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第一部 邪神の神子と不遇な王子
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しおりを挟む塩抜きは、燻製する材料に直接水がかからないように、水をちょろちょろ流す。そのために、穴をあけた樽が必要だった。
樽に水を汲んで入れておけば、小さな穴から少しずつ水が流れ落ちるという算段だ。水を流しっぱなしにするため、台所のすぐ外での作業となる。しばらく様子見をしていたが、問題なさそうだ。
午餐の後、使用人が片付けを終えたタイミングで台所に戻り、木串や麻縄を用意してもらった。
猫に魚をとられても困るので、有紗達が台所の傍で椅子を並べて雑談していると、見回りに来たロズワルドに渋い顔をされた。
「お妃様、殿下に話しました?」
「台所にいるって言ったわ」
「ここは外でしょう。城内とはいえ、こんなひとけのない暗がりに女性だけでいるなんて、危ないでしょうが。どうして騎士に同席を頼まないんですか」
「私の段取りが悪くて、さっき決めたんだもの。そんなにうるさく言うなら、ロズワルドさんがいれば?」
上から見下すみたいに叱られ、ムッときた有紗が言い返すと、イライザとモーナが「えっ?」と顔を引きつらせた。ランプの明かりでも、嫌そうにしたのが分かる。ロズワルドは使用人にも嫌われているようだ。
「しかたないですね。見回りを他の者に代わってもらいます」
結局、有紗は売り言葉に買い言葉で、自分の首を絞めてしまった。
樽と魚入りのボウル、女三人が座っていて、しかめ面の騎士が傍に立っている。ものすごく気まずい。
どうにかしてくれと、イライザとモーナに目で訴えられたが、有紗もどうすればいいか分からない。
「あの~、ロズワルドさん? もしかして遠回しの嫌がらせとかじゃ……ひえっ」
じろっとにらまれ、有紗はモーナの腕に抱き着いた。モーナとイライザも有紗をかばうように、ぎゅっと有紗を抱きしめる。
ロズワルドはため息をつき、しぶしぶという調子で切り出した。
「本当は、私達は死んでいたはずだったのです」
「え?」
「ですが、殿下が慈悲をかけてくださった。誇りとは生まれではなく、あり方なんだそうです」
「へえ……」
レグルス、かっこいいことを言うなあ。
気の抜けた合槌を返し、有紗は感動にひたる。
「一度死んで生まれ変わったのだから、誇りある騎士となるように……と。せっかくいただいた機会ですので、努力しようかと」
「つまり、今、ロズワルドさんはものすごーく真面目に、私達を心配してくれているっていうこと……?」
「夜に女性が外に出るもんじゃありませんよ」
肯定する代わりに、嫌味っぽい注意が飛んだ。
有紗達は顔を見合わせ、おずおずと警戒を解く。
「ふーん。なんか分かりにくいっていうか、損してるタイプ? まあ、いっか。ねえねえ、その調子で傍にいるなら、ついでに後で作業を手伝ってよ」
「ちょっ、アリサ様! 駄目ですよ、騎士様はプライドが高いんですから」
「使用人の仕事なんてしませんって」
必死に止めようとするイライザとモーナだが、ちょうどそのタイミングでレグルスが顔を出したことで、ロズワルドの参加が決定した。
「アリサ、夜中に作業をするんでしょう? 僕も手伝いますよ」
「……ならば、私もします」
「なんだ、ロズワルドが護衛してくれていたのか。別に嫌なら構わないぞ。これは騎士の仕事ではないからな」
「いえ、主君を見守るだけなど無理です」
レグルスを主人と定めてから、ロズワルドは殊勝なことを言う。
「ロズワルドがするなら、俺も混ぜてくださいよ。面白そうです」
さらに、水差しに水を汲みに来たガイウスまで加わることが決まり、イライザとモーナは今にも泡を吹いて倒れそうだ。彼女達にしてみれば、レグルスは王子で、ロズワルドとガイウスは貴族の末弟だから、気軽に手伝わせていい相手ではない。
(何、この面子……)
有紗は心底不思議に思ったが、人数がいるならすぐに終わるかと、打算でオーケーした。
その後、塩抜きを終えた魚に木串を刺し、開いた状態で固定して、麻縄を口に通して輪にすると、ロープに吊るしていく。
有紗は少量を物干しざおにつるしていたから、ロープをつるす段階になって、どこにつるせばいいか困った。
結局、日が当たらなくて風通しがいいならと、台所の軒下に下げることにした。台所は居館の裏に、別棟である。屋根はあるが、壁はない。竈から出る煙が気にかかるが、早朝に魚を取り込めば影響はないはずだ。
「できたー! 後片付けをしたら、休みましょ。皆さん、ご協力、ありがとうございました!」
有紗はぺこりと頭を下げる。顔を上げると、ガイウスとモーナ、イライザは驚きで固まり、ロズワルドは不愉快そうに眉をひそめている。
「お妃様ともあろう方が、下々の者に気安く頭を下げてはなりません」
「え? 私の故郷の礼儀よ。手伝ってもらったらお礼を言う。当たり前でしょ」
「頭を下げるなと言ってるんですよ」
深夜残業で疲れてるのだろうか。いつもにましてロズワルドが怖い。本能的に震え上がった有紗は、レグルスの後ろに隠れた。レグルスは少しうれしそうにしたが、苦笑を浮かべる。
「今回は彼の言う通りですが、少しずつ慣れていけばいいですよ。それからロズワルド、アリサをにらむな」
「申し訳ありませんが、この顔は生まれつきです」
「ロズワルド、眉間が怖いことになってるぞ。はははは」
ガイウスが笑い飛ばしたので、場の空気がゆるんだが、ロズワルドは相変わらずおっかない。
「いずれ王妃になるのなら、身に着けるべき礼儀というものがあるでしょう。外国人だろうと、王宮では容赦ないものです。せいぜい精進なされよ」
「はい、そうします……」
お辞儀をして立ち去るロズワルドに、有紗は小声で返す。ガイウスは面白そうににやにやしている。
「なんだ、あいつ。殿下を王にする気満々なんじゃないか。素直じゃないなあ」
「しかし、アリサに厳しくはないか?」
むすっとするレグルスの腕を叩き、有紗は怒りを鎮めるように言う。
「まあまあ、レグルス。ああいう人も必要よ。みーんな甘くて注意しないんじゃ、私、悪女になっちゃうかも」
「アリサがそうおっしゃるなら……」
レグルスは怒りを引っ込め、しかたないなあという顔をする。
「私は苦手だけど、すっごく不器用そうね。あの調子で、敵ばっかり作ってきたんじゃない? そういう意味では器用なのかしら」
「そういえば、彼の配下も、不器用なりに助けてくれたと言って、彼をかばっていましたね」
「今、がんばろうとしてるのは本当みたいだから、レグルスは見守っていてあげて」
「アリサは?」
「私は怖いから無理よ」
はっきりと返すと、ガイウスが噴き出した。
「お、お妃様、正直ですなあ」
「ガイウスさんこそ、気にかけてあげてよ」
「俺は護衛師団の団長になったんで、配下のことは気にしてますよ。あいつの扱いをちゃんとしないと、団内で派閥ができそうなんで。身内で争うのは嫌ですからね」
「立派ねえ」
ロズワルドが仲間になってから、ガイウスが何かと場をとりなしていたのを思い出した。あのトゲトゲしい男と親しくしようというのだから、ガイウスはすごい。
「ガイウスさんが団長になって良かったわね、レグルス」
「アリサのおかげです。さあ、もう夜も遅いですから、片付けを終わらせて寝ましょうか」
最後まで手伝うつもりのレグルスを、イライザとモーナが止める。
「殿下、あとは私達でやっておきますので」
「ええ。お妃様も、お先にお休みください」
え、でも……と困惑する有紗に、二人は声をそろえる。
「「お構いなく」」
ここまで強く言われては、有紗も任せるしかない。
「そう? それじゃあ、よろしくお願いね」
「はい。お妃様、がんばってくださいね」
「ファイトです」
二人はにこにこと応援し、有紗は首を傾げる。
「え? 何を?」
「アリサ、行きましょう」
それでどうして、レグルスは頭が痛そうに、額に手を当てているのだろうか。ランプを手に先導するガイウスが、肩を震わせて笑っていた。
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