目隠し姫と鉄仮面

草野瀬津璃

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スピンオフ アイシス編「斜陽の女主人」

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 -あらすじ-
 
 アイシスとハーシェルの交際を反対する脅迫文が届く。
 そんな折、何も知らないアイシスは、果たし状を受け取ってはりきって出かけていくのだが……。
 フィオナ達の結婚式の後くらいの時期のお話です。
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 春の日差しが緩やかな午後。
 うららかな昼下がりには似あわない沈んだ表情をしたノルマン・トレーズを、ハーシェルは出迎えた。
 メリーハドソンの街の警備団団長を務めるハーシェルは多忙だが、急な来訪だろうとノルマンをむげには出来ない。ハーシェルにとっては、最愛の恋人の父親で、近い将来、義理の父親になる予定の人間だ。

「突然、申し訳ありません、団長様」
「いいえ、大丈夫ですよ、ノルマンさん。あなたが私の所まで一人で訪ねていらっしゃるなんて初めてだ。どうしました? ――ああ、その前に部屋を移動しましょう。ここは客人の相手をするには不釣り合いですからね」

 ハーシェルは書きかけの手紙をテーブルの隅に寄せて椅子を立つと、ノルマンを客室に案内しようと扉へ顔を向けたが、ノルマンはパッと両手を広げ、ハーシェルを押しとどめる仕草をした。

「どうぞお座りください、団長様。よろしければこちらでお願いしたいのです」
「しかし、あなたは膝を悪くしているでしょう? 立ち話というのも……」
「お気遣いなく、立っているだけならそうひどくはないのです。それよりも、こちらをご覧になって頂けないでしょうか?」

 ノルマンはひどく沈んだ顔をして、胸ポケットから出した手紙をハーシェルの前へと差し出した。
 ハーシェルは手紙を受け取りながら、ノルマンの体調を気がかりに思った。彼は今にも倒れそうな青ざめた顔をしている。その原因がこの手紙のせいなら、早々に片付けてやらねばという気持ちにはなった。
 そして、手紙を広げたハーシェルはすぐに目を通し、「ふむ」と呟いて、顎に手を当てた。

 ――アイシス・トレーズ。ハーシェル様との婚約から身を引け。さもないと恐ろしいことがお前の身に振りかかるだろう。

 手紙の内容はこれだけだった。

「分かりやすい脅迫文ですね。――これはいつ?」
「昨日の夕方です」

 ノルマンはそう答えると、落ち着かなげに眼鏡のブリッジを指先で押し上げた。

「団長様、娘のアイシスは、それは男勝りで勝気ですが、こんな風に恨まれるようなことはいたしません。この手紙の主は、婚約そのものへの不快感を持っていると思うのです」

「あなたのおっしゃりたいことは分かりますよ、ノルマンさん。アイシス嬢と出会うまで、私は色んな女性とお付き合いしていましたから、その誰かの仕業ではないか、ということでしょう? まあ、私もその線が妥当ではないかと思うので、こちらでも調べます。私の政治的価値はさほどありませんし、トレーズ商会が領主家の親族と繋がりを持つことへの不満ということにしては、私怨の要素が強く思えますからね」

 ハーシェルが可能性を幾つか挙げると、ノルマンが濁していたことをハーシェルがあっさり話題に上げたことへ、ノルマンは申し訳なさそうな顔をした。
 相手への気遣いを忘れないノルマンを見るにつけ、この商人は思いやりがあるなと、ハーシェルは感心する。ノルマンは少々良い人すぎるきらいはあるが、トレーズ商会は領内外で評判であるから、商人としての手腕は悪くはないのだろう。

「大事な婚約者のことです。アイシス嬢には分からない程度に警備を強化しておきます。ですが、ノルマンさん。何か問題があるようなら、遠慮なく助けを求めに来て下さいね」
「ありがとうございます、団長様」

 ノルマンは深々と頭を下げる。

「ところで、これはロベルトに話しても?」
「ロベルト殿へは構いませんが、フィオナへは伝えないようにお願いします。心配しすぎてボロが出ると困りますから。アイシスにも秘密にしておりますので」
「ええ。余程危なくない限りは内緒にしておきましょう。心痛をかけるのは私も好ましくありませんので」

 ハーシェルがそう返すと、ノルマンは安堵したように息を吐き、礼を言って部屋を後にした。
 ノルマンが帰ると、ハーシェルは手紙の続きを書き終えてから、上着を手にして執務室を出た。
 馬に乗り、向かう先は自分の屋敷だ。北街の領主家に程近い場所にあるそこは、街の中心部から外れているせいか静かだ。この家は、ハーシェルが領主家を出る時に、前領主である父がせめて住む場所くらいはと用意してくれたものだ。

 普通、貴族の子弟は、嫡男以外の男はあまり待遇が良くない。いくばくかの財産を渡されて宿に下宿する者や、嫡男の住む屋敷の一部屋を間借りしての同居をする者、出世を目指して王都で騎士を志す者がほとんどなので、家をもらえたのは運が良かった。
 とはいえ、ハーシェルは、例え父親に屋敷を与えられずとも、家を出る際に与えられる財産で家を用意するつもりではいたが。領主屋敷に同居など、面倒な仕事を押し付けられるに決まっているから御免こうむる。
 屋敷の門から中へ入ると、玄関先に執事が出てきた。

「お帰りなさいませ、旦那様」
「ただいま。テオはいるかい?」
「――こちらに」

 馬から降りながらのハーシェルの問いに、執事の息子であるテオ少年が素早く馬の手綱を引き取ってそう答えた。茶色い髪と目をした優しげな顔立ちの少年は、今年で十六歳になる。執事見習いとして、普段はハーシェルの従者として侍従の仕事をしている。ハーシェルが従者を連れて歩かないので、だいたい屋敷で留守番だ。

「テオ、君に話があってね。ああ、すぐに仕事に戻るから厩には戻さなくていい」
「かしこまりました」

 うまやに駆けていこうとする足を止め、テオは静かに頭を下げた。静かに見えるテオは忙しく動いて回るのが好きな性質らしく、すぐに走り出そうとする。そんなに急がなくていいといつも言っているのに、聞かないので困りものだ。
 何の用件かと期待を込めて見てくるテオに、ハーシェルは僅かに苦笑する。

「君に、私の大切な婚約者の護衛を頼みたいんだ。影から、見つからないように」
「そ、そんな大事な役目を僕なんかがいいんですか?」

 驚きに目をみはるテオに、ハーシェルは大きく頷いた。

「君ぐらいの年齢の方が、怪しまれずに済むからね。――ただし、テオ」
「はい」
「注意しすぎて、アイシス嬢に惚れたら駄目だぞ」
「はあ。――いえ、はい!」

 主人の命令に一瞬きょとんとしたテオだが、すぐに礼儀作法を思い出したのか、慌てた様子で背筋を伸ばして返事をした。
 そんなテオに、ハーシェルは満足げに頷き、頼みの詳細について語り始めた。
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