目隠し姫と鉄仮面

草野瀬津璃

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スピンオフ アイシス編「斜陽の女主人」

01

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 メリーハドソンの活気溢れる東通りを、浮き浮きと歩く影が一つ。

(これをお母さんに渡したら、帰りにお買い物して帰ろう)

 出来上がった見本品を籠に入れて、フィオナ・アスレイルは通りを歩いていた。夫であるロベルトと暮らしている新居は西通りに面する場所にあるので、実家帰りに買い物に行くとついでになってちょうどいいのだ。

(最近は忙しくないみたいで、早く帰ってきてくれるから嬉しいな。今日は朝市で買ったお魚があるから、それを香草焼きにして~)

 結婚式を挙げて一ヶ月しか経っていない新婚の為、フィオナはだいたい毎日こんな風に機嫌が良い。家事や裁縫など、実家にいる時と変わらないことをしているのに、どれも楽しい。
 とはいえ、一人で家で留守番しているとちょっとした空き時間が退屈だったので、その間は実家の店向けの見本品作りをしたり、趣味の刺繍をしたりしている。

(……ん?)

 フィオナは実家であるトレーズ商会の傍まで来て、ふと足を止めた。
 十代半ばくらいだろうか? 灰色の帽子を目深に被った茶色い髪の少年が、窓から店の中を覗きこんでいる。

「こんにちは、何か御用ですか?」

 店に用事なのかと思って問うと、少年は驚いたようにフィオナを振り返り、頭を下げる。

「いえ、どんなお店かなと気になって……。すみませんでした」
「え? あの……」

 フィオナが呼び止めるのもむなしく、駆け去ってしまう少年。

「なんだったのかなあ」

 そんなに興味をひかれる物が店にあったのだろうかと、少年が見ていた方をフィオナは振り返る。
 そこにあったのは、店番をしているアイシスが、カウンターに座っている光景だった。他に目立つ物は無い。

「……んん?」

 フィオナはアイシスを見て、それから、少年が立ち去った方を見る。
 父の後妻の連れ子である為、アイシスとフィオナの間に血の繋がりはないが、妹であるアイシスはフィオナの目から見ても人形のように可愛らしい。黙って大人しく座っていれば、通りすがりの少年が一目惚れしてもおかしくない可憐さがある。条件を付けたのは、アイシスが勝気な性格をしていて、アイシスをよく知る東街の青少年の間では、見るだけで十分で恋人にするには手に余ると思われているからだ。

(アイシスったら、罪作りね……)

 アイシスには婚約者がいるので、少年を気の毒に思いながら、フィオナは店の扉に手をかけた。

     *

「今日、お客さん少ないわねー」

 アイシス・トレーズは店番をしながら、暇を持て余していた。
 トレーズ商会の会長である父ノルマンは、最近はなんだか忙しそうで、よく店をあけている。だから母であるレティシアや従業員と交代で店番をしている。今はレティシアと従業員が遅い昼食をとるために休憩しているところだ。
 傍に誰もいない上、今日は空が曇っていて薄暗く、眠気を誘う。

「ふあああ」

 口元に手を当てて大きく欠伸した時、店の扉が開いてカウベルが涼やかな音を立てた。

「アイシスったら、吸い込まれちゃいそうな欠伸ね」

 戸口に呆れ顔のフィオナを見つけたアイシスは、椅子から立ち上がると、恥ずかしさで顔を赤らめて弁解する。

「誤解よ、姉さん! 店番しながら四六時中欠伸ばっかりしてるわけじゃないからね!」
「分かってるわよ。アイシスはしっかりしてるものね?」

 くすりと笑って返すフィオナ。アイシスはほっと息を吐き、椅子に座り直した。

「大丈夫? アイシス。毎日勉強で大変でしょう?」
「心配してくれてありがと。大丈夫よ、覚えることはたくさんあるけど、私、勉強って好きみたいなの。ハーシェル様とお付き合いするまで知らなかったことだから、新鮮だわ」

 商売に関係する計算や文字はノルマンやレティシアから習ったが、文学的な勉強は今までしたことがなかったので、世界が広がって面白いのだ。平民にはおよそ使いどころのない知識だが、ハーシェルと結婚する為には必要なことらしい。ハーシェルの兄が領主だから、親族として行事に呼ばれてもいいように、という話のようだ。

「だったらいいんだけど」

 フィオナはそう言って、思案げに窓の方を見た。

「どうかしたの、姉さん」
「あ、あのね、さっきお客さんみたいな人がそこにいたから、なんの用事だったのかなって」
「お客さん?」
「声かけたら何でもないって言っていなくなっちゃったんだけど……」
「なにそれ、怪しいわね! 駄目よ、姉さん。そんな不審人物に声かけちゃ。先に私を呼んでくれたら、ちゃんと対応するから」

 体が弱く儚げな姉を守るべく、アイシスは憤然と言った。カウンター裏に置いてある箒を一瞥する。変な奴だったらこれで掃きだす気満々だ。

「アイシス、そういう時は従業員さんを呼んだ方が良いと思うのよ。気を付けてね、姉さん、胃が痛くなるから……」

 フィオナは困ったように言い、相変わらず窓の方を気にしている。

「そんな不審人物は放っておきなさいよ、姉さん。それよりも何か用があるんでしょう?」
「ええ。お母さんにこれを渡そうと思って……」

 フィオナが籠から出したポーチを見て、アイシスはパッと表情を明るくした。赤い布で作られたポーチに、黒いリボンと飾りボタンが飾られていて可愛らしい。

「可愛い! 見本品?」
「うん。暇な時に作ってたの」
「いいなあ。店用じゃなかったら欲しかったわ」
「本当? そんな風に言ってくれると嬉しいわ。じゃあ、こんな感じのをアイシスにも作りましょうか」
「やったあ! ありがとう、姉さん!」

 他所に嫁いでも相変わらず優しい姉に、アイシスは満面の笑顔で礼を言った。


     ◆

 フィオナが用事を終えて帰ってしまうと、アイシスは再び手持無沙汰になった。

「店番だって分かってるんだけど、眠くなるわ」

 早めに昼食をとって満腹なことと、午後の日差しがおだやかで気持ち良いことが合わさって、眠気を引き起こす。
 アイシスはまたうとうとしそうになって、手の平で口に蓋をして欠伸を飲み込んだ。

「こういう時に限って、近所のおばさん達はおしゃべりしに来ないのよね」

 普段は頼んでもいないのに立ち寄るのにとアイシスは溜息を吐く。
 せめて昨日習った詩の復習をしようかと口ずさんでみたが、最初の方しか覚えておらず、それ以降がさっぱり進まなくて思い出すのをあきらめた。

(母さんか、従業員さん、どっちでもいいから早く戻ってこないかな)

 アイシスは期待を心の中でつぶやいて、カウンターに頬杖をついたままぼんやりと窓から外を見た。

(……ん?)

 そこに紺色の帽子の頭を見つけて、アイシスは眉を寄せた。
 帽子のてっぺんだけが窓から見えていたが、やがてそれが上へとずれ、顔の上半分がぴょこんと現れた。ちぢれた茶色い髪と太い眉が見え、つった目が覗く。十代後半程の少年に見えた。
 ばちりと目が合うと、少年は慌てて窓枠の下に引っ込んだ。帽子の頭が、窓ガラスから見える場所にあり、それがそろそろと左横へ移動する。
 アイシスは先程の姉の言葉を思い出し、これがさっきの不審者かと思った。いい暇潰しが出来たとにやっと笑い、迷わずに箒を掴んだ。そして扉まで歩いていき、思い切り扉を引く。

「うちに御用で――わっ!」

 客への応対をよそおった不審者への鋭い問いかけは、途中で驚きの声に変わった。戸口にどてっとカボチャみたいに転がった少年を、アイシスは一歩後ろへ跳んで避ける。
 少年は右手に持った手紙を前へ突き出す格好で、地面に這いつくばっている。

「ちょっと大丈夫~?」

 アイシスは箒の柄で、少年の背中をつんつんと突いた。

「大丈夫か訊くんなら、手を貸すくらいしろよなっ!」
「あら、元気ね。よかった」

 起き上がるや怒る少年に、アイシスは悪びれなく返す。そして、間髪入れずに問う。

「で、なにしてるのよ。不審者」
「そこはせめて客扱いで質問しろよっ!」

 団子鼻が印象的ながたいが良い少年は、だみ声でそう返した。そんな彼を見るアイシスの青い目は、凍えるように冷たい。

「不審者に不審者って言ってなにが悪いのよ? お客さんだったら堂々と入ってくればいいじゃないの」
「うっ」
「――で? 用件は?」

 アイシスにぴしゃりと言い捨てられて、少年は口を引き結び言い淀む。十秒待った後、アイシスは溜息を吐いた。

「わかった。不審者ってことで警備団に突きだすわね?」
「おい、もう少し待てよ。短気な女だな! 最低に違いないと思ってたが、本当に最低だ!」
「はあ? なんで不審者に最低なんて言われなきゃいけないのよ。表に出なさいよ!」
「ここはもう表だ!」

 袖をまくって喧嘩を仕掛けるアイシスに、少年もいきり立って返す。が、そこで用件を思い出したようで、右手に握った手紙をアイシスに突き出した。

「ん!」
「はい?」

 きょとんとするアイシスの手に手紙を押し付け、少年はアイシスから距離を取る。

「東街の元ガキ大将だろうと、怖くないんだよ、バーカ! そこに来いよな! 待ってるからな! リズの仇は俺がとってやる!」

 叫ぶだけ叫ぶと、少年は人込みへと姿を消した。

「はあ? なんなのよ、いったい……。リズって誰よ。ていうか、馬鹿って言う方が馬鹿なのよ! バーカ!」

 だんだん腹が立ってきたアイシスは悪態を呟き、くしゃくしゃな上に泥汚れがついた便箋を広げる。

「なにこれ、果たし状?」

 汚い字の並んだ手紙に眉を寄せ、目をこらして読み進めて、なんとか解読する。

「明日の昼に南街の案内猫銅像前で待つ、ジム? 昼って何時よ」

 アイシスは口をへの字にして、呼び出すつもりな割にいい加減な手紙に不満を零す。八つ当たりで手紙をくしゃくしゃに丸めると、スカートのポケットに放り込んだ。

「なにがなんだかわかんないけど、売られた喧嘩は買うわよ!」

 今しがた立ち去ったジム少年がいた方向をにらみつけ、アイシスは憤然と呟く。負けず嫌いに火がついた。それに理不尽な罵倒も気に入らない。
 アイシスは明日の予定を組み立て、絶対に勝ってやると拳を握った。



 そして翌日の午後二時過ぎ。
 アイシスは南街のメインストリートに建つ案内猫銅像前にやって来た。これは、迷子の道案内をした賢い猫を称えた銅像だ。メリーハドソンの街に幾つかある昔話の一つである。目立つのでよく待ち合わせ場所に使われる。
 その猫の銅像に近付いたアイシスは、昨日のジム少年を見つけた。あちらもアイシスに気付いたようで、びしっと指先を突き付けてきた。

「遅い!」
「遅くないわよ。手紙には昼って書いてあったでしょ。今は昼じゃないの。あんたが正確な時間を書かないのが悪いのよ」

 滑らかに言葉を叩き返したアイシスは、腕を組んでじろりとジムを見る。

「くっそー」

 初っ端からやりこめられたジムは、悔しげにうなる。しかしすぐに気を取り直して、アイシスをねめつける。

「リズの仇だ! 俺と決闘しろ!」
「そのリズっていうのが誰の事かわかんないけど、売られた喧嘩は買うわ。喧嘩だったら負けないわよ」

 アイシスも負けずににらみ返し、両手の拳を握って、ファイティングポーズをとった。
 それを見たジムは、あからさまにたじろいだ。

「馬鹿じゃねえの。女と喧嘩なんかするか!」
「はあ?」

 喧嘩する気満々だったアイシスは、拍子抜けして目を真ん丸にする。

「でも、果たし状って……。それに決闘って言ったじゃないの、今」
「的に石を当てて、真ん中に十回中何回当たるかっていう勝負だ」
「なにそれ、あんたに有利な勝負じゃないの?」
「うるさいな! 勝負は勝負だ! 俺が勝ったら、リズに一発叩かれろよな!」
「……あのさ」

 年上に見えるジムの好き勝手な言いように呆れたアイシスは、頭痛をこらえてこめかみに指先を押し当てる。年上らしくもう少し物事を弁えて欲しい。

「それ以前に、そのリズって誰? なんであたしが負けるとその人に叩かれるの? あたしが何か悪いことしたんなら、本人に直接謝るわよ。意味が分からないから、間に入ってややこしくするのやめてよ。そういうの、ありがた迷惑って言うの。知ってる?」

 完全に馬鹿にする視線をジムに向けるアイシス。
 ジムにも理解出来たようで、また「うぐっ」とうめいた。が、徐々に怒りを覚えたらしく顔を真っ赤にする。

「リズは俺の妹だ! お前が団長様と婚約したせいでずっと元気がないんだよ! つまりお前が悪い!」

 ジムの言い分を聞いたアイシスは、内容をゆっくり咀嚼した後、一つ頷いた。

「そういうことなら、あたしは帰るわ」
「なんでだよ!」
「あんた、馬鹿でしょ。あたしが顔出して、リズって子にハーシェル様とお付き合いしてごめんなさいって言うの? 相手のことを馬鹿にしすぎよ。そんなことしたくない。だから帰る」

 アイシスはきっぱり言い、もう用事はないとその場を立ち去ろうとする。だが、ジムに左腕を掴まれた。

「そ、そんな訳にはっ。じゃあどうやってリズを励ましたらいいんだよ!」
「だから、放っときなさいって言ってるのよ。そういうことで家族に口出しされても逆効果だからね!」
「何もするなって、冷たいこと言うなよ」
「放っといてあげるのも優しさでしょ! ちょっともう! 離さないと蹴るわよ!」

 情けなさ全開のジムに、アイシスは眉を吊り上げて怒る。そして、実行に移そうと右足を振り上げようとした時、ジムの向こう側から少女の怒声が響いた。

「ちょっと、兄さん! 女の子に何してんの!?」

 驚いたアイシスが蹴るのをやめてそちらを見ると、短く切った赤毛と鼻の辺りに散ったそばかすが印象的な少女が、信じられないという顔で眉を吊り上げている。背が高く、柳の木を思わせる少女だ。
 パンの入った籠を両手で持った少女は、大股でこちらへ歩いてくる。

「げ、リズ! いや、これは……」

 慌てて手を離したジムの左頬を、少女は思い切り平手で叩いた。

「ぶはっ!」

 強烈な勢いに、地面へと尻餅をつくジム。リズと呼ばれた少女は、そのジムの頭へと標的を変える。

「女の子に手を上げるなんて最低! 馬鹿だ馬鹿だと思ってたけど、馬鹿どころか大馬鹿じゃないの、馬鹿! ダイナミック馬鹿!」
「イタ! 痛いって! つーか俺はどれだけ馬鹿なんだよ!」

 そう言って、涙目でバシバシとジムの頭を叩き続けるリズと、腕で頭を庇いながら抗議するジム。アイシスは兄妹の修羅場に呆然とする。

(この子が噂のリズ……)

 だが、すぐに気を取り直してリズを観察する。思っていた通り、リズという少女にアイシスは会ったことがなかった。
 そして、どうすればいいんだろうと所在なく立ったまま、リズが落ち着くのを待った。
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