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1巻
1-3
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「副団長、そのハンカチ、どうされたんですか?」
ロベルトは書類を書く手を止め、ハンスを見る。
ハンスは今年入ったばかりの新入りで、実家が商家で文字や数字に強いため、書類仕事の手伝いをしてもらっている。警備団には、体を動かすのには長けていても、書類仕事は不得手な者が多いのでとても助かっていた。
「どうとは?」
「昨日からやたらそれを見ているので、何かあるのかと思いまして」
新人とはいえ、もう半年の付き合いだ。同室で仕事をしているのだから、ロベルトが普段と様子が違うとすぐに気付くのだろう。
ロベルトは微苦笑をしつつ、デスクの端に広げて置いているハンカチを見る。昨日、フィオナにもらったものだ。帰ってくるなり石鹸で洗って干し、乾いたものをデスクに置いて時々眺めていた。あまりにも刺繍が見事なので、何度見ても感心してしまう。
「昨日、見回りの時にフィオナ殿にお会いしてな。その時にもらったんだ」
「え、あのトレーズ商会の方ですか? ええと、どっちですか?」
「姉の方だ」
「ああ、〝目隠し姫〟ですね!」
ハンスのその反応に、ロベルトはたしなめるように言う。
「ハンス、女性のことをそんな風に呼ぶものではない」
「あ、すみません。つい」
ハンスは首をすくめて謝る。
「このハンカチは彼女の手製らしい」
「そうなんですか! すごいなあ。パイ作りだけじゃなく、裁縫まで得意だなんて。これで器量好しなら引く手あまたでしたでしょうに……」
噂を思ってか、ハンスは不憫そうに呟く。
「でも、ブスは三日で慣れるって言いますし、家に帰ってあの料理を食べられるんなら、結婚するのも悪くないかもしれませんね!」
あけっぴろげに言い切るハンスに、ロベルトは頭痛を覚えた。
「ハンス……。失礼だぞ」
「うっ、すみません!」
ハンスはまたもや首をすくめる。仕方ない奴だと思いつつ、ロベルトは昨日のフィオナとのやりとりを思い出し、口を開く。
「フィオナ殿の妹が、ハーシェルと食事に行くそうだ。もしフィオナ殿が来たら通してやってくれ。何かあったら相談に乗ると約束したのでな」
神妙にロベルトが言うと、ハンスは天を仰いだ。
「また一人、罪のない女性が団長の毒牙に……あんまりです、神様」
そして、気を取り直したように大きく頷く。
「分かりました。フィオナさんがいらっしゃったらお通しします。……出来れば相談に来ないことをお祈りしますが」
「ああ……」
それにはロベルトも全くの同意見だった。
フィオナがアイシスのことで相談に来るということは、間違いなくハーシェルがアイシスにひどい振る舞いをしたということを意味する。
「俺、嫌ですよぉ。女性が泣きながら団長に会わせろって騒ぐ修羅場に立ち会うの」
新人で、まだ半年目なのに、ハンスは何度かそういう場面に居合わせていた。
「俺だって嫌だ。しかも、俺の顔を見たら怖いと言ってますます泣くんだぞ。やってられん」
今度は、ハンスはロベルトへ憐れむような視線を向けた。
「……副団長、お気を強く持って下さい。副団長がそういう感じの顔に生まれている以上、仕方ないと思います」
「…………ああ」
なんて失礼な奴だと思ったが、ハンスが真剣に励ましているのがわかって、ぐっと文句をこらえたロベルトだった。
*
アイシスがハーシェルと食事に行く約束をした日。
明るい緑色のワンピースに、フィオナ特製のピンク色のコサージュをつけたアイシスが、迎えに来たハーシェルと出かけていくと、フィオナはほっと息を吐いた。
花を模したコサージュはアイシスにとてもよく似合っていたし、何よりアイシスの機嫌が最高潮に良いのは嬉しい。だが、なんとなくもやもやするのだ。きっと相手がハーシェルだからだろう。大事な妹が傷つけられやしないかと、フィオナは気が気でない。両親も、アイシスがハーシェルとデートするのを聞いて渋い顔をしていた。ハーシェルの噂を知っているのだから、親としては心配するのは当たり前である。
でも、これも一時の夢だと割り切って、それで諦めがつけばいいとも父は言っていた。高嶺の花への恋を昇華させるには、これくらい必要だと。それに今のアイシスに言っても聞かないだろうから、とりあえず様子を見よう。
フィオナ達はそう示し合わせ、アイシスの好きにさせることにしたのだ。
「よいしょ……っと」
フィオナはトレーズ商会の倉庫で、棚から木箱を抱え下ろす。
もやもやする分、働いて気を紛らわせようと思い、在庫の確認をしていた。中身を確認し、帳簿につけ、新しく入荷した品を箱に入れて保管すると、また帳簿につける。そういう作業の繰り返しだ。
倉庫は涼しく、貧血になりやすいフィオナにも安全ということで、両親も倉庫整理なら任せてくれる。フィオナが対人恐怖症なのを理解しているので、店番はしなくていいと言われていた。見本品作りや家事もしているし、裏仕事を支えているから十分とのことだ。代わりに、人当たりの良いアイシスがよく店番をしていた。アイシスは、ノルマンやレティシアとともに、衣服を手作りする市井の婦人方や仕立屋、それから行商人、時折訪ねてくる領主家や貴族にも対応をしている。店を訪れても、市井の婦人達は必ず買い物をするわけではない。井戸端会議の場として集まっていることもあるのだ。そうした婦人達と雑談するのも、店員の勤めだった。フィオナがいる倉庫と売り場はつながっているので、その様子が時々見られた。
ちなみに、店には筒状の木箱や奥行きのある棚があり、そこにロール状に巻いた布を置いて幅一メートルから販売している。客達は必要な分だけでもいいし、ロール一本分を買っていってもいいため、便利だと評判だった。更に布の種類も多く、質も良いため、トレーズ商会はそれなりに繁盛していた。
だが、布はひょいひょい売れるものではない。だから家族三人でも店の運営は可能だが、ノルマンが膝を悪くしているので、季節の折々に出かける買い付けやその運搬などのために、男の従業員を三人雇っている。それ以外にも、清掃やトレーズ一家に用事が出来た時の店番、倉庫の商品の移動などもお願いしているが、日常的な作業は一家で回していた。
その日も、フィオナはいつも通り倉庫で働いていたが、アイシスが帰ってくるまで落ちつかなかった。
「すごく素敵だったわ、ハーシェル様。さりげなくエスコートして下さるし、食事もおいしかったし、お話も楽しくて」
夕方、ハーシェルに家まで送られて帰ってきたアイシスは、フィオナの部屋で夢を見ているかのようにぼんやりしながら、ほうっと感嘆の息を吐いた。フィオナは椅子に座ったまま、幸せそうなアイシスを見る。
「……そ、それで?」
その後に何か大変なことがなかっただろうかという不安が胸をよぎる。
アイシスは急に頬を赤らめた。ふふっと口元を手で覆って笑う。
(なになに、なんで急に赤くなるのっ。まさかハーシェル様に何かされたとか!?)
心臓が爆発しそうなほど落ちつかない。
「えへへー、こう、ね。騎士の礼みたいに、手の甲に口づけをして下さったのよ。物語みたいで素敵だったわ。うふふっ、しばらく手を洗えないわぁ」
きゃあきゃあと騒ぐアイシス。
なんだ、手だけか。よかった。フィオナはほっとした。
だが、そう思ったのもつかの間、アイシスの爆弾発言が続いた。
「それからね、姉さん。今度は植物園の散策に行きましょうって言って下さったの!」
緑色の目をキラキラと輝かせ、アイシスは両手を握りしめて言う。
「え、い、いつ?」
フィオナは平静を装いつつも、内心でかなり動揺した。
メリーハドソンの西にある植物園といえば、恋人達のデートスポットで有名だ。他には夜景の見える高台や、東の森にある花畑散策も人気だが、植物園はその中でも少し上品なデートコースで、入口付近にはお茶を飲めるスペースもあるらしい。そこで注文したお茶を味わい、花々を眺めながらのんびりとデートを楽しむそうだ。
「一週間後よ!」
アイシスはうきうきと答える。
「あの、アイシス……。ハーシェル様とは、その、お付き合いすることになったの……?」
恐る恐る訊ねる。ここははっきり聞いておきたかった。
アイシスは愛らしい顔をぽっと赤く染め、目を潤ませて頷く。
「実は、そうなの。恋人にして下さるって」
フィオナは目を丸くした。
まさかデート一回目にして、付き合うことになるとは予想外だった。ハーシェルが女遊びの激しい人だというのは本当だったのか。
信じられない気持ちが通過すると、今度は不安な気持ちがもやもやと胸に湧き起こった。
「いいの? アイシス」
「え?」
「だって、ハーシェル様の噂……」
心配を口にするフィオナを、アイシスは手を挙げて止めた。
「姉さん、それ以上は言わないで。私、ちゃんと分かってるから。もしかしたら遊びかもしれないけど、今は一緒に喜んで欲しいの」
アイシスはフィオナをじっと見つめ、にっこり微笑んだ。
分かっているのか。フィオナは安堵したが、胸の中では更にもやもやが膨れ上がった。あんな風に恋をしていた妹が、こうして思い人と結ばれたのだから、素敵なことのはずなのに。
しかし、アイシスは心配されることではなく、共に喜びを分かち合うことを望んでいる。フィオナは一度もやもやする気持ちを脇に置いて、笑みを浮かべてみる。そうすると、何だか本当に嬉しいことのように思えてきた。
「おめでとう。良かったわね、アイシス!」
「ありがとう、姉さん!」
二人はそのまま勢いで手を取り合って、部屋の中をきゃあきゃあ跳び回り、この奇跡を喜びあった。
そうして存分に騒いだ後、アイシスが部屋に戻りフィオナ一人になると、またもやもやがやって来た。ベッドに腰かけ、小さな溜息を吐く。
(もしかして、静観するという選択は間違いだったのかしら? アイシスはハーシェル様と付き合わないで、夢を見たままでいた方が良かったんじゃないかしら?)
でも、幸福そうに微笑むアイシスを見ていると、この考えは間違っているような気がしてくる。少なくとも、今のアイシスは、付き合わないでいた時よりも幸せなのだ。
何となく、フィオナの脳裏にロベルトの顔が浮かんだ。ハーシェルのことで相談があればいつでも来ていいと言ってくれていたのを思い出す。
(せめて、遊びか本気か、どちらかだけでも分からないかしら……)
そうしたら、このもやもや感も少しは治まりどころが見つかる気がするし、何より家族としての対応も取りやすい。乳兄弟のあの方なら、その辺りのことが少しは分かるかもしれない。
*
フィオナが訪ねてきたという知らせを聞いて、ロベルトは仰天した。
(……いくらなんでも早すぎやしないか)
ハーシェルはもう問題を起こしたのだろうか。
相談を受けると言ってから、まだ三日しか経っていない。
ハーシェルは紳士的な男だと信じていたのだが、それは自分の勘違いだったのか?
ロベルトは内心で激しく動揺しつつ、いつもの仏頂面で戸口まで行き、フィオナを出迎えた。
「フィオナ殿、何か問題が?」
「……すすすすみませんっ、お忙しいのに何度もお邪魔して!」
ロベルトが近付いた瞬間、フィオナは後ずさって、案内した門番が閉めていった扉に背中から激突した。そしてぺこぺこと頭を下げ始める。謝る声はすっかり泣き声だし、前に執務室に来た時と同じく怖がっていて、籠の取っ手を掴むほっそりした手は、ぶるぶる震えている。そんなフィオナの恐慌ぶりを見て、ハンスが横でぶっと噴き出した。
確かに大袈裟な仕草ではあるが、笑うことはないだろうに。ロベルトは部下を軽く睨んでから、フィオナからやや距離をとって、顔を上げるように言う。
「そんなに謝らなくていい。……ハーシェルが妹殿に何かしたのか?」
こんなに怖いのにやって来るのだから、よっぽどのことがあったのだろう。
ロベルトが真面目に問うと、笑っていたハンスも緊張した面持ちでフィオナを見つめた。
「……実は、ハーシェル様とアイシスがお付き合いすることになりまして」
「ふむ?」
それの何が大問題なんだ?
ロベルトはよく理解出来ず、わずかに首をひねる。ちらりとハンスを見ると、そちらも怪訝そうな顔をしていた。
「あの、ハーシェル様は、そのう、たった一度デートしただけで、お付き合いを申し出るのが普通なのでしょうか……?」
小さな声が、不安そうに訊ねてきたので、ロベルトは今までのことを思い返した。
「普通だな。一度デートして、合わなくてそれっきりのこともあったが。付き合う気になったということは、少なくとも妹殿のことが気に入ったんだろう」
「そうなんですか……」
答えを聞いて、フィオナはほっと胸を撫で下ろす。だが、考えこむように俯いてじっと爪先を見つめた後、思い切ったように疑問を口にした。
「ハーシェル様は、本気なんでしょうか……?」
ここに来て、ようやくフィオナが何をそんなに心配しているのかが分かった。
たった一度、食事に行っただけで付き合おうと言い出すハーシェルが、妹と本気で付き合う気があるのか、遊びではないのかと心配しているのだ。
だが、こればっかりは当人ではないのでロベルトには答えられない。
「……すまない。それは本人に聞かないとさすがに分からないな。あいつが何を考えているのか、俺も時々よく分からなくなる時があるのでな」
「……そうですよね。こんなこと聞いてごめんなさい。ハーシェル様の噂を知っているのにアイシスがあんまり喜んでいるので、気になってしまって……」
緑色のフードを被った頭が、しょんぼりと下を向く。
「いや、こちらこそ相談に乗ると言っておきながら、肝心なことを答えられず申し訳ない」
「いいえっ、厚かましく相談をもちかける私が悪いのですっ。父や母とは、様子を見ようと話したのに、どうしても落ち着かなくて……」
消え入りそうに弱々しい声が呟く。
さほど親しくもなく、顔すらも知らない少女なのに、見ていると何故か手助けしたくなってくる。不思議なものだ。
落ち込んだフィオナを前に、どうしたものかと頭の後ろをかきながら、ロベルトは途方に暮れた。
女性や子どもに怖がられるせいで、こういった若い女性と普段接する機会がほとんどない。こういう風に頼られるのも初めてなので、どう対応するのがベストなのかすぐに思い付かないのだ。ハーシェルと同じ二十四歳だというのに、なんだろう、この差は。
「あ、あの。相談に乗って下さってありがとうございました。不安を口に出したら少しすっきりしました。これ、差し入れに持ってきたので、よろしかったら召し上がって下さい」
しかしフィオナはロベルトの様子から、これ以上相談するのは申し訳ないという結論に達したのか、ふいに顔を上げると、礼を言って手にした籠をロベルトの方に差し出した。
「差し入れなど、そんなに気を遣わなくてもよかったんだが……」
「いえっ、相談に乗ってもらうのに、手ぶらでなんて来れませんっ。大したものではありませんし、もっと気のきいた物を持ってくることが出来たらよかったんですが……」
またフィオナが落ち込みそうになっているので、ロベルトは急いで籠を受け取る。
フィオナは浮き沈みが激しく、やや後ろ向きな思考をするようだ。放っておくと、また暖炉にくべろだの庭に埋めろだの言うに違いない。
「ありがたくいただくことにする。……中を見ても?」
「は、はいっ」
了解を得てから、籠の中の布包みを開く。ほうれん草のキッシュが入っていた。焼きたてなのか、籠まで温かい。
「殿方は食べ物の方がいいかと思いまして。お口に合わなかったら、捨て――」
「捨てないから、安心しろ。暖炉にもくべないし、庭にも埋めない」
やはり予想通り言い出したので、そこはきっぱり否定する。
「そ、そうですか……?」
フィオナは気の抜けた様子で小首を傾げる。
何故そこで疑うのか謎だ。
「せっかくだ。休憩にしよう。君も一緒にどうだ?」
「わっ、私もですか!? いいえ、そんな。もうおいとましますっ!」
フィオナは裏返った声で返事をした。
「暑い中ここまで来たのだから、喉が渇いているだろう。それに、この前のように帰る途中で貧血になるかもしれない。遠慮せず、少し休んでから帰るといい。――ハンス、第二客室に茶を用意してくれ。三人分だ」
やや強引に言い切って、ロベルトが出した指示に、ハンスの目が輝いた。
「ありがとうございます、副団長! 俺、ここで働けてよかったです。美味いもんが食える!」
本音を叫びながら、ハンスは執務室を出ていった。
「ハンスはこの間のパイを気に入ったらしくてな。俺もあんな美味いものは初めて食べた」
部下の食い意地が張った恥ずかしい発言をごまかしついでに言うと、フィオナの口元が笑みの形を作った。
「おいしいと思っていただけたのなら、きっと母のお陰です」
「母親の?」
「はい。料理を教えてくれたのは、母なので」
自分ではなく教えた母がすごいのだと嬉しそうに微笑むフィオナの姿を見て、ロベルトも自然と笑みを浮かべた。
「――そうか。母上殿は偉大だな」
「はい」
フィオナの、心から嬉しそうな声が答える。
なんだか胸の奥がじんわり温かくなる。仕事ばかりで疲れているのだろうか。こんな穏やかなやり取りに、ほっとするのは。
その後、ロベルトがフィオナをさりげなく客室まで案内すると、着いてから我に返ったフィオナがわたわたと帰ると言い出した。が、ハンスが「せっかくお茶を用意したのに……」と残念そうな顔をするのを見て、帰るのを諦めていた。どうも人が好いらしい。
*
「フィオナさん。俺、今度はケーキが食べたいです!」
「ええ?」
キッシュを食べ終わるや否や、ハンスがいきなりそんなことを言い出したので、フィオナはきょとんとしてしまった。
家族以外の人にメニューをリクエストされたことがなかったので、びっくりしたのだ。
「……ハンス、厚かましいぞ。すまんな、フィオナ殿。部下の教育が足りていなかったようだ」
ロベルトが淡々とした口調ながらも威圧感をもってハンスを見たので、ハンスは頬を引きつらせて姿勢を正した。
「明日にでも、特別に訓練をつけてやろう」
「ひいい、そんな、副団長ーっ!」
青い顔をして悲鳴を上げるハンス。そんなハンスをフィオナは目を丸くして見る。
「そんなに副団長さんの訓練は厳しいんですか?」
「厳しいなんてものじゃないですよ、フィオナさん! 副団長は鬼と言われていてですね!」
息巻いて訴えるハンスを、ロベルトはちらりと見て言った。
「……ほう。ハンス、それを言った者も連れて来い。鬼などと思えなくなるくらいに、鍛えてやる」
「ひいい、やっぱ鬼じゃないですか! すみません、レネ先輩にゲイク先輩っ! 巻き込みます!」
さりげなく先輩二人を巻き添えにしつつ、ハンスは青い顔のままで叫ぶ。
あまりにもハンスが怯える姿が滑稽だったので、見ていたフィオナは噴き出した。
「……今の時期なら桃のタルトかしら」
「えっ、作ってくれるんですか!」
ハンスは、ぱああと表情を明るくする。
フィオナは、ハンスが年下で、無邪気なところがアイシスと似ているせいか、なんとなくわがままを聞いてあげたくなった。ケーキが食べたいなど、アイシスと言うことまで同じで可愛らしく思える。
「はい。だから、訓練頑張って下さいね」
「うわぁぁぁ、味方がいないぃぃっ!」
ハンスが顔を腕で覆って絶叫した。しかし、すぐに復活して、キラキラした目をフィオナに向けてくる。
「ってことは、もしかして明日持ってきてくれるんですかっ?」
「……お邪魔でなければ」
フィオナの答えを聞いた瞬間、ハンスのキラキラした双眸はロベルトに向いた。
「副団長、邪魔じゃないですよね! ね!」
「もちろん邪魔ではない。……ハンス、いい加減に落ち着かないと窓から放り出す」
「すみませんでしたっ!」
うるさげに眉を寄せたロベルトが短く脅すと、ハンスはすぐさま謝って静かになった。
確かに鬼だ。
フィオナは納得してしまった。
(つい約束してしまったけれど、そういえば私、なんでこんな所にいるのかしら……)
今更だが、不思議に思う。
元々知らない人が苦手だというのに、まだそんなに親しくない二人――しかも男の人――と、こうしてお茶を飲むだなんて、数日前までは考えられないことだった。ふと、ここに来た用事を思い出す。アイシスの次のデートのことだ。
「……植物園かぁ」
ぽつりと呟く。いつかフィオナも誰かと行ける日が来るんだろうか。
「植物園? トマス・レーゼルデン植物園のことか?」
一瞬、意識が違う場所に飛んでいたので、ロベルトに問われて驚いた。びくっと肩を揺らして、ソファーの上で身を引く。
「は、はいっ。アイシスの次のデート、そこらしくて……」
「さっすが団長ぉー。女心を掴むデートコースをよく分かってますね」
ハンスが顎に手を当てて感心したようにうなる。
(うーん。またもやもやしてきた……)
デートのことを思うと気が重い。フィオナは小さく溜息を吐く。
「あと高台からの夜景と、東のシェーレの森の手前にある花畑でしたっけ。もちろん、収穫祭も外せないですよね!」
指折り数えてデートスポットを挙げるハンスに、フィオナとロベルトは少し意外に思って目を見開いた。
「何故、お前はそんなに詳しいんだ?」
ロベルトがうろんげに問うのに、フィオナも思わず首を縦に振って同調する。
「え? 俺、姉が三人いるんですよ。それでねーさん達がよく話してたんで」
「……そうか。てっきり彼女がいるのかと」
ぼそりと呟いたロベルトに、ハンスはきょとんと言う。
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「……!」
「えっ」
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「お前、十六じゃなかったか?」
「十六で彼女がいたらいけないんですか?」
あっさり問い返され、言葉に詰まるロベルト。
「と言っても、幼馴染なんで、小さい頃からの知り合いなんですけどね。付き合いだしたのは十四からですが」
フィオナは絶句した。口元を手で覆う。
「そ、そんなに早く……?」
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