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第一部 邪神の神子と不遇な王子

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 ミシェーラの部屋を出た後、さっそく二階の書斎に顔を出した。

「レグルス、ロドルフさん、今、ちょっとお時間を頂いてもいいかな?」

 裁判から戻ったばかりで忙しいかと、一応気遣うと、レグルスはかすかに笑みを浮かべた。

「もちろんです」
「何を急に他人行儀な。ずいずい踏み込んでくるくらいが、アリサ様でしょう」
「ロドルフさん、どういう意味よ、それ。そんなに厚かましくした覚えはないけど」

 有紗はロドルフに言い返したが、言いたい放題言っている自覚はある。

(少し控えたほうがいいかしら……)

 するとレグルスが気にするなと言う。

「いいんですよ、アリサは自由にしていて。政治は男、家のことは女と言う者もいるでしょうが、僕にとっては、アリサは参謀みたいなものですから」
「参謀! かっこいい響き!」

 有紗は目を輝かせる。そんな有紗を、ロドルフがからかう。

「裏を牛耳る悪女にはならないでくださいよ」
「もーっ、私はそんなのにはならないわよ! だって私達、女や子ども、老人に優しい国作りを目指すんだから。そんなの真逆じゃない」
「アリサ様、ロドルフ様の悪い冗談ですよ」

 言い返す有紗に、ウィリアムがそっと口を挟んだ。

「それで、どうしたんですか?」

 レグルスが話を進めるので、有紗はお風呂の案をまとめた樹皮紙を出した。

「一階にこういうのを作りたいわ。どれが作りやすいかな」
「ははあ。見た感じは、ゴエモン風呂というのが、一番効率的に思えますな。薪を燃やすのは同じですから、このパイプで隣室へという部分が減っただけ楽かと」

 ロドルフはそう言ったものの、溜息をついた。

「ところでアリサ様、問題があります」
「はい、なんでしょう」

 身構えて姿勢を正す有紗に、ロドルフは苦笑した。

「前にも話した通り、我が領にはたいして予算がありません」
「はい」
「家の簡単な修繕をする余裕程度はありますが、改築となると、お金がありません。緊急用の資金に手を出すわけにはまいりませんので、余裕を作らねば」

 有紗はぱちくりと瞬きをして、問う。

「つまり、お城を良くする以前に、そのための資金稼ぎから始めてってこと?」
「その通り!」

 ロドルフはパチンと指を鳴らした。有紗はがっくりする。

「なるほど、そう簡単にはいかないってことね。商売なんてしたことないから、よく分からないわ。まずはこの土地に何があるか、よね」

 レグルスが簡単に挙げていく。

「ここは牧畜がメインですよ。牛、馬、羊、それから山羊を飼っています。農作物は大麦と根菜ですね。山からは石を切り出し、木材もとれますが、あまり多くはありません。草原のほうが多いので」
「牛と山羊のミルクでチーズを作り、馬は農耕用と売る用に育てていますね。羊からは羊毛を。羊は病気になりやすいですが、羊を育てておけば、必ず利益になりますな」

 ロドルフはそう付け足した。

「他には?」
「そうですな。山と迷いの森から流れてくる川があります」
「川以外……」
「ありませんよ」

 有紗は駄目元で問う。

「鉱山なんてものは……」
「あったら、もっと裕福に暮らしておりますぞ」
「ですよねえ」

 なるほど、牧歌的な田舎といった雰囲気の場所なのか。

「動物は病気になることもありますし、羊と山羊は基本的に牧人まきびとを雇って放牧していますが、狼に食われることもあります」
「……狼」

 日本にはいないから、なんとなくピンときていなかったが、そういえばレグルスが狼に噛まれて致命傷を負っていた。あんな真似をする動物が、家の外にいるのだと思うと怖い。
 レグルスが右手を軽く挙げる。

かせぐなら、川魚がいいと思っていたんですよ。魚は貴重なので、高く売れます」
「日持ちしないので、その日に食べるご馳走ですなあ」

 ロドルフがうなる。確かに、冷やすなりしておかないと、すぐにいたむだろう。

「え? 魚を燻製したり干物にしたり、塩漬けにしないの?」
「塩漬けは分かりますが、クンセイってなんですか」
「ヒモノ?」

 レグルスとロドルフが不思議そうに問うので、有紗は目を丸くする。

「ないの!?」

 ここは異世界だし、もしかすると呼び名が違うのかもしれない。念のため、有紗はそれがどういったものか詳しく説明した。するとロドルフがああと合槌を打つ。

「ヒモノって、干した物のことですか。それならありますぞ。ですが、クンセイは聞いたことがないですね」
「できるだけ水分を抜けば一ヶ月はもつし、上手に作れる人なら、数年はもつって話よ」
「ほう、それはすごい。冬を越すのにいいですな」

 ロドルフはあごを撫でて、しきりに頷く。

「野菜や肉を干すことはあっても、魚は怖いので、試したことがありません。とにかく一度、試作してみたいですなあ」
「とりあえず、方法を紙に書いてまとめておくわね。私のいた所は、食べ物を冷やしておく道具があったから、燻製って昔の保存食ってイメージだったし、燻製をする人は、そういう食品を作る人だったりアウトドア好きだったりする人だけだったんだけど、たまたま流行はやってたのよね」

 有紗がそう説明すると、ウィリアムが口を挟む。

「どうして保存食作りが流行るんですか? その道具がいっせいに壊れたとか?」
「え? なんでだろう。なんか……おしゃれ? みたいな?」
「保存食作りが、おしゃれ?」

 眉を寄せるウィリアム。有紗も首を傾げるが、それ以外にちょうどいい答えは見つからない。流行って不思議だ。

「私のお母さんがはまってたの。それで、一緒に作ってみたのよね。そしたらほら、昔もこんなふうにしてたのかなって思ったら、気になっちゃうじゃない? 調べるでしょ。実践するわよね? ま、一通り作ったら飽きちゃって、燻製のために作った木箱はベランダではち置きになったわ」

 一度気になることがあると、有紗はとにかく調べて、ウェブから本まで読み漁る。手軽にできるなら試しにやってみるが、飽きるのも早かった。こうして雑学が増えていく。

(勉強にまったく関係ない辺りって、なんで面白いのかしら)

 かんじんの卒業論文に必要な資料は、全然読み進められなかったのだから、不思議なものである。それでもなんとか卒業はできたが。

「それが普通って態度で質問されても……。お妃様がしょうってことは分かりました」
「私のいた国は、調べものをするのが簡単だったから、その手軽さもあったんだと思うわ。ここでは本を探すか、詳しい人を探さないと厳しいでしょ?」
「そうですね。むしろそれ以外にどうやって調べるんですか」
「えっと……説明しづらいから、やめとく」

 インターネットのことを説明しようとして、有紗はすぐに諦めた。そもそもここには電気で動く機械がないのだから、理解できないだろう。それに有紗も、普段使っていることを噛み砕いて説明するほど詳しくない。
 使えれば問題ないのだ。興味がないことには、とことん関心が向かないのが、有紗という人間だった。

「アリサ、材料をそろえたら、魚を釣りに行きましょう」
「え? レグルスが釣るの?」
「釣り、一度してみたかったんですよね」

 レグルスは照れたように言った。

「いいですな。皆で川に行きますか! たまには親睦を深めませんとな! 何、このロドルフが、殿下とお妃さまにしかとお教えいたしますぞ!」
「ロドルフ様、自分が散策に行きたいだけじゃないですかぁ。私は留守番しますよ。こんな虫が多い時期に出歩くなんて嫌です」
「情けない奴だな! 虫がなんだ」

 ロドルフがウィリアムの肩を軽く小突こづくが、ウィリアムは気にしていない。
 有紗はくすくすと笑いながら、樹皮紙にメモをした。
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