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第一部 邪神の神子と不遇な王子

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 ※レグルスと、ロズワルド視点の回です。

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 幸い、月が明るく道がよく見えた。
 レグルスは騎士達を率い、東の領境へ向け、夜通し馬を走らせた。

 ガーエン領は、北は高いみねを持つ山脈、西には迷いの森がある。領境は東と南だけだ。ルーエンス城はこの領地の中で、最も敵に襲われにくい場所にあった。城主が住むにはうってつけだ。

 伝令が着いた頃合いを考えると、ゆっくりしていられない。ロズワルド達が領を越える前に捕まえなければ、この領では裁けない。他の領地には違うルールがある。

 途中で何度か小休止を入れたものの、馬を飛ばした甲斐があり、日が昇ってすぐくらいに領境の村に着いた。間抜けにも、彼らはまだ村にいた。まさかレグルスが騎士を率いてやって来るとは思っていなかったのか、寝ぼけた頭で慌てており、捕まえるのは考えていたよりも簡単だった。

 この村は、街道を挟んで南北に家が集まっている。北側にある集会所前は広場になっていて、ロズワルド達はそこで野宿していた。レグルスらもそこに野営地を敷いた。急いでいたので、食料以外はたいして持ってきていない。村で祭りの時に使うテントを出してもらい、即席の休息場にした。初夏とはいえ、日中は暑い。

「状況は?」
「は。村人に怪我人が二名おりますが、幸いにして死者はありません。怖がって大人しく食料を渡したようです」

 騎士の報告を聞いて、レグルスは怪我人の治療を命じてから、騎士達に問う。

「この中で読み書きができる者は……いなかったか」

 騎士は下級貴族の子弟が多い。長男と次男以外、教育を手抜きされることも多いので、騎士だろうと読み書きできない者もいた。武芸の腕のほうが大事なのだ。

「はい、殿下。実は読み書きできます」

 ガイウスの告白に、レグルスは疑問の目を向ける。

「ええと、ほら……。できると分かると、面倒な仕事が増えるので。同じ給金なら、黙っているほうが楽なんですよ」

 思わぬ処世術に、目からうろこが落ちた。この言いよう、何度か職場を変えるうちに、損な役回りでもあったのだろう。わざわざ能力を隠すのは、理解できた。ガイウスもまた、怪我のせいで人生を諦めていた人間だ。

「読み書きができる者は、手紙の代筆で小遣い稼ぎをするのでは?」

 王宮でそういう者を見たことがある。レグルスが問うと、ガイウスはからりと笑い返す。

「こんな田舎で、手紙を書く者なんていませんよ。それよりも、書類に間違いがないか見てくれとか、面倒な仕事が増えるんです。それにできないことにしておいたほうが、こちらが文字を読めないと油断して、堂々と不正をする商人を見つけやすいですしね」

「これまでのことは構わないが、ガイウスはもう団長なのだから、これからは手抜きせずに頼むぞ。そこに筆記具があるから、被害状況を記しておいてくれ。壊された物、差し出した食料、おおよそでいい。後で税を補てんしなければならない」

 初夏から収穫期を迎える作物が多いので、今回、ロズワルド達に奪われた分もその中に入っている。それを考えずに税を請求すると、彼らの生活が立ち行かなくなって、ゆくゆくは領が荒れてしまう。食料不足だけは避けたいところだ。

「ええ、分かりました。この連中からの罰金で、ですね」

 見張りに三人を残し、ガイウスは部下を連れて、手分けして被害の確認に回る。
 レグルスは捕縛した元騎士達と向き直し、溜息をついた。

「腹いせに暴れて、すっきりしたか? すぐに村を出れば良かったものを。私達が動かないと思ったのか? 随分、あなどられたものだな」

 ロズワルドに問いかけると、彼はレグルスをギラギラとした目でにらんでいた。

「殿下、私は由緒正しき伯爵家の子息ですよ! こんな扱い、不当です!」
「由緒正しい貴族が、強盗をするのか。いったい何が正しいんだ?」
愚弄ぐろうなさると承知しませんぞ!」

 ロズワルドは顔を赤くして怒っているが、言っていることが支離滅裂なので、見張りの騎士達が失笑した。ロズワルドはそちらもにらんだ。

「ロズワルド、お前は王都でもその調子だったのだろうな。陛下のお心遣いに便乗して、あちらの騎士団が、体よく追い払ったのではないか? だから、戻っても居場所が無い。それで腹いせも兼ねて、ある程度の金を稼いで出て行こうとした。どうだ?」

 レグルスは思いついたまま、推測を口にする。ロズワルドは眉をひそめ、口を引き結んだ。否定しないあたり、図星のようだ。

「お前には由緒正しい伯爵家の血筋以外に、ほこりはないのか?」

 レグルスの質問に、ロズワルドは怒りを込めて言い返す。

下賤げせんな踊り子の血を継ぐ王子から、そのように言われるいわれはありません!」
「まったく。捕まっているというのに、威勢がいい」

 聞き飽きた罵倒なので、腹が立ちもしない。

「無礼だぞ、盗賊の分際で!」

 レグルスの代わりに、見張りの騎士のほうが怒っている。レグルスが右手を上げて止めると、渋々引き下がった。

「確かにお前の言うように、私はボンクラだった。この血筋のせいで、人生を諦めていた。だが、アリサと会って考えが変わったのだ。私は王を目指すことに決めた」

「……正気ですか? 誰があなたを王と認めるんです。反乱が起きて終わりだ」

「そうかもしれない。だが、それは周りが私をよく知らないからだ。皆、血のことばかり言うが、私の能力を指摘する者はいない。彼らにはどういうわけか、私が見えない」

 レグルスの淡々とした言葉に、ロズワルドだけでなく、他の騎士達も口を閉ざした。しんと静まり返る。

「私は王になると決めた。これしきの騒動は、解決できなくてはいけない。領地を騒がせた詫びに、お前には王位争いでの、私の点数になってもらおう」

 冴え冴えとした視線を向けると、ロズワルドは初めて顔色を変えた。さあっと血の気が引き、弱弱しい声を出して頭を下げる。

「殿下、お怒りならば私が全て引き受けます。どうか他の者は、罰金で勘弁してください。私が無理を言って引き抜いただけです」

 全員の命をとられると恐れ、ロズワルドは殊勝にも、仲間の命乞いを始めた。

(仲間をかばうくらいの度量はあるのか)

 レグルスは少しだけ、ロズワルドを見直した。

(そういえば、言うことは失礼だったが、内容は的を射ていたな)

 レグルスの立場で成り上がりたければ、高位貴族の女性を妻にして、後ろ盾を得るのが普通だ。そういう意味では、ロズワルドは貴族らしい考えを示したにすぎない。
 レグルスが返事をしないでいると、レグルスの怒りが深いと勘違いしたロズワルドの部下達も慌てて頭を下げる。

「我々も罰を受ける所存です。この方は確かに短気ですが、王宮の騎士団で爪弾きにされている者を拾ってくださっていて……。恩があるのです。でなければ、いじめを苦にして辞めていました」

「身分の高い貴族ににらまれると、死地に飛ばされることもあるんです。俺達が馬鹿をやる前に、いつもこの人が分かりやすくボコボコにして、相手の怒りを遠ざけてくれたりして」

「まあ、やり方は不器用極まりないんですけど、助けられたのは確かで」
「怒鳴られるのは嫌ですけどね……」

 最後辺りはただの愚痴だったが、意外な面が見えてきた。
 今回、ロズワルドが引き抜いた連中は、確かにロズワルドの傍によくいた。王宮でも共にいたのだろう。

「だからなんだ? それならば、最初から真面目に勤めればいいだろう」

 レグルスの冷たい返事に、ロズワルドらはぐっと息を詰める。

「だが、私も悪魔ではない。一度、機会をやろう。ロズワルド、お前がガイウスと戦って勝てたら、お前達は無罪放免にしてやる」
「負けたら……?」
「全員、死罪だ。この案を受けなくても、そうする。華々しい点数稼ぎになりそうだな」

 ふっと笑ってみせると、ロズワルド達だけでなく、供の騎士まで恐ろしそうに身を震わせた。ロズワルドはすぐさま頷いた。

「機会を与えていただき、感謝いたします」
「では、決まりだ。ガイウス」

 レグルスはガイウスを呼び、彼らに聞こえないように、自分の考えを小声でささやいた。

「……というわけだ。いいな、慈悲はいらない。本気でやれ」
「承知しました」

 ガイウスは慇懃いんぎんに礼をする。その目は、面白いと言っている。
 見張りの部下に、剣に手を添えさせて牽制けんせいさせ、ロズワルドの縄を解く。他の騎士が剣を渡すと、ロズワルドは神妙に受け取る。

「この私が、門番ごときに負けるわけがない」
「今は彼が団長ですよ、元団長殿」

 他の騎士が皮肉っぽく言った。

「我々がいなくなっただけで、そんなにレベルが下がったのか?」

 ロズワルドが本気で不思議そうに呟くと、捕縛に来た騎士達の視線が冷たくなった。
 一瞬で周りを敵にするのも、ある意味では特技なのだろうか。レグルスはそんなつたないことを考える。

「怪我が治ったんでね。足を気にせずに済む」
「では、試合を始めてもらおう。審判は……」
「はい! 私がします!」

 名乗り出た騎士に任せ、レグルスはテントのほうに下がる。
 ガイウスとロズワルドは少し離れた位置で向かい合って立ち、長剣を構えた。審判が手を上げ、振り下ろす。

「始め!」

 声とともに、ロズワルドが踏み出した。
 叩き落とすような重い斬撃を、ガイウスは受け流す。ロズワルドのほうが体格が良く、力が強いという長所を生かして、斬るというよりも叩くような動作で長剣を繰り出している。ガイウスは相手の動きを利用するのが上手い。

 ロズワルドの猛攻を、ガイウスは最小限の動きでしのぐ。長期戦ならガイウスにがある。
 息もつかせぬ剣さばきを、騎士達は固唾を飲んで見守る。

 しばらくして、ロズワルドが疲れを見せた。その瞬間、ガイウスが前に踏み出した。剣の刃を前に出し、ひねるような動きとともに上へ弾き上げる。

 ――ガキンッ

 ロズワルドの手から剣が跳ね飛ばされ、ガイウスが剣を首に突きつけたことで、ロズワルドは動きを止めた。
 信じられないという顔で、ロズワルドはガイウスを見ている。

「貴様……まさか、本当に怪我がえたのか?」
「ああ、そうだ」

「何故だ。貴様もこの世に飽き飽きしていただろう! お前が落馬した試合、相手の騎手が細工をしていたのは知っているぞ。あんな汚い連中ばかりで、お前だってうんざりしていたはずだ。なのに、どうして、そんなまっすぐな目を……」

 ガイウスの変化が理解できないと、ロズワルドは呆然としている。
 レグルスは傍にいる騎士に問う。

「なんだ、あの二人は前から知り合いだったのか?」
「近衛騎士団にいた頃、同期だったとか。当時から仲が悪かったみたいですよ」

 ガイウスがロズワルドを呼び捨てにしていたのは、そういう背景からかと、レグルスの中でつながった。普通は子爵家の息子が、伯爵家の息子を呼び捨てになどしない。

「今更なんなんだ、貴様はっ」

 ロズワルドが腹立たしげに、ガイウスの襟首えりくびを掴む。

「王宮にいた時もそうだったな。私の努力を横目に、涼しい顔をして近衛に取り立てられ、将来有望だったくせに! 汚い連中の罠にはまって、あっさり退場して……。どうしてここに来て、また私の前に立ちふさがる。お前だって負け犬だったくせに! あの王子に何があるというんだ!」

 ガイウスはロズワルドの手を掴んで引きはがすと、冷たく返す。

「知る必要はない。ロズワルド、お前はここで死ぬんだからな」
「……くそっ。とっとと殺せ!」

 ロズワルドは舌打ちし、その場にどかりとあぐらをかいて座った。
 レグルスは傍にいた騎士に、ひそひそと話しかける。彼は意外そうな顔をした後、他の騎士達にもひそかに命令を伝える。そして、ロズワルドの部下となっていた元騎士六人を広場に移動させた。
 その場に座らせ、騎士達は剣を抜く。

「せっかくの機会をふいにして残念だったな。罰は甘んじて受けてもらおう」

 そして、レグルスが右手を上げて合図した瞬間、騎士達は罪人の首めがけ、いっせいに剣を振り下ろした。


     *****


 ロズワルドはぐっと目を閉じ、来たるべき瞬間に備えた。
 思えばたいした人生ではなかった。

 ――由緒ある伯爵家の者だから。

 幼い頃から、祖父母だけでなく、周囲からそう言われて育った。
 伯爵家の者だから優秀であるべきと言うくせに、長兄より目立つと叩かれる。末子のロズワルドはいつも後回しだ。

 ゴマをするくせに、裏では愚痴を言う使用人や領民。王宮の騎士団に入ればマシかと思えば、権力を求めて後ろ暗い連中が多い。

 信じられるものは、剣の腕だけだ。
 あんな場所でも前を向き、正攻法で成り上がろうとするガイウスは鬱陶しかった。兄という日陰のもとで育ったロズワルドには、カンカン照りの太陽は、眩しくて暑苦しいだけなのだ。

 だが、それでも尊敬する人はいた。
 レジナルド王。
 あの惚れ惚れとする勇姿は理想だった。あの王に仕えられれば、ロズワルドも立派になれるのではないか。由緒ある伯爵家の一員として、誇れるのではないか。そんなことを想っていたが、死の間際で気付いてしまった。
 理想の王に仕えるから、誇りある者になるのではない。誇りある者だから、そうなる。心構えがあれば、それで良かったのだ。

 なんて無様ぶざま矮小わいしょうな人生だろう。

 カチャリと剣を構える音がして、剣が振り下ろされる風音が聞こえる。

 だがその瞬間がやって来ない。
 不可解に思って目を開けると、ロズワルド達の前に、いつの間にかレグルス王子が立っていた。
 ふっと不遜に笑う姿は、遠き日の王に似ている。
 レグルスは問うた。

「一度、死んでみた気分はどうだ?」

 ロズワルドは目を見開いた。

「……は」

 息のような疑問のような、そんな音が口から零れる。
 それからレグルスは悠然と周りを見回す。

「どこぞの騎士が、部下を連れて出て行ったのでな。私の城は人手不足だ。どうだ、ロズワルド。これから私とともに、城でやり直さないか?」

「な……にを言って」
「ああ、もちろん、罰は受けてもらう。減俸三ヶ月、お前達が暴れた分は、それで弁済させる。そして、村人に誠意をもって謝ること」
「そんなこと」

 下々の者に頭を下げるなど、とんでもない。そんな考えが頭の隅をよぎる。

「この瞬間、お前達は一度死に、生まれ変わった。『誇り高い騎士』として生き直すなら、当然、誠実な対応はできるはずだ。いいか、ロズワルド。誇りとは血筋ではないんだ。心の持ちようだ」

 そして、レグルスは不敵に笑った。

「いずれ王となる私の配下になるのだから、心から誇り高くあってもらわなければ困る。できないと言うなら、ここで本当に引導いんどうを渡してやろう」

 他に選択肢がないくせに、まるで譲歩したみたいな言い方だ。
 この王子もまた、日陰の者だった。それがどうだろう、今は太陽の中にいる。
 ロズワルドはふらふらとその場にひざまずいた。部下達もすっかり魅了され、自然と礼儀を示していた。

「ご慈悲に感謝します、レグルス王子殿下。ロズワルド・カヴァナー、これより心を入れ替え、殿下にお仕えいたします」

 ボンクラ?
 ……とんでもない。
 レグルスは王の器だ。
 眠っていた獅子の目覚めに、ロズワルドは胸を震わせた。


     *****


 あれだけ不平不満を言い、態度が悪かったのが嘘みたいに、ロズワルド達の顔つきが変わった。
 レグルスは、最初は討伐するつもりでいたのだ。
 だが、彼らを見ているうちに、気付いてしまった。
 彼らもまた、人生を諦めた者達だった、と。王宮の闇を目の当たりにして、やけになっていたのだ。

 だから賭けをした。
 殺すふりをして、慈悲を差し伸べたら、彼らがどう変わるか。
 それを見てみたくなったのだ。

 まるで悪夢から覚めたみたいに、彼らの目は生き生きと輝き始めた。命令通り、村人達に誠実な態度で謝りに行き、弁償や怪我の治療費として財布ごと金を渡していた。
 警戒していた村人達も、この一幕を遠目に見ていたせいか、だんだんしかたないなあという態度になって、結局、ロズワルド達を許したのだった。

「お見事でございました、殿下。しかしロズワルドの変わりよう、気持ち悪いですね」

 ガイウスはレグルスを褒めた後、本気で不気味そうに、しかめ面をしている。

「これで変わるだろう。変わらなければ、その時に手を下せばいい。一度くらいはやり直す機会を与えようではないか」

 レグルスがそんなことを話していると、村を回り終えたロズワルドらが戻ってきた。
 ロズワルドは神妙にお辞儀をして、レグルスに問う。

「殿下、一つせないことがございます」
「なんだ?」
「点数稼ぎをするとおっしゃっていたのに、私達は生きている。点数にはならないのでは?」
「そんなことか」

 レグルスはふっと笑った。

「罪人を殺すより、改心させるほうが難しい。お前達は正しく、私の点数稼ぎになったというわけだ」

 ロズワルドだけでなく、居合わせた騎士の面々もあっけにとられ、レグルスを見つめる。
 ややあってロズワルドが噴き出し、つられて配下も笑い出す。

「これは参りました。完敗です、殿下」

 ロズワルドは改めて、その場に片膝をついて頭を垂れる。その後ろに、配下も従った。

「このロズワルド・カヴァナー、レグルス王子殿下に、生涯の忠誠と惜しみない助力をささげます。この誓い、光神にささげます」

 部下達も続く。
 レグルスは頷き、剣を抜いた。そして剣の腹で、彼らの肩を叩き、誓いを受け取った。
 そして、ぎこちない空気は薄れ、皆に温かい笑みが浮かぶ。

 二ヶ月前から共に過ごしていたのに、この瞬間、本当の仲間となった。

 もし有紗と会っていなかったら、こんな気持ちを感じることはなかったかもしれない。
 レグルスは空を仰ぎ、同じ空の下にいる有紗を想って目を閉じた。
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