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第一部 邪神の神子と不遇な王子

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 有紗の奮闘の甲斐もあり、三日で王都から疫病を一掃した。
 その後も、念のため、一週間の見回りをし、完全に大丈夫だと納得すると、有紗はレグルスとともにレジナルドに報告に来た。

「陛下、疫病は終息しました」

 玉座にいるレジナルドは、丁寧に返す。

「ありがとうございます、神子様」
「つきましては、お願いしていた聖典の閲覧をしたいのですが」

 地下牢にいる神官をやり込める前に、有紗はこちらを確認したかった。ずばり切り出すと、レジナルドはすでに準備をしていると答える。

「レグルスとともに閲覧できるよう、大神殿に約束を取り付けた。今はトップの三人が地下牢にいるのでな、代理の者が王宮に運び入れている。国宝ゆえに監視がつくが、満足するまで客間で読むがいい」

 レジナルドはしっかりと約束を果たしてくれたようで、いつでも読めるように場を整えてくれていた。
 さすがは大国をまとめあげる名君だ。仕事が速くて素晴らしい。
 態度の悪い者も数名見ていただけに、国のトップのありようがありがたい。ここでごねられたら、有紗は「邪神の神子」の顔をして脅しつけなければならないところだった。
 そうするくらいなんでもないが、レグルスの状況を悪くすることは、有紗は望んでいない。
 有紗が帰るのだとしても、世話になった手前、レグルスがすこやかに過ごせるようにして、それからすっきり帰りたい。
 有紗は深々と頭を下げる。

「ありがとうございます。それでは、さっそく読んでまいります」
「深く感謝申し上げます、陛下」

 レグルスも片膝をついて、礼を返す。レジナルドは微笑んでいる。

「レグルス、我が息子よ、神子の保護をしたこと、大義である。お前にも褒美をつかわせようと思うのだが」
「私が望むのは、家族とアリサの安全です、父上。アリサは大丈夫でしょうから、母上を大切にしてくだされば、それで構いませんよ」
「まったく、城の一つでも望めばよかろうに。母親の安泰を望むなら、息子のお前が土地を多く持つことだ」
「状況によって減るか増えるかするものより、父上のお心のほうが得難いでしょう。私は欲深い王子ですよ」

 物よりも心をとは、謙遜のように聞こえるが、よっぽど贅沢な話だ。王の寵愛のほうが、手に入れるのは難しい。

「ヴァネッサがあのように優しいままなら、私は大事にするつもりだ。これは夫婦の問題で、息子のお前が気にかけることではない」

 しかたがない奴だなと言わんばかりに、呆れを込めてレジナルドがさとす。

「これは大変失礼しました」

 レグルスも分かっているのだろう、すましてそんなことを返す。たまらないとばかりに、レジナルドが大口を開けて笑い出した。

「思っていたより、きものすわった息子だったようだ。分かった、ではヴァネッサとミシェーラ、アリサに服飾品や宝飾品を授けようか。それで構わぬな、レグルス」
「ありがとう存じます、陛下」

 父親から王へと礼の行方を変え、レグルスは改めてお辞儀をする。
 レグルスは父王との仲は良好みたいだ。有紗は二人のやりとりを、穏やかに見つめていた。



 侍従の案内で、客間に向かう。
 出入り口では、槍を持った神官が二人、警備についていた。

「第二王子殿下と、闇の神子様ですね。陛下よりお伺いしております、こちらへどうぞ」

 心底気に入らないと言いたげに、二人はじろりとねめつけてきた。だが、王の命令があるせいだろうか、横にずれて中に入れてくれた。
 客間は広々としていて、大きな窓が開放的だ。日差しの届かない影に書見台が置いてあり、分厚い革表紙の本があった。傍に座っていた中年の男がこちらにお辞儀をして、布の手袋を差し出す。

「そちらをお使いください。こちらは光神教の聖典でございます。指紋しもん一つつけてはなりません」
「分かったわ」
「大事に扱うと誓います」

 有紗とレグルスは手袋をはめ、さっそく書見台の前に立つ。

「神子様は召喚の儀についてお知りになりたいとか。私が該当のページを開いても構いませんか」
「お願いするわ」
 
 最初から読み進めるには、聖典は分厚すぎる。貴重な本にあまり触れないで欲しいのが本音なのだろうが、監視の神官の申し出はありがたい。
 神官は目次を確認してから、聖典の後半を開く。

「こちらが召喚の儀でございます」
「アリサ、三日三晩かけて行う儀式の手順が書いてありますよ」

 そのページを読んだレグルスが説明してくれたが、有紗は帰る方法以外、どうでもいい。試しにページを見てみたが、アルファベットのようなくさび型文字のような、不可思議な文字の羅列があるだけだった。

「帰る方法は?」

 有紗はレグルスに訊いたのだが、監視の神官が反応を示した。

「闇の神子様は、帰還方法をお知りになりたいのですか。残念ながら、そんな方法は知りません。聖典にも記述はありませんし、今まで神子が帰ったという記録もありませんよ」

 帰還方法を知らないと聞いて、有紗はすぐに反発した。

「嘘をつかないで。来ることができたんだから、帰ることだってできるはずでしょ!」
「そうおっしゃられても……。私は大神殿図書室の司書として、全ての本に目を通していますが、神子様は全てこの世界で天寿てんじゅをまっとうされています」

 有紗が疑いを見せるので、司書はページをめくって教える。

「ここまでが召喚の儀で、これ以降は神子様の記録です。お亡くなりになった年の記述があるでしょう?」

 そう言って、この国だけでなく近隣の国にもあらわれた神子の死亡年について記したページを、一人分ずつ開いていく。だいたいが召喚されてから五十年ほどで死んでいる。十代から二十代の人間だったとして、長く生きても八十歳くらいまでだ。
 全身の血が凍りついたような気分だ。

「もし帰せるのでしたら、長達は神の怒りに触れるよりも、あなたをお返しになったはずです。神子様は神の祝福で肉体が作り変えられるため、召喚された時から歳をとることはありません。そのまま、寿命が尽きるまでこの地で過ごされるのです。闇の神とて、例外ではありませんよ」

「それじゃあ、私にずっとこのままで、この世界で死ぬまで過ごせっていうの? 本当にないの?」

 信じられないし、信じたくなかった。有紗は聖典に飛びついて、前から順番にめくっていく。

「アリサ、その辺りは光神の教えで……、そちらは祭典や儀式の順序、そこはもちいるべき道具の一覧です」

 レグルスが横から教えてくれるが、彼の顔は最後まで苦いままだった。本を閉じると、有紗はレグルスにしがみつく。

「ねえ、レグルス。嘘をついてるんじゃないよね? あなたが私のことが好きだから、嘘をついて帰れないようになんて……」
大恩たいおんあるアリサに、そんな真似はしません」

 レグルスの表情が強張り、その目に傷ついた色が浮かぶ。
 それだけで、有紗はまざまざと理解した。

(帰る方法が、ない)

 有紗の膝から力が抜け、床にへたりこむ。

「アリサ」

 レグルスも膝をついて、有紗を支える。
 もう家族に会えない。友達にも、教師になろうと学んだ大学生活も無意味となった。平和な日本での日々が遠くに感じられ、急速に色あせていく。
 喪失感の次にやって来たのは、強い怒りだ。

「なんで……好きで来たんじゃないのに。あいつらは私に謝りもしないで、なんで私だけこんなつらい思いをしなくちゃいけないの! もう嫌! ――こんな国、滅んでしまえばいい!」

 やけになって、癇癪かんしゃくを起こす。
 八つ当たりで怒りをぶつけた時だった。ドッと突き上げるような地震が起きた。
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