上 下
40 / 89
第三部 命花の呪い 編

 02

しおりを挟む


 水の中に落っこちた結衣は、突然のことにパニックになった。
 だがその時、右腕を掴まれ、水の中から引き上げられた。

「大丈夫ですか、ユイ!」
「……あ、アレク?」

 心配そうに覗きこむ青年を、結衣は大理石の階段に座り込んだまま呆然と見る。
 青年は、異世界にあるリヴィドール国の王、アレクシス・ウィル・リヴィドール三世だ。現在交際中の相手でもある。
 柔らかそうな金髪と温かみのある緑の目をした美貌の青年は、ドラゴンでの飛行訓練でもしていたのか、深緑色の防寒着に身を包んでいた。

「何で私、ここに……?」

 結衣は周りをきょろりと見回す。

 聖竜教会の裏にある泉だ。すぐ傍に、白い大理石で造られた巨大な神殿が建っているのが見える。
 この教会では、双子の女神――太陽の女神シャリアと月の女神セレナリア、そして聖竜を祀っている。もう一柱、夜闇の神ナトクという神様もいるのだが、大昔、セレナリアをさらって花嫁にしようとした為、怒ったシャリアによって地底に封じられてしまった。その為、ナトクは魔族を作り出した。女神への嫌がらせで、好戦的な魔族により、人間を滅ぼそうとしたのだ。

 だが、追い詰められた人間を憐れに思ったセレナリアが、人間の盾となるようにと、天界から聖竜を遣わした。このアレクという青年は、聖竜とともに戦う使命を与えられた盟友である。彼の先祖と聖竜の活躍で、今では、かつての人間の領土と同じくらいの規模まで取り戻したそうだ。

 ほとんど無敵の聖竜であるが、卵から孵し、成体になるまで導き育てる者の手が必要になる。そこで、結衣が今の聖竜ソラに選ばれ、地球から召喚された。以来、結衣はドラゴンの導き手として、地球と異世界と行き来している。
 その時に使う大事な泉なので、結衣はこの場のことをよく知っていた。

『何故って、ユイが我を呼んだのだろう? ソラ、会いたい……と』

 庭に座っていた巨大な銀色のドラゴン――聖竜ソラが、不可解そうに首を傾げ、美しい青の目でじっと結衣を見た。

「え?」

 思い返してみると、確かにソラに会いたいとは思ったが、呼びかけた覚えはない。

「ごめん。会いたいなあって思っただけだったの、呼んだつもりはなかったんだけど」
『呼んでおらぬのか! いい加減、顔を出してくれても良いだろうに』

 ソラはすねたように、青い目を細めた。

『どうせあちらの時間は止まっているのだ、せっかくだからのんびりして行け』

 そして、期待をたっぷりこめた目で結衣を見つめる。

「そうですよ、すぐに帰るなんて寂しいことをおっしゃらないで下さい」

 アレクは自分の着ていた緑の防寒着を脱いで、結衣の肩に被せながら言った。そして何故か上着の前の方をしっかりと閉めた。

「じゃあ、そうします」

 結衣は頷いたが、アレクが困ったように視線を反らしてしまうので、いったいどうしたのだろうと首を傾げる。

『おや、泉に浮かんでおる紙切れはなんだ?』
「え?」

 結衣はそこでようやく、手に持っていた荷物が無いことに気付いた。
 城山に渡された紙袋と、黒いビジネスバッグがぷかぷかと浮かんでいる。

「嘘っ、やばいっ。返さないといけないのにっ。それにスマホ!」

 慌てて泉から引き上げたが、紙袋が水に濡れたせいで破けてしまった。怖くて鞄は開けられない。

『なんだ、そんなに慌てて。我が乾かしてやろう』

 ソラが笑って言い、前回にリヴィドール国に来た時のように、魔法で乾かしてしまった。

「ありがとう、ソラ! 良かった、大丈夫そう」

 紙袋は元通りとはいかなかったが、ぎっしり詰まっていたのが功を奏したのか、釣書の中身を覗いてみると問題なさそうである。スマートフォンについては、後で確認することにした。

「何ですか、その冊子」

 一つ落としたのを、アレクが拾い上げようとするので、結衣は慌てて奪い取った。

「ななな何でもありませんっ」

 押し付けられただけで見合いをするつもりはないが、交際相手が見て良い気分になる代物ではない。
 その拍子に抱えていた釣書も落としそうになり、しゃがみこんで耐える。代わりに肩にかかっていた防寒着が落っこちた。

「ああ、すみません。持ち物に勝手に触ろうとして……」
「そういうわけではないんですけどっ」

 結衣が膝を着いたままアレクを見上げると、またアレクはさっと目を反らした。不思議に思った時、すたすたと近寄ってきたアレクが、防寒着で結衣を包み込み、あろうことか両腕に抱えてしまう。

「わっ、な、何ですか!?」
「申し訳ありませんが、ちょっと目に毒なので……神官にお預けいたします」
「は? 毒?」

 化粧が落ちてまずい顔になっているのかと、結衣は青ざめた。

『ユイ、盟友めいゆうは紳士なのだから、あまり困らせるでないぞ』
「何の話?」

 聖竜ソラのからかうような言葉に、結衣はきょとんとする。
 盟友というのは、人間の中から選ばれる、聖竜とともに戦う代表のことだ。アレクは幼い頃に盟友に選ばれた。その証は、ドラゴンが月を背負う紋様として左手の甲に浮かび上がっている。
 アレクが気まずそうにしていた理由は、結衣が神官に預けられ、部屋で着替えようとした時に分かった。白いワイシャツの胸元が、水に濡れたせいで思い切り透けてしまっていた。

(わああ、見せてしまってむしろすみませんーっ)

 結衣は申し訳なさすぎて、しばらくその場でフリーズしてしまった。


     ◆


「陛下、ユイ様がお越しになったと伺いました。……いかがなさいました?」

 服が濡れてしまったので、着替えようと王城に向かう途中、アレクは宰相オスカー・レドモンドに声をかけられた。アレクは苦笑混じりに返す。

「……いや、ユイは自分の魅力に無頓着むとんちゃくで困るなあと考えていたところだよ」
「は?」
「こちらの話だ。聞きつけるのが随分早いね、オスカー。何かあったのかい?」
「いえ、急ぎのことはありません。たまたま陛下をお呼びしようとこちらに向かっておりましたら、そこで神官から伝達を受け取ったのですよ」

 オスカーはそう返し、アレクに折りたたんだ冊子を差し出す。

「こちら、神官から預かりましたが、陛下のものでしょうか?」
「いや、私のではないと思うけれど」

 アレクは確認の為、冊子を広げてみた。オスカーが驚いた顔になる。

「これは、随分精巧な肖像画ですね。紙も、つるつるしていて不思議です」
「ユイのものだね。そういえば、さっき似たようなものを持っていたな……」

 触ろうとしたら、慌てて拒否されたことを思い出す。肖像画の絵が見知らぬ若い男のものだったせいか、何やらもやっとしたものが心に浮かんだ。

「ご家族の絵でしょうか? そういえば、ユイ様には弟君がいらっしゃるとか」
「弟……そうならいいんだけど」

 アレクはそう返しながら、そういえば結衣の家族について、あまり聞いたことがないなと気付いた。

「弟といえば、ディランとアメリアの兄、クロス伯爵が到着したそうですよ。二人は出迎えに行っていて不在です。ユイ様の護衛はいかがいたしましょうか」
「近衛から二人出して、玄関で待機させておいて。ユイは入浴中だから、しばらくは出て来ないと思う」
「ではそのように致します。――君、いいか」

 壁際に控えていた女性神官に呼びかけ、オスカーは護衛の配置にして説明する。
 それを横目に、アレクは冊子を見下ろして、何故だか気持ちが少し落ち込んでしまい、誤魔化すように空を見上げて息をついた。


     ◆


 その頃、王都の人通りの無い路地裏で、フードを目深に被り、顔を隠した男が二人、密かに言葉をかわしていた。

「それでどうだ、首尾の方は」

 黒い衣服に、灰色のマントを纏った男が問いかける。従者の身なりをした男は、恭しく頭を垂れた。

「はっ、人間の貴族の一団に、上手く潜り込めました。使用人として同行しております、このまま王城に入る予定です。しかし……」
「何だ?」

 言葉を濁す男に、灰色のマントの男は鋭く問う。

「例の導き手は異世界に戻ったままのようです。目標が不在では任務を遂行出来ません、私は王城に長くは留まれませんので……その際はいかがいたしましょう?」
「その時は聖竜の盟友でも構わん。功績を上げ、国に帰る言い分が出来ればそれでよい」
「はっ、畏まりました」

 従者の身なりの男は深々と頭を下げた。

「では行け」
「はっ、御前失礼いたします。第二王子殿下」

 従者の身なりの男が去ると、灰色のマントの男は壁に背を預けて、息をついた。
 その時、一陣の風が吹き、男のマントを大きく揺らして通り過ぎていく。
 ほんの瞬く間だけ、男の顔が日の下にさらされた。
 褐色の肌をした男は、睨むように太陽を見上げる。長く伸びた前髪は黒く、その隙間から、魔族の証である金色の目が覗く。
 男は愉快そうに笑うと、路地裏の影へと消えていった。


-------------------------
・2016.11/3 第二下僕⇒使用人 に変更しました。
  注釈のいるような単語で書くのは不親切だなと思ったので変えました。
  変にこだわらず、使用人の一言でいいところでしたね。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

『別れても好きな人』 

設樂理沙
ライト文芸
 大好きな夫から好きな女性ができたから別れて欲しいと言われ、離婚した。  夫の想い人はとても美しく、自分など到底敵わないと思ったから。  ほんとうは別れたくなどなかった。  この先もずっと夫と一緒にいたかった……だけど世の中には  どうしようもないことがあるのだ。  自分で選択できないことがある。  悲しいけれど……。   ―――――――――――――――――――――――――――――――――  登場人物紹介 戸田貴理子   40才 戸田正義    44才 青木誠二    28才 嘉島優子    33才  小田聖也    35才 2024.4.11 ―― プロット作成日 💛イラストはAI生成自作画像

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

側妃のお仕事は終了です。

火野村志紀
恋愛
侯爵令嬢アニュエラは、王太子サディアスの正妃となった……はずだった。 だが、サディアスはミリアという令嬢を正妃にすると言い出し、アニュエラは側妃の地位を押し付けられた。 それでも構わないと思っていたのだ。サディアスが「側妃は所詮お飾りだ」と言い出すまでは。

私が死んで満足ですか?

マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。 ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。 全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。 書籍化にともない本編を引き下げいたしました

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。