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第二部 光と影の王宮
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しおりを挟むひとしきり口論した後、「お互いに浮気はなし」というところに着地した。
我に返ってみると、有紗は恥ずかしさでバツが悪くなった。
レグルスは兄弟を気にしていて、有紗は手の平を返した貴婦人に思うことがある。まあ……つまり、やきもちだ。
お互い、相手を素晴らしい人だと思っているのに、自己評価が低いせいで、よそ見されそうで不安になっている。この状況、はたから見たら喜劇だろう。
(というか、どんだけ好きなのよ)
顔から火が出そうだ。
「どうかしました?」
「別に」
レグルスのほうは、この喧嘩がどれだけ馬鹿みたいか気付いていないようだ。わざわざ説明するなんてごめんなので、有紗はぶっきらぼうに返事をする。
とりあえずホールに戻ると、王族と貴族が酒杯をかわしているところだった。楽しげに雑談をして、ときおり笑い声が上がる。
自分達のテーブルに戻ると、大臣が近づいてきた。従者が銀の盆に、ガラス製のデキャンタとグラスをのせている。
「神子様、いかがですか、赤ワインを一杯。王領のぶどう園でとれた一品で、こんな機会でもなければ出回りませんぞ」
彼はすでに飲んでいるようで、赤い顔に笑みを浮かべている。
「申し訳ないですが、私、普通の飲食はできなくて」
「そうでしたな、私としたことが、失念しておりました。大変失礼いたしました、神子様。ご不快になられていないとよろしいが」
「大丈夫よ」
「では、殿下はいかがです?」
有紗が軽く許したので、大臣はレグルスにグラスを差し出す。
「ありがとう」
レグルスはグラスを受け取り、大臣と乾杯した。しばし季節のあいさつをした後、大臣は他の貴族のほうへ向かった。
「まさか、彼から酒をもらう日が来るとは……」
グラスを見下ろし、レグルスは神妙な顔をしている。
以前、大臣はあからさまにレグルスに侮蔑の目を向けていた。こうも態度が変わると、気味が悪いみたいだ。
「大丈夫よ、黒いもやは見えないから」
「はは」
毒なんか入っていないという、有紗のブラックジョークを聞いて、レグルスは苦笑を浮かべる。
「まあ、王宮の人付き合いなど、利益になるかどうかですからね……」
「それも世知辛いわねえ」
「ガイウスのような者もいますが、少数派ですよ」
「良い人を味方につけたわよね」
有紗はホールを眺め、レグルスに話しかける。
「意外と、王族と貴族って気安く会話するものなのね」
王や王子、王妃や側妃の傍でほがらかに話す人々が不思議だった。もっと厳格な身分制度があるのだと思っていたせいだ。
「ある程度のマナーはありますよ。例えば、初対面では、下位の者は上位の者に紹介されなければ、相手に話しかけてはいけない、といったような」
「下位?」
「身分だけでなく、立場ですね。親が子を紹介する……とか、兄が弟を……ということです」
「なるほどねえ」
「その点、アリサはこの場でトップですから、好きに話しかけて大丈夫ですよ」
「……レグルスがもう少し親しくしろっていうなら、がんばるけど」
「僕としては、男には近付かないで欲しいですが、女性同士の付き合いまで口を出すつもりはありませんよ」
「友達は作っていいって意味?」
「そうですね」
レグルスはほんのり困り顔をする。
「僕は男ですから、女性の悩みまで解決できません。母上やミシェーラもいますが、この狭い血縁関係の世界にアリサを閉じ込めるのは、違うと思うんです。いろんなことを知って、それでも傍にいてくれたらと願うばかりですよ」
有紗は肩をすくめる。
「相変わらず、馬鹿正直よね。レグルスにとって都合のいいことだけ教えても、私には判断できないのに」
「僕は欲深いので、そんなちっぽけな愛はいりませんよ」
「ふふふ。そうね、大きくて広いのがいいわよね」
有紗はつい笑ってしまいながら、有紗もレグルスみたいに、相手のためになる考え方をしたいものだと考えた。
「お二人とも、相変わらず仲良しですわね」
テーブルの前で、ミシェーラが頬を染めて恥ずかしそうに両手を組んでいる。
「ミシェーラちゃん、どうしたの?」
「お母様がお酒をどうぞとおっしゃっていますわ。下位から上位にお酒をささげるのが、酒宴でのあいさつですの。お母様は側妃で一番立場が低いので、いつもお母様からなんですわ。アリサお姉様は飲めませんけど、形式だけでも受け取っていただきたいそうです」
「そうなの?」
視線をめぐらすと、ヴァネッサが王妃のグラスに、デキャンタからワインをついでいるところだった。
「あ……!」
有紗は思わず椅子を立つ。
ワインに黒いもやが取り巻いているのだ。
「あのワイン、いたんでるわ。ヴァネッサさん、待って!」
突然、有紗が大声を出したので、ヴァネッサはビクッとしてデキャンタを取り落した。ガシャンとガラスが割れる甲高い音が響き、飛び散ったワインが王妃とヴァネッサのドレスを汚した。
「きゃああっ、王妃様のお召し物に汚れが! 無礼者!」
侍女がヴァネッサを怒鳴りつける。
「ちょっと、待ちなさいよ。今のは、私が悪かったわ」
有紗が急いで王妃の席に向かうと、レグルスとミシェーラもついてきた。
「王妃様、そのワイン、黒いもやがついてるわ。たぶんいたんでるから、飲まないほうがいいと思って、口を出してしまったの」
すでにつがれたワインの入ったグラスを、王妃は険しい目で見下ろす。指だけで侍女に指示を出すと、侍女は魚の入った器を運んできた。
そこに、侍女がワインを少量垂らす。
魚が腹を上にして、ぷかりと浮かび上がる。死んだようだ。
「毒だわ。ヴァネッサ、なんてこそくなの。わたくしの命を狙ったのね!」
王妃は椅子を立ち、ヴァネッサを糾弾する。
王妃の顔からは血の気が引いて青白く、小刻みに震えている。怖がっているのはあきらかだ。
「そ、そんな、違います! 私は侍従から受け取ったデキャンタを持っていただけで……」
ヴァネッサも動揺して、声が震えている。
「神子を味方につけたからと、王妃たるわたくしを愚弄するのですね! だからお前はいやしいというのです」
「やめぬか、王妃」
王妃の言葉が聞くにたえないと、レジナルド王が止めた。
「アリサ様のおっしゃる通り、たまたまいたんでいただけかもしれぬ。まずはこの場にあるワインを全て調べよう」
「私が見ましょうか?」
黒いもやを探せばいいのだろうと、有紗が名乗り出ると、王妃が否定する。
「邪気はわたくし達には見えません。ヴァネッサをかばうために、口をそろえるかもしれませんわ」
失礼な返事だったが、王妃の言うことにも一理ある。
「それじゃあ、公平に調べるために、今、この場で調べましょう」
「衛兵、ホールの扉を封鎖せよ。客をいっさい出すな。それから、二人一組になり、毒見の魚に不正をしないか監視し、裏庭の池に行って、管理人から魚を受け取ってくるのだ」
騎士は敬礼をし、すぐに班を分けると、ホールを出て行った。
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