邪神の神子 ――召喚されてすぐに処刑されたので、助けた王子を王にして、安泰ライフを手に入れます――

草野瀬津璃

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第一部 邪神の神子と不遇な王子

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 女官長、侍女、騎士を一人ずつ味方に付けた。
 たった数日でこの成果なら、良いほうだろう。
 あれから三日過ぎたものの、まだリストアップしているところだ。
 何か書くものをくれと言ったら、樹皮紙じゅひしをもらった。その名の通り、木の皮をハンマーで薄く叩いたものである。作る時に破けやすいのが難点らしいが、羊皮紙や紙よりはずっと手軽に手に入るらしい。メモ程度ならこちらを使って欲しいとのことだ。
 羽ペンの先をあぶって、インクを付けて書くと、ちょっとだけ紙にインクがにじむ。だがメモする物が無いよりは良い。
 羊皮紙は長持ちするので、保管する書類は羊皮紙に書く。それ以外は紙に書くそうだ。紙は使い終わった後、再利用もできるらしい。

「やっぱり住む場所の改善が先だよね。雨漏りと隙間風は駄目だよ。清潔さは大事だから、ゆくゆくはお風呂を作るとして……。水をたくさん汲み上げるのに楽なのは、ここだと水車かなあ。山なら、湧水をといで運んでくればいいから解決なんだけどなあ」
「どうして住み心地の話で、清潔の話が出てくるんです?」

 ウィリアムの問いに、有紗はきょとりと首を傾げる。

「え? だって、不潔だと病気になるでしょ」
「えっ」
「こっちが『えっ』なんだけど」

 有紗とウィリアムのやりとりを聞いて、レグルスが有紗のほうを見る。読み途中の書類を机に置いた。

「お風呂の話は、それが理由ですか?」
「私の国は水が豊富で、ほとんど毎日のようにお風呂に入ってたわ。そこまでは求めないけど、手洗いとうがいくらいはしたほうがいいわよ」
「うがい?」
「お水を口に含んで、上を向いて、ガラガラガラってさせて吐くのよ。喉を洗う感じかな?」
「それをするとどうなるんです?」

 レグルスは気になることは深く問うところがある。真剣に聞いてくれるのがうれしくて、有紗も真面目に説明する。

「目には見えないんだけどね、空気の中に、病気の原因になるウィルスっていうものがあるの。それは鼻や口から体内に入るのよ。鼻は鼻毛があるから防いでもらえるけど、口から入りやすいのね。乾燥すると体内に入って、病気のもとになったりするから、うがいをして、口や喉についたものを外に出すと、病気の予防になるってわけ」
「手を洗うのはどうしてです?」
「あちこちに触ると、そういうウィルスが手にくっつくのね。レグルス達はパンや食事を手づかみでしてるでしょ? 手から食べ物にくっついて、それを食べると、体内に入っちゃうのよ」
「なるほど。そちらは大丈夫ですね、食べる前に、手を洗ってますから」

 そういえばテーブルにフィンガーボウルがあったなあと、有紗は思い出した。

「できれば外から帰ってきて、すぐに手を洗ってうがいしたほうがいいわよ。建物内のあちこちに触ることで、あちこちに広めちゃうから。これは予防の話ね」
「理にかなっておりますね」

 レグルスは頷いて、考え込むような仕草をする。

「へえ、病気になるもとっていうのがあるんですか。どうしてそんなものがあるとご存知なんです? 目に見えないのに」

 ウィリアムが素朴な疑問を口にする。

「私の住んでいた場所は、ここよりもずっと技術が進んでいるのよ。そういう、小さすぎて目に見えないものを、見えるようにする道具があったの。でも、私は道具があるのは知ってるけど、それの仕組みは知らないから、作って見せることはできないわ」

 有紗はやんわりと苦笑する。

「普通、こんな話をしたら、信じられないわよね」
「どんなものか分かりませんが、それだけで病気を予防できるなら、広める価値はありますよ。私は民には心穏やかに生きて欲しいので」

 レグルスは口元にかすかに笑みを浮かべて、優しい目をして言った。

「レグルス……!」

 なんて良い人! 有紗はじーんと感動した。一方、ロドルフはぶつぶつと呟く。

「闇の神子だと公言できれば、一発で広められるんですがねえ。神からのお言葉だと言えば、詳しい説明はしなくて済みますし」
「これは聖堂で試してもらえばいいんじゃない? なんか体に良いっぽいよってニュアンスで、誰かが真似すれば広まる気がするわよ。それこそ『ありがたい神官様の教え』で充分じゃない?」
「アリサ様、なかなか策士ですなぁ」
「ロドルフさんと似たことを言ってるだけでしょ、策士って何!?」

 言葉の裏に「腹黒」と聞こえる気がして、ロドルフに褒められると少し警戒する有紗である。
 そこへ、扉をノックする音が響いた。

「殿下、ロドルフ様、ご報告がございます」

 レグルスが許すと、扉が開き、騎士が顔を出す。

「どうした、何か問題か?」

 ロドルフの問いに、騎士は首を振る。

「いえ、門番のガイウス・ケインズが、騎士達に勝負をしかけておりまして……。なんでも全員に勝ったら、団長になるとかなんとか。ロズワルド殿の後任こうにんが決まっていないとはいえ、皆、気が立っていまして」
「つまり喧嘩になっているのか?」

 レグルスは慎重に問う。

「は。正式に試合として許可いただかなければ、収まりがつかないかと愚考ぐこういたします」

 困り顔の騎士に、ロドルフは面白そうににやにやしている。

「殿下、いいではありませんか。これで全員に勝って実力を見せつければ、誰も文句は言えませんぞ」
「ガイウスは本気で言っていたのか……。よし、試合を許す。私も見に行こう。正式に立ち会えば、結果でもめることもないだろう」
「殿下、審判はわしにお任せを!」

 ロドルフは喜び勇んで、騎士とともに書斎を出て行く。

「まったくもう、ロドルフ様は……。あの方、喧嘩好きなんですよ。たまの楽しみが闘鶏とうけいなんです」

 子どもを見るみたいな生温かい目をして、ウィリアムも椅子を立つ。彼もどこかそわそわして、ロドルフのことを言えない態度だ。

「私も見学してよろしいですよね?」
「ああ」
「では、お先に失礼します。ええと、騎士の名簿」

 ウィリアムは書類を持ち出して、素早く出て行く。

「なんだか楽しそうね」

 レグルスが椅子を立ったので、有紗もぴょんと床へ下りた。

「喧嘩は娯楽ですからね」
「レグルスも、そういうのが楽しいの?」
「喧嘩は特には。ですが、騎士達の試合は好きですよ。ルールにのっとっていますから。同じ試合でも、決闘は無益なので好みませんね」
「試合と決闘って違うの?」

 有紗の問いに、レグルスは大きく頷いた。

「試合は日ごろの鍛錬の成果を示すだけですが、決闘はほこりを守るため、命を賭けてするものです。負けたほうは死にます」
「絶対?」
「ええ、必ず。しかし、それで兵力を減らすのは馬鹿らしいので、平時へいじでは禁止されていますよ」
「ん? それ以外の時があるの?」
「戦時です。団体戦では不利でも、個人戦で勝つことで、戦の流れを勝利に持ち込めることがあります。そういった賭けに出ることはありますね。決闘を申し込まれて断るのは、恥ずかしいこととされているので……」
「なるほどねえ」

 戦国時代っぽい考え方だなと、有紗はしみじみと頷いた。

「アリサはどうしますか?」
「行くよ。ガイウスさんをスカウトしたのは私達だから」
「では、外套を……。さ、フードをしっかり被ってください」

 椅子の背にかけていた薄手のマントを取り上げて、レグルスが有紗に着せかける。

「自分で着られるのに」
「お世話をしたいんです」
「変わった王子様ね。でも私、子どもじゃないから、恥ずかしいんだけど……。何?」

 自分でフードを被せながら、レグルスが残念そうにしているので、有紗は意味を問う。

「アリサの顔が見えなくなるのは寂しいです」
「だ、だって、しかたないでしょ。黒目を隠せって言うから。隣にいるから寂しくないでしょ?」

 ちょっと動揺した有紗だが、なんとか気を取り直してレグルスに言い返す。レグルスは嬉しそうに微笑んだ。

「試合が終わったら、聖堂に行きましょうか」
「そうね。でも忙しいのに、いつも付きあわせちゃってなんだか悪いわ……」

 レグルスが来てくれるとありがたいが、ここが小規模な領地でも、領主は結構忙しい。いつも書類を見ているか、伝令からの報告を聞いている。冬の間は落ち着くらしいが、それまではまだ長い。

「座ってばかりいると、体が強張こわばりますからね。気分転換になって、むしろ仕事がはかどっていますよ。ありがとうございます」
「そこでお礼を言われると、余計に困るわ」

 有紗はレグルスの態度を見ていると、ちょっと落ち込む。

「甘やかされてる気がする」
「はい、そうしています」
「や、やっぱり! ええとね、それでレグルスがいつか負担に感じて、私が嫌われて邪魔になったら悲しいから……ほどほどがいいな」
「アリサ、心配無用です。この程度、まだまだです。本気を出したら、こんなものではありません」
「まだまだなの!?」

 まったく想像がつかなくて、目を丸くして驚く有紗の手を引いて、レグルスは書斎を出る。

「そんなことより、試合を見に行きましょう。立会人がいないと、始まりませんからね。皆が待っていますよ」
「え? そんなこと? そんなことなのかなあ。ううん」

 不思議がる有紗だが、レグルスは全く気にしていない。
 当のレグルスが問題無いと言っているのだから、良いのだろうか。謎だ。
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