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第一部 邪神の神子と不遇な王子
五章 資金問題 1
しおりを挟むあの騒動から一週間が経ち、ようやくルーエンス城は落ち着いた。
騎士が戻ってきて、新しい使用人も決まり、規律と活気がある城になった。
午後、ミシェーラの部屋を訪ねた有紗は、ミシェーラと雑談していた。
ミシェーラはまだ部屋から出られるほどではないが、弱っていた様子は薄れ、昼間はベッドではなく長椅子やテーブルのほうにもいられるようになった。疲れたらベッドに戻って休んでいるようだが、そろそろ外で散歩も出来るだろうとのことだ。
「すごいわ、アリサお姉様。あの嫌味くさいロズワルドまで、味方に付けてしまうなんて!」
薬草茶を飲みながら、ミシェーラはその青い目をキラキラと輝かす。
「私じゃなくてレグルスよ。相変わらず怖い雰囲気の人だけど、レグルスの前だと忠犬みたい。前に見たあの人が嘘みたいよ。ついて回って子どもみたい」
有紗は分かりやすくむくれていた。ミシェーラがくすくすと笑いを零す。
「お兄様をとられたみたいで、つまらないのですわね?」
「レグルスと外に出ると、絶対にどこからか現われるし、私のことをじろっと見るのよ。『邪魔』って言われてるみたい」
「あの方、目つきが悪いですものねえ」
納得だと言うように、ミシェーラが呟き、薬草茶を飲んで顔をしかめた。それから、有紗が羽ペンで樹皮紙に書き込んでいるものを覗く。
「なんですの、その絵」
「ボイラー?」
みたいなものだろうか。薪 ストーブを使った湯沸かし器だ。
「ぼいらー」
聞き慣れない言葉なのだろう、ミシェーラが繰り返して、きょとりと瞬きをした。リスみたいで可愛い。
「私ね、元いた場所では学生だったの。日本史……私の国の歴史を勉強していたのよ」
「学者さんですか?」
「ううん、私は研究者になる予定はなかったわ。学校の教師になる予定だったの」
春から地方の高校に、新任の歴史教師として赴任する予定だったのに。大学の卒業式の日に、こんな所に召喚されてしまったせいで、その努力も意味がなくなった。思い出すと胃がチクチクしてくるので、有紗は頭を振って追い散らす。
「お姉様、大丈夫ですか?」
ミシェーラが心配そうに問う。有紗はなんとか気を取り直し、ミシェーラに頷いた。
「大丈夫よ。ええと、それでね、歴史は歴史でも、昔の生活が見える辺りが興味深くて、趣味でお風呂についても調べていたのよ。これは、マリー・アントワネットっていう外国の王妃様が、ええと最初は王太子妃だったんだけど、そういう方が作らせた、当時では先進的なお風呂よ。うろ覚えだけどね」
風呂場の壁際に浴槽を配置して、隣室で沸かした湯を、パイプを通して流し込む構造だ。蛇口をひねれば、お湯が出る。大勢の使用人が付き添わなければ風呂に入るのが難しかった当時、一人でゆっくり風呂に浸かれるのは画期的なことだった。
「王妃様のお風呂ですの? でも、使用人の手を借りれば、問題ないのでは?」
「この王妃様がいた国はね、開かれた王室をうたっていたの。でも王妃様は違う国から嫁いできたから、その気質に慣れなくて。プライベートが少なくて、王妃様にはストレスだったんですって。初夜と出産も、客に見せたらしいわ」
「な、なんですの、それ! ありえませんわ!」
ミシェーラは唖然として、顔を真っ赤にした。
(あ、いけない。こんな年下の子に……)
有紗もありえないと思っていたから、つい饒舌になったが、五歳下――つまり日本でいうなら高校生だ。もっと考えて話すべきだった。
「ごめんなさい。えっと、それでね、自分だけの時間が欲しくて、部屋を改造していたの。そういったことや服飾品にお金をたくさん使って、財政を圧迫させたから、悪女といわれてたわ」
「女としては同情しますけれど、国のお金は大事に使いませんとね」
ミシェーラは感受性が豊かのようだ。自分のことみたいに悲壮な顔をしている。
(可愛いなあ。いやされる)
ミシェーラの分かりやすさは、有紗には可愛く見えた。しかもミシェーラは有紗を慕ってくれている。レグルスの妹だと思うと、もっと可愛い。
「あはは、そうね。私も散財はどうかと思うわ。マリー・アントワネットのことはさておき、お風呂は良いわよ。清潔は大事。病気予防になるし、体が冷えやすい女性にとっても健康に良いわ。それから、これが重要なんだけど。単に、私がお風呂に入りたいの」
「欲望が全開ですね」
その言葉のわりに、ミシェーラはうれしそうに微笑んでいる。
「飲食の楽しみを奪われ、着飾ることにもあまり興味のなさそうなお姉様が、お風呂にだけはこだわりをもっていらっしゃる。王女としても叶えて差し上げたいわ」
「美容にもいいのよ。入浴剤に、薬草やお花を使えばいいと思う。そのお茶みたいに」
「飲むよりずっと良さそう」
残っているお茶を見下ろして、ミシェーラは溜息をつく。それでも医者が用意してくれたからと、しぶしぶ飲み進めるあたりは良い子だ。
「次の案はこれ」
「これが浴槽なら、この溝に入っている丸いものはなんです?」
ミシェーラは有紗の書いた簡単な図を、ほっそりした指先で示す。
「これは石よ。石焼き風呂っていうの。ドッツォっていう、私の世界のある国の文化よ。毎日入るわけじゃなくて、たまにね、お風呂に入るぞって気合いを入れてするみたい。焚火で石を焼いて、お水を張った浴槽に入れる前に軽く洗ってから入れるの。こういう仕切りがあるものもあれば、仕切り部分が外にあるものもあるんですって」
「そんなお風呂もあるのですか」
有紗の説明を、ミシェーラは興味津々という様子で聞いている。
「私の国の古いお風呂は、五右衛門風呂っていうのよ。大きな鍋みたいな感じかな。鉄製か、底だけ鍋になっていて壁は桶になってるタイプの湯船があって、下で火を焚くの。湯船の底には木の板が敷いてあるから、その上に入るのよねえ」
有紗は首を傾げる。
「西洋……西のほうの国だと、湯に浸かるというより、蒸し風呂の文化ね。でも、私はお湯に浸かりたいわ。どれなら作りやすいと思う?」
「アリサお姉様のお話は面白いですけれど、わたくしは技術のことは分かりません。お兄様に相談して、職人を雇っては?」
「そうねえ。ロドルフさんに言ったほうがいいよね」
「というより、まずはお兄様に相談されないと、お兄様がすねてしまいますわよ」
ミシェーラが笑いながら言う。すねるという言葉の響きが面白くて、有紗も噴き出した。
「まっさかー、レグルスがそんな真似するわけないじゃない」
「ふふ。アリサお姉様には頼って欲しいはずですわ。お姉様だって、お兄様が悩み事を相談するのが、先にロズワルドだったら嫌でしょう?」
「ま、まあ……そうね。ロズワルドさんより後は嫌かな」
考えるだけで、もやっとする。
「わたくしは良い案だと思いますから、その紙を持って、お兄様達に話してみてください。それで、上手くいったら、わたくしもお風呂を使わせてくださいね」
「うん、もちろん! 広めに作れたら、一緒に入りましょ」
「ええ。そうだわ、お風呂が出来るまで時間がかかるでしょうし、真夏になったら一緒に水浴びに行きませんか? ちょうどいい泉があると、前に侍女が噂してましたの」
「えっ、外で裸になるの?」
「薄手のネグリジェですよ。今の使用人なら、信用できますから、安全に過ごせると思います」
「分かったわ。じゃあ、約束ね」
有紗が微笑むと、ミシェーラもにこっと笑う。
「ミシェーラ、ちょっとお願いがあるんだけど」
「なんですか?」
「ぎゅってしていい?」
「ぎゅ?」
首を傾げるミシェーラに、有紗はテーブルを回りこんで実践した。ミシェーラを抱きしめて、よしよしと頭を撫でる。
「可愛いわぁ」
ミシェーラは真っ赤になった。
「わ、わたくし、お姉様になら、いつでもぎゅっとされて構いませんわよ」
「ミシェーラ、あなた、本当に可愛いけど、大丈夫? さらわれたりしないかな」
どう見ても小動物なので、有紗は本気で心配してしまった。
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