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<子ども編>一章 落ちこぼれの公爵令嬢
4 ジーク
しおりを挟む金茶色の髪と銀の目を持ったジーク・フォーレンハイトは、穏やかな笑みを浮かべている。
少年は食い入るようにジークの絵を見つめてから、私をキッとにらんだ。
「小娘! 僕を絵の前に連れてくるなんて、どういうつもりだ! 馬鹿にしているのか? この領地を火の海に変えてやろうか!」
少年の怒りに呼応して、ボボボッと火花が散る。私は肩をすくめた。
「あら、そう。そうなると私は死んじゃうから、もうおいしいものをごちそうできないわね。残念だわ」
おいしいという単語に、少年のお腹がくうと鳴った。
私は興味を込めて、少年に問う。
「精霊もお腹が空くの?」
「うるさいうるさいうるさーいっ」
少年は顔を赤くして怒る。
もしかして腹の虫を聞かれて恥ずかしかったのだろうか。火花が飛び散って、花火のようだ。あんまり暴れられると、家が燃えるからやめてほしいなと、私は迷惑だという視線を送る。
「とにかく! ジークを出せ!」
「残念だけど、とっくに亡くなっているわよ。この人は二百年くらい前の当主なの。お墓をひっくり返せば、骨には会えるかもね」
「二百年……? 死んだだって?」
毛を逆立てる猫のようだった少年が、急に大人しくなった。
「そうよ」
この屋敷に来た時に、おばあ様が教えてくれた。私には歴代当主の話なんて退屈で、ほとんど覚えていない。だが、ジークの娘が不憫だったせいで、ジークのことは頭の隅に引っかかっていた。同じ女として、かわいそうだったのだ。
「この人は、ジークの一人娘、エリシア様よ。左手の手袋を見て」
ジークの肖像画の隣には、妻と娘の絵がそれぞれかけてある。エリシアは生涯、人前で左手の手袋を外すことがなかったそうだ。
「この方、赤ちゃんの時に左手にやけどをして、それが痕になって残ったの。あなたが原因なんでしょ」
ジークと契約している火の精霊と聞き、私はなぜ封印することになったのかが分かった。
「ジークの子ども、左手にやけど……?」
少年の表情がどんどん曇っていく。
「私の家は、精霊をとても大切にするの。あなたみたいな大精霊なら、礼をかく真似はしないわ。あなたがジークに封じられるようなことをしたんじゃない? 私に何か話してないことは?」
「それは……」
途端に気まずそうになって、少年は口ごもる。なんとなく理由は分かっているが、私は容赦なく問う。この少年が自分で分からないと駄目なのだ。
「何があったの?」
「ジークに子どもが生まれたんだ。かわいいから触ろうとしたら、すごく泣き出して。母親が怒って俺を追い払って、それで……」
ただ触っただけで赤ん坊が大泣きしたなら、母親が怒って精霊を追い払うことはない。精霊への敬意が強いこの国の人間なら、精霊が子どもを可愛がると、むしろ喜ぶ。びっくりしたのねと、笑って許すだろう。
とうとう少年は観念して、事情を話す。
「わざとじゃないんだ。あやそうと思って、小さな火を出して踊らせていたら、あの子が触ってしまって」
「つまりあなたが、この人に一生負うような怪我をさせたわけね」
「うぐっ」
少年は苦しげにうめく。
赤子に火を近づければ、母親なら怒るし、赤子を殺されるかもしれないと怖がるだろう。
ジークの妻は、ジークの契約精霊を怖がって、封印するように頼んだという話だ。
「ねえ、貴族の女性って、怪我の一つでもお嫁に行くのが難しくなるんですって。この方は幸せな結婚をされたけど、お母様は悲しかったでしょうね。ジーク様があなたを封印したのも、娘を危険から守るためだったんじゃないかしら」
「そう……だったのか。人間は弱いとは知っていたが、そこまでとは」
何か心に響くものがあったようで、少年は考え込む。聞き分けの無い子どものような態度だったのが、急に大人びた空気を見せた。
「ジーク様は突然のご病気で倒れられたの。その死に際、ランプを捨てるなって言い残されたそうよ。おかげで、この屋敷の倉庫にはランプがたくさんあるの。まさか屋根裏部屋にあなたが隠されているなんて、誰も思わなかったんじゃないかしら」
ジークの妻はそれから数年生きたが、精霊の報復を恐れてか、それとも娘を守るためなのか知らないが、精霊の封印を解かなかった。
ランプは放置され、二百年近くが過ぎて、私が見つけたということみたいだ。
「僕のせいで、あの小さな子がそんなに大変な思いをしたなんて……」
少年はエリシアの肖像画に手を伸ばす。手袋の辺りに触れて、うつむいた。
「ジークには悪いことをした。きっと妻に責められただろうな。優しい奴だったから、こたえただろう。そうか、それで僕を封印したのか……」
全て納得したようだ。少年の落ち込みようはひどかった。威勢を失くした少年は、私を振り返る。
「ジークの子孫、当たり散らして悪かったな」
「分かってくれればいいのよ。それで、これからどうするの?」
「どう、とは?」
赤い髪を揺らして、少年は首を傾げる。
「おうちに帰るのかなって」
「こんな弱りきった姿で? 誰も僕を王と認めないだろう。まさかお前、精霊喰いに見つかって、食われてしまえと言うつもりか」
「精霊喰いってなあに?」
私が質問すると、少年は眉を寄せる。
「精霊を食べる魔物のことだ。フォーレンハイトの娘のくせに、そんなことも知らんのか。勉強不足だぞ」
「一言多いところ、物語に出てくる嫌味な姑みたい!」
「なんだと!」
私と少年が再びにらみあいを始めたところへ、おばあ様がやって来た。
「アイリス、精霊王様がいらしていると聞きましたよ。……あらまあ、なんておかわいそうなお姿。おいたわしいですわ」
祖母グレイスは、優しそうな銀の目を細めてつぶやいた。白髪まじりの銀髪を後ろで結い上げ、紺色のドレスは上品だ。首元を飾るオパールのブローチが、キラリと光っている。
私達の言い合いが聞こえていたようで、おばあ様は少年を諭した。
「精霊王様、この子はまだ十歳ですわ。口は達者ですが、千年を生きていらっしゃる精霊王様と一緒にされては困りますよ」
「なんだ、まだ十年しか生きていないのか。赤ん坊相手に悪かったな」
「私、赤ちゃんじゃないわ!」
私はすぐに言い返したが、少年は取り合わない。
「千年以上生きている僕からしたら、生まれたばかりみたいなものだ」
やっぱり嫌味だ、この精霊。
私はむすっと口を引き結ぶ。
それ以上、私が文句を言わなかったのは、少年の顔から生気が抜け落ちて、肖像画を見つめたからだ。
「そうか、ジークはもういないのか……」
私にとっては二百年前の人でも、少年にとっては、たった今、死んだのと変わらない。
祖母が私の背を軽く押し、廊下へ誘導する。部屋を出る前に、私は少年を振り返る。彼は一心不乱に肖像画を見つめ続けていた。
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