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第一部 邪神の神子と不遇な王子
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しおりを挟む妃の間に戻ってみると、女性が床にはいつくばるようにして、石床をたわしで一心不乱に磨いている。茶色のワンピースの上に、白いエプロンを付け、麻の頭巾で頭を覆っている彼女には見覚えがあった。
濡れている所を踏まないように気を付けて、アリサは女性に歩み寄る。
「モーナさん? まさか、侍女って……」
モーナは掃除道具を置いて、エプロンで手を拭いてから有紗にお辞儀をした。
「はい、実は司祭様から、推薦されまして」
「推薦?」
「ええ、司祭様はおっしゃいました。『秘密を知る者は少ないほうがいい。聖堂で働くのもいいが、神様にお仕えするのと、神様がおつかわしくださった神子様にお仕えするのは同じこと。助けになって差し上げなさい』……と」
なんでまた、バルジオは有紗に味方するのだろうか。バルジオの真意が分からず、有紗は黙り込んで不思議に思う。有紗の疑問を読み取ったのか、モーナが付け足した。
「それから、『神子様が不当に扱われていたら、守ってあげなさい』とも」
「あの方は神官ですから、神子を無条件で助けるのは当然ですね」
レグルスがわずかな苦笑とともに言った。
「えっと……レグルスが嫌な気分になるなら……」
神殿が堂々と傍で見張る宣言をしているのだ、レグルスには不快だろう。気にする有紗に、レグルスは平然と返す。
「アリサが良いなら構いませんよ」
「いいの?」
「僕がアリサを不当に扱うことなど、絶対にありえませんから」
不愉快そうにするどころか、レグルスはきっぱり断言してのけた。
「もし窮屈な思いをさせるとしたら、安全面での口出しくらいです。その程度なら、僕が言う前に、モーナが止めるでしょう」
「殿下、信じております」
モーナは微笑みとともに言い、じっと有紗の答えを待っている。レグルスが良いなら、有紗が断る理由はない。モーナは感じが良いから、仲良くやれそうだ。
「よろしくお願いします、モーナさん」
有紗はモーナを受け入れた。すると、モーナは深々と頭を下げる。
「こちらこそ、ありがとうございます。私は家事くらいしか取り柄がありませんので、女官長様から教えを受けながらがんばります。しばらく至らない点もあると思いますが……」
モーナはちらりとレグルスを見た。不安そうだ。
「誰にでも、初めてはある。これからがんばってくれればそれでいい。女官長のイライザは優しいから、そう心配しなくても大丈夫だ。とりあえず、お前の一番の仕事は、アリサの安全を気にすることだ。アリサはここの常識にうといから、よく注意してくれ」
「例えばどんなことです?」
「この間、アリサを嫌う騎士が押しかけた時に、自分から鍵を開けて出てきた」
「えええっ」
モーナはあんぐりと口を開けて有紗を見て、それから両手で口を覆う。
「そんな危ないことを? 分かりました、気を付けます。出歩く時も、お傍を離れません!」
「その調子で頼む」
有紗が傍観しているうちに、二人の間で話がまとまってしまった。
「何よ、同じことはしないって言ってるのに!」
てんで信用されていなくて、有紗は頬を膨らませる。レグルスはそんな有紗をまじまじと眺める。
「アリサ」
「何?」
「そんな可愛らしい仕草をしても、こればかりは譲りませんからね」
「なっ」
――可愛らしい仕草!?
思わぬ返り討ちに、有紗は顔を赤くして動揺する。
「ちょっとレグルス! そういうのは卑怯よ!」
ぐぬぬ。照れて、顔から熱が引かない。有紗はくるっとレグルスに背を向ける。
「わ、分かったわよ。モーナさんに教わるし、気を付ける」
「よろしくお願いします」
上手く丸めこまれた気がしたが、レグルスは政務の続きがあるからと、妃の間を出て行った。
「仲がよろしくて、微笑ましいですわ」
モーナはにこにこしている。
そういえば、モーナは侍女になるのだから教えておかなくては。有紗はモーナにひそひそと話しかける。
「あのね、モーナさん」
「モーナと呼び捨てに。私は使用人ですから、立場があります」
「ええとモーナ、これはそういうふりなのよ」
「ふり?」
僅かに首を傾げるモーナ。有紗は頷いた。
「私はレグルスの妃候補っていう設定なのよ」
「ふふっ、面白いご冗談ですね。お二人の仲は、見ていれば分かりますわ」
モーナは有紗の言葉を笑った。
「確かに初日なので緊張はしておりますが、お気遣いいただかなくて大丈夫ですよ。アリサ様、書斎に参られますか?」
「え? うん、行く」
「ではお送りしますわね。ほとんどレグルス様と一緒に過ごされたいようだと、ロドルフ様からお伺いしております。私、当てられそうですわ」
ちょっぴり頬を赤らめて、モーナは照れている。
「いや、だから、そういう設定……」
「恥ずかしがらなくて大丈夫ですよ」
有紗の話をまったく聞かず、微笑ましそうにモーナは言って、有紗を書斎まで送ってくれた。
――ちょっとは話を聞いて!
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