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第一部 邪神の神子と不遇な王子
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しおりを挟む有紗は妃の間に戻って、樹皮紙にメモの続きを書いていた。
書斎には有紗の机がない。レグルスの机の端を借りていると書きづらかったので戻ってきた。侍女のモーナが部屋にいないので、午餐の準備をしているんだろう。
「私達、良いコンビかも」
有紗は羽ペンを走らせながら、自分の考えににまりとした。
有紗が現代知識を参考にアイデアを出し、レグルスがそれをロドルフやウィリアムと話し合って、現実化する。レグルスが言うように、有紗は軍師のようなものなんだろう。
聖典閲覧と安泰生活のためだ、協力は惜しまない。
「よし、できた」
まずは思いついたことをメモした。順番を間違えているところや足りないところがあるので、訂正したメモを作ってから、別紙に清書する。
清書したメモを読み返していると、部屋の扉をノックする音がした。訪問者はヴァネッサだ。
「どうしたんですか、ヴァネッサさん」
「明日、魚釣りに行くと聞いて、お願いがあるの。ミシェーラに精を付けさせたいから、一匹分けてくれないかしら」
お願いと聞いて身構えたが、そういうことならまったく問題ない。有紗は気軽にうけおう。
「構いませんけど、明日次第ですよ。釣れないかも」
するとヴァネッサが色っぽくウィンクをする。
「大丈夫よ、男達がはりきるでしょうから。あなたは侍女と一緒に、おだてて応援してあげればいいの。それでばっちりよ」
「私も釣りたいんです」
「ふふ、それも楽しそうね。でも、大物が釣れても、威張っては駄目よ。男ってすぐにすねるんだから。特に騎士なんて、プライドは山みたいに高いわ」
「あー、確かに。ロドルフさんとか、すねそうですね」
「でしょう?」
子どもっぽく背を向けるところまで想像できる。
有紗が笑みをこぼすと、ヴァネッサもくすくすと笑う。それから、ヴァネッサは有紗の手元に目をとめた。
「あら、それってアリサの国の文字? 丸かったり四角だったり、不思議な字ね。私は字を書けないけれど、この国の字とは全然違うことは分かるわ」
丸っぽいのは平仮名で、四角いのは漢字のことだろうか。
「あ、そっか。私の文字を読めないんでしたね、忘れてた……」
「ミシェーラに代筆してもらったら? 部屋からはまだ出られないけど、することがなくて退屈してるのよ」
「そういうことなら、お願いしてみます」
善は急げと、筆記具をまとめる。そのままミシェーラに頼むと、喜んで引き受けてくれた。そしてヴァネッサに問いかける。
「お母様、私、元気になったら王宮に戻らねばなりませんの? こんなふうに、アリサお姉様のお手伝いをしたいわ」
「それは私ではなく、あなたのお父上が決めることよ。誠心誠意、頼み込んでみなさい」
「はーい」
ミシェーラは分かりやすくふてくされる。
「そんなにお父さんは融通がきかないの?」
「ええ、頑固ですわ。その辺りはお兄様とそっくりですわね」
「レグルスと似てるなら、優しいから大丈夫よ」
有紗がなだめると、ミシェーラは希望が見えたようで、機嫌が直った。有紗の話すことを、すらすらと樹皮紙にまとめていく。
「ここの文字は分からないけど、綺麗な字ね」
アルファベットのような、全く違うような不思議な文字だが、ペンを走らせると単語を続けて書けるみたいだ。アルファベットの筆記体みたいなものだろうか。
ミシェーラがにまっと笑う。
「お姉様、こちらを真似して書いてみて。簡単な文字よ」
新しい樹皮紙に、ミシェーラが単語を書く。有紗はそれを見本にして、たどたどしく単語を書いた。
「こう?」
「ええ、そうよ。可愛い字。子どものらくがきみたい」
「そりゃあ、書いたことがないし……」
「あ、馬鹿にしたのではなくて、ただ可愛いと思っただけなの。これを見せれば、お兄様が喜びますわ」
「なんでレグルスが喜ぶの? これ、どういう意味?」
「見せてのお楽しみですわ」
ミシェーラはにこにこと笑って、意味を教えてくれない。ヴァネッサがミシェーラをたしなめる。
「こら、ミシェーラ。アリサをからかうんじゃありません」
「だって、お兄様とお姉様を見ているとじれったいんですもの。ねね、お姉様。見せるだけでよろしいですから。意味はお兄様に訊いてくださいな」
「悪口じゃないよね?」
有紗が確認すると、ミシェーラは首を振った。
「違いますわ」
「それならいいけど」
ミシェーラの悪戯っぽい顔が気になるが、兄を慕っているミシェーラだ。悪いことではないだろう。それから燻製についての説明を書き終えると、ミシェーラは有紗に紙束と筆記具を押し付けて、部屋の外に誘導する。
「さあさあ、すぐにお兄様のもとへ行ってくださいませ!」
「いったいなんなの、ミシェーラってば」
訳が分からない。有紗は首をひねるが、ミシェーラは手を振って扉を閉めてしまった。謎の態度をいぶかりつつ、有紗は二階のほうへ歩き出す。どうせこの樹皮紙を渡す予定だから、レグルスに会う。ついでに渡そう。
二階の書斎に行くと、すでにレグルスは退室していた。そちらを訪ねると、レグルスは長椅子で本を読んでいた。午餐のための身支度に戻ったとウィリアムが言っていたが、すでに終えていたらしい。
改めて見ると、城館ではレグルスの部屋が最も広い。妃の間よりも窓が多いので明るい。空はオレンジ色に染まり始め、時折、風が吹き込んでくる。
「アリサ、そろそろ喉が渇く頃ではないかと思っていました」
隣に座るようにと手招かれ、有紗は遠慮なくそちらに向かう。
「それもあるけど、先にこっちね。ミシェーラに書いてもらったの。これが燻製についてで……」
「なるほど、文字だと分かりやすいですね」
じっと樹皮紙を見下ろすレグルスの前に、有紗はメモを差し出す。
「あと、これも」
「え」
何故かレグルスが石のように動きを止めた。
「ミシェーラが、レグルスに見せるようにって。意味も教えてもらえって言ってたわ」
有紗がそう言うと、レグルスは顔を手で覆ってうつむいた。
「……そういうことか、ミシェーラめ」
うめくように呟くレグルスの耳が赤い。
「どうしたの? そんなにひどい言葉?」
「いいえ……。いえ、ひどいですね」
「どっち?」
「喜んだのに、直後に穴に蹴落とされた気分です」
「何それ、どういう言葉なの、これ!」
ミシェーラだから大丈夫だろうと思ったが、有紗の考えが甘かったのだろうか。おろおろとしていると、レグルスが噴き出した。
「そんなに気にしなくていいですよ。ミシェーラのことは、後で叱っておきます。これはいただいても?」
「え? 欲しいの?」
「この国の文字を書いたのは、初めてでしょう? 記念にとっておきますね」
「あ、そういうこと。構わないけど、なんだか恥ずかしいわね。それで、意味は?」
「今度、教えます」
なんで後回しにするんだろう。有紗には不思議でならないが、レグルスは静かに微笑んでいる。
(あ、がんとしても言わない顔だわ、これ)
レグルスは優しいが、ときどき頑固だ。有紗が折れることにした。
「そのうち話してくれるなら、いいわ」
「ええ」
レグルスはメモを手に取って立ち上がると、チェストの上に置いてあった綺麗な木箱にメモを入れた。
(宝箱に入れるようなものかなあ?)
戸惑いを隠せない有紗だが、レグルスがこの話は終わったという態度なので、深く問いつめるのはやめておくことにした。
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