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第三部 斜陽の王国
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しおりを挟む宴の後、有紗は風呂に入りなおした。こもった空気の中にいたら、食べ物や煙草、香水のにおいが髪や服に移って不快だったせいだ。
濡れた髪をタオルでぬぐいながら、寝室に入る。
そこで、いるはずのない人物を見つけて、有紗は目を丸くした。
「レグルス? どうしたの?」
離宮にいる間は、違う部屋で休むと言っていたのに。入浴の手伝いをしてくれたモーナは気遣って、そのまま部屋を出た。扉が閉まる。
何か話でもあるのだろうか。有紗はレグルスの隣に座る。レグルスはため息をついた。
「ミシェーラに、自分の部屋から追い出されました」
「どういうこと?」
「敵国のど真ん中で、妻を一人にする夫がいるか、と」
「そういえば、そうねえ」
それに加えて客観的に見ると、離宮の侍女が誤解して、有紗とレグルスの不仲説が浮上しそうである。
「アリサ、私は長椅子で寝るので、気にしないでください」
「ええっ、隣で寝ればいいじゃないの。半神の私はともかく、普通の人間であるレグルスは旅で疲れてるはずよ」
有紗はふと、旅の途中でレグルスが言っていたことを思い出した。
「レグルスだって、王宮ならともかくって言ってたじゃない。離宮だから範囲内だわ」
「いえいえ、遠慮いたします」
「そんなに拒否されると、ちょっと傷つくんだけど」
有紗だって、普通の大学生だ。せっかく彼氏ができたのだから、ちょっとくらいいちゃいちゃしたい。すねた気分とへこみが同時にやって来て、有紗は口をへの字に曲げた。
「傷つけました? そういうつもりでは……」
慌てた様子でとりなそうとして、レグルスはこちらを向いて、石像みたいに固まった。上から下へと視線が動き、バッと横を見る。顔が赤い。
何かついているのかと有紗は自身を見下ろしてみたが、いつも通り、白い木綿のネグリジェだ。
「アリサは分かってません」
「何を? ところで大丈夫なの? お酒を飲みすぎたんじゃない?」
びっくりするくらい真っ赤なので、有紗はテーブルの水差しへ向かう。グラスに水をついでいると、レグルスが言った。
「ですから、あなたが魅力的過ぎてつらいんです!」
「は?」
驚いて水をこぼしそうになった。呆れて首を振る。
「あのねえ、私は許可してるのに、レグルスが我慢してるのよ」
「ええ、意地ですよ。我がままです。あなたにはより良いものだけを受け取って欲しい。貴婦人としての評判だってそうです。私があげられるものなど少なすぎて、これくらいしかできない……」
話すうちに落ち込んだようで、レグルスはうつむいた。
「私はレグルスからたくさんのものをもらってるわ。物だけじゃないわ、精神的なものもそうよ。今もそう。こんなことで落ち込むんだから、かわいいわよねえ」
大型犬がしょげているように見えて、有紗はグラスをテーブルに置くと、レグルスの傍に戻って、彼の髪をわしゃわしゃと撫で回す。
「でも、いつかレグルスが私に惚れたことを後悔する日が来るんじゃないかって、それだけは怖いかな」
「そんなこと、絶対にありえません」
有紗の手をつかんで、レグルスはこはく色の目でじっと見据えた。有紗はにこっと笑う。
「本当にしかたない人よねえ。そこまでがんばるなら、付き合ってあげるわよ。でも、今日は一緒に寝ましょ。間にクッションを置けばいいでしょう?」
「ですが」
「レグルスの体調が心配なのよ。むしろ私が長椅子で寝るわ。レグルスには長椅子は狭すぎるでしょ」
固辞するなら、有紗はレグルスがゆっくり休めるほうを選ぶ。
「女性にそんな真似をさせるわけがないでしょう?」
「もう、それなら面倒くさいから、さっさとベッドに入ってよ。私だって早く休みたいんだから」
堂々巡りに嫌気がさした有紗は、レグルスの腕を引っ張ってベッドのほうへ押した。四柱式のベッドには天蓋がついている。青いビロードのカーテンには、白い糸で貝の模様が刺繍されていた。
レグルスは渋々という態度で奥のほうに行く。有紗は長椅子のクッションを運んできて、真ん中に置いた。
「これでいいでしょ? あなたは私の夫なんだから、一緒に寝て何か問題ある?」
「分かりました。……おやすみなさい」
「言っとくけど、夜中にベッドを抜け出して、床で寝てたら怒るからね」
その気まずげな顔は、そうするつもりだったようだ。有紗はほとほと呆れた。
「レグルスの頑固者!」
「申し訳ありません」
反論すべきでないと悟ったようで、レグルスは素直に謝った。
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