上 下
35 / 125
第一部 邪神の神子と不遇な王子

五章 資金問題 1

しおりを挟む
 

 あの騒動から一週間が経ち、ようやくルーエンス城は落ち着いた。
 騎士が戻ってきて、新しい使用人も決まり、規律と活気がある城になった。
 午後、ミシェーラの部屋を訪ねた有紗は、ミシェーラと雑談していた。
 ミシェーラはまだ部屋から出られるほどではないが、弱っていた様子は薄れ、昼間はベッドではなく長椅子やテーブルのほうにもいられるようになった。疲れたらベッドに戻って休んでいるようだが、そろそろ外で散歩も出来るだろうとのことだ。

「すごいわ、アリサお姉様。あの嫌味くさいロズワルドまで、味方に付けてしまうなんて!」

 薬草茶を飲みながら、ミシェーラはその青い目をキラキラと輝かす。

「私じゃなくてレグルスよ。相変わらず怖い雰囲気の人だけど、レグルスの前だと忠犬みたい。前に見たあの人が嘘みたいよ。ついて回って子どもみたい」

 有紗は分かりやすくむくれていた。ミシェーラがくすくすと笑いを零す。

「お兄様をとられたみたいで、つまらないのですわね?」
「レグルスと外に出ると、絶対にどこからか現われるし、私のことをじろっと見るのよ。『邪魔』って言われてるみたい」
「あの方、目つきが悪いですものねえ」

 納得だと言うように、ミシェーラが呟き、薬草茶を飲んで顔をしかめた。それから、有紗が羽ペンで樹皮紙じゅひしに書き込んでいるものを覗く。

「なんですの、その絵」
「ボイラー?」

 みたいなものだろうか。薪 まきストーブを使った湯沸かし器だ。

「ぼいらー」

 聞き慣れない言葉なのだろう、ミシェーラが繰り返して、きょとりと瞬きをした。リスみたいで可愛い。

「私ね、元いた場所では学生だったの。日本史……私の国の歴史を勉強していたのよ」
「学者さんですか?」
「ううん、私は研究者になる予定はなかったわ。学校の教師になる予定だったの」

 春から地方の高校に、新任の歴史教師として赴任する予定だったのに。大学の卒業式の日に、こんな所に召喚されてしまったせいで、その努力も意味がなくなった。思い出すと胃がチクチクしてくるので、有紗は頭を振って追い散らす。

「お姉様、大丈夫ですか?」

 ミシェーラが心配そうに問う。有紗はなんとか気を取り直し、ミシェーラに頷いた。

「大丈夫よ。ええと、それでね、歴史は歴史でも、昔の生活が見える辺りが興味深くて、趣味でお風呂についても調べていたのよ。これは、マリー・アントワネットっていう外国の王妃様が、ええと最初は王太子妃だったんだけど、そういう方が作らせた、当時では先進的なお風呂よ。うろ覚えだけどね」

 風呂場の壁際に浴槽を配置して、隣室で沸かした湯を、パイプを通して流し込む構造だ。蛇口をひねれば、お湯が出る。大勢の使用人が付き添わなければ風呂に入るのが難しかった当時、一人でゆっくり風呂に浸かれるのは画期的なことだった。

「王妃様のお風呂ですの? でも、使用人の手を借りれば、問題ないのでは?」
「この王妃様がいた国はね、開かれた王室をうたっていたの。でも王妃様は違う国から嫁いできたから、その気質に慣れなくて。プライベートが少なくて、王妃様にはストレスだったんですって。初夜と出産も、客に見せたらしいわ」
「な、なんですの、それ! ありえませんわ!」

 ミシェーラは唖然として、顔を真っ赤にした。

(あ、いけない。こんな年下の子に……)

 有紗もありえないと思っていたから、つい饒舌になったが、五歳下――つまり日本でいうなら高校生だ。もっと考えて話すべきだった。

「ごめんなさい。えっと、それでね、自分だけの時間が欲しくて、部屋を改造していたの。そういったことや服飾品にお金をたくさん使って、財政を圧迫させたから、悪女といわれてたわ」
「女としては同情しますけれど、国のお金は大事に使いませんとね」

 ミシェーラは感受性が豊かのようだ。自分のことみたいに悲壮な顔をしている。

(可愛いなあ。いやされる)

 ミシェーラの分かりやすさは、有紗には可愛く見えた。しかもミシェーラは有紗を慕ってくれている。レグルスの妹だと思うと、もっと可愛い。

「あはは、そうね。私も散財はどうかと思うわ。マリー・アントワネットのことはさておき、お風呂は良いわよ。清潔は大事。病気予防になるし、体が冷えやすい女性にとっても健康に良いわ。それから、これが重要なんだけど。単に、私がお風呂に入りたいの」
「欲望が全開ですね」

 その言葉のわりに、ミシェーラはうれしそうに微笑んでいる。

「飲食の楽しみを奪われ、着飾ることにもあまり興味のなさそうなお姉様が、お風呂にだけはこだわりをもっていらっしゃる。王女としても叶えて差し上げたいわ」
「美容にもいいのよ。入浴剤に、薬草やお花を使えばいいと思う。そのお茶みたいに」
「飲むよりずっと良さそう」

 残っているお茶を見下ろして、ミシェーラは溜息をつく。それでも医者が用意してくれたからと、しぶしぶ飲み進めるあたりは良い子だ。

「次の案はこれ」
「これが浴槽なら、この溝に入っている丸いものはなんです?」

 ミシェーラは有紗の書いた簡単な図を、ほっそりした指先で示す。

「これは石よ。石焼き風呂っていうの。ドッツォっていう、私の世界のある国の文化よ。毎日入るわけじゃなくて、たまにね、お風呂に入るぞって気合いを入れてするみたい。焚火たきびで石を焼いて、お水を張った浴槽に入れる前に軽く洗ってから入れるの。こういう仕切りがあるものもあれば、仕切り部分が外にあるものもあるんですって」
「そんなお風呂もあるのですか」

 有紗の説明を、ミシェーラは興味津々という様子で聞いている。

「私の国の古いお風呂は、五右衛門ごえもん風呂っていうのよ。大きな鍋みたいな感じかな。鉄製か、底だけ鍋になっていて壁はおけになってるタイプの湯船があって、下で火を焚くの。湯船の底には木の板が敷いてあるから、その上に入るのよねえ」

 有紗は首を傾げる。

「西洋……西のほうの国だと、湯に浸かるというより、蒸し風呂の文化ね。でも、私はお湯に浸かりたいわ。どれなら作りやすいと思う?」
「アリサお姉様のお話は面白いですけれど、わたくしは技術のことは分かりません。お兄様に相談して、職人を雇っては?」
「そうねえ。ロドルフさんに言ったほうがいいよね」
「というより、まずはお兄様に相談されないと、お兄様がすねてしまいますわよ」

 ミシェーラが笑いながら言う。すねるという言葉の響きが面白くて、有紗も噴き出した。

「まっさかー、レグルスがそんな真似するわけないじゃない」
「ふふ。アリサお姉様には頼って欲しいはずですわ。お姉様だって、お兄様が悩み事を相談するのが、先にロズワルドだったら嫌でしょう?」
「ま、まあ……そうね。ロズワルドさんより後は嫌かな」

 考えるだけで、もやっとする。

「わたくしは良い案だと思いますから、その紙を持って、お兄様達に話してみてください。それで、上手くいったら、わたくしもお風呂を使わせてくださいね」
「うん、もちろん! 広めに作れたら、一緒に入りましょ」
「ええ。そうだわ、お風呂が出来るまで時間がかかるでしょうし、真夏になったら一緒に水浴びに行きませんか? ちょうどいい泉があると、前に侍女が噂してましたの」
「えっ、外で裸になるの?」
「薄手のネグリジェですよ。今の使用人なら、信用できますから、安全に過ごせると思います」
「分かったわ。じゃあ、約束ね」

 有紗が微笑むと、ミシェーラもにこっと笑う。

「ミシェーラ、ちょっとお願いがあるんだけど」
「なんですか?」
「ぎゅってしていい?」
「ぎゅ?」

 首を傾げるミシェーラに、有紗はテーブルを回りこんで実践した。ミシェーラを抱きしめて、よしよしと頭を撫でる。

「可愛いわぁ」

 ミシェーラは真っ赤になった。

「わ、わたくし、お姉様になら、いつでもぎゅっとされて構いませんわよ」
「ミシェーラ、あなた、本当に可愛いけど、大丈夫? さらわれたりしないかな」

 どう見ても小動物なので、有紗は本気で心配してしまった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完】前世で子供が産めなくて悲惨な末路を送ったので、今世では婚約破棄しようとしたら何故か身ごもりました

112
恋愛
前世でマリアは、一人ひっそりと悲惨な最期を迎えた。 なので今度は生き延びるために、婚約破棄を突きつけた。しかし相手のカイルに猛反対され、無理やり床を共にすることに。 前世で子供が出来なかったから、今度も出来ないだろうと思っていたら何故か懐妊し─

悪役令嬢に転生後1秒もなく死にました

荷居人(にいと)
恋愛
乙女ゲームの転生話はライトノベルでよくある話。それで悪役令嬢になっちゃうってのもよく読むし、破滅にならないため頑張るのは色んなパターンがあって読んでいて楽しい。 そう読む分にはいいが、自分が死んで気がつけばなってしまったじゃなく、なれと言われたら普通に断るよね。 「どうあがいても強制的処刑運命の悪役令嬢になりたくない?」 「生まれながらに死ねと?嫌だよ!」 「ま、拒否権ないけどさ。悪役令嬢でも美人だし身分も申し分ないし、モブならひっかけられるからモブ恋愛人生を楽しむなり、人生謳歌しなよ。成人前に死ぬけど」 「ふざけんなー!」 ふざけた神様に命の重さはわかってもらえない?こんな転生って酷すぎる! 神様どうせ避けられないなら死ぬ覚悟するからひとつ願いを叶えてください! 人生謳歌、前世失恋だらけだった恋も最悪人生で掴んでやります! そんな中、転生してすぐに幽霊騒ぎ?って幽霊って私のこと!? おい、神様、転生なのに生まれ直すも何も処刑された後ってどういうこと?何一つ学んでないから言葉もわからないし、身体だけ成人前って………どうせ同じ運命ならって面倒だから時を早送りしちゃった?ふざけんなー! こちら気晴らし作品。ラブコメディーです。展開早めの短編完結予定作品。

【完結】神から貰ったスキルが強すぎなので、異世界で楽しく生活します!

桜もふ
恋愛
神の『ある行動』のせいで死んだらしい。私の人生を奪った神様に便利なスキルを貰い、転生した異世界で使えるチートの魔法が強すぎて楽しくて便利なの。でもね、ここは異世界。地球のように安全で自由な世界ではない、魔物やモンスターが襲って来る危険な世界……。 「生きたければ魔物やモンスターを倒せ!!」倒さなければ自分が死ぬ世界だからだ。 異世界で過ごす中で仲間ができ、時には可愛がられながら魔物を倒し、食料確保をし、この世界での生活を楽しく生き抜いて行こうと思います。 初めはファンタジー要素が多いが、中盤あたりから恋愛に入ります!!

【完結】うっかり異世界召喚されましたが騎士様が過保護すぎます!

雨宮羽那
恋愛
 いきなり神子様と呼ばれるようになってしまった女子高生×過保護気味な騎士のラブストーリー。 ◇◇◇◇  私、立花葵(たちばなあおい)は普通の高校二年生。  元気よく始業式に向かっていたはずなのに、うっかり神様とぶつかってしまったらしく、異世界へ飛ばされてしまいました!  気がつくと神殿にいた私を『神子様』と呼んで出迎えてくれたのは、爽やかなイケメン騎士様!?  元の世界に戻れるまで騎士様が守ってくれることになったけど……。この騎士様、過保護すぎます!  だけどこの騎士様、何やら秘密があるようで――。 ◇◇◇◇ ※過去に同名タイトルで途中まで連載していましたが、連載再開にあたり設定に大幅変更があったため、加筆どころか書き直してます。 ※アルファポリス先行公開。 ※表紙はAIにより作成したものです。

悪役令嬢はお断りです

あみにあ
恋愛
あの日、初めて王子を見た瞬間、私は全てを思い出した。 この世界が前世で大好きだった小説と類似している事実を————。 その小説は王子と侍女との切ない恋物語。 そして私はというと……小説に登場する悪役令嬢だった。 侍女に執拗な虐めを繰り返し、最後は断罪されてしまう哀れな令嬢。 このまま進めば断罪コースは確定。 寒い牢屋で孤独に過ごすなんて、そんなの嫌だ。 何とかしないと。 でもせっかく大好きだった小説のストーリー……王子から離れ見られないのは悲しい。 そう思い飛び出した言葉が、王子の護衛騎士へ志願することだった。 剣も持ったことのない温室育ちの令嬢が 女の騎士がいないこの世界で、初の女騎士になるべく奮闘していきます。 そんな小説の世界に転生した令嬢の恋物語。 ●表紙イラスト:San+様(Twitterアカウント@San_plus_) ●毎日21時更新(サクサク進みます) ●全四部構成:133話完結+おまけ(2021年4月2日 21時完結)  (第一章16話完結/第二章44話完結/第三章78話完結/第四章133話で完結)。

4人の王子に囲まれて

*YUA*
恋愛
シングルマザーで育った貧乏で平凡な女子高生の結衣は、母の再婚がきっかけとなり4人の義兄ができる。 4人の兄たちは結衣が気に食わず意地悪ばかりし、追い出そうとするが、段々と結衣の魅力に惹かれていって…… 4人のイケメン義兄と1人の妹の共同生活を描いたストーリー! 鈴木結衣(Yui Suzuki) 高1 156cm 39kg シングルマザーで育った貧乏で平凡な女子高生。 母の再婚によって4人の義兄ができる。 矢神 琉生(Ryusei yagami) 26歳 178cm 結衣の義兄の長男。 面倒見がよく優しい。 近くのクリニックの先生をしている。 矢神 秀(Shu yagami) 24歳 172cm 結衣の義兄の次男。 優しくて結衣の1番の頼れるお義兄さん。 結衣と大雅が通うS高の数学教師。 矢神 瑛斗(Eito yagami) 22歳 177cm 結衣の義兄の三男。 優しいけどちょっぴりSな一面も!? 今大人気若手俳優のエイトの顔を持つ。 矢神 大雅(Taiga yagami) 高3 182cm 結衣の義兄の四男。 学校からも目をつけられているヤンキー。 結衣と同じ高校に通うモテモテの先輩でもある。 *注 医療の知識等はございません。    ご了承くださいませ。

【完結】名ばかりの妻を押しつけられた公女は、人生のやり直しを求めます。2度目は絶対に飼殺し妃ルートの回避に全力をつくします。

yukiwa (旧PN 雪花)
恋愛
*タイトル変更しました。(旧題 黄金竜の花嫁~飼殺し妃は遡る~) パウラ・ヘルムダールは、竜の血を継ぐ名門大公家の跡継ぎ公女。 この世を支配する黄金竜オーディに望まれて側室にされるが、その実態は正室の仕事を丸投げされてこなすだけの、名のみの妻だった。 しかもその名のみの妻、側室なのに選抜試験などと御大層なものがあって。生真面目パウラは手を抜くことを知らず、ついつい頑張ってなりたくもなかった側室に見事当選。 もう一人の側室候補エリーヌは、イケメン試験官と恋をしてさっさと選抜試験から引き揚げていた。 「やられた!」と後悔しても、後の祭り。仕方ないからパウラは丸投げされた仕事をこなし、こなして一生を終える。そしてご褒美にやり直しの転生を願った。 「二度と絶対、飼殺しの妃はごめんです」 そうして始まった2度目の人生、なんだか周りが騒がしい。 竜の血を継ぐ4人の青年(後に試験官になる)たちは、なぜだかみんなパウラに甘い。 後半、シリアス風味のハピエン。 3章からルート分岐します。 小説家になろう、カクヨムにも掲載しています。 表紙画像はwaifulabsで作成していただきました。 https://waifulabs.com/

転生したら避けてきた攻略対象にすでにロックオンされていました

みなみ抄花
恋愛
睦見 香桜(むつみ かお)は今年で19歳。 日本で普通に生まれ日本で育った少し田舎の町の娘であったが、都内の大学に無事合格し春からは学生寮で新生活がスタートするはず、だった。 引越しの前日、生まれ育った町を離れることに、少し名残惜しさを感じた香桜は、子どもの頃によく遊んだ川まで一人で歩いていた。 そこで子犬が溺れているのが目に入り、助けるためいきなり川に飛び込んでしまう。 香桜は必死の力で子犬を岸にあげるも、そこで力尽きてしまい……

処理中です...