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第三部 斜陽の王国
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しおりを挟む隣の離宮に入ると、奥の部屋から女性のすすり泣く声が聞こえてきた。
廊下に控えているアークライト王国の女官が、悲しげに眉を下げている。年配の彼女は有紗とミシェーラに気づくと、膝を折ってお辞儀をした。
「マール側妃様の様子は?」
「おかわいそうに。謁見でのことを気にされて、泣いておられます。せっかくの再会ですのに、おいたわしいこと」
その女官は社交辞令ではなく、本気でそう思っているように見えた。
「あなた、もしかしてマール側妃様と面識がおありではありませんの?」
ミシェーラが確認すると、女官は大きく頷いた。
「かの方がお小さいみぎりよりお仕えしておりました。まったく陛下ときたら、素直ではないのですから」
どういうことかと、有紗は目で問う。察した女官は、声をひそめて返す。
「王女殿下とお孫様がお帰りになると聞き、離宮を用意させ、昔なじみの女官を手配させたのは陛下でございますから。内心はお喜びなのでしょう」
「でも、冷たいことを言っていたわ」
「政治のことは、わたくしには分かりかねますわ」
嘆かわしいと思っているらしき年配の女官は、首を横に振る。
「マルス陛下の正妃様が、マール側妃様のお母様ですか?」
今度は、ミシェーラは違う質問をした。
それで初めて、有紗は正妃ならばマールの親かもしれないということに思い至った。
「いいえ。亡くなられた前代の正妃様が、実母様でございます」
「マール側妃様のお身内は、陛下だけ? 他の兄弟はいらっしゃるのかしら」
首を傾げる有紗に、女官は肯定を返す。
「その通りでございます。他の兄弟はおありではありません。前代の正妃様は、王女様をお産みになったことで、お体を壊されてしまいました。王女様が七つのお年に、お隠れあそばしたのです。幼い王女様をおかわいそうに思いになって、陛下は可愛がっておいででしたわ」
隠れるというと、死を意味する。
父親からの愛情を受けて育ったからこそ、マールはこんなに落ち込んでいるのか。
「教えてくれてありがとう。マール様とお話ししてみるわね」
有紗が礼を言うと、女官は深く頭を垂れることで返事をした。
中に入ると、マールは長椅子に座って、クッションに顔を埋めるようにして泣いていた。聞いているだけで胸がえぐられるような悲しみように、有紗とミシェーラは躊躇する。
結局、ミシェーラが先に声をかけた。
「マール様、お加減はいかがですか」
それに続き、有紗はわざと明るい調子の声を出して、マルスをなじる。
「せっかく娘が帰ってきたのに、ひどいお父さんですね! あんな人のために、そんなに泣くことないですよ」
言ってみてから、ここまで言うこともなかったかもと、有紗は内心で冷や汗をかく。他人の家庭に首を突っ込むのはどうだろうかと思うのだ。
マールはクッションから顔を上げ、こちらに視線を向ける。涙のせいで化粧が落ちてひどい有様だ。女性としては家族でも男性にこんな顔を見られたくないだろうから、レグルスが遠慮したのは正しい。
「ミシェーラ様、アリサ様、わたくし、死んでしまいたいわ。お父様にお会いしたかったのに、あんな辛辣なことを言われるなんて。わたくし、思い出を美化していただけなのかしら」
「まあまあ、公の場ではああ言うしかなかったのかもしれないし、落ち着いてください。二人で会うチャンスが作れるといいですね」
先ほどの女官の言葉を思い出し、有紗はそうフォローする。もしかしたら、公の場でなければ、あの王は娘に少しは優しい言葉をかけてくれるかもしれない。しかし、マールの表情は憂いに染まっている。
「二人……。怖いわ。もっとひどいことを言われたら、どうしましょう。お父様のおっしゃることも本当なのよ。わたくしは国同士の架け橋として嫁いだのですもの、こんなふうに戻るのは、国にとって良くないことなのですわ」
それで初めて、有紗は気づいた。自覚している罪悪感もあって、マールは余計に落ち込んでいるのだ、と。
有紗は少し考えて、マールの心が少しでも軽くなるような言葉を選ぶ。
「マール様、ルチリアから逃げてきたわけではないですし、レジナルド王は戻ってきていいと言ってくれているんですから、実家に孫を見せに来たと思ってみるのはどうでしょう?」
「え……?」
ぱちくりと瞬きをするマールの目から、ぽろりと涙がこぼれ落ちる。
「実家に、孫を……?」
「そうです、難しく考えるから疲れてしまうんですよ。祖父に孫を見せて何がおかしいんですか! 庶民なら、普通に里帰りくらいしますよ。夏休みの帰省とか! お墓参りとか!」
「夏休み……?」
マールは小首を傾げたが、墓参りのところには賛同した。
「そうですわね、亡きお母さまのお墓に、エドガーを連れていきたいわ」
「お母さんとの思い出があるんですか?」
「ええ! そういえばわたくしは落ち込んでばかりで、息子にお母様との楽しい思い出について教えていなかったわ。せっかく生家に戻ったのですもの、教えようかと思います。それから、あの美しい川辺も見せなくては」
この港湾都市には、川が流れ込む。その景色が好きなのだと、マールの表情に笑みが戻った。楽しいことを思い出し、マールは生き生きとし始める。有紗の両手をそっと握る。
「ありがとう、アリサ様。お父様に嫌われていると悲しくなりましたが、療養のためにも楽しく過ごすようにしますわ」
「そうですよ。我がままを言うのは、病気の人の特権です!」
「まあ! うふふ。こんなネガティブなことを、そんなふうにおっしゃるだなんて」
ころころと笑うマールの姿に、有紗もうれしくなる。
ミシェーラが侍女に声をかけた。
「マール様、長旅でお疲れなのですもの、今日はゆっくり入浴をして、お早めにお休みくださいませ。あなた達、お茶とお菓子をご用意してさしあげて」
ミシェーラの命令で、侍女が静かにお辞儀をして動き出す。
マールをどう扱っていいかわからないという空気から一転、活気に満ち始めた。
有紗とミシェーラが部屋を出ると、廊下で気もみしながら待っていたエドガーと出くわした。
「どうですか?」
「もう大丈夫よ。エドガー、仕事がない日は、マール様と散策してきたら? 川辺を見せてあげたいとおっしゃってたわよ」
「ええ。王都の川辺については、よくお母様がお話ししておいででしたから。ああ、ありがとうございます、お姉様」
エドガーは安堵すると、その場に片膝をつく。
「本当に、お姉様のお慈悲には、どうお礼を申し上げていいか」
「いいのよ。レグルスの家族だし、私はマール様のこと、結構好きだしね」
あけっぴろげな言い方に、エドガーは破顔して立ち上がる。
「あなたの信頼をそこなわないように、今後とも精進いたします」
「レグルスの味方になってくれれば、それでいいのよ」
「はい」
少し困った顔をされたが、有紗は気にしない。
「さ、ミシェーラちゃん、戻りましょ。疲れてるんでしょ。ねえ、この邪気、もらっていいかしら」
「もちろんですわ、お姉様」
有紗はミシェーラの邪気をつまみ食いしながら、隣の離れに戻る。
そんな有紗達に、エドガーだけでなく、マール付きの侍女が並んで頭を下げていた。
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