7 / 125
第一部 邪神の神子と不遇な王子
4
しおりを挟む森の外には野原があり、少し進むと村に着いた。
馬を預けているという村長宅を訪ねると、痩せた男が飛び出してきた。
「レグルス様! よくぞご無事で」
灰色のひげをたくわえた男は、言葉のわりにどこか残念そうだ。
「そちらの女性は?」
「森で遭難していたところを助けた。村長、馬の世話をしてくれて感謝する。さ、行こう、アリサ」
レグルスは丁重に礼を言い、駄賃を渡して黒毛の馬を引き取る。有紗と話している時と違い、どこかそっけない態度だ。
そして、まずは有紗を鞍に乗せ、その後ろにレグルスが飛び乗る。馬を歩かせると、後ろで村長が悪態をついた。
「父親とそっくりだな。女をたぶらかして……嫌だ嫌だ」
有紗はムッときた。言い返そうと振り返ったところ、レグルスに止められた。
「気にしないでください。構う時間がもったいない」
レグルスの冷淡な言葉に、それもそうかと有紗は気持ちを静める。
馬はあっという間に村を抜け、街道に出る。広々とした草原には柵がもうけられ、羊や馬が草をはんでいた。
「ねえ、なんであのおじさん、残念そうにしてたの?」
「僕が戻らなかったら、馬を自分のものにするつもりだったんでしょう。僕が治めている領地は、王国内では貧しいほうなので、彼にしてみれば財産を得る機会をふいにしたわけです」
「何それ、自分勝手な理屈ね」
「生きるのに貪欲なんですよ」
良い意味に言いかえて、レグルスはフッと小さく笑った。
「アリサ、少し急いでもいいですか?」
「いいけど、私、馬なんて乗ったことなくて……」
「では飛ばしすぎないようにします。城館はあの丘の上ですから、すぐに着きますよ」
そう言うわりに、城の影はここからは遠い気がする。
妹を助けるために気がはやるのだろう、気持ちは分かるので、有紗が頑張ることにした。
鞍の取っ手につかまるように言われたので、しっかりと固定する。馬は緩やかに駆け始めた。
「王子がお戻りになったぞ!」
高い壁に囲まれた城館の入口で、レグルスを見つけるなり、門番が中へ向けて叫んだ。
レグルスは下ろされたままの跳ね橋の上を通過し、門を通り抜けた。ほとんど砦のような城で、武骨で地味だ。中はちょっとした庭があり、玄関にはすぐに着く。馬を降りると、腰の低い男が駆け寄ってきて、馬を引き取った。
続いて、城の中から男が現われる。
「殿下、昨日から何も言わずに不在になられるとは。勝手な真似をされては困ります! その女性はなんです?」
レグルスに迷惑そうに話しかけた男は、騎士のように見えた。鎖帷子を着て、剣を装備していていかめしい。有紗に向けて、あからさまに眉をひそめる。レグルスのマントを目深にかぶっているものの、髪や目が見えないかと、有紗はひやひやしている。
「私の命の恩人で、妃に迎えることにした。私は急いでいるから、話は後にしろ」
「は? 妃? いったいどういう……」
簡単に話しただけで男を無視し、レグルスは城館の中をずんずん歩いていく。有紗はその後を追いながら、城の中のぎくしゃくした雰囲気に肩をすくめる。
玄関を入ると、また大きな扉がある。長テーブルの置かれた広間を通り抜け、また廊下を通った。そして奥まった場所に来ると、一番奥の部屋の前で、レグルスはふうと息をついた。すっと静かな態度に戻り、扉をノックする。
「レグルスです、ただ今戻りました」
すると中から鍵を開ける音がして、妙齢の女性が顔を出した。
三十代後半ほどで、円筒形の帽子の下にヴェールをかけて髪を覆っているが、隙間から真紅の髪が見えた。憂いをこめた青の目を持った女性は美しい。通った鼻筋と目元がレグルスとよく似ている。深い紫色のローブのようなドレスの腰には、宝石飾りのついたベルトを付けていた。
ここに来るまでに見た人々の様子から、恐らく中世くらいの文化レベルではないかと有紗は考えている。男はチュニックの上着に長い靴下、とんがった革靴をはいている。女もチュニックとロングスカートを着ている者がほとんどだ。
そんな中で、女性の服はひと目で高価な物だと分かる。身分が高いのだろう。
「無事に戻ってきて良かったわ、レグルス。それで……どうだったの? あら、このお嬢さんは?」
レグルスは有紗の背を押して部屋へ入れ、すぐに扉を閉めた。室内を伺ってから、有紗に女性を紹介する。
「アリサ、こちらは僕の母である側妃ヴァネッサ様です。母上、このかたは闇の神の神子であられるアリサ様です。僕が瀕死の怪我を負い死にかけていたところを、救ってくださった命の恩人です」
「や、闇の神ですって?」
ヴァネッサはひどく戸惑っている。恐れた様子で一歩下がったが、レグルスがどんなひどい怪我だったかを説明し、服にあいている穴やこびりついた血を見せたので、今度は青ざめた。
「こんな奇跡、神子様でなければ起こせないわ」
ヴァネッサは涙の浮かんだ目で有紗を見つめ、突然、有紗の手を握った。
「私の息子を助けてくださって、ありがとう! この恩をどうお返しすればいいのか」
「そのことはレグルスと話がついているので大丈夫です。それより」
有紗がレグルスを見ると、レグルスはこくりと頷く。
「母上、奇跡の泉は見つけられませんでしたが、代わりにアリサが妹を助けられるかどうか、試してくださるそうなんです。とりあえず……」
レグルスが廊下を気にしたので、ヴァネッサは頷いて、ベルトに下げていた鍵を使い、内側から扉に鍵をかけた。
「城の者達ときたら、あの子がまだ死なないのかと陰口を叩いているのよ。いっそ目の前で言ってくれたら、罰をくれてやるのに」
ヴァネッサは怒りを込めて呟きながら、奥にある天蓋のついたベッドへ歩いていく。
そこで眠る少女を見て、有紗は胸がつぶれる思いがした。痩せ細った少女は細い息をしており、死の影が濃い。長い髪は赤みがかった茶色で、パサついている。
「味覚を失くしてから食欲も減って、昨日から何も食べないの。このままでは……」
その先を言うのを恐れるように、ヴァネッサはぐっと唇を引き結ぶ。
「アリサ、どうですか?」
レグルスが焦りをこめて問う。
有紗は少女に巻き付いている黒いもやに気付いて、頬を緩めた。
「おいしそう」
「えっ?」
驚くヴァネッサを横へと移動させ、レグルスは有紗が少女に近付くのを許す。有紗は少女を指差した。
「ここに黒いもやがあるの」
「そうなんですか? 僕には見えません」
「私にも何も見えないわ」
レグルスとヴァネッサの答えに、有紗にしか見えていないのかと、今更ながらに驚く。
黒いもやから、まるでステーキが焼けた時みたいなにおいがして、有紗はうっとりした。お腹がくうっと鳴る。昨日から空腹感は無かったが、こうして黒いもやを前にすると食欲が湧く。
「食べていいよね?」
「もちろん」
レグルスは大きく頷く。ヴァネッサは何を言っているのかと、けげんな顔をしているが、息子が許しているせいか騒ぎ立てない。それをありがたく思いながら、有紗はいそいそと黒いもやをつかむ。そして綿菓子のように引きちぎって口に放り込んだ。
「おいしい!」
口に広がるステーキの風味に、有紗は目を輝かせる。
どう見ても黒い綿だ。それなのに、有紗にはこの世で一番おいしそうに見えている。
昨日みたいにがっついたりはしない。ゆっくりと黒いもやをつかみ、パンをちぎるみたいにして口に放り込む。少女の目と口の周りに、特に黒いもやが集まっているので、せっせと引き抜いた。
やがて黒いもやを食べつくすと、有紗のお腹も満たされた。ふうと息をつく。
「お腹いっぱい! ごちそうさまでした」
両手を合わせて、少女にぺこっと頭を下げる。すると少女が目を覚ました。
「うう……ん。あれ……ここ……天国かな。懐かしい部屋が見える」
少女がぽつりと呟く。
「まさか、目が見えるようになったの?」
ヴァネッサが信じられないという目で有紗を見つめた。その目にあっという間に涙が浮かび、はらはらと零れ落ちる。
「目の前で、こんな奇跡を見られるなんて」
衝動のままに、ヴァネッサは有紗の足元にひざまずく。
「ありがとう。ありがとうございます、アリサ様。家族の恩人ですわ。娘を助けてくださって、本当にありがとうございますっ」
土下座でもしかねない勢いに、有紗はしどろもどろに返す。
「ええと、あの、こっちこそ、ごちそうさまでした」
ごちそうさまってなんだ。意味が分からない。
自分で自分にツッコミを入れる。他に良い返事は思いつかなかった。有紗が困っているのを見かねて、レグルスがそっとヴァネッサを引き離す。
「母上、アリサの事情は後でご説明しますが、このかたは神殿の被害者です。元の世界に帰る方法を探しておいでなので、手伝いをすると約束しました。今日から妃としますが、よろしいですね?」
「もちろんよ、レグルス。それに私に断ることはないわ。あなたの城よ」
「母上がいらっしゃるのに、どうして僕が主の顔をできますか」
レグルスは苦笑混じりに返す。そしてヴァネッサと入れ替わるように、有紗の傍らで片膝をつき、深々と頭を下げた。
「アリサ、妹を救っていただき感謝します。大恩が二つになりましたね。僕の持てる力で、アリサを助けると誓います。どうか僕をおおいに利用してください」
そして右手を取って、その甲にキスをした。有紗の顔にあっという間に血が昇る。
「手伝いをよろしくね!」
「ええ。まずは身の回りを整えて、神殿に近付く策を練りましょう」
焦っている有紗に、レグルスは微笑ましげな視線をよこした。
10
お気に入りに追加
961
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

悪役令嬢が美形すぎるせいで話が進まない
陽炎氷柱
恋愛
「傾国の美女になってしまったんだが」
デブス系悪役令嬢に生まれた私は、とにかく美しい悪の華になろうとがんばった。賢くて美しい令嬢なら、だとえ断罪されてもまだ未来がある。
そう思って、前世の知識を活用してダイエットに励んだのだが。
いつの間にかパトロンが大量発生していた。
ところでヒロインさん、そんなにハンカチを強く嚙んだら歯並びが悪くなりますよ?

追放された悪役令嬢はシングルマザー
ララ
恋愛
神様の手違いで死んでしまった主人公。第二の人生を幸せに生きてほしいと言われ転生するも何と転生先は悪役令嬢。
断罪回避に奮闘するも失敗。
国外追放先で国王の子を孕んでいることに気がつく。
この子は私の子よ!守ってみせるわ。
1人、子を育てる決心をする。
そんな彼女を暖かく見守る人たち。彼女を愛するもの。
さまざまな思惑が蠢く中彼女の掴み取る未来はいかに‥‥
ーーーー
完結確約 9話完結です。
短編のくくりですが10000字ちょっとで少し短いです。
聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい
金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。
私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。
勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。
なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。
※小説家になろうさんにも投稿しています。
交換された花嫁
秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
「お姉さんなんだから我慢なさい」
お姉さんなんだから…お姉さんなんだから…
我儘で自由奔放な妹の所為で昔からそればかり言われ続けてきた。ずっと我慢してきたが。公爵令嬢のヒロインは16歳になり婚約者が妹と共に出来きたが…まさかの展開が。
「お姉様の婚約者頂戴」
妹がヒロインの婚約者を寝取ってしまい、終いには頂戴と言う始末。両親に話すが…。
「お姉さんなのだから、交換して上げなさい」
流石に婚約者を交換するのは…不味いのでは…。
結局ヒロインは妹の要求通りに婚約者を交換した。
そしてヒロインは仕方無しに嫁いで行くが、夫である第2王子にはどうやら想い人がいるらしく…。

妖精の取り替え子として平民に転落した元王女ですが、努力チートで幸せになります。
haru.
恋愛
「今ここに、17年間偽られ続けた真実を証すッ! ここにいるアクリアーナは本物の王女ではないッ! 妖精の取り替え子によって偽られた偽物だッ!」
17年間マルヴィーア王国の第二王女として生きてきた人生を否定された。王家が主催する夜会会場で、自分の婚約者と本物の王女だと名乗る少女に……
家族とは見た目も才能も似ておらず、肩身の狭い思いをしてきたアクリアーナ。
王女から平民に身を落とす事になり、辛い人生が待ち受けていると思っていたが、王族として恥じぬように生きてきた17年間の足掻きは無駄ではなかった。
「あれ? 何だか王女でいるよりも楽しいかもしれない!」
自身の努力でチートを手に入れていたアクリアーナ。
そんな王女を秘かに想っていた騎士団の第三師団長が騎士を辞めて私を追ってきた!?
アクリアーナの知らぬ所で彼女を愛し、幸せを願う者達。
王女ではなくなった筈が染み付いた王族としての秩序で困っている民を見捨てられないアクリアーナの人生は一体どうなる!?
※ ヨーロッパの伝承にある取り替え子(チェンジリング)とは違う話となっております。
異世界の創作小説として見て頂けたら嬉しいです。
(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾ペコ

乙女ゲームの正しい進め方
みおな
恋愛
乙女ゲームの世界に転生しました。
目の前には、ヒロインや攻略対象たちがいます。
私はこの乙女ゲームが大好きでした。
心優しいヒロイン。そのヒロインが出会う王子様たち攻略対象。
だから、彼らが今流行りのザマァされるラノベ展開にならないように、キッチリと指導してあげるつもりです。
彼らには幸せになってもらいたいですから。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる