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連載 / 第四部 世界の終末と結婚式 編
04
しおりを挟むアレクの執務室は広々としている。
執務机以外にも、応接用の長椅子とテーブルがあるが、そちらは文官との話し合いで使うことが多い。そのため、結衣の勉強用に、テーブルと椅子を追加で持ちこんだ。アメリアが教材を運んできて、隣あって座って、文字について教えてもらう。
「なるほど、文章の並びかたは英語に似てるのね。って分かっても、文字から全然分からないけど」
「人間側の領土では、言葉と文字は統一されているので、一度覚えたら楽ですよ」
アメリアの励ましを聞いて、結衣は驚きをあらわにする。
「外国語がないの?」
「はい。昔はあったと聞いています。ですが、一度、人間は魔族に滅亡寸前まで追い込まれたんです。その時に他の国の言葉も滅んだのだと聞いておりますわ。残った人々が違う言葉を使うと面倒でしょう? それで、一つの言語になったのだそうです」
だが、遺跡には他の言葉が残っているのだと、アメリアは説明した。ということは、外国語は古代言語扱いなのか。
「アメリアさん、物知りね!」
「貴族の一般教養ですわ。それにお城勤めには読み書きは必須です。試験もありますしね」
「試験かぁ、嫌な響き」
学校でも就職活動でも、この単語は苦手だ。うんざりしてしまう。
「まずはこちらの絵本の書き写しをしながら、単語をまじえて文字を覚えましょう。それから、使える文字だけで日記や手紙を書きましょうね」
「えっ、日記や手紙を書くの?」
「実際に使うほうが覚えやすいですよ。わたくしも、両親が仕事で留守にすることが多くて。会えない代わりに、手紙を出したものです」
なるほど、動機がしっかりしているので、学習に取り組みやすかったのか。
「ユイ、私に手紙をくださいね」
アレクが執務机からにこやかに念押しした。
「大丈夫よ、忘れてないから。でも、アレクを練習台にしていいの?」
「もちろん。なんなら絵日記でもいいですよ」
「夏休みの宿題みたいね!」
思わず笑ってしまったが、アレクとアメリアは不思議そうにしている。結衣は小学校と夏休みについて話す。
「休みの間、絵日記をつけて、学校に提出するんですか。面白い課題ですね」
「自由研究で、お花や野菜を育てて記録する人もいるよ。私は犬とドラゴンのことなら、すぐに覚えられそうな気がするわ」
「いいと思いますよ。いろんな人と会いながら、ノートに書いていって、そこで文字を見てもらえば上達しやすそうですね。聖竜教会の神官や護衛にも質問してみてください」
「それなら楽しそう! 少しずつ覚えるね、がんばる!」
笑顔で頷く。結衣はじっとしているより動いているほうが好きだから、周りと雑談しながらのほうが飲み込みやすそうだ。アレクもにっこりしたが、うらやましそうに言う。
「ユイ、机を私の隣に並べませんか? 二人が楽しそうでずるいんですが……」
「駄目駄目。勉強なんだから、みんなでおしゃべりしてたら、私、集中できないよ」
「そうですか」
がっかりだと言いたげに、アレクは目を伏せる。美形はずるい。憂いをおびた顔をすると、罪悪感がはかりしれない。
「ごめんね。お互いにがんばって、後でお茶しましょ」
「そうですね、休み時間を楽しみにしておきます」
アレクは頷くと、真剣な顔で書類と向きあい始めた。結衣も刺激され、がんばろうと手本を見下ろす。アメリアも微笑ましげにして、結衣に熱心に教え始めた。
その日以降は、午前中に結婚式の特訓と礼儀作法を学び、午後は文字の勉強や体力をつける生活になった。慣れないことをこなすうち、あっという間に三日が過ぎた。
裾の長いドレスで、ヒールで歩く練習がかなり大変だ。裾を踏みつけて転ばないためには、前へと裾を蹴りながら、ゆっくり歩く必要がある。どうせ足元は見えないので、ローヒールでお願いしたが、綺麗な姿勢をたもったまま歩くだけで汗だくになった。
当分、礼儀作法は以前教わったことの復習をして、歩く練習がメインになる。
くたびれて昼食をとると、午後はジョギングがてら、文字の練習も兼ねてあちこちで日記を書く。アメリアは体力的についてこられないので、ディランが先生だ。そして一日に一回は、聖竜の寝床にも顔を出す。
ソラは聖竜なのに、文字を理解しているらしい。結衣はソラにも教えてもらった。
育ての親に教えることがあるのがうれしいみたいで、光の魔法で文字を浮かべては、ソラは誇らしげに胸を張る。
一度にいろいろと教わっても、結衣には覚えられない。だからソラの名前や聖竜、女神様の名前の書き方をメモした。隣に日本語を書いておくのも忘れない。
「ソラ、すごい。賢いわね。いつ覚えたの?」
『大人になった時にビビッときて、いろんな物事が分かるようになったのだ』
「よく分かんないけど、特殊能力ってこと?」
『そういうことにしておこう』
聖竜は月の女神様に仕えている。神通力みたいなものだろうか。
『分かっても、実際に使えるかは別だからな。魔法の練習はしておったぞ』
「えらい! ソラはがんばり屋さんだね」
『うむ! 我はがんばるぞ!』
褒めてくれとばかりに、ソラは結衣のほうへ顔を近づける。結衣はソラの頬をなでてあげた。ソラは日に何度か、国内を見回っている。それから結衣を背に乗せて空の散歩をし、昼寝をしたいと眠り始めた。
大人になっても、小さな子どもにしか見えなくて、結衣にはソラが可愛くてしかたがない。起こさないように聖竜の寝床を出ると、廊下でディランやアベルと合流する。
「ユイ様、お疲れではないですか? あんまりがんばりすぎるのも良くありませんよ」
「そうですよ。おやつでも食べましょう」
ディランとアベルはいたわってくれるが、結衣はぶんぶんと頭を振る。
「駄目よ! 食べすぎると、結婚式にひびくから。おやつは食べるけど、控えめにして、ちょっとダイエットしなきゃ」
「ええっ、ユイ様、充分、お痩せになってるじゃないですか」
「女心を分かってないね、ディランさんってば。ただでさえアレクはかっこいいんだから、隣の私がちゃんとしないと、月とスッポンになっちゃうでしょ。……まあ、今でもそうだけど」
「スッポン? それが何か知りませんけど、俺には太陽と小ネズミって感じです」
ディランがつぶやくと、アベルがディランの頭をはたいた。
「こら、ディラン。失礼なことを言うな! ネズミってなんだ」
「小さいのによく動くところが、ユイ様にそっくりじゃないですか」
「猫かうさぎくらい言えんのか。いや、女性だから小鳥だ」
二人のやりとりに、結衣は口を挟む。
「もう、やめてよ、よく分かんない口論をするの。アレクは確かに太陽って感じよね」
「金髪ですからね」
ディランは大きく頷いた。太陽のように輝く美貌という意味かと思ったが、彼は髪の色で言っていたようだ。アベルが呆れて、額に手を当てる。
「はあ。ディラン、お前の例えは単純すぎる……」
「面白いわ」
ディランは堅物すぎて、たまに朴念仁だ。ちょっと天然が入ってるあたりが親しみやすい。アメリアがいたら、無神経だと言って不機嫌になりそうだが。
笑いをかみ殺しながら、結衣が聖竜教会の中を出口に向けて歩いていると、分かれ道になっている廊下の奥で、女神官達が噂しているところに出くわした。
「本当に恐ろしいわ……」
「あの方、神官になりたくなかったって泣いてらしたけれど、まさかあんなお亡くなり方をするなんて。ご実家の方はどう思ってらっしゃるのかしら」
「娘が邪魔になったからって、教会に入れるのは違いますわよね」
ひそひそと話しながら、彼女達は曇った表情をしている。いつもほがらかで優しげな面しか見ていなかったので意外に感じられた。
「ねえ、何かあったの?」
結衣は彼女達に声をかける。
どうやら訃報のようだが、それにしては愚痴を言うのがよく分からない。
「きゃっ、これはドラゴンの導き手様!」
「お耳汚しを失礼しました」
「こんな悪い知らせ、とてもお話しできません。神殿長に叱られますから」
彼女達はビクッと肩を震わせ、急いで謝ると、あっという間にいなくなった。
「ええ?」
止める暇もないフェードアウトに、結衣は戸惑う。
「あれは逃げますよ」
「噂話に突撃するのはちょっと……」
ディランとアベルは神官達に同情しているようだ。こういうところは友達感覚でいると駄目みたいだと、結衣は後ろ頭をかいた。
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