3 / 18
1巻
1-3
しおりを挟む
治癒の魔法では、魔力の糸で傷口を縫合することがある。その応用だ。神官のジョブを持つ者なら、練習すればできる。しかし、今はその糸の先端だけ魔力を多めにして、まるで心臓みたいに拍動させる必要があった。この動きこそ、生きている人間の魔力器官そのものなのだ。
(慎重に、慎重に……)
偽物だとバレれば、魔物は食いつかない。ロザリーはおおよその勘で、魔力器官に着いたと悟る。
(ほーら、魔物さん。こっちのほうがおいしいよ~)
女性の魔力は枯渇するギリギリのところだ。魔物にとって、そろそろ女性の魔力量では食欲を満たすのに物足りなくなっているだろう。目の前にご馳走をチラつかせれば、必ず惹かれる。
(来た!)
その時、魔力の糸に引っかかりを感じた。ロザリーは、今度は糸をそっと手繰り寄せる。やがて、女性の口から魔物がウゾウゾと這いずり出てきた。魚のような小エビのような、なんとも気持ち悪い虫が姿を現す。
老婦人がヒッと息を呑んだ。ロザリーが静かにと頼んでいなかったら、きっと叫んでいたに違いない。
ロザリーはそのまま虫を皿の上の疑似魔力器官へ誘導し、女性の口をそっと閉じる。ここまで成長した魔物は、耳や鼻からは体内に戻れない。
(最後の仕上げ!)
生肉を内臓と勘違いした魔物の幼体は、鎌のような前脚を肉へ突き立てている。
それを確認すると、ロザリーは魔力の糸を切った。そして、今度は指先に魔法の炎を灯す。
魔物が魔力器官がまがいものだと気付く前に、炎で焼き焦がした。ジュッという音とともに、エビが焼けるのに似たにおいがして、すぐに消える。
ロザリーはふうと息をついた。
「治療、終わり!」
「あああ、良かった。ありがとうございます!」
老婦人がその場にへなへなとへたり込む。泣きながら礼を言い、何度も頭を下げた。
「せっかく買ってきてもらったけど、この肉、もう食べられないわね」
ロザリーは自分の魔石だけ拾い上げ、革袋にしまいつつつぶやいた。老婦人がおぞましげに言い返す。
「食べませんよっ、そんなもの! あの、どう処分すれば……」
「暖炉で燃やせばいいわ」
「家の中で……? 外で焚火にしても構いませんか」
「いいわよ。ちゃんと燃やしてね、そしたらかなり小さい白い魔石が転がり出てくるから」
「すぐに準備します!」
老婦人は壁を支えにして立ち上がり、疑似魔力器官に使った生肉と焼け焦げた魔物ののった皿を手に、鬼気迫る顔で部屋を飛び出していった。
ロザリーは女性の口元をタオルで綺麗に拭いてあげてから、また頭の下に枕を敷く。そして、ぐぐっと伸びをする。
「意外と時間を使っちゃった。今日の宿、どうしよっかな」
お代のかわりに、値段が安くて安全な宿を教えてもらおう。そう思った。
◆
すっかり日が落ちて薄暗い通りを、ヒース・オブシディアンはつま先を見つめて、とぼとぼと歩いていた。
無造作に伸びた黒髪がさらりと頬にかかり、紫紺の目を細め、彼は憂鬱そうにため息をつく。その顔立ちは男らしいものの、黒衣をまとう様は優美でもあった。通りすがりの女性が何人も振り返るが、今のヒースにそんな視線を気にする余裕はなかったし、たとえ気付いていても無視しただろう。
「断られた……ヘーゼル……」
この言葉だけを聞いたら、まるで恋に破れた男のようだが、状況はもっと切実だ。
ヒースには双子の妹がいる。彼にとって家族と呼べる唯一の存在だ。そんな妹が、奇病にかかってしまったのだ。
「勇者……。俺は、お前にここまでされることをしたというのか?」
元々、ヒースは勇者の魔王討伐の旅に補佐としてつけられた騎士だった。
だが、最後まで同行していたわけではない。
最初は真面目そうにしていた勇者だが、力が付くにつれて、だんだん傲慢な面を出し始めた。それに加えて姫が我が儘を言い、他の者を困らせたり騒ぎを起こしたりするものだから、臣下として仲間として、ヒースは二人に身を正してほしいと注意し続けていたのだ。
そのことを疎ましく思われ、旅の途中で役立たずだと勇者のパーティから追い出された。
近衛騎士では最も腕が立つ騎士であったにもかかわらず、この有様。当然、王家には白い目で見られ、騎士団からも追い払われた。最悪なことに、実家であるオブシディアン侯爵家からも。
家の恥さらしだというのが理由だ。
もっとも、それはただの言い訳で、愛人の子――庶子であるヒースとヘーゼルを追い出す機会を、正妻とその子ども達が虎視眈々と狙っていただけだ。
幸い、ヒースは戦いに滅法強い。冒険者に転向したところ、勇者が魔王討伐を終える頃には、Sランクまで駆け上っていた。不幸が続いて八つ当たりしたかったヒースが、大物の魔物をいくつかまとめて倒したため、あっという間だったのだ。
そこで王都に小さな屋敷を買い、ヘーゼルと幼い頃から仕えてくれている使用人とともに、ようやく心穏やかに暮らし始めた時に、またしてもこの不幸。
神様はどれだけヒースが嫌いなのかと、運命を呪った。
それでもじっとしていられなくて、多額の報酬と引き換えに治療してもらおうと、伝手を頼って勇者に頼み込んだのに駄目だったのだ。
「ああ、合わせる顔がない」
とうとう着いた自宅の玄関前で、ヒースは途方に暮れる。
優しいヘーゼルのことだ、頼んだが駄目だったと伝えれば、そっと微笑んで彼を許すだろう。面倒をかけてごめんとすら言いそうだ。
屋敷は火が消えたみたいに静かで、沈痛な空気に包まれて――
「ふふっ、ロザリーさん、そんなにお好き? マーサ、お代わりを差し上げて」
「いいの? ありがとう、ヘーゼルお嬢様」
「やだわ、ヘーゼルって呼んでちょうだい」
「じゃあ、私もロザリーで」
――いなかった。むしろ笑い声が聞こえてくる。
ヒースは思わず周りを見回す。家を間違えたのかと思った。しかし、どこからどう見ても我が家だ。
いったいどういう状況なのだと、恐る恐る家に入る。
「……ヘーゼル?」
「ヒース、お帰りなさい!」
居間で輝くような笑みを浮かべる妹を眺め、ヒースは理解が追いつかずに動きを止めた。
◆
奇病が完治したヘーゼルにお礼がしたいからと引きとめられ、ロザリーは夕食をご馳走になっていた。その上、今日は泊まっていくようにとまで言ってもらっている。さすがにジグリス達は遠慮して、明日の朝、また来ると言って帰っていった。
魔物に寄生されていたお嬢様は、ヘーゼル・オブシディアンというそうだ。眠る姿も美しかったが、起きている彼女はもっと魅力的で、緑に黄色が混じるはしばみの目が美しく、やわらかい声は綺麗だった。胸にかかるほどの黒い髪こそまだパサついているが、数日もすれば艶を取り戻すはずだ。
「お礼はいらなかったんだけど……」
「でも、王都に出てきたばかりで、住む場所も決めていないんでしょう? お医者さんもさじを投げた病気なのよ? 命を助けてくださったんだもの、これくらいはさせてちょうだい」
ヘーゼルはにっこり微笑んで、テーブルの向かい側でゆっくりとお茶を飲んでいる。医者に処方された魔力回復に効く薬草茶だ。
食後には、老婦人マーサがロザリーに紅茶とお菓子を出してくれた。
「どうぞ。お嬢様のために作っていたゼリーがたくさんあるので、召し上がってください」
「ゼリー? 何それ」
初めて見るお菓子は、キラキラと輝いて宝石みたいだ。柑橘の果肉が入っている。見た目はジュースと果肉を凍らせたものに近いが、スプーンで触れた感じは弾力があった。
「レイヴァン村にはなかったの?」
ヘーゼルの問いにロザリーは頷く。謎の食べ物に、目が釘付けだ。
「焼き菓子ばっかりよ。王都の流行りなの?」
「ええ、最近の。レシピがあれば簡単ですよ。どうぞ、試しに一口」
マーサに促されて食べてみると、柑橘系の味がじゅわっと口に広がる。
「おいしい! ひんやりしていて、夏にぴったりのお菓子ね」
「そうなんですよ。それに食べ物が喉を通らない方も、なんとか食べられるので」
「それでお嬢様向けに作ってたのね」
納得し、ロザリーはゼリーを再びすくう。すぐに口に溶け、あっという間に食べ終わってしまった。名残惜しく器を見つめていると、ヘーゼルがおかしそうに笑う。
「ふふっ、ロザリーさん、そんなにお好き? マーサ、お代わりを差し上げて」
「ええ、お嬢様」
ヘーゼルの指示で、マーサがゼリーを詰めた容器ごと持ってくる。大きなスプーンでくりぬいて、ロザリーの皿に入れてくれた。
「いいの? ありがとう、ヘーゼルお嬢様」
ロザリーが感激して礼を言うと、ヘーゼルはゆったりと首を振る。
「やだわ、ヘーゼルって呼んでちょうだい」
「じゃあ、私もロザリーで」
そう言って笑い合っているところに、居間の戸口で男の声がした。
「……ヘーゼル?」
戸惑いの深い呼びかけだ。ヘーゼルは嬉しそうに、男へ満面の笑みを向ける。
「ヒース、お帰りなさい!」
男は見事に硬直していた。
黒い髪と紫紺の目の、凛とした空気を持つ青年だ。腰に長剣をはいており、黒衣の上からでも、筋肉が程よくついているのが分かる。結構な手練れのようで、村で戦士を見慣れているロザリーは感心した。
「へえ、この人がヘーゼルの双子のお兄さん? あんまり似てないのね」
彼女は雑談の中で、ヘーゼルの家族について聞いていた。ヘーゼルとヒースは二十二歳で、ロザリーより四歳年上なのだそうだ。ロザリーのつぶやきに、ヘーゼルが微笑みとともに答える。
「男女の双子ですし、兄は騎士となるため、一時期は離れて暮らしていましたから。今は騎士を辞めて、冒険者をしているんですよ。たった半年でSランクになりました」
「それってすごいの?」
「冒険者のトップランクですよ」
「すごいじゃないの! がんばったのねー!」
ロザリーがパチパチと拍手すると、ようやくヒースは正気を取り戻した。
「ヘーゼル? ええと、いったいどういうことだ。彼女は誰だ。というか、なんで起きて……いや、元気なのはいいんだが」
彼は思い切り混乱している。
「お兄様、この方が奇病を治してくださったんです!」
「な……治した?」
疑いを込めてロザリーを見るヒースに、マーサがどんなふうに治したかを、身振り手振りをまじえて詳細に語り始める。マーサが説明してくれているのをいいことに、ロザリーはゼリーの続きに手をつけた。
「――魔物が寄生していた? しかし、神官は何も言わなかったが」
しばらくしてテーブルについたヒースは、マーサの出した水をぐいっと飲んだ。その左指は、テーブルをカツカツと神経質に叩いている。彼はうさんくさそうにもう一度、ロザリーを観察した。
「宿主の魔力に擬態するし、とても小さい魔物だから、知らなかったら気付かないと思うわ。私も調査をして、ようやく分かったことだもの」
三杯目のゼリーを頬張り、ロザリーは言った。ヘーゼルの食事のため、ゼリーは大量に作られている。遠慮なく食べてと言うので、彼女はまたお代わりしたのだ。
「これ、本当においしいわね」
「後でレシピを差し上げましょう」
「ありがとう、マーサさん!」
「これくらいお安いご用ですわ」
マーサは機嫌良く答え、鼻歌まで歌っている。
「でも、泊めてもらうんだし、お礼の域を越えてるわ! 私、家事から家の修理、魔物退治までなんでもできるから、手伝いがあったら言ってね」
「大丈夫ですよ、力仕事は若君がしてくださいますから」
「えっ、だってこのお屋敷の主人でしょ? 貴族は家の仕事はしないって、本で読んだわ」
「若君は器用貧乏……いえ、とても器用なので、お城でいろんな雑用を習得したんですよ」
マーサは笑って誤魔化したが、本音は隠せていなかった。ヒースにじとりとした視線を向けられ、彼女は急いで話題を変える。
「若君、その魔物はとても気持ち悪かったですよ! こちらが魔物の核です」
小さな白い魔石を入れた小瓶を、エプロンのポケットから取り出した。ヒースはそれを受け取って、疑り深く観察する。
「確かに核だな」
そうつぶやき、小瓶をテーブルに置いた。
「もし本当に完治しているのだとして」
「ヒース、治ってるわよ」
「そうですよ、若君」
すかさずヘーゼルとマーサが口を挟むが、彼は右手を上げて止めた。
「二人は黙っていてくれ。――君は何者だ?」
紫紺の目が、ロザリーを見据える。
それが当然だろう。
失意の中帰宅したら、家族が得体の知れない人間をもてなしていて、しかも病気を治したと言うのだ。
ロザリーはゼリーの最後の一口を食べて、ヒースの視線を正面から受け止めた。
「私はロザリー・アスコットといいます。王国の南西、辺境のレイヴァン村から出稼ぎに来ました」
「辺境……レイヴァン村? どこかで聞いたような」
「そうでしょうね。今をときめく勇者様の故郷だもの。アスカル・ヴァイオレットは村長の息子で、私とは幼馴染で……それで」
元婚約者だ。自嘲気味に笑い、ロザリーは首を振った。わざわざ言う必要はない。
「それで?」
「……なんでもないわ」
「つまり、姫を治療できた勇者と同じ出身地だから、君ができてもおかしくはないって理屈か? では質問だ。南部の荒野に多くいるドラゴン種の魔物は? 自称でないなら、答えられるだろう」
ヒースは慎重な性格らしい。ロザリーは、そっちがその気ならば迎え撃とうではないかと、背筋を正す。
「ジグタリスよ。トカゲに似た小型のドラゴン種。高価な防具の素材にもなるけど、肉のおいしさから高級料理の材料にもなってるわ」
「ジグタリスは個体で行動する?」
「群れよ」
「あの辺りに集落がある、獣人の一族の名は?」
「ガント族」
「なるほど、そこまで知ってるなら、勇者と同郷というのは本当なんだろう」
ヒースは頷いたが、納得したわけではなさそうだ。
「どんなふうに治したんだ? 君からも説明してくれ」
「ちょっと、ヒースったら!」
しつこく疑う彼に、ヘーゼルが眉を吊り上げる。
「治ってるのは間違いないわ。まるで貧血みたいにふらふらしていたのに、今はそんな症状がないもの。それに、奇病の治療法を詳しく話せだなんて……。未発表の研究内容について話す人はいないわよ」
「それだ!」
突然、ヒースが大声を出したので、ロザリー達はびくりと肩を揺らした。
「悪い。アスコット嬢、君に自信があるなら、神殿に治療法を持ち込めばいい。報奨金を得られる上、名誉にもなる。普通なら田舎者の冷やかしだと門前払いだろうが、俺はSランクの冒険者だ。口添えしよう。――どうだ?」
ヒースが挑むように言って、ロザリーをじっと見つめる。
試されているのだと、ロザリーは感づいた。疑われているのは心外だが、ヒースの気持ちは分かる。彼には、自分があやしいヤブ医者のように見えているのだろう。
「できないなら、君は詐欺師ということだ」
「ええ、いいわよ。神殿に行くわ! ぜひとも口添えをお願いします、オブシディアンさん?」
彼女はにこりと笑ったものの、売られた喧嘩は買ってやるとばかりに、こめかみに青筋を立てている。
(まあでも、報奨金をもらえるなら助かるわ)
治療法を持ち込んだらお金をもらえるなんて、初めて知った。ロザリーの住んでいたレイヴァン村は、ユーフィール王国の南にかろうじてあるが、自治の村だ。村内に国の機関はない。
「ふうん、この提案に乗ってくるとは意外だな。いいだろう、今日のところは暫定で恩人として扱うことにする。善は急げだ。明日、午前中に神殿へ行くぞ。逃げるなよ?」
「逃、げ、ま、せ、ん!」
そっちがその気なら、ロザリーだって負けていない。ロザリーとヒースはバチバチとにらみ合い、傍でヘーゼルがおろおろしていた。
暫定・恩人として落ち着いたロザリーは、二階の客室を使わせてもらうことになった。
浴室付きの部屋で、魔法で湯を沸かしゆっくり浸かったおかげで、その日はベッドに入るとぐっすりと寝入った。野宿が三日続いていたので、体が強張っていたようだ。
おかげで翌朝は寝坊してしまい、ロザリーは慌てた。大急ぎで身支度を整えて階段に向かう。
「違う! 怪しい者じゃないんだ! いだだだだ」
「それじゃあ、なんでうちを覗いてたんだ。どう見ても不審者だ!」
そして、玄関からの騒ぎ声に目を丸くする。そちらに行くと、思った通り、ジグリスだった。
「嬢ちゃん、助けてくれ!」
ロザリーを見つけるや、ジグリスが助けを求める。どう見ても面倒事なので、彼女は頭を抱えたくなった。
「この怪しい連中、君の知り合いなのか?」
ヒースのうろんな目がこちらに向く。ただでさえ心証が悪いようなのに、ジグリスが出てきたら悪化するではないかと、イラッときた。
案の定、ヒースはここぞとばかりに、ロザリーに疑いの言葉を投げる。
「この怪しい連中、朝っぱらから他人の家を窺っていた。やっぱり君は詐欺師なんだろう?」
ぶんぶんと首を横に振り、ロザリーは否定する。
「違うわ。その人達は借金取りなの! 私が借金返済を終えるまで、傍で見張っているだけよ」
「…………は?」
ヒースが間の抜けた顔をした。よっぽど意外な答えだったらしい。ジグリスが口を挟む。
「分かったんなら、手を離してくれ。痛いって、いたたたた」
「仕方無いな」
ヒースが手を離すと、ジグリスは肩を押さえる。ロザリーが玄関の外に目を向けたところ、ダビスが門の外で引っくり返っていた。とっくにヒースに取り押さえられた後のようだ。
「――いったいどういうことなのか、説明してもらおうか」
ヒースに追及され、ロザリーは仕方無く居間で事のいきさつを白状することになった。
「――借金……⁉」
ヘーゼルが上品に口元に手を当てて、驚きの声を上げる。話すつもりのなかったロザリーは、情けなさでうなだれた。
「そういうわけで、王都には出稼ぎに来たの。こっちのほうが、魔物退治の依頼が多いかなって」
「つまり冒険者になりたいということか?」
ヒースの質問に、首を傾げる。
「冒険者って? 魔物専門の傭兵じゃないの?」
両親がそうだったため、そういう仕事だと思っていた。そんな彼女の返事に驚いたのか、ヒースが唖然として、額に手を当てる。
「なるほど。レイヴァン村から出たことがないなら、冒険者ギルドを知らないよな。あそこには一度行ったことがあるが、雑貨屋が一軒あるだけだった」
ロザリーはこくこくと頷く。その通りだ。都会には職業ごとにギルドがあると知ってはいるが、村から出たことがないので、どんなものかは分からない。彼女が期待を込めて見つめたせいか、ヒースは仕方無さそうに説明する。
「冒険者というのは、ダンジョン――魔物の巣のことだな、あれをつぶしに行ったり魔物を退治したり、時には盗賊や賞金首のような犯罪者を討伐する傭兵業だ。他には、町の中での雑用や、兵士の代理として護衛や警備をすることもある」
「魔物専門の傭兵と違って仕事が幅広いってことね。私は魔物退治しか興味がないわ」
「それでも、冒険者としてギルドに登録していると便利だぞ。名を上げれば指名依頼が来るようになる。そうすると報酬に色が付いて、高額になるんだ」
彼は自身が冒険者だから、おすすめしているのだろう。しかし、ロザリーは警戒した。いったいどういう理屈で運営されている組織なのか、よく分からないのだ。
「でも、手数料とか取られるんでしょ?」
「それは傭兵でも同じだよ。つまり、冒険者っていうのは自由業なんだ。兵士は国に縛られる。冒険者にはそれがない。そういった連中に、仕事を仲介するのが冒険者ギルド。どうせ仕事を引き受けるなら、信頼できるギルドで取引したほうが便利だぞ。交渉の手間がはぶけるからな」
冒険者ギルドは世界各地に支部がある大規模な組織なのだという。少し大きな町ならどこにでもあるので、レイヴァン村のようにギルドのない辺境のほうが珍しいのだそうだ。
とりあえず今は冒険者ギルドのことである。長所しか聞かないのでは不信感が増すので、ロザリーはさらに問うた。
「それでも、何かあるでしょ? 短所」
「ギルドのルールには縛られる。冒険者同士やギルド内での喧嘩は禁止とか、そういったことだ。他にあるとしたら、拠点にしている都市周辺で、魔物の大規模討伐戦があった際に駆り出されるくらいだな。よほどの事情がない限りは義務だ」
ちなみにそれに参加すると、緊急性がある分、報酬が加算されるらしい。
「大規模討伐戦だと、よほどの大物以外、魔物の素材はギルドが回収するが、魔石は冒険者のものだ。その辺りは傭兵と同じだな。傭兵は依頼ごとの一回きりの仕事だが、冒険者は魔物の討伐数が評価につながる。強い冒険者なら、高額の難しい依頼が来るってことだ」
「難しい依頼……高レベルの魔物を討伐するとか?」
「そういうこと」
魔物の素材を買い取る窓口にもなっている上、世界各地に支部があるのを利用して、冒険者専用の銀行もある。金銭の支払い面でも信用度が高い。
「もし依頼主ともめても、ギルドが間に入ってくれるから便利だぞ。そういう時、ギルドが冒険者の身分や権利を保障してくれるんだ」
「なるほどねえ」
(慎重に、慎重に……)
偽物だとバレれば、魔物は食いつかない。ロザリーはおおよその勘で、魔力器官に着いたと悟る。
(ほーら、魔物さん。こっちのほうがおいしいよ~)
女性の魔力は枯渇するギリギリのところだ。魔物にとって、そろそろ女性の魔力量では食欲を満たすのに物足りなくなっているだろう。目の前にご馳走をチラつかせれば、必ず惹かれる。
(来た!)
その時、魔力の糸に引っかかりを感じた。ロザリーは、今度は糸をそっと手繰り寄せる。やがて、女性の口から魔物がウゾウゾと這いずり出てきた。魚のような小エビのような、なんとも気持ち悪い虫が姿を現す。
老婦人がヒッと息を呑んだ。ロザリーが静かにと頼んでいなかったら、きっと叫んでいたに違いない。
ロザリーはそのまま虫を皿の上の疑似魔力器官へ誘導し、女性の口をそっと閉じる。ここまで成長した魔物は、耳や鼻からは体内に戻れない。
(最後の仕上げ!)
生肉を内臓と勘違いした魔物の幼体は、鎌のような前脚を肉へ突き立てている。
それを確認すると、ロザリーは魔力の糸を切った。そして、今度は指先に魔法の炎を灯す。
魔物が魔力器官がまがいものだと気付く前に、炎で焼き焦がした。ジュッという音とともに、エビが焼けるのに似たにおいがして、すぐに消える。
ロザリーはふうと息をついた。
「治療、終わり!」
「あああ、良かった。ありがとうございます!」
老婦人がその場にへなへなとへたり込む。泣きながら礼を言い、何度も頭を下げた。
「せっかく買ってきてもらったけど、この肉、もう食べられないわね」
ロザリーは自分の魔石だけ拾い上げ、革袋にしまいつつつぶやいた。老婦人がおぞましげに言い返す。
「食べませんよっ、そんなもの! あの、どう処分すれば……」
「暖炉で燃やせばいいわ」
「家の中で……? 外で焚火にしても構いませんか」
「いいわよ。ちゃんと燃やしてね、そしたらかなり小さい白い魔石が転がり出てくるから」
「すぐに準備します!」
老婦人は壁を支えにして立ち上がり、疑似魔力器官に使った生肉と焼け焦げた魔物ののった皿を手に、鬼気迫る顔で部屋を飛び出していった。
ロザリーは女性の口元をタオルで綺麗に拭いてあげてから、また頭の下に枕を敷く。そして、ぐぐっと伸びをする。
「意外と時間を使っちゃった。今日の宿、どうしよっかな」
お代のかわりに、値段が安くて安全な宿を教えてもらおう。そう思った。
◆
すっかり日が落ちて薄暗い通りを、ヒース・オブシディアンはつま先を見つめて、とぼとぼと歩いていた。
無造作に伸びた黒髪がさらりと頬にかかり、紫紺の目を細め、彼は憂鬱そうにため息をつく。その顔立ちは男らしいものの、黒衣をまとう様は優美でもあった。通りすがりの女性が何人も振り返るが、今のヒースにそんな視線を気にする余裕はなかったし、たとえ気付いていても無視しただろう。
「断られた……ヘーゼル……」
この言葉だけを聞いたら、まるで恋に破れた男のようだが、状況はもっと切実だ。
ヒースには双子の妹がいる。彼にとって家族と呼べる唯一の存在だ。そんな妹が、奇病にかかってしまったのだ。
「勇者……。俺は、お前にここまでされることをしたというのか?」
元々、ヒースは勇者の魔王討伐の旅に補佐としてつけられた騎士だった。
だが、最後まで同行していたわけではない。
最初は真面目そうにしていた勇者だが、力が付くにつれて、だんだん傲慢な面を出し始めた。それに加えて姫が我が儘を言い、他の者を困らせたり騒ぎを起こしたりするものだから、臣下として仲間として、ヒースは二人に身を正してほしいと注意し続けていたのだ。
そのことを疎ましく思われ、旅の途中で役立たずだと勇者のパーティから追い出された。
近衛騎士では最も腕が立つ騎士であったにもかかわらず、この有様。当然、王家には白い目で見られ、騎士団からも追い払われた。最悪なことに、実家であるオブシディアン侯爵家からも。
家の恥さらしだというのが理由だ。
もっとも、それはただの言い訳で、愛人の子――庶子であるヒースとヘーゼルを追い出す機会を、正妻とその子ども達が虎視眈々と狙っていただけだ。
幸い、ヒースは戦いに滅法強い。冒険者に転向したところ、勇者が魔王討伐を終える頃には、Sランクまで駆け上っていた。不幸が続いて八つ当たりしたかったヒースが、大物の魔物をいくつかまとめて倒したため、あっという間だったのだ。
そこで王都に小さな屋敷を買い、ヘーゼルと幼い頃から仕えてくれている使用人とともに、ようやく心穏やかに暮らし始めた時に、またしてもこの不幸。
神様はどれだけヒースが嫌いなのかと、運命を呪った。
それでもじっとしていられなくて、多額の報酬と引き換えに治療してもらおうと、伝手を頼って勇者に頼み込んだのに駄目だったのだ。
「ああ、合わせる顔がない」
とうとう着いた自宅の玄関前で、ヒースは途方に暮れる。
優しいヘーゼルのことだ、頼んだが駄目だったと伝えれば、そっと微笑んで彼を許すだろう。面倒をかけてごめんとすら言いそうだ。
屋敷は火が消えたみたいに静かで、沈痛な空気に包まれて――
「ふふっ、ロザリーさん、そんなにお好き? マーサ、お代わりを差し上げて」
「いいの? ありがとう、ヘーゼルお嬢様」
「やだわ、ヘーゼルって呼んでちょうだい」
「じゃあ、私もロザリーで」
――いなかった。むしろ笑い声が聞こえてくる。
ヒースは思わず周りを見回す。家を間違えたのかと思った。しかし、どこからどう見ても我が家だ。
いったいどういう状況なのだと、恐る恐る家に入る。
「……ヘーゼル?」
「ヒース、お帰りなさい!」
居間で輝くような笑みを浮かべる妹を眺め、ヒースは理解が追いつかずに動きを止めた。
◆
奇病が完治したヘーゼルにお礼がしたいからと引きとめられ、ロザリーは夕食をご馳走になっていた。その上、今日は泊まっていくようにとまで言ってもらっている。さすがにジグリス達は遠慮して、明日の朝、また来ると言って帰っていった。
魔物に寄生されていたお嬢様は、ヘーゼル・オブシディアンというそうだ。眠る姿も美しかったが、起きている彼女はもっと魅力的で、緑に黄色が混じるはしばみの目が美しく、やわらかい声は綺麗だった。胸にかかるほどの黒い髪こそまだパサついているが、数日もすれば艶を取り戻すはずだ。
「お礼はいらなかったんだけど……」
「でも、王都に出てきたばかりで、住む場所も決めていないんでしょう? お医者さんもさじを投げた病気なのよ? 命を助けてくださったんだもの、これくらいはさせてちょうだい」
ヘーゼルはにっこり微笑んで、テーブルの向かい側でゆっくりとお茶を飲んでいる。医者に処方された魔力回復に効く薬草茶だ。
食後には、老婦人マーサがロザリーに紅茶とお菓子を出してくれた。
「どうぞ。お嬢様のために作っていたゼリーがたくさんあるので、召し上がってください」
「ゼリー? 何それ」
初めて見るお菓子は、キラキラと輝いて宝石みたいだ。柑橘の果肉が入っている。見た目はジュースと果肉を凍らせたものに近いが、スプーンで触れた感じは弾力があった。
「レイヴァン村にはなかったの?」
ヘーゼルの問いにロザリーは頷く。謎の食べ物に、目が釘付けだ。
「焼き菓子ばっかりよ。王都の流行りなの?」
「ええ、最近の。レシピがあれば簡単ですよ。どうぞ、試しに一口」
マーサに促されて食べてみると、柑橘系の味がじゅわっと口に広がる。
「おいしい! ひんやりしていて、夏にぴったりのお菓子ね」
「そうなんですよ。それに食べ物が喉を通らない方も、なんとか食べられるので」
「それでお嬢様向けに作ってたのね」
納得し、ロザリーはゼリーを再びすくう。すぐに口に溶け、あっという間に食べ終わってしまった。名残惜しく器を見つめていると、ヘーゼルがおかしそうに笑う。
「ふふっ、ロザリーさん、そんなにお好き? マーサ、お代わりを差し上げて」
「ええ、お嬢様」
ヘーゼルの指示で、マーサがゼリーを詰めた容器ごと持ってくる。大きなスプーンでくりぬいて、ロザリーの皿に入れてくれた。
「いいの? ありがとう、ヘーゼルお嬢様」
ロザリーが感激して礼を言うと、ヘーゼルはゆったりと首を振る。
「やだわ、ヘーゼルって呼んでちょうだい」
「じゃあ、私もロザリーで」
そう言って笑い合っているところに、居間の戸口で男の声がした。
「……ヘーゼル?」
戸惑いの深い呼びかけだ。ヘーゼルは嬉しそうに、男へ満面の笑みを向ける。
「ヒース、お帰りなさい!」
男は見事に硬直していた。
黒い髪と紫紺の目の、凛とした空気を持つ青年だ。腰に長剣をはいており、黒衣の上からでも、筋肉が程よくついているのが分かる。結構な手練れのようで、村で戦士を見慣れているロザリーは感心した。
「へえ、この人がヘーゼルの双子のお兄さん? あんまり似てないのね」
彼女は雑談の中で、ヘーゼルの家族について聞いていた。ヘーゼルとヒースは二十二歳で、ロザリーより四歳年上なのだそうだ。ロザリーのつぶやきに、ヘーゼルが微笑みとともに答える。
「男女の双子ですし、兄は騎士となるため、一時期は離れて暮らしていましたから。今は騎士を辞めて、冒険者をしているんですよ。たった半年でSランクになりました」
「それってすごいの?」
「冒険者のトップランクですよ」
「すごいじゃないの! がんばったのねー!」
ロザリーがパチパチと拍手すると、ようやくヒースは正気を取り戻した。
「ヘーゼル? ええと、いったいどういうことだ。彼女は誰だ。というか、なんで起きて……いや、元気なのはいいんだが」
彼は思い切り混乱している。
「お兄様、この方が奇病を治してくださったんです!」
「な……治した?」
疑いを込めてロザリーを見るヒースに、マーサがどんなふうに治したかを、身振り手振りをまじえて詳細に語り始める。マーサが説明してくれているのをいいことに、ロザリーはゼリーの続きに手をつけた。
「――魔物が寄生していた? しかし、神官は何も言わなかったが」
しばらくしてテーブルについたヒースは、マーサの出した水をぐいっと飲んだ。その左指は、テーブルをカツカツと神経質に叩いている。彼はうさんくさそうにもう一度、ロザリーを観察した。
「宿主の魔力に擬態するし、とても小さい魔物だから、知らなかったら気付かないと思うわ。私も調査をして、ようやく分かったことだもの」
三杯目のゼリーを頬張り、ロザリーは言った。ヘーゼルの食事のため、ゼリーは大量に作られている。遠慮なく食べてと言うので、彼女はまたお代わりしたのだ。
「これ、本当においしいわね」
「後でレシピを差し上げましょう」
「ありがとう、マーサさん!」
「これくらいお安いご用ですわ」
マーサは機嫌良く答え、鼻歌まで歌っている。
「でも、泊めてもらうんだし、お礼の域を越えてるわ! 私、家事から家の修理、魔物退治までなんでもできるから、手伝いがあったら言ってね」
「大丈夫ですよ、力仕事は若君がしてくださいますから」
「えっ、だってこのお屋敷の主人でしょ? 貴族は家の仕事はしないって、本で読んだわ」
「若君は器用貧乏……いえ、とても器用なので、お城でいろんな雑用を習得したんですよ」
マーサは笑って誤魔化したが、本音は隠せていなかった。ヒースにじとりとした視線を向けられ、彼女は急いで話題を変える。
「若君、その魔物はとても気持ち悪かったですよ! こちらが魔物の核です」
小さな白い魔石を入れた小瓶を、エプロンのポケットから取り出した。ヒースはそれを受け取って、疑り深く観察する。
「確かに核だな」
そうつぶやき、小瓶をテーブルに置いた。
「もし本当に完治しているのだとして」
「ヒース、治ってるわよ」
「そうですよ、若君」
すかさずヘーゼルとマーサが口を挟むが、彼は右手を上げて止めた。
「二人は黙っていてくれ。――君は何者だ?」
紫紺の目が、ロザリーを見据える。
それが当然だろう。
失意の中帰宅したら、家族が得体の知れない人間をもてなしていて、しかも病気を治したと言うのだ。
ロザリーはゼリーの最後の一口を食べて、ヒースの視線を正面から受け止めた。
「私はロザリー・アスコットといいます。王国の南西、辺境のレイヴァン村から出稼ぎに来ました」
「辺境……レイヴァン村? どこかで聞いたような」
「そうでしょうね。今をときめく勇者様の故郷だもの。アスカル・ヴァイオレットは村長の息子で、私とは幼馴染で……それで」
元婚約者だ。自嘲気味に笑い、ロザリーは首を振った。わざわざ言う必要はない。
「それで?」
「……なんでもないわ」
「つまり、姫を治療できた勇者と同じ出身地だから、君ができてもおかしくはないって理屈か? では質問だ。南部の荒野に多くいるドラゴン種の魔物は? 自称でないなら、答えられるだろう」
ヒースは慎重な性格らしい。ロザリーは、そっちがその気ならば迎え撃とうではないかと、背筋を正す。
「ジグタリスよ。トカゲに似た小型のドラゴン種。高価な防具の素材にもなるけど、肉のおいしさから高級料理の材料にもなってるわ」
「ジグタリスは個体で行動する?」
「群れよ」
「あの辺りに集落がある、獣人の一族の名は?」
「ガント族」
「なるほど、そこまで知ってるなら、勇者と同郷というのは本当なんだろう」
ヒースは頷いたが、納得したわけではなさそうだ。
「どんなふうに治したんだ? 君からも説明してくれ」
「ちょっと、ヒースったら!」
しつこく疑う彼に、ヘーゼルが眉を吊り上げる。
「治ってるのは間違いないわ。まるで貧血みたいにふらふらしていたのに、今はそんな症状がないもの。それに、奇病の治療法を詳しく話せだなんて……。未発表の研究内容について話す人はいないわよ」
「それだ!」
突然、ヒースが大声を出したので、ロザリー達はびくりと肩を揺らした。
「悪い。アスコット嬢、君に自信があるなら、神殿に治療法を持ち込めばいい。報奨金を得られる上、名誉にもなる。普通なら田舎者の冷やかしだと門前払いだろうが、俺はSランクの冒険者だ。口添えしよう。――どうだ?」
ヒースが挑むように言って、ロザリーをじっと見つめる。
試されているのだと、ロザリーは感づいた。疑われているのは心外だが、ヒースの気持ちは分かる。彼には、自分があやしいヤブ医者のように見えているのだろう。
「できないなら、君は詐欺師ということだ」
「ええ、いいわよ。神殿に行くわ! ぜひとも口添えをお願いします、オブシディアンさん?」
彼女はにこりと笑ったものの、売られた喧嘩は買ってやるとばかりに、こめかみに青筋を立てている。
(まあでも、報奨金をもらえるなら助かるわ)
治療法を持ち込んだらお金をもらえるなんて、初めて知った。ロザリーの住んでいたレイヴァン村は、ユーフィール王国の南にかろうじてあるが、自治の村だ。村内に国の機関はない。
「ふうん、この提案に乗ってくるとは意外だな。いいだろう、今日のところは暫定で恩人として扱うことにする。善は急げだ。明日、午前中に神殿へ行くぞ。逃げるなよ?」
「逃、げ、ま、せ、ん!」
そっちがその気なら、ロザリーだって負けていない。ロザリーとヒースはバチバチとにらみ合い、傍でヘーゼルがおろおろしていた。
暫定・恩人として落ち着いたロザリーは、二階の客室を使わせてもらうことになった。
浴室付きの部屋で、魔法で湯を沸かしゆっくり浸かったおかげで、その日はベッドに入るとぐっすりと寝入った。野宿が三日続いていたので、体が強張っていたようだ。
おかげで翌朝は寝坊してしまい、ロザリーは慌てた。大急ぎで身支度を整えて階段に向かう。
「違う! 怪しい者じゃないんだ! いだだだだ」
「それじゃあ、なんでうちを覗いてたんだ。どう見ても不審者だ!」
そして、玄関からの騒ぎ声に目を丸くする。そちらに行くと、思った通り、ジグリスだった。
「嬢ちゃん、助けてくれ!」
ロザリーを見つけるや、ジグリスが助けを求める。どう見ても面倒事なので、彼女は頭を抱えたくなった。
「この怪しい連中、君の知り合いなのか?」
ヒースのうろんな目がこちらに向く。ただでさえ心証が悪いようなのに、ジグリスが出てきたら悪化するではないかと、イラッときた。
案の定、ヒースはここぞとばかりに、ロザリーに疑いの言葉を投げる。
「この怪しい連中、朝っぱらから他人の家を窺っていた。やっぱり君は詐欺師なんだろう?」
ぶんぶんと首を横に振り、ロザリーは否定する。
「違うわ。その人達は借金取りなの! 私が借金返済を終えるまで、傍で見張っているだけよ」
「…………は?」
ヒースが間の抜けた顔をした。よっぽど意外な答えだったらしい。ジグリスが口を挟む。
「分かったんなら、手を離してくれ。痛いって、いたたたた」
「仕方無いな」
ヒースが手を離すと、ジグリスは肩を押さえる。ロザリーが玄関の外に目を向けたところ、ダビスが門の外で引っくり返っていた。とっくにヒースに取り押さえられた後のようだ。
「――いったいどういうことなのか、説明してもらおうか」
ヒースに追及され、ロザリーは仕方無く居間で事のいきさつを白状することになった。
「――借金……⁉」
ヘーゼルが上品に口元に手を当てて、驚きの声を上げる。話すつもりのなかったロザリーは、情けなさでうなだれた。
「そういうわけで、王都には出稼ぎに来たの。こっちのほうが、魔物退治の依頼が多いかなって」
「つまり冒険者になりたいということか?」
ヒースの質問に、首を傾げる。
「冒険者って? 魔物専門の傭兵じゃないの?」
両親がそうだったため、そういう仕事だと思っていた。そんな彼女の返事に驚いたのか、ヒースが唖然として、額に手を当てる。
「なるほど。レイヴァン村から出たことがないなら、冒険者ギルドを知らないよな。あそこには一度行ったことがあるが、雑貨屋が一軒あるだけだった」
ロザリーはこくこくと頷く。その通りだ。都会には職業ごとにギルドがあると知ってはいるが、村から出たことがないので、どんなものかは分からない。彼女が期待を込めて見つめたせいか、ヒースは仕方無さそうに説明する。
「冒険者というのは、ダンジョン――魔物の巣のことだな、あれをつぶしに行ったり魔物を退治したり、時には盗賊や賞金首のような犯罪者を討伐する傭兵業だ。他には、町の中での雑用や、兵士の代理として護衛や警備をすることもある」
「魔物専門の傭兵と違って仕事が幅広いってことね。私は魔物退治しか興味がないわ」
「それでも、冒険者としてギルドに登録していると便利だぞ。名を上げれば指名依頼が来るようになる。そうすると報酬に色が付いて、高額になるんだ」
彼は自身が冒険者だから、おすすめしているのだろう。しかし、ロザリーは警戒した。いったいどういう理屈で運営されている組織なのか、よく分からないのだ。
「でも、手数料とか取られるんでしょ?」
「それは傭兵でも同じだよ。つまり、冒険者っていうのは自由業なんだ。兵士は国に縛られる。冒険者にはそれがない。そういった連中に、仕事を仲介するのが冒険者ギルド。どうせ仕事を引き受けるなら、信頼できるギルドで取引したほうが便利だぞ。交渉の手間がはぶけるからな」
冒険者ギルドは世界各地に支部がある大規模な組織なのだという。少し大きな町ならどこにでもあるので、レイヴァン村のようにギルドのない辺境のほうが珍しいのだそうだ。
とりあえず今は冒険者ギルドのことである。長所しか聞かないのでは不信感が増すので、ロザリーはさらに問うた。
「それでも、何かあるでしょ? 短所」
「ギルドのルールには縛られる。冒険者同士やギルド内での喧嘩は禁止とか、そういったことだ。他にあるとしたら、拠点にしている都市周辺で、魔物の大規模討伐戦があった際に駆り出されるくらいだな。よほどの事情がない限りは義務だ」
ちなみにそれに参加すると、緊急性がある分、報酬が加算されるらしい。
「大規模討伐戦だと、よほどの大物以外、魔物の素材はギルドが回収するが、魔石は冒険者のものだ。その辺りは傭兵と同じだな。傭兵は依頼ごとの一回きりの仕事だが、冒険者は魔物の討伐数が評価につながる。強い冒険者なら、高額の難しい依頼が来るってことだ」
「難しい依頼……高レベルの魔物を討伐するとか?」
「そういうこと」
魔物の素材を買い取る窓口にもなっている上、世界各地に支部があるのを利用して、冒険者専用の銀行もある。金銭の支払い面でも信用度が高い。
「もし依頼主ともめても、ギルドが間に入ってくれるから便利だぞ。そういう時、ギルドが冒険者の身分や権利を保障してくれるんだ」
「なるほどねえ」
0
お気に入りに追加
428
あなたにおすすめの小説
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話
ラララキヲ
恋愛
長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。
しかし寝室に居た妻は……
希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──
一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……──
<【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました>
◇テンプレ浮気クソ男女。
◇軽い触れ合い表現があるのでR15に
◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。
◇ご都合展開。矛盾は察して下さい…
◇なろうにも上げてます。
※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)
最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません
abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。
後宮はいつでも女の戦いが絶えない。
安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。
「どうして、この人を愛していたのかしら?」
ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。
それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!?
「あの人に興味はありません。勝手になさい!」
婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです
青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています
チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。
しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。
婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。
さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。
失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。
目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。
二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。
一方、義妹は仕事でミスばかり。
闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。
挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。
※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます!
※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。
妹と旦那様に子供ができたので、離縁して隣国に嫁ぎます
冬月光輝
恋愛
私がベルモンド公爵家に嫁いで3年の間、夫婦に子供は出来ませんでした。
そんな中、夫のファルマンは裏切り行為を働きます。
しかも相手は妹のレナ。
最初は夫を叱っていた義両親でしたが、レナに子供が出来たと知ると私を責めだしました。
夫も婚約中から私からの愛は感じていないと口にしており、あの頃に婚約破棄していればと謝罪すらしません。
最後には、二人と子供の幸せを害する権利はないと言われて離縁させられてしまいます。
それからまもなくして、隣国の王子であるレオン殿下が我が家に現れました。
「約束どおり、私の妻になってもらうぞ」
確かにそんな約束をした覚えがあるような気がしますが、殿下はまだ5歳だったような……。
言われるがままに、隣国へ向かった私。
その頃になって、子供が出来ない理由は元旦那にあることが発覚して――。
ベルモンド公爵家ではひと悶着起こりそうらしいのですが、もう私には関係ありません。
※ざまぁパートは第16話〜です
仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが
ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。
定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない
そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──
政略より愛を選んだ結婚。~後悔は十年後にやってきた。~
つくも茄子
恋愛
幼い頃からの婚約者であった侯爵令嬢との婚約を解消して、学生時代からの恋人と結婚した王太子殿下。
政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。
他サイトにも公開中。
私が死んで満足ですか?
マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。
ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。
全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。
書籍化にともない本編を引き下げいたしました
【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。
五月ふう
恋愛
リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。
「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」
今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。
「そう……。」
マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。
明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。
リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。
「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」
ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。
「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」
「ちっ……」
ポールは顔をしかめて舌打ちをした。
「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」
ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。
だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。
二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。
「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。