邪神の神子 ――召喚されてすぐに処刑されたので、助けた王子を王にして、安泰ライフを手に入れます――

草野瀬津璃

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第一部 邪神の神子と不遇な王子

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 森の外には野原があり、少し進むと村に着いた。
 馬を預けているという村長宅を訪ねると、痩せた男が飛び出してきた。

「レグルス様! よくぞご無事で」

 灰色のひげをたくわえた男は、言葉のわりにどこか残念そうだ。

「そちらの女性は?」
「森で遭難していたところを助けた。村長、馬の世話をしてくれて感謝する。さ、行こう、アリサ」

 レグルスは丁重に礼を言い、駄賃を渡して黒毛の馬を引き取る。有紗と話している時と違い、どこかそっけない態度だ。
 そして、まずは有紗をくらに乗せ、その後ろにレグルスが飛び乗る。馬を歩かせると、後ろで村長が悪態をついた。

「父親とそっくりだな。女をたぶらかして……嫌だ嫌だ」

 有紗はムッときた。言い返そうと振り返ったところ、レグルスに止められた。

「気にしないでください。構う時間がもったいない」

 レグルスの冷淡な言葉に、それもそうかと有紗は気持ちを静める。
 馬はあっという間に村を抜け、街道に出る。広々とした草原には柵がもうけられ、羊や馬が草をはんでいた。

「ねえ、なんであのおじさん、残念そうにしてたの?」
「僕が戻らなかったら、馬を自分のものにするつもりだったんでしょう。僕が治めている領地は、王国内では貧しいほうなので、彼にしてみれば財産を得る機会をふいにしたわけです」
「何それ、自分勝手な理屈ね」
「生きるのに貪欲どんよくなんですよ」

 良い意味に言いかえて、レグルスはフッと小さく笑った。

「アリサ、少し急いでもいいですか?」
「いいけど、私、馬なんて乗ったことなくて……」
「では飛ばしすぎないようにします。城館はあの丘の上ですから、すぐに着きますよ」

 そう言うわりに、城の影はここからは遠い気がする。
 妹を助けるために気がはやるのだろう、気持ちは分かるので、有紗が頑張ることにした。
 鞍の取っ手につかまるように言われたので、しっかりと固定する。馬は緩やかに駆け始めた。



「王子がお戻りになったぞ!」

 高い壁に囲まれた城館じょうかんの入口で、レグルスを見つけるなり、門番が中へ向けて叫んだ。
 レグルスは下ろされたままの跳ね橋の上を通過し、門を通り抜けた。ほとんど砦のような城で、武骨で地味だ。中はちょっとした庭があり、玄関にはすぐに着く。馬を降りると、腰の低い男が駆け寄ってきて、馬を引き取った。
 続いて、城の中から男が現われる。

「殿下、昨日から何も言わずに不在になられるとは。勝手な真似をされては困ります! その女性はなんです?」

 レグルスに迷惑そうに話しかけた男は、騎士のように見えた。鎖帷子くさりかたびらを着て、剣を装備していていかめしい。有紗に向けて、あからさまに眉をひそめる。レグルスのマントを目深にかぶっているものの、髪や目が見えないかと、有紗はひやひやしている。

「私の命の恩人で、妃に迎えることにした。私は急いでいるから、話は後にしろ」
「は? 妃? いったいどういう……」

 簡単に話しただけで男を無視し、レグルスは城館の中をずんずん歩いていく。有紗はその後を追いながら、城の中のぎくしゃくした雰囲気に肩をすくめる。
 玄関を入ると、また大きな扉がある。長テーブルの置かれた広間を通り抜け、また廊下を通った。そして奥まった場所に来ると、一番奥の部屋の前で、レグルスはふうと息をついた。すっと静かな態度に戻り、扉をノックする。

「レグルスです、ただ今戻りました」

 すると中から鍵を開ける音がして、妙齢の女性が顔を出した。
 三十代後半ほどで、円筒形の帽子の下にヴェールをかけて髪を覆っているが、隙間から真紅の髪が見えた。憂いをこめた青の目を持った女性は美しい。通った鼻筋と目元がレグルスとよく似ている。深い紫色のローブのようなドレスの腰には、宝石飾りのついたベルトを付けていた。
 ここに来るまでに見た人々の様子から、恐らく中世くらいの文化レベルではないかと有紗は考えている。男はチュニックの上着に長い靴下、とんがった革靴をはいている。女もチュニックとロングスカートを着ている者がほとんどだ。
 そんな中で、女性の服はひと目で高価な物だと分かる。身分が高いのだろう。

「無事に戻ってきて良かったわ、レグルス。それで……どうだったの? あら、このお嬢さんは?」

 レグルスは有紗の背を押して部屋へ入れ、すぐに扉を閉めた。室内を伺ってから、有紗に女性を紹介する。

「アリサ、こちらは僕の母である側妃ヴァネッサ様です。母上、このかたは闇の神の神子であられるアリサ様です。僕が瀕死の怪我を負い死にかけていたところを、救ってくださった命の恩人です」
「や、闇の神ですって?」

 ヴァネッサはひどく戸惑っている。恐れた様子で一歩下がったが、レグルスがどんなひどい怪我だったかを説明し、服にあいている穴やこびりついた血を見せたので、今度は青ざめた。

「こんな奇跡、神子様でなければ起こせないわ」

 ヴァネッサは涙の浮かんだ目で有紗を見つめ、突然、有紗の手を握った。

「私の息子を助けてくださって、ありがとう! この恩をどうお返しすればいいのか」
「そのことはレグルスと話がついているので大丈夫です。それより」

 有紗がレグルスを見ると、レグルスはこくりと頷く。

「母上、奇跡の泉は見つけられませんでしたが、代わりにアリサが妹を助けられるかどうか、試してくださるそうなんです。とりあえず……」

 レグルスが廊下を気にしたので、ヴァネッサは頷いて、ベルトに下げていた鍵を使い、内側から扉に鍵をかけた。

「城の者達ときたら、あの子がまだ死なないのかと陰口を叩いているのよ。いっそ目の前で言ってくれたら、罰をくれてやるのに」

 ヴァネッサは怒りを込めて呟きながら、奥にある天蓋のついたベッドへ歩いていく。
 そこで眠る少女を見て、有紗は胸がつぶれる思いがした。痩せ細った少女は細い息をしており、死の影が濃い。長い髪は赤みがかった茶色で、パサついている。

「味覚を失くしてから食欲も減って、昨日から何も食べないの。このままでは……」

 その先を言うのを恐れるように、ヴァネッサはぐっと唇を引き結ぶ。

「アリサ、どうですか?」

 レグルスが焦りをこめて問う。
 有紗は少女に巻き付いている黒いもやに気付いて、頬を緩めた。

「おいしそう」
「えっ?」

 驚くヴァネッサを横へと移動させ、レグルスは有紗が少女に近付くのを許す。有紗は少女を指差した。

「ここに黒いもやがあるの」
「そうなんですか? 僕には見えません」
「私にも何も見えないわ」

 レグルスとヴァネッサの答えに、有紗にしか見えていないのかと、今更ながらに驚く。
 黒いもやから、まるでステーキが焼けた時みたいなにおいがして、有紗はうっとりした。お腹がくうっと鳴る。昨日から空腹感は無かったが、こうして黒いもやを前にすると食欲が湧く。

「食べていいよね?」
「もちろん」

 レグルスは大きく頷く。ヴァネッサは何を言っているのかと、けげんな顔をしているが、息子が許しているせいか騒ぎ立てない。それをありがたく思いながら、有紗はいそいそと黒いもやをつかむ。そして綿菓子のように引きちぎって口に放り込んだ。

「おいしい!」

 口に広がるステーキの風味に、有紗は目を輝かせる。
 どう見ても黒い綿だ。それなのに、有紗にはこの世で一番おいしそうに見えている。
 昨日みたいにがっついたりはしない。ゆっくりと黒いもやをつかみ、パンをちぎるみたいにして口に放り込む。少女の目と口の周りに、特に黒いもやが集まっているので、せっせと引き抜いた。
 やがて黒いもやを食べつくすと、有紗のお腹も満たされた。ふうと息をつく。

「お腹いっぱい! ごちそうさまでした」

 両手を合わせて、少女にぺこっと頭を下げる。すると少女が目を覚ました。

「うう……ん。あれ……ここ……天国かな。懐かしい部屋が見える」

 少女がぽつりと呟く。

「まさか、目が見えるようになったの?」

 ヴァネッサが信じられないという目で有紗を見つめた。その目にあっという間に涙が浮かび、はらはらと零れ落ちる。

「目の前で、こんな奇跡を見られるなんて」

 衝動のままに、ヴァネッサは有紗の足元にひざまずく。

「ありがとう。ありがとうございます、アリサ様。家族の恩人ですわ。娘を助けてくださって、本当にありがとうございますっ」

 土下座でもしかねない勢いに、有紗はしどろもどろに返す。

「ええと、あの、こっちこそ、ごちそうさまでした」

 ごちそうさまってなんだ。意味が分からない。
 自分で自分にツッコミを入れる。他に良い返事は思いつかなかった。有紗が困っているのを見かねて、レグルスがそっとヴァネッサを引き離す。

「母上、アリサの事情は後でご説明しますが、このかたは神殿の被害者です。元の世界に帰る方法を探しておいでなので、手伝いをすると約束しました。今日から妃としますが、よろしいですね?」
「もちろんよ、レグルス。それに私に断ることはないわ。あなたの城よ」
「母上がいらっしゃるのに、どうして僕が主の顔をできますか」

 レグルスは苦笑混じりに返す。そしてヴァネッサと入れ替わるように、有紗の傍らで片膝をつき、深々と頭を下げた。

「アリサ、妹を救っていただき感謝します。大恩が二つになりましたね。僕の持てる力で、アリサを助けると誓います。どうか僕をおおいに利用してください」

 そして右手を取って、その甲にキスをした。有紗の顔にあっという間に血が昇る。

「手伝いをよろしくね!」
「ええ。まずは身の回りを整えて、神殿に近付く策を練りましょう」

 焦っている有紗に、レグルスは微笑ましげな視線をよこした。

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