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第一部 邪神の神子と不遇な王子
6
しおりを挟む有紗達のやりとりは、周りを和ませたようだった。
おかげで肩の力が抜け、皆で釣りを楽しんだ。
「よろしいですかな、こうして餌をつけて……」
ロドルフが教えてくれたが、木箱に入っていたのがミミズだったので、有紗は後ろに逃げた。
「ミミズ! 無理!」
「はっはっは、アリサ様、お可愛らしいですなあ」
「僕が付けますよ」
ロドルフが笑い、レグルスが気遣って針に餌を付ける。
「お二方、ご覧ください。そこみたいに、川にポケット状になっている場所があるでしょう? ああいう所は魚がいやすいので、あそこに釣り糸を垂らします。あとはじっと待つだけです」
木製の釣竿は簡単な作りだ。有紗がテレビ番組で見たような、巻き取りもついていない。こんなもので釣れるのだろうかと半信半疑だったが、夕方までには小魚を一匹釣れた。レグルスはまあまあ大きな魚だ。
「すごいわ、レグルス。初めてなのに、そんなのを釣れるの?」
「たまたまですよ。ロドルフの教えが良いんです。アリサもがんばりました」
互いにねぎらいあう一方、ロドルフは五匹も釣って、にんまりしている。騎士達の中には場所を変えて罠を設置した者もいて、なんだかんだと二十匹近い釣果を得た。
午前中に釣れたのものうち、いくつかは正餐の料理に化けたが、あとは川の水を入れた桶に入れて、生きたまま持ち帰ることにした。
行楽は楽しかったが、困ったのは正餐だ。
途中、疲れたと言ってモーナと木陰に行き、そこで軽食をとったから食べられないというていをとりつくろい、なんとか食事を回避した。
見るからにおいしそうな焼き魚なので、有紗は我慢するのがものすごくつらかった。川魚の塩焼きが好きなのだ。しかし、今は食べれば泥のような味しかしないだろう。
食べ物を見るのは嫌なので、騎士達の様子を眺めていた。まるで映画の世界だ。めいめいが敷物の上に座って、木皿によそわれた料理を食べる。彼らには年若い従者がいて、騎士の世話に忙しそうにしていた。
一度は溝ができた騎士達だが、今回で少しは距離を縮められたようだ。
無愛想なロズワルドを、ガイウスが明るく気遣っていたおかげもありそうだ。ロズワルドはガイウスとの勝負に負けたせいか、ガイウスを一目置いているらしい。
こちらを見る目は冷たいままなので、まったくもって正直な男である。感じは悪いが、腹の内で何を考えているか分からない人よりはマシかもしれないと思うことにした。
ルーエンス城に帰ると、午餐をとってから、使用人の後片付けが済んだ頃合いに、有紗はモーナとともに台所に向かう。台所を片付け終えたイライザが待っていた。
「さあ、まずは魚の下処理よ」
「分かりました」
「私もお手伝いしますね」
袖をまくる有紗に、イライザはエプロンを差し出す。モーナも参加してくれた。
エラや内臓、血あいを取って、水で綺麗に洗い流す。三人でさばいたので、十匹分の魚は三十分もかからずに、三枚おろしや開きにできた。
「あ、そうだった。ソミュール液を作らなきゃ」
塩を直接塗りこむ方法もあるのだが、ソミュール液のほうが味がまんべんに行き渡る。ちょっと面倒くさいが、有紗はこっちが好みだ。
「塩分濃度がだいたい四パーセントから二十パーセントなんだけど、濃い目につけておけば間違いないかな?」
有紗はぶつぶつとつぶやく。
初夏とはいえ涼しい気候だが、この世界にはエアコンも冷蔵庫もない。食中毒が怖いので、念のためだ。
「調理器具は……、えっと、はかりは?」
有紗は台所を見回し、重さをはかる道具だとか、決められた値のカップとか、そういったものを探した。目に入る所にはないようだ。
「はかり?」
イライザがきょとんと繰り返し、モーナのほうを見る。モーナも困惑している。
「イライザはいつもどうやって料理をしてるの?」
「長年の経験です」
「ええと、それじゃあ、液体を売り買いする時って、ここではどうしてるのかしら」
「規格が決まった樽や桶ですよ。固体なら天秤や棹ばかりを使っていますね。行商人がインチキをしないように、市場では天秤を扱う専門家や役人が立ち会うことがあります」
「樽と桶か……。それより少ない場合は?」
「適当か、よく使うカップでだいたいの量を見ていますね」
イライザはお玉やスプーン、コップを見せてくれた。
おおよそで作るなら、これでもいいんだろう。あとは味を見ながら整えるわけだ。
「分かったわ。じゃあ、ボウルは?」
「こちらでよろしいですか?」
「鍋を置いて……。大雑把だけど、ボウル一杯の塩にたいして、水を五杯入れて、ローリエを数枚っと」
よく混ぜてから、火にかけて沸騰させる。
(砂糖も入れたいけど、ここでは高価だからしかたないわね。お酒は……確かこのくらいの時代だと粗悪だから、やめたほうがいいかな)
ウィスキーやワインも入れてもいいのだが、今回はやめることにした。大事なのは塩水につけることだ。
鍋の水を冷ましている間、有紗は風呂に入って着替えることにした。汗もかかなかったが、外出したのに風呂に入らないという考えはない。
イライザは休憩をとるようだ。有紗はモーナとともに妃の間に帰る。魚の下処理の間、使用人が準備しておいてくれた風呂に入り、さっぱりした。不思議な神子パワーのせいで、たいして汚れていないお湯を見て、モーナが残り湯を使ってもいいかと訊いてきた。
彼女も使用人は初めてだそうだが、主人が許せば、侍女や従者は残り湯を使えるのだという。家族で同じ風呂に入るようなものだろう。あとは捨てるだけの湯なので、有紗は使うように言った。
モーナは着替えと布を取りにいったん退室し、すぐに戻ってきて風呂を使う。
それから使用人に風呂を片付けてもらった。
「お風呂場の整備は後回しとしても、排水溝が欲しいわよねえ。その辺に雨どいでもつけられないのかな」
濡れた髪を適当に拭いて三つ編みにすると、きちんと髪をベールで覆った。そして、有紗は綺麗な平服姿で、さっそくレグルスの部屋に向かう。
「あなたのおっしゃりようも分かるんですがね、アリサ。排水用の雨どいを付けると、城の防御力が落ちますね」
「なんで?」
家には雨どいがあるものだ。有紗が質問を返しても、レグルスは馬鹿にすることもなく、丁寧に答える。
「雨どいを伝って、賊が登ってきたらどうします?」
「ああ、そういうことかぁ。私の世界でも、雨どいを登って泥棒が入ることがあるって聞いたことがあるわ」
「どうしても気になるなら、奥のトイレに捨てさせればいいですよ。そのまま堀に落ちます」
「そうなの!? 糞尿って堀に落ちるの?」
有紗は体が作り替わったせいで、この世界に来てから排泄は一切していない。自然とトイレにも行かない。
「それで堀の水が川に流れるのよね? 衛生的にはあんまり良くないけど、そうよね、外国の山奥なんかだと、いまだにそういうトイレもあるみたいだし……」
「アリサの故郷ではどうなんですか?」
「私の国は、今では上下水道が整備されてて、下水の処理施設があるわよ。でも、そうね。江戸時代……昔なら、人糞を肥料にしてた頃もあるわね。買い取りする業者がいたんですって。長屋……ええと、集合住宅なんかだと、人が住んでいるだけでもうかるから、家賃を払えなくても空室にするよりいいってことで、次の入居者が決まるまでは目をつむって置いていてあげていたくらい」
「はあ。アリサは詳しいですね。学者なんですか?」
「大学で勉強はしてたけど、違うわよ。ただ、気になると調べたくなるだけ」
インターネットは便利だ。それに大学図書館なら専門書を調べやすい。
「うーん、そうなのね。燻製が上手くいったら、そこのお堀で魚を養殖できないかなって思ってたんだけど、魚が糞尿を食べるのは心配よね」
「養殖ですか?」
レグルスは驚きを見せた。
有紗は誤解しないでと、手を振って苦笑いを浮かべる。
「って言っても、私は魚を育てたことないのよ? でも川から魚を入れて、ある程度大きくなるまで育てるくらいはできるんじゃないかなって考えていたのよ」
「なるほど。川魚を名産品にするなら、育てたほうが都合がいいですね。アイデアをありがとうございます。アリサが不安に思っている点なども合わせて、燻製の結果次第で、どんな事業にするかまとめていきましょうね」
「ありがとう、レグルス。話を聞いてくれてうれしいわ」
有紗は考えを話すことはできても、実際にどう実現させればいいのか分からない。この国の発展具合から考えると、無理だとか突拍子もないと笑われてもおかしくないと思う。
「こちらこそ、領のことを真剣に考えてくれてありがとうございます」
「えへへ、どういたしまして。あ、私、台所に戻るんだったわ。それじゃあ……」
「僕も行ってもいいですか? 用事を終えたので」
有紗が一言断って立ち去ろうとすると、レグルスも廊下に出た。手紙や書類のチェックがあったので、塩漬けの作業に立ち会えなかったのだ。
「いいわよ。でも、あとはソミュール液に魚を漬けるだけよ。それから最低一日は置いておかないといけないから、そうね、明後日の朝に塩抜きをしようかしら」
「時間をかけるものなんですね、興味があります」
有紗達は台所に行き、残りの作業を終えた。
明日は燻製の箱作りだ。
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