11 / 125
第一部 邪神の神子と不遇な王子
4
しおりを挟むぐすりと鼻をすすりながら、有紗はやっとレグルスから離れる。
「本当にごめんね。また取り乱しちゃって」
「構いませんよ。こんな時はお茶を……と言えないのが残念ですね」
「私もよ。お茶、好きだったのに」
大学生の間は、一人暮らしをして自炊していた。お菓子や料理を工夫するのが楽しみだったから、それができなくなったのは悲しい。
「……レグルスといると落ち着く」
ひな鳥へのすりこみみたいなものかもしれない。
あんな獣じみた有紗を見て、全く恐れる様子もなく受け入れる辺り、レグルスの度量は広いと思う。
それにすがっている自分は、レグルスという存在に依存し始めている。身を引くべきだと思う一方で、一緒にいたい気持ちが強い。外に出て、またあの白服みたいに怖い人に会うのは嫌だ。
「うれしいです、アリサ。寄る辺をなくして不安なあなたを支えられたら、僕はそれだけで心が報われます」
淡い笑みとともに、レグルスは優しく話しかける。有紗は目を細めた。
「レグルスが良い人すぎてまぶしい」
「冗談ではなく、本気で言ってるんですよ」
「……うん。それが分かるから、余計にまぶしいの。ありがとう」
お礼を言って、ほぅと息をつく。眠気を覚えて、小さくあくびした。
「アリサ、この数日大変だったんです。ゆっくり休んでください。お腹は空いてないですか?」
「大丈夫……」
「では、明日、聖堂に一緒に行きましょうね。それか城の中を散策しながら、つまみ食いするのも良いかもしれません」
「あははっ、そうね、あの黒いもやのつまみ食いね。面白いこと言うわね」
「そうなると、“辻切り”ならぬ“辻癒し”って感じですね」
無差別に癒していくという表現に、有紗はつい笑ってしまう。誰にもあの黒いもやが見えていないなら、有紗が気を付けさえすれば変人には見えないだろう。なかなか良いアイデアだ。
「それじゃあ、あの、ごちそうさま。ありがとう、レグルス」
「ええ、おやすみなさい」
そう返すレグルスは、窓からの淡い光に照らされて、まるで宗教画の聖人みたいに見えた。
それから昼寝を始めた有紗は、誰かの言い争う声で目が覚めた。
ぼんやりする頭で瞬きをすると、部屋の中は真っ暗になっている。開けたままの窓の外には、星空が広がっていた。
「どうしたの?」
レグルスに借りっぱなしのマントを探して羽織り、しっかりとフードをかぶる。それから記憶にある通りに部屋を歩き抜け、首からさげたままの鍵を使って廊下側の扉を開けた。廊下には明かりが灯っていて、薄暗いものの様子が見える。
有紗の部屋の前で、いかめしい顔をした騎士の男と、ロドルフが口論していた。
「不審者?」
「誰が不審者だ、それはお前のほうだろうっ。王子に取り入ろうとは、いったいどういう魂胆だ?」
すぐに怒鳴りつけてくる様子は、吠えたてる犬みたいだ。
その怒声に身をすくめた有紗だが、寝起きなので、何を言っているかまで理解が回らない。とりあえず、城館についてすぐに、レグルスに迷惑そうにしていた男だとは思い出した。
「アリサ様、中へお戻りください。鍵をかけて。こんな無礼者の言うことなど、耳を貸さなくてよろしいですからな」
「どういうつもりだ、ガーエン卿! どうしてあんなボンクラ王子のもとで大人しくしているのだ、貴公は!」
「それはこちらの台詞ですぞ、ロズワルド殿。許可も無く二階に立ち入るとは、分をわきまえられよっ」
ロドルフが雷もかくやの声で、ロズワルドと呼んだ男を怒鳴りつけた。
「私は由緒正しき伯爵家の息子だぞ。それがどうして第二王子につけられるのだ。納得がいかぬっ」
「三男に生まれたおのれを悔やむのですな。せっかく陛下が采配してくださったのに、受け入れられぬとは、愚かしいことです」
「このっ、言わせておけば!」
ロズワルドが腰の剣の柄に手を添えた時、レグルスが止めに入った。
「ロズワルド、そこで何をしている」
聞いている有紗が背筋を正してしまうくらい、硬質で冷たい声だった。
「私の食事中をみはからって、妃を見に来たのか? お前のやりようは浅ましいな」
「殿下! なにゆえあのような娘を妃の間に置くのですっ。ただでさえ立場が低いのです、成り上がるつもりならば、名家の子女を妃にすべきでしょう!」
謝る様子もなく、ロズワルドは言い返した。その声には、レグルスを馬鹿にする色合いが含まれている。有紗は気分が悪くなった。
(この人、ムカつく)
初対面から好きになれそうになかったが、嫌いだと思った。
レグルスは不愉快そうに返す。
「私の婚姻に、たかが騎士の分際で口を出す気か?」
「何をっ。そもそも、持参金もなしに妃を据え置くほどの余裕はこの城にはございませんぞ!」
「そうか。では、お前が辞めればいい」
「は……?」
レグルスの答えに、ロズワルドは間の抜けた顔をした。
まさか来たばかりの娘ではなく、自分がクビを切られるとは思いもしなかった。そんな顔だ。
「お前達が父上に命じられて、私に嫌々仕えているのは知っている。今までお前達を放っておいたのは、父上のお心遣いを無にしたくなかったからだ。だが、これ以上は放置しかねる。――ロズワルド、お前をこの時点で解雇する。今日までの給金は、ロドルフから受け取るがいい」
「な、何をっ。そんなことをするなら、部下も全て連れて出て行きますぞ!」
やりすぎたことに気付いたのか、ロズワルドは目に見えて焦り始める。
「そうしてくれて構わない。選別する手間がはぶける。ロドルフ、後のことは任せる。ついでに、他の使用人で不平不満を言って仕事をなまけている者も、まとめて解雇してしまえ」
「はっ、畏まりました」
ロドルフはお辞儀をする。そして下げた顔が、満面の笑みを浮かべているのに有紗は気付いた。だが、顔を上げると、何くわぬ顔で平然としている。
(すごい……この人は狸だ)
ほくそ笑む。そんな単語にふさわしい笑みを、生きてきて初めて見た。
ロズワルドは肩を怒らせ、ドスドスと足音も荒く去っていった。
「もっと早く、解雇すべきでしたな。殿下がお怒りになるのを待っておりました。いやはや、及第点といったところですな」
ロドルフの言葉に、レグルスはけげんそうにロドルフに問う。
「ロドルフ? 及第点とはいったい……。僕達を案じてくれているのは分かっているが、実は僕を邪魔だと思っているのではないかと心配していたのだが」
「邪魔に思う? 王位争いの試練の地を選ぶ際、皆が殿下に協力するのを嫌がっている中、率先して名乗り出たのですぞ。陛下から聞いておられないのですか?」
「……ああ」
「まったく、困った方ですなぁ、陛下は。それで殿下の気質が変わるのを待っておられたのでしょうが。もう二ヶ月が過ぎましたぞ、殿下。遅いスタートですな」
しかも勝手に出かけて死にかけているし、まったく……と、ロドルフはぼやく。
有紗はそっと口を挟む。
「王位争いで、試練の地ってなんの話?」
そこで有紗の存在を思い出したようで、ロドルフが怖い顔を作った。
「その話は後でしますとして、アリサ様」
「は、はい、なんでしょう」
「ああいった時は、出てきてはいけません。鍵を閉めて、クローゼットにでも隠れるべきです。次からはそうなさってください」
「……はい」
反論する余地もなく、有紗は素直に頷いた。
11
お気に入りに追加
961
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい
金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。
私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。
勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。
なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。
※小説家になろうさんにも投稿しています。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

騎士団寮のシングルマザー
古森きり
恋愛
夫と離婚し、実家へ帰る駅への道。
突然突っ込んできた車に死を覚悟した歩美。
しかし、目を覚ますとそこは森の中。
異世界に聖女として召喚された幼い娘、真美の為に、歩美の奮闘が今、始まる!
……と、意気込んだものの全く家事が出来ない歩美の明日はどっちだ!?
※ノベルアップ+様(読み直し改稿ナッシング先行公開)にも掲載しましたが、カクヨムさん(は改稿・完結済みです)、小説家になろうさん、アルファポリスさんは改稿したものを掲載しています。
※割と鬱展開多いのでご注意ください。作者はあんまり鬱展開だと思ってませんけども。
交換された花嫁
秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
「お姉さんなんだから我慢なさい」
お姉さんなんだから…お姉さんなんだから…
我儘で自由奔放な妹の所為で昔からそればかり言われ続けてきた。ずっと我慢してきたが。公爵令嬢のヒロインは16歳になり婚約者が妹と共に出来きたが…まさかの展開が。
「お姉様の婚約者頂戴」
妹がヒロインの婚約者を寝取ってしまい、終いには頂戴と言う始末。両親に話すが…。
「お姉さんなのだから、交換して上げなさい」
流石に婚約者を交換するのは…不味いのでは…。
結局ヒロインは妹の要求通りに婚約者を交換した。
そしてヒロインは仕方無しに嫁いで行くが、夫である第2王子にはどうやら想い人がいるらしく…。

よくある父親の再婚で意地悪な義母と義妹が来たけどヒロインが○○○だったら………
naturalsoft
恋愛
なろうの方で日間異世界恋愛ランキング1位!ありがとうございます!
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
最近よくある、父親が再婚して出来た義母と義妹が、前妻の娘であるヒロインをイジメて追い出してしまう話………
でも、【権力】って婿養子の父親より前妻の娘である私が持ってのは知ってます?家を継ぐのも、死んだお母様の直系の血筋である【私】なのですよ?
まったく、どうして多くの小説ではバカ正直にイジメられるのかしら?
少女はパタンッと本を閉じる。
そして悪巧みしていそうな笑みを浮かべて──
アタイはそんな無様な事にはならねぇけどな!
くははははっ!!!
静かな部屋の中で、少女の笑い声がこだまするのだった。
廃妃の再婚
束原ミヤコ
恋愛
伯爵家の令嬢としてうまれたフィアナは、母を亡くしてからというもの
父にも第二夫人にも、そして腹違いの妹にも邪険に扱われていた。
ある日フィアナは、川で倒れている青年を助ける。
それから四年後、フィアナの元に国王から結婚の申し込みがくる。
身分差を気にしながらも断ることができず、フィアナは王妃となった。
あの時助けた青年は、国王になっていたのである。
「君を永遠に愛する」と約束をした国王カトル・エスタニアは
結婚してすぐに辺境にて部族の反乱が起こり、平定戦に向かう。
帰還したカトルは、族長の娘であり『精霊の愛し子』と呼ばれている美しい女性イルサナを連れていた。
カトルはイルサナを寵愛しはじめる。
王城にて居場所を失ったフィアナは、聖騎士ユリシアスに下賜されることになる。
ユリシアスは先の戦いで怪我を負い、顔の半分を包帯で覆っている寡黙な男だった。
引け目を感じながらフィアナはユリシアスと過ごすことになる。
ユリシアスと過ごすうち、フィアナは彼と惹かれ合っていく。
だがユリシアスは何かを隠しているようだ。
それはカトルの抱える、真実だった──。

【完結】私はいてもいなくても同じなのですね ~三人姉妹の中でハズレの私~
紺青
恋愛
マルティナはスコールズ伯爵家の三姉妹の中でハズレの存在だ。才媛で美人な姉と愛嬌があり可愛い妹に挟まれた地味で不器用な次女として、家族の世話やフォローに振り回される生活を送っている。そんな自分を諦めて受け入れているマルティナの前に、マルティナの思い込みや常識を覆す存在が現れて―――家族にめぐまれなかったマルティナが、強引だけど優しいブラッドリーと出会って、少しずつ成長し、別離を経て、再生していく物語。
※三章まで上げて落とされる鬱展開続きます。
※因果応報はありますが、痛快爽快なざまぁはありません。
※なろうにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる