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連載 / 第四部 世界の終末と結婚式 編
02
しおりを挟むその夜、王城の自室で、結衣は腕を組んで考え事をしていた。
リヴィドール国でアレクと生きていくと決めたものの、王妃というものが漠然としていて、いまいちよく分からないのだ。
結衣は庶民だし、日本には身分制度はない。ドラゴンの導き手として敬われるのは、聖竜を育てた勲章みたいなものかなと思えば納得できるが、王の妻となると、その心構えが全然分からないのだ。
アレクは盟友という立場のせいで、弱音を零すこともできない。更に王となれば、人前では弱いところは見せられない。そんなアレクの力になりたいし、できることなら困った時に助けられるようになりたい。
そういうわけで、翌朝、結衣はさっそくアメリアに頼んで、宰相のオスカーに会う約束を取り付けてもらった。
午後、オスカーの執務室を訪ねた結衣は、隣の応接室に案内された。迷ったが、神官の衛兵用の服にした。侍女のアメリアには、ワンピースを着て欲しいのにと渋い顔をされるが、白い詰襟の上着と黒いズボン、長靴のほうがしっくりくる。オカリナみたいな竜呼びの笛を首から提げれば完璧だ。
「オスカーさん、こんにちは。お忙しいのに、お邪魔してすみません」
すでに応接室の長椅子にいたオスカーは、ゆったりと立ち上がってお辞儀をする。いつでも黒衣に身に着けている彼は、長い黒髪と鋭い琥珀色の目を持っている。この国の人らしく、髪には紫色の飾り紐を付けていた。無表情で不機嫌そうに見えるが、これがオスカーの通常モードだ。
「構いませんよ、ちょうどいいので休憩にしようかと。さ、そちらにお掛けください。知人から菓子をいただきましてね」
テーブルにはすでに菓子が並べられており、宰相付補佐がやって来て、熱々のお茶を出してくれた。向かいの長椅子に座った結衣は、ひとまず砂糖がまぶされたクッキーをつまんで、お茶を飲んだ。
「それで、いかがなさいました? 結婚式のスケジュールはまだ決まっておりませんが、とりあえず当日までの大雑把な行動予定表はこちらですよ」
さすがは仕事のできるオスカーだ。結衣がアレクに返事した後から準備していたのだろう。書類を受け取ったものの、結衣にはただの記号にしか見えない。
「えっと……読めません」
「後で、アメリアに読んでもらってください。この赤線のところが特に重要です。文字の読み書きも、おいおい習得していただきましょう。ユイ様は王妃になるんですからね」
「そのことでお話があるんです!」
結衣は長椅子の上で、ずいっと身を乗り出す。
「王妃の勉強って、どうすればいいんですか?」
「なるほど、やる気があるのは大変素晴らしい。ですが、一朝一夕に身につくものではありません。王妃は、王が不在の時に、兵の指揮をとることもありますが……いきなりユイ様にそれをせよとは申しません。そもそも、この国では、王は聖竜と共に戦う身。不在が多いので、私のような宰相が常任しているわけです」
オスカーの説明を聞いても、結衣にはよく分からない。すかさず右手を軽く挙げて質問する。
「宰相って、常にいるものじゃないんですか?」
「大半では、王が執務をできない場合に置くんですよ。王が病気で執務できないとか、まだ幼いとか……色々とございます。幼い場合は、王妃が摂政につきますが、王妃には政治の指揮をとるには荷が重い場合があります。そういう時は、政治に詳しい者を、宰相に任命するんですね」
「そういうものなんですか。うーん、摂政って、歴史の授業で聞いた気がする。ええと、なんとなくは分かりました」
「はは。そのうち理解できるようになります。ユイ様には、結婚式に向けた特訓と、基本的な礼儀作法は身に着けていただこうと思います。それ以外は、のんびりで構いません。あなたの立場も、王と同じく特殊です。王妃の仕事よりも、ドラゴンの導き手らしくいていただくほうが、この国にとってはありがたい」
そこでオスカーは、思惑ありげに微笑んだ。
「まあ、最も大事な王妃の仕事は、もちろんお世継ぎのことですが……。あんまり催促するとストレスにしかなりませんので、そちらは結婚してからお考えください」
「は、はい」
「しかし、結婚してからのほうが望ましいですが、夜這いなさるなら秘密にしておきますよ?」
にこりともしない無表情でそんなことを言われて、結衣は面食らった。
「そういう冗談はやめてくれます!? セクハラ!」
顔を赤くして怒った結衣だが、オスカーには意味が通じなかった。
「せくはら? よく分かりませんが、冗談でこんなことを申しませんよ。王族の結婚となると、式で初めて会うことがほとんどですが、その前に引っ越してきた場合、そういうこともまれにはありますから。ユイ様、陛下とお子ができなかった場合、第二妃をめとることもございます。そのことはゆめゆめお忘れなきように」
「第二妃……」
そういうことまで考えが及んでいなかったので、結衣がショックを受けた。だが、確かに歴史もののドラマなんかでは、後宮での争いがよくえがかれている。
「もしかして、奥さんってどんどん増えていくんですか?」
「いいえ。一夫一妻が基本ですが、陛下はリヴィドール王家最後の直系でいらっしゃいますので、もしもの場合はという意味です」
それを聞いて、心底ほっとした。
「ええと……まあ、とりあえず、が、がんばります?」
結衣は目をそらす。どうしてオスカー相手に、こんな宣言をしているんだろう。ものすごく気まずい。しかし結衣の気など知らず、オスカーは淡々と説明を続ける。
「例え第二妃を迎えたとしても、王妃の権威が最も強いですし、何よりドラゴンの導き手は、本来は陛下よりも身分が上でいらっしゃる。ないがしろにされることはございません。もし不服ならば、聖竜教会にお頼りになればよろしいかと」
「それってオスカーさんとしてはまずいんじゃ……?」
「もしもの場合は、いつでもあります。私が存命ならばお助けしますが、そうでなければユイ様を軽んじる方もいるかもしれません。逃げ場はありますと、あらかじめ教えているんです。いいですね?」
「はい。ありがとうございます。オスカーさんって親切ですよね」
オスカーも、結衣が日本に戻れなくなることを聞いているんだろう。将来、城にいるのが苦痛になった場合、聖竜教会に逃げればいいと言ってくれるなんて優しい。都合の良いことだけ話したって、結衣には知りようがないのに。
「あまり不安になることを話したくはないのですが、我々は常に最悪を想定して動いています。自分の世界を捨ててまで、こちらを選んでくださったユイ様にとって、逃げ場がないことが最もつらいことかと存じますから。――まあ、陛下がいらっしゃるので、そんなことにはならないとは思いますけど」
念の為だと強調し、オスカーは安心させるように結衣に頷いた。
「とにかく、王妃になるからとピリピリなさるより、ユイ様にはいつも通り聖竜様や陛下と仲睦まじく過ごされて、竜舎のドラゴンと仲良くしてお元気でいて欲しいです。そもそも、淑女はそんな格好で、ドラゴンと戯れたりしませんから。そこからすでに『普通』ではありませんしね」
「優しいと思ったのに、なんかけなされてる?」
「気のせいです」
オスカーはそう返したが、結衣はどうも納得できない。疑いの眼差しを避けるように、オスカーは菓子の皿を結衣の前に押し出した。
「基本の礼儀作法の復習や、結婚式の特訓について決めましたら、またご連絡しますので。好きに遊んでてください」
「それ、大人にかける言葉です? なんだかなあ。でも、なんで結婚式の特訓なんです?」
「裾の長いドレスを着て歩くのは大変なんですよ。王家の儀礼としての動き方もあります。式を終えた途端、緊張の反動から体調を崩す新婦もいらっしゃるほどで」
「ええっ、結婚式よね!? 何それ、修業みたい!」
「言っておきますが、参列するほうも地味に大変なんですからね? 神官のありがたいお言葉も、早く終わらないかと念じるほどで」
「正直すぎる!」
オスカーの脅しに、結衣は早くもビビっている。
「二ヶ月、がんばりましょうね、ユイ様。私としては、結婚式を魔族が邪魔しに来ないかが心配です。アスラ国の王太子が、ユイ様にご執心ですからね。何か仕掛けてくるかも」
「うわ、やめてくださいよ。そうなりそうで怖い! というか、言われるまで、イシュドーラのことなんて忘れてたのに!」
「それは失敬。怖かったら陛下に慰めてもらえばいいですよ」
「オスカーさん、フォローが雑!」
しれっとしているオスカーを前に、結衣はどっと疲れを覚えた。
「ええと、とにかく、まずは結婚式をがんばって乗り越えますね。大変なら、筋トレしたほうがいいのかな。まずはジョギングね!」
「元気でいて欲しいとは言いましたが、王妃は城の中を走り回ったりしません」
「分かりました。外を走ります!」
「そういう意味でも……。はあ、面倒くさいのでもういいです」
オスカーは宰相付補佐を呼んで、残りのお菓子を包ませると、結衣に持たせてから帰るように言った。子どもみたいに追い払われた気がして、なんとも釈然としない結衣である。
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