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スピンオフ アイシス編「斜陽の女主人」
04
しおりを挟むテオが案内した場所は、雑木林を少し奥に進んだ低木だった。
その前で、テオが小さく口笛を吹くと、低木の後ろからリズが恐々と顔を出した。リズはすぐに飛び出してきた。
「アイシスさん、良かった。無事だったのね!」
「きゃっ」
余程心配してくれたらしい、リズが体当たりするかのようにぶつかってきたので、アイシスはしがみつく彼女を受け止め、たたらを踏んだ。慌てるアイシスを他所に、リズは体を離すや、アイシスを上から下まで眺めた。
「怪我はしてない? そう、良かった。あのお嬢さん、危ない雰囲気だったから何かしたんじゃないかってやきもきしていたの! もう少し遅かったら、彼の言葉を無視して助けに戻るつもりだったわ」
「それは良かった。そんなことをされていたら、次は助けずに見捨てていましたよ」
テオはにこりとも笑わずに言った。アイシスは眉を寄せる。
「ちょっとテオさん、笑えないわよ、その冗談」
「冗談ではありませんので。どうせ走るなら、警備団に助けを求められた方がいくらかマシでしょう。頭が悪すぎると思います」
「……なんなの、この人」
「ハーシェル様のお屋敷の執事見習いだそうよ、リズさん」
真顔で皮肉を言うテオをにらむリズに、アイシスはそうとだけ返す。アイシスもまた、リズの様子が気になっていたので、彼女を眺めて怪我が無いと確認するとほっと息を吐いた。
「私も何が何だか分からないんだけど、巻き込まれたリズさんに何も無くて良かったわ」
「あの後、何があったの?」
「お嬢様とお話してて、髪を切られそうになったわ。でも彼が助けてくれたの」
アイシスがちらりとテオを見やると、リズはふんと鼻を鳴らす。
「変な人だけど、やるじゃないの」
「ハーシェル様にお仕えするのです、これくらい当然です」
リズの称賛など微塵も気に掛けず、テオは言い切った。リズは肩をすくめる。
「褒めがいがないわね」
「助かったのは事実よ。それでいいんじゃないかしら。ね、お互いの無事も分かったことだし、警備団に逃げましょう。私、ハーシェル様とお話しなきゃ」
「ええ、そうすべきね。歩きながらでいいから、私にも説明をお願いしたいわ」
「もちろんよ、じゃあ行きましょ。この辺ってどこになるのかしら? メリーハドソンにこんな林があるなんて知らなかったわ」
アイシスは首を横に振る。
先に立って歩き始めたテオが、わずかに振り返って説明する。
「街の南東部ですよ。富裕の平民層がよく住んでいる場所です。たまに風変りな金持ちがいて、自然のままの姿が風情と言って放置してるんですよ。迷惑ですよね」
「何であなた、そんなに詳しいのよ」
リズが警戒をこめて問いかけると、テオはあっさりと答えを返す。
「僕の仕事には、主人の手紙を届けることも含まれていますので」
「もしかしてマドソンさんのことも知ってたの?」
「ええ。トレーズお嬢様がさらわれた時、馬車や御者に見覚えがあったので、すぐに脱出ルートも検討出来ました。追跡だけなら、辻馬車で追えばいいだけですが、逃げ道を探すのは結構難しいんですよ。蛇が出たらどうすると騒ぐ人もいますし」
「……悪かったわね」
ぶすっと不機嫌さをあらわにするリズ。ことごとくリズの神経を逆なでしているテオの言葉の数々に、アイシスは冷や冷やする。どうやらテオに悪気はないらしいので、余計に性質が悪い。
「複数名の女性に手紙を届けに行きましたが、トレーズお嬢様の所はまだ一度も行っていませんね。我が主人は手紙を書くより、ご本人に会う時間を取るようにしているようです。良かったですね」
「えっ、あ、ありがとう」
アイシスはドキリとしたものの、口からは礼の言葉が出た。
もしかして、エリーゼ・マドソンがアイシスの性格と真反対なことを少し気にしているのを見抜かれたのだろうか。アイシスは藪をかき分ける手は止めず、思い切って聞いてみる。
「ねえ、テオさん。ハーシェル様ってああいう方の方が実はお好きなの?」
「ああいう方? ああ、あの病弱なお嬢様ですか。違うと思いますが。僕はハーシェル様があの方とお付き合いし始めた時、上手くいかないだろうって思いましたから」
「どうして?」
興味津々の体で問うリズ。ハーシェルに恋していたから気にしているのかと思いきや、単純に好奇心だけのように見えた。
「だって、領主家の男性方は、代々苛烈な女性に惹かれると聞いていましたから」
「は?」
唖然と目を丸くするリズ。
「前領主様や現領主様の奥様を思い出して下さいよ。領地改革に乗り出したり、故郷では地竜を乗り回していたりするような方々です。気性も結構激しくて、怒ると怖いそうですよ。ほら、奥様もそうですし!」
ちらっと振り返ったテオは、嬉しそうに微笑んでいた。リズがそういえばという顔でアイシスを振り返るので、アイシスは頬を膨らませる。
「失礼しちゃうわ。私はただ、まっすぐに生きてるだけよ!」
「何故ご機嫌を損ねられたんでしょうか、正直にご説明して差し上げただけなのに」
アイシスの反応がよく分からないと、テオは首を横に振る。
アイシスからすれば、ここまで失礼なことを言って、怒らないと思っているらしきテオの感性の方が謎だ。
(変な人だけど、正直ではあるのよね。発言には目を瞑って、信用出来る人だと思っておこう)
嬉しい気持ちにはなれないけれど、ハーシェルの好みのタイプがアイシスの性格とほぼ同じらしいのは分かったので、気分は軽くなったのは確かだ。感謝はしておく。
「ああ、出ましたね。では行きましょう」
雑木林を抜けると、どこかの裏通りに出た。
迷わずにすぐ傍の青い扉に近付くテオに、アイシスは左奥に見える通りを示す。
「行くって、あっちじゃないの?」
「大通りなんて通ったら、見つかりに行くようなものですよ。大丈夫です、ここの店主とは顔見知りなので。ではついて来てくださいね!」
迷いなく扉を開け、飛び込んでいくテオ。アイシスとリズは慌てて従ったが、肝が冷えた。
「おじさん、また通らせてもらいますね!」
「あっ、こら、クソ坊主! ここを通路代わりにすんなって言ってんだろうが!」
「ごめんなさい、おじさん!」
「すみませんすみません」
涼しい顔で台所から店へと出て行き、表玄関から出るテオに対し、店主の怒声が飛んできたので、アイシスとリズは謝りながら後に続いた。
表玄関から通りに飛び出すなり、リズが信じられないと声を上げる。
「なんて変な人なの!」
「違うわ、リズさん。悪気なさすぎる迷惑人間って言うのよ!」
その後、狭い路地や他人の家の庭などばかりで、ようやく警備団の本舎に着いた時にはアイシスとリズは疲れきっていた。
◆
「ハーシェル様、エリーゼ・マドソンという方をご存知ですか?」
ほとんどノックと同時に扉を開けたアイシスは、怖い顔をしてそう聞いた。
いったい何の話だと、ハーシェルは目を丸くする。あっけにとられたせいで、羽ペンの先からインクがしたたり、手紙に黒い染みを作ったのに気付くのが遅れた。手紙はまた書き直すことにして、ペンを放り出して椅子を立つ。
「聞き覚えはあるよ、過去に付き合っていた女性だね」
どうして今更その名前が出てきたのか。ハーシェルは困惑しながら、気まずい気分になった。とっくに別れた相手なので、何もやましいところはないのだが、現在交際中の恋人の口から出てくると、とんでもなくおっかない言葉のように感じる。
どう説明しようかと、涼しい顔の奥でこっそり悩んでいると、戸口から申し訳なさそうな顔でこちらを見るテオと見知らぬ少女の姿を見つけた。
テオは鳥打帽を両手で握り締め、目を合わせるのも怖いというように、うつむいて目線を横に反らしている。
その様子を見て、彼が何かしくじって、それでアイシスが怒っているのだとハーシェルは思った。
さて、いよいよどう話を切り出せばいいのやら。
ひとまずアイシスの出方を伺っていると、何やらバタバタと騒がしく走って来る足音が聞こえた。
「ん?」
うるさいと思うと同時に、救いの女神が手を伸ばしたような錯覚も覚えた。とりあえず、このよく分からない重苦しい沈黙をどうにかしてくれるはずだと希望をこめ、廊下を見やる。
足音の主はロベルトとノルマン・トレーズだった。ノルマンは血相を変えて、執務室に飛び込んでくる。
「申し訳ありません、ハーシェル様。娘が誘拐されたと連絡があって……。え!?」
「アイシス殿!?」
ノルマンとロベルトは、幽霊でも見たような顔で、アイシスの顔を凝視した。
訳が分からない様子のノルマンに対し、素早く落ち着きを取り戻したロベルトが眉を寄せる。
「なんだ、誤報だったのか?」
「いいえ、お義兄さん。合ってます。つい数分前まで、そちらのリズと捕まってましたから」
アイシスがきっぱり答える。
「え?」
ハーシェルはきょとんとした。どういうことかとテオを見ると、彼は更に気まずそうにうつむいた。それを見かねたのか、リズという名の少女が軽く挙手する。
「私達、この執事見習いさんに助けて頂いたんです。ね、アイシスさん」
大きく頷いたアイシスは、ハーシェルの前に進み出る。
「ハーシェル様、お願いです」
「ああ、何かな?」
「エリーゼ・マドソンとお話しして下さい!」
「……は?」
てっきり犯人を捕まえろと言うのかと思えば、そんなことを言うアイシスを、ハーシェルは肩すかしをくらったせいであっけにとられて見つめる。
情報が断片的すぎて、流石のハーシェルも飲み込めないでいる。
「申し訳ないが、アイシス嬢。話がさっぱり見えない。――ロベルト、第一客室に皆さんをご案内してくれないか。まずはお互いに情報交換といこう。いいね、アイシス嬢。あなたのお父上を見てみなさい、今にも倒れそうだ」
言われて初めてノルマンが卒倒しかかっているのに気付いたアイシスは、慌ててノルマンの腕を取って支える。
「ごめんなさい、父さん。大丈夫?」
「ああ、大丈夫だよ。だけど何があったか教えてくれるか、アイシス」
ノルマンの頼みにアイシスはもちろんだと頷き、それを皮切りに、ハーシェルらは第一客室へ移動した。
香しい紅茶の湯気が部屋にふわりと広がった。
青を基調とした第一客室には、十人は席につける大きなテーブルが置かれている。人数が多い会合で使われる部屋だ。
アイシス達はその部屋で、ロベルトの部下であるハンス少年が用意した茶を飲みながら、事の顛末を話しあっていた。
「戻るのを待っていた?」
話を聞き終えたハーシェルは、あっけにとられた顔をした。
凡人がすればただの間抜け面だが、整った容貌なのでそれすらもどこか格好いい。
「ええ、そうです」
アイシスは大きく頷いた。内心、そんな顔も素敵だとときめいてしまったが、今は恋愛事にうつつを抜かしていられる状況ではない。
アイシスはエリーゼの乱暴な手段には憤っていたが、そうせざるを得なかった不器用さには不憫さを感じていた。アイシスがそんなことを思っていると知れば、きっとあのかよわいお嬢様は怒るだろうけれど。
普通、結婚話は親が取りまとめるものだ。
アイシスや姉のフィオナとて、相手は恋愛をして自分で見つけたが、結婚話や今後の話などを進める時には親が仲介して助けてくれている。
深窓の令嬢のようなエリーゼならどうだろう? そもそも相手との取っ掛かりすらも自分では難しかったかもしれない。
「自分の苦境を察して、運命の相手が迎えに来る。そう考える乙女思考の持ち主なのだと思います、あのお嬢様。私は待つなんて御免ですけど、でも、かよわい女性の大半はそんな夢見る考えをしているものです!」
「ああ、白馬の王子を待つあれですね」
テオがぼそりと呟いた。
ロベルトが何とも言い難い顔でテオを見やる。
「何だ、その白馬の王子というのは?」
「女の子の夢の話ですよ。白馬に乗った王子がいつか迎えにやって来る……という」
ノルマンが微笑ましそうに説明した。ロベルトは不思議そうに返す。
「は? 見知らぬ男が白馬に乗ってやって来て、王子だと名乗るんですか? ただの不審人物だと思いますが」
部屋の中にいた全員が、思わず噴き出した。ハーシェルがくっくっと腹を押さえて笑いながら言う。
「流石、朴念仁……! その調子でフィオナ嬢に愛想を尽かされたりしないでくれよ」
「何の話だ」
怪訝そうにするロベルトは放置して、アイシスは身を乗り出す。
「とにかく! そういう夢見る乙女思考を持った純粋なお嬢様が暴走したんだと思います。ハーシェル様、乙女心を刺激した罪です。ちゃんと向き直って話してきて下さい!」
アイシスが怖い顔をするので、笑い止んだハーシェルであるが、複雑そうに天井を仰いで肩をすくめる。
「話をするのは構わないけどね、アイシス嬢。私はマドソン嬢の気持ちには応えられないよ。話す意味があるんだろうか」
「あります! 変にこじれているから、こんなことになってるんでしょう?」
「だが、両親が亡くなり辛い思いをしてきたその女性の希望を奪うことにはならないかな?」
アイシスはひるんだ。
ハーシェルの言う事にも一理ある。
親が死に、失意の中で生きてきたエリーゼが、唯一支えにしていたのが、いつかハーシェルが迎えに来るということだったら、その生きる希望を奪うことになってしまう。ますます自棄になりはしないかと、ハーシェルは心配しているんだろう。
部屋は静まり返った。
皆、どう返していいか分からず、身じろぎしては目を見交わす。
口を開いたのはノルマンだ。
「それを信じて、上手くいかないでいるのは、偽物の希望だからではないでしょうか。私は娘の意見に賛成ですよ、ハーシェル様。その女性は、そろそろ夢から醒めるべきです。年齢を聞けば、まだ若い。今から再出発するなら立ち直りやすいでしょう」
一番年長の言うことだけあって、すんなりと心に入ってくる。反論は出なかった。
「では、決まりですね。もう夕方ですし、明日、昼間に行きますよ。暗い時間に話すと、その後、後ろ向きな考えになりやすいですからね」
ハーシェルはそつのないことを言って、話を纏めた。
「お前のそういう優しさが、こういうこじれた事態を引き起こしているんじゃないか?」
どこか迷惑そうに呟くロベルトに、ハーシェルは平然と返す。
「ロベルト、物事を上手く治めたいなら、時間帯も考えるべきだよ。恋愛事に限らず、ね」
伊達男らしい発言に、ロベルトは溜息を返した。
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