上 下
43 / 125
第一部 邪神の神子と不遇な王子

 9

しおりを挟む


 翌朝、早朝のうちに魚を取り込んだ。
 くさっていないか心配していたが、特に問題なさそうだ。日本に比べれば湿度はないし、初夏なのでまだ涼しい。それでも、やっぱり冬に作ったほうが安心だろう。
 今回は試しなのでいつもしている熱燻ねっくんにしたいが、上手くいったら温燻おんくんならできるだろうかと考えていて、有紗は問題に気付いた。

「レグルス、温度計ってどこかしら」
「温度計……?」
「気温やら体温やらをはかる道具よ」
「そんなものはありませんよ」

 念のためにロドルフやウィリアム、ガイウスにも訊いてみてくれたが、誰も知らない。

「温度計って、そういえば最初に作られたのはガリレオ・ガリレイの頃よね! ここは中世ぐらいだからあるかと思ってたわ」
「ちなみにどういうものなんですか?」
「説明できないわよ。ガラス製で水銀が入ってて、目盛がついてたなーってことくらいしか! しかもそれは理科室で使う場合で、今の家庭じゃ、電子製だしね!」

 レグルスは面食らった様子を見せ、あからさまに落ち込んだ。

「すみません、どんなものか分かれば職人に頼んで作れるかもと思ったんですけど、助けにならないようです」
「レグルスは悪くないから! まくしたてて、ごめんなさい!」

 有紗は謝った。

「今回は熱燻だから、そう難しくないわ。とりあえず、やってみましょ!」

 まさかのなんとなくの感覚で思い出しながらの作業だ。
 熱燻は十分から一時間ほどの短時間で、高温でいぶす方法だ。
 鉄網に魚を並べ、蓋をして、チップに火をつける。



「なんとか、できた!」

 燻製を終えた川魚は、うっすらと色がついておいしそうだ。
 一晩寝かせて熟成させたほうがいいが、一匹だけ味見してもらうことにした。もし腐っていたらまずい。

「ああ、私、味見ができないんだったわ」

 一生懸命作っていただけに、食べられないことにがっくりする。

「見た感じは大丈夫そうだけど、どうしよう」

 有紗の味覚が正確なら、自分が真っ先に食べるのに。

「お妃様、味見ができないとは?」

 事情を知らないイライザが不思議そうにして、有紗は返事に困る。するとレグルスが助け舟を出した。

「アリサは味覚障害みかくしょうがいがありましてね。何を食べてもおいしくないそうで、あんまり食べたがらないんですよ」
「それでいつも少食なんですね」

 お気の毒にと言いたげに、イライザはいたましげに眉をひそめる。

「昔はいろいろと食べられただけに、悲しいのよね。この燻製も好きだったのよ。えぐみがある時は、涼しい所で少しなじませたほうがいいから、教えてくれない?」
「では、いただきます」

 イライザは一口食べて、目を輝かせる。

「あら、香りが口の中で広がって……。魚くささもなくて、とてもおいしいですわね。塩けがあるので、そのままで食べられますわ」
「えぐみは?」
「こちらはありませんよ」
「良かった」

 あんまりスモークしすぎるとえぐみが出るので、三十分くらいで切り上げたのが良かったのかもしれない。

「アリサ様、クンセイとやらはどうなりました? おお、なんだかおいしそうな感じがしますな!」

 ロドルフが現れ、ガイウスに連れてこられたロズワルドも加わり、試食する。

「おいしいですね。なんというか、お酒が欲しくなります」

 レグルスの呟きに、男達は大きく頷いた。

「これは飲まなくては駄目でしょう。イライザ、ワインを頼むぞ」
「ふふっ、畏まりました」

 イライザとモーナが酒を取りに行き、すぐに戻ってくる。モーナも食べてみて、うれしそうにしている。

「手間がかかるだけあって、おいしいですね」
「他にはね、チーズや肉、木の実なんかも燻製にできるのよ。低い温度で数日かけて燻製させたら、ひと月は保管できるらしいんだけど……。私の腕だと、温燻で一週間がやまかしら。でも魚や肉は冬に燻製にしたほうが安心だと思うわね」

 魚は燻製もいいが、塩漬けのほうが長持ちするのではないだろうか。

「チーズのクンセイですかあ。おいしそうですなあ。絶対につまみに合います」
「ロドルフさん、お酒のことばっかりね。まあ、分かるけど」

 有紗も、母親と酒のつまみにしていた。
 ふむ、とレグルスが思案げに頷く。

「チーズならこの領でも多く作っていますから、クンセイにして価値を上げて売ることもできますね。夏場はチーズのクンセイ、冬に魚のクンセイを作るというのはどうでしょうか」
「いいんじゃない? 名物を作って、領の資金を増やすのが目的なんだし。味が問題ないなら、今日の午餐に出しましょうよ。特に魚釣りを手伝ってくれた騎士さんに食べてもらいましょ」

 有紗がレグルスに話しかけると、レグルスはにこりとした。

「そうですね。それから、母上とミシェーラにも食べてもらいたいです」
「賛成よ」

 特に、ミシェーラには精をつけてもらいたい。

「そうだわ、イライザ。チーズなら塩漬け作業がいらないから、ついでにやってみない? 鉄網は洗わないと、魚のにおいがついてるけど」
「いいですね。チーズを切ってまいりますわ」
「では網は私が洗っておきます」

 イライザが食糧庫に向かい、モーナが鉄網を手に取ろうとして、先にガイウスが持った。

「俺がするよ、モーナ」
「ええっ、護衛師団の団長にしていただく仕事では……」
「いいからいいから。お妃様、お手伝いするので、ぜひともチーズを分けてくださいね」
「それが目的ですか……」

 呆れ顔のモーナは、いそいそと井戸のほうへ行くガイウスを見送る。

「ええ、構わないわよ」

 有紗が返事をすると、ロドルフがずいと前に出た。

「お妃様、わしには何かありませんか!」
「え? 木のチップを作るくらい?」
「やりますぞ! そしておいしい酒のつまみを作りましょう!」

 ロドルフの好みの味だったようで、がぜんやる気を見せている。

(別に、手伝わなくても、試食してもらうけど……?)

 何か勘違いしているようだが、手伝ってもらえる分には助かるので、有紗は何も言わないことにした。
 すると、話を聞きつけた騎士や使用人も木のチップ作りに参戦する。用意していた木材のほとんどがチップに変わった。
 午餐で出した燻製の魚とチーズは大好評で、木材の香りの違いで評判も聞いて、どれを主に使おうかと記録をまとめた。

(この調子で、燻製をガーエン領の名物料理にするぞー!)

 何回か練習して、安定して作れるようにならないと、商品には向いていないだろう。
 有紗は気合いを入れ、こり性のイライザと燻製の研究に没頭した。



-----------

※温度計について
 初めて作ったのはガリレオ・ガリレイだといわれていますが、彼は温度という概念を見つけただけで、温度計という道具自体は、それからさらに後ろの方が作ったといわれています。
 気になる方は、レッツ検索!

 ガリレオは中世イタリアで、十六~十七世紀を生きた人ですけど、この作品は、中世の前期~中期くらいのおおざっぱなところをイメージしてます。十二世紀くらいかな~? おおざっぱですし、あくまで異世界です。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完】前世で子供が産めなくて悲惨な末路を送ったので、今世では婚約破棄しようとしたら何故か身ごもりました

112
恋愛
前世でマリアは、一人ひっそりと悲惨な最期を迎えた。 なので今度は生き延びるために、婚約破棄を突きつけた。しかし相手のカイルに猛反対され、無理やり床を共にすることに。 前世で子供が出来なかったから、今度も出来ないだろうと思っていたら何故か懐妊し─

【完結】神から貰ったスキルが強すぎなので、異世界で楽しく生活します!

桜もふ
恋愛
神の『ある行動』のせいで死んだらしい。私の人生を奪った神様に便利なスキルを貰い、転生した異世界で使えるチートの魔法が強すぎて楽しくて便利なの。でもね、ここは異世界。地球のように安全で自由な世界ではない、魔物やモンスターが襲って来る危険な世界……。 「生きたければ魔物やモンスターを倒せ!!」倒さなければ自分が死ぬ世界だからだ。 異世界で過ごす中で仲間ができ、時には可愛がられながら魔物を倒し、食料確保をし、この世界での生活を楽しく生き抜いて行こうと思います。 初めはファンタジー要素が多いが、中盤あたりから恋愛に入ります!!

【完結】うっかり異世界召喚されましたが騎士様が過保護すぎます!

雨宮羽那
恋愛
 いきなり神子様と呼ばれるようになってしまった女子高生×過保護気味な騎士のラブストーリー。 ◇◇◇◇  私、立花葵(たちばなあおい)は普通の高校二年生。  元気よく始業式に向かっていたはずなのに、うっかり神様とぶつかってしまったらしく、異世界へ飛ばされてしまいました!  気がつくと神殿にいた私を『神子様』と呼んで出迎えてくれたのは、爽やかなイケメン騎士様!?  元の世界に戻れるまで騎士様が守ってくれることになったけど……。この騎士様、過保護すぎます!  だけどこの騎士様、何やら秘密があるようで――。 ◇◇◇◇ ※過去に同名タイトルで途中まで連載していましたが、連載再開にあたり設定に大幅変更があったため、加筆どころか書き直してます。 ※アルファポリス先行公開。 ※表紙はAIにより作成したものです。

悪役令嬢に転生後1秒もなく死にました

荷居人(にいと)
恋愛
乙女ゲームの転生話はライトノベルでよくある話。それで悪役令嬢になっちゃうってのもよく読むし、破滅にならないため頑張るのは色んなパターンがあって読んでいて楽しい。 そう読む分にはいいが、自分が死んで気がつけばなってしまったじゃなく、なれと言われたら普通に断るよね。 「どうあがいても強制的処刑運命の悪役令嬢になりたくない?」 「生まれながらに死ねと?嫌だよ!」 「ま、拒否権ないけどさ。悪役令嬢でも美人だし身分も申し分ないし、モブならひっかけられるからモブ恋愛人生を楽しむなり、人生謳歌しなよ。成人前に死ぬけど」 「ふざけんなー!」 ふざけた神様に命の重さはわかってもらえない?こんな転生って酷すぎる! 神様どうせ避けられないなら死ぬ覚悟するからひとつ願いを叶えてください! 人生謳歌、前世失恋だらけだった恋も最悪人生で掴んでやります! そんな中、転生してすぐに幽霊騒ぎ?って幽霊って私のこと!? おい、神様、転生なのに生まれ直すも何も処刑された後ってどういうこと?何一つ学んでないから言葉もわからないし、身体だけ成人前って………どうせ同じ運命ならって面倒だから時を早送りしちゃった?ふざけんなー! こちら気晴らし作品。ラブコメディーです。展開早めの短編完結予定作品。

4人の王子に囲まれて

*YUA*
恋愛
シングルマザーで育った貧乏で平凡な女子高生の結衣は、母の再婚がきっかけとなり4人の義兄ができる。 4人の兄たちは結衣が気に食わず意地悪ばかりし、追い出そうとするが、段々と結衣の魅力に惹かれていって…… 4人のイケメン義兄と1人の妹の共同生活を描いたストーリー! 鈴木結衣(Yui Suzuki) 高1 156cm 39kg シングルマザーで育った貧乏で平凡な女子高生。 母の再婚によって4人の義兄ができる。 矢神 琉生(Ryusei yagami) 26歳 178cm 結衣の義兄の長男。 面倒見がよく優しい。 近くのクリニックの先生をしている。 矢神 秀(Shu yagami) 24歳 172cm 結衣の義兄の次男。 優しくて結衣の1番の頼れるお義兄さん。 結衣と大雅が通うS高の数学教師。 矢神 瑛斗(Eito yagami) 22歳 177cm 結衣の義兄の三男。 優しいけどちょっぴりSな一面も!? 今大人気若手俳優のエイトの顔を持つ。 矢神 大雅(Taiga yagami) 高3 182cm 結衣の義兄の四男。 学校からも目をつけられているヤンキー。 結衣と同じ高校に通うモテモテの先輩でもある。 *注 医療の知識等はございません。    ご了承くださいませ。

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

転生したら避けてきた攻略対象にすでにロックオンされていました

みなみ抄花
恋愛
睦見 香桜(むつみ かお)は今年で19歳。 日本で普通に生まれ日本で育った少し田舎の町の娘であったが、都内の大学に無事合格し春からは学生寮で新生活がスタートするはず、だった。 引越しの前日、生まれ育った町を離れることに、少し名残惜しさを感じた香桜は、子どもの頃によく遊んだ川まで一人で歩いていた。 そこで子犬が溺れているのが目に入り、助けるためいきなり川に飛び込んでしまう。 香桜は必死の力で子犬を岸にあげるも、そこで力尽きてしまい……

悪役令嬢はお断りです

あみにあ
恋愛
あの日、初めて王子を見た瞬間、私は全てを思い出した。 この世界が前世で大好きだった小説と類似している事実を————。 その小説は王子と侍女との切ない恋物語。 そして私はというと……小説に登場する悪役令嬢だった。 侍女に執拗な虐めを繰り返し、最後は断罪されてしまう哀れな令嬢。 このまま進めば断罪コースは確定。 寒い牢屋で孤独に過ごすなんて、そんなの嫌だ。 何とかしないと。 でもせっかく大好きだった小説のストーリー……王子から離れ見られないのは悲しい。 そう思い飛び出した言葉が、王子の護衛騎士へ志願することだった。 剣も持ったことのない温室育ちの令嬢が 女の騎士がいないこの世界で、初の女騎士になるべく奮闘していきます。 そんな小説の世界に転生した令嬢の恋物語。 ●表紙イラスト:San+様(Twitterアカウント@San_plus_) ●毎日21時更新(サクサク進みます) ●全四部構成:133話完結+おまけ(2021年4月2日 21時完結)  (第一章16話完結/第二章44話完結/第三章78話完結/第四章133話で完結)。

処理中です...