二十歳をすぎれば充分な行き遅れだと思い出して、じっとこらえる。それに実質的には何もしていないが、レグルスとは結婚しているのだから、奥さんで合っているのだ。
「やっぱり! レグルス、これを買いましょ! 絶対に買うべき!」
「は、はい!」
熱心にすすめられ、レグルスは即答した。
「あの……今度のこれはなんですか? 家畜の餌?」
「お花よ。種は食用にもできるわ。おいしいわよ」
一抱えもある布袋に入った種を買い、有紗は満足してにこにこしている。店主からは簡単な育て方も教わった。種を植える時期があるので、説明を聞いておかないと後で困ることになる。
「カボチャは無かったけど、こっちでもいいわ。これはね、緑肥になる植物よ」
「リョクヒとはなんですか?」
レグルスがすかさず質問する。
「作物を育てると、一定期間、土地を休ませないといけないわよね? でも、栄養をよそから入れれば、また育てることができるわ。ひまわりはね、目的の作物を植える前に育てて、そのまま畑に混ぜこむと、地力を回復させられるの」
「地力をですか! そんな植物があるとは知りませんでした。素晴らしいですね」
レグルスだけでなく、供の者達も期待をこめて、下っ端の騎士が運んでいる種袋を見つめる。
「ガーエン領みたいに、土地が貧しい所にはうってつけでしょ? しかも、種は栄養があるから、食料にもできるのよ。次に育てる分はよけておいて、残りは食べればいいわ」
有紗がまだ実家で暮らしていた頃、農閑期の畑にヒマワリやコスモスを植え、観光客に一般公開している農家がいた。花は綺麗だが、作物を育てなくて生活は大丈夫なのかと不思議に思った有紗が親に質問したら、緑肥というものがあるのだと教えてくれたのだ。
どうして土に混ぜこんだら堆肥代わりになるのか、詳しい理屈は分からなかったが、市役所が観光業としてもあっせんしていて、種の補助金を出しているらしいと知って、興味深く思っていた。
それがまさか、こんな所で役に立つとは。
「コスモスも良いって聞くけど、お花の種をなんでもかんでも買うわけにいかないから、この辺にしておくわ」
ガーエン領の財政はそこまで潤沢ではない。領地改革に必要だから買ってもらっているだけで、無差別に買いあさるわけにはいかない。それに、ヒマワリはコスモスと違って種を食べられるだけ有用だ。
中世くらいの時代では、食べ物の貯蓄が重要課題である。でなければ冬を越すこともままならない。
「アリサ、ご自分の物を欲しがりませんよね。何か欲しいものはありませんか? 陛下から支度金を用意してもらっていますから、ガーエン領のことで遠慮しなくていいんですよ」
「こちらに来る前に、ドレスやら何やら用意したでしょ?」
本来なら、他国への出張なんて、有紗が引き受けなくてもいい仕事だ。闇の神子として不遇にあったのに、国のためにこき使われるなんて冗談じゃないと断っても許されたはずである。
賠償金も領地も断った有紗を、神官がやらかした罪悪感から、ルチリア国王は何かと気にかけてくれていた。支度金もその一つだ。
「旅費は大事に使わなきゃ」
衣類はありがたく受け取ったが、有紗は根っからの庶民である。不必要に物を買いたいとはどうしても思えない。
「旅費はまた別枠に与えられていますよ。私個人の財産もありますし、遠慮しなくていいのです。不遇といえど、王子ですからね」
レグルスはどういうことかと、丁寧に説明する。
王位争いの前は、それぞれ王族に品位維持費が割り当てられていた。母親の実家が裕福ならば、そちらからの資産も入ってくるが、それ以外は王家から支給されるお金で生活していたのだ。
レグルスの母親は庶民なので、王から贈られた品で家計をたもっているが、王子と王女はまた別である。
「宮や塔ごとに予算があって、それで運営しているんですよ。本来なら、成人後はそれぞれ王から領地をもらって自分で運営するものなんですが、王位争い中はできませんから」
「王子は分かるけど、王女の場合は?」
「王女も土地をもらいますよ。そういったものを持参金として嫁いで、嫁ぎ先での自分の生活費をそこからまかないます。夫が金銭や宝飾品などをプレゼントすることもありますが、基本はそうですね。ですから、裕福な嫁は尊重されやすいです」
なんだか思っていたよりも、財政管理は複雑なようだ。
「でも、遠慮はするわよ。あなたががんばって貯めたお金でしょ?」
「自然と貯まっただけですが」
「ルチリアにだって良いものはあるんだから、欲しくなったらあっちで買うわ。この国では、ここでしか手に入らないものを買うべきよ」
有紗はというと、レグルスにすすめられて困った。普通はぜいたくをするなと注意するだろうに、レグルスは何かと有紗に物を買ってあげようとするのだから。もちろん人並みにおしゃれは好きだが、この世界に来て、有紗が何より大事にしているのは平穏と安心だ。
「レグルス、私、今、とても幸せなのよ。でもね、周りが不幸だったら、私も幸せを満喫できないわ。私達は自分のことを大事にして、周りにもそうするの。そしたら気兼ねせずに、幸せに過ごせるでしょ」
「……はい」
「必要なものにお金を使うのは大事だけど、無駄遣いすることはないわ。それにね、私のことばっかりより、レグルスにもお金を使って欲しいのよ。そこまで言うなら、私がレグルスの服を選ぶわ!」
「ええっ。私の服はいいですよ!」
「ちょっと、なんで急に嫌がるのよ。逃がさないわよ!」
ほっこりしていた場が一転して、騒がしくなる。有紗は拒否感を示すレグルスの腕を引っ張って、適当に服屋を探す。布を売る店のほうが多いが、仕立てたものを売っているところもあるのだ。
「なんでそんなに嫌がるの?」
「私は自分が地味なのはよく分かっています。着飾ったって、品に負けるだけですから」
「王宮の奴らの陰口が原因ね! あのお兄さんと比べたら、誰だって地味よ。でもレグルスったら、分かってないのね。あなた、顔立ちは整ってるのよ。鍛えているから、体格も格好いいし。うーん、良い服がないわね……」
どうやら古着のようで、有紗にも良し悪しが分かる。
すると、モーナが満面の笑みを浮かべて申し出た。
「アリサ様、私がお手伝いしますから、レグルス様の服を仕立てて差し上げてはいかがですか?」
「私に服なんて作れるかしら」
「布を選んでくださったら、あとはお針子もお使いになればいいですわよ。ね!」
「それならできるかなあ?」
手縫いなんて大変そうだとたじろぐアリサを説き伏せ、モーナはキャッと喜ぶ。
「これでもっと夫婦仲が縮まること間違いなしですわ! 最愛の妻が服を仕立てて、喜ばない夫はおりませんもの!」
少女のように浮かれるモーナの言葉に、有紗とレグルスはそろって赤くなった。
これにはお供のほうが戸惑いを見せる。ガイウスはぼそっと言った。
「すでにあれだけ仲が良いのに、この程度で赤くなるなんてピュアすぎる……」
「天然あまあま夫婦だからしかたがない」
諦め顔で、ロズワルドがぼやいた。
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